第231話 巡礼シスター、厄介な相手と相対する
《同時刻》
《『精霊の森』から少し離れた、とある山中》
「――――いたな。ようやく見つけたぞ」
セージュたちの戦っている場所から、少し離れた山の中をしばらく走り抜けて。
お目当ての相手を見つけ出したカミュは、その場で足を止めた。
カミュの目の前に立っているのは、ひとりの女性だった。
年恰好は少女とも、貴婦人とも、初老の女性とも取れるような、曖昧な印象で。
その場にいるかどうかも怪しいような希薄な存在感の女の人。
だが、それが偽物であることをカミュは知っていた。
目の前の人物は、印象操作によって、相対する者の記憶にほとんど残らないように立ち回ることができるから、と。
本当の意味で、彼女の正体についてはカミュも知らない。
だが、その危険性については、十分に理解していた。
だからこそ、警戒感を強めて詰問する。
「わざわざ、こんなところまでお出ましとはどういう風の吹き回しだ?」
「あらあら。私はただの迷子よ? 偶然、ふふ、そう、偶然、この場にいただけ。それ以上の理由なんてないわ」
「嘘をつけ。てか、そういうことは相手を見て言え、ハイネ」
そう言って、カミュは軽く舌打ちする。
「あんたが出張るとロクなことにならんだろ。仮にも、一国の王妃さまを気取ってるんだったら、大人しく玉座に座ってろよな。なあ……ハイネック・レジーナガーデン」
「あら。玉座は陛下のものよ? 私は横にたたずむだけ。そうではなくて?」
「ふん、抜けぬけとまあ、よくそんなことが言えるよな。王都にわざわざ、『王妃の箱庭』なんて名前を付けるような輩がそんな殊勝な心根のわけがないだろうが」
「ご挨拶ねえ。そもそも、それを付けたのも私じゃないわよ? 当時の王様が当時の王妃様に贈った名前なのだから、私とは関係ないでしょ?」
そう言って、くすくすと笑う女性に、カミュは思いっきり渋い顔を浮かべる。
どうも、この女は苦手だ、と。
というか、カミュ以外の誰であろうと、自称迷子のこの女が得意なやつなんているはずがないと確信する。
よっぽどの自虐趣味のやつか、あるいはからかわれることを快感と思うやつ以外には、総じて苦手意識を植え付ける。
そんな存在なのだ、この王妃様は。
「今は、そんな言葉遊びはどうでもいい。それよりもハイネ、あんた、こんなところまでわざわざ何しに来たんだ? というか、だ。さっきの『地震』、あんたの仕業か?」
「あらあら、カミュってば、面白いことを聞くわね? あなた自身が確信を持っていることでしょ? わざわざ私が答えるとでも思っているの? それこそ、さっきのあなたの言葉をお返しするわ。『相手を見て言いなさい』って」
くくく、と口元を隠したまま笑うハイネ。
と、その容姿がカミュと同じような年頃の少女の姿へと変化する。
金髪に、頭には獣の――――狐のような耳をぴくぴくと動かしながら、どこか楽しそうな表情を浮かべるドレス姿の女の子が現れて。
それを見たカミュが心底嫌そうな表情を浮かべる。
「ったく、ガキのまんまのあたしに対する当てつけかよ。あんた確か、もうちょっと大人っぽいのが本性だったんじゃないのか?」
「ふふ、決まってるじゃないの。カミュ相手だったら、この方が楽しいからよ」
「あたしは全然楽しくないぞ」
「私は楽しいからいいの。くく、そもそも、私たちって、同じような存在じゃない? だからこそ、もうちょっと仲良くなりたいと思っているのよ? 私もね」
「嘘つけ。てか、やめろ。からかっているのはわかるが、あんたとお仲間なんて、まっぴら御免だ」
「あら……ふふ、随分と嫌われたものねえ」
「自覚がある癖に何を言ってるんだか」
「でもね、私もあなたもここにいる以上は、同じってことよ? ふふ、そうね、向こうの言葉で何て言ったかしら? そうそう、『同じ穴の狢』だったかしら? ねえねえ、狢って、私と似ているかしら?」
「知るか。てか、あたしはそこまであっちのことは詳しくないっての……ああ、もう! そういう話をしに来たんじゃないっての!」
言いながら、頭をかきむしるカミュ。
やっぱりこの女は苦手だ、と思いつつも忍耐強く尋ねる。
「というか、あんたひとりなのか? どっちかと言えば、人をこき使って、それを裏から見ながらほくそ笑んでいるイメージが強いんだが」
「ふふ、そうね」
その方が楽しいわね、とハイネが笑みを深くする。
だから、と付け加えるようにして、カミュの方へと真っ直ぐな視線を向けて。
めずらしく、真面目な表情を浮かべたハイネに対して、カミュの方が思わず息を飲む。
「そうね。せっかくだから、カミュもここで高みの見物といきましょうか。というか、あなた、これ以上手を出しちゃ『ダメ』よ?」
「――っ!? ハイネ、あんたやっぱりか!?」
「くく、そうね。既に私の能力は動いている。それがどういうことなのか、あなたならわかるでしょう? ダメよ? あなた、いざとなったらリディアに頼もうとしていたでしょ? それはダメ。優美さに欠けるわ。面白くないもの」
「……やっぱり、あんたの目当てはあの『鎧』か?」
カミュの問いに、微笑むだけでハイネは答えず。
それを見て、カミュも嘆息する。
確かに、状況がこれ以上危険になったり、膠着した場合、カミュはリディアに対して、連絡を取ろうと考えていた。
なぜ、ハイネがリディアのことを『ジョーカー』と呼ぶのか、そもそも、その言葉の意味もカミュにはわからなかったが、確かなことがひとつ。
リディアは、かつての『流血王』と相対して生き残っている。
もちろん、カミュ自身は当時のことは知らないので伝聞だが、それは教会本部でも耳にしたことだ。
リディアが冠する伝説のひとつ。
だからこそ、切り札として有効だと考えていたのだが、それに水を差された恰好になってしまった。
ハイネの能力が発動した後なら、彼女が排したいかなる助力も裏目に出るようになってしまうから。
ふぅ、ともう一度ため息をつく。
悪意だけではない。
悪気だけでもない。
だが、目の前の女の能力は最悪だ、と。
それでいて、最善でもあるから性質が悪いのだ。
「リディアなら、楽勝だってことか?」
「ふふ、一度首は飛ばされたけどね。その程度の話ね。くくく、敵味方関係なく、盤上を好き勝手に動き回る駒。だからこそ、あの子はリディアなの。すべての計算を覆し、すべての計略を無に帰す天衣無縫。まあ、それはそれで面白いのだけれどね。『初代王』本人でも相手が悪かったのに、ましてや、能力を引き継いだだけの『鎧』だけじゃ――ねえ?」
結果は言うまでもない、と含みを持たせるハイネ。
「それじゃあ、つまらないわ。せっかく、見込みがある子たちがいっぱいいるのに。今のままで頑張ってもらわないと。いつもいつもご都合主義でうまくいくと思ったら大きな間違いよ? その言葉には裏もあるの。悪い意味でのご都合主義。『平穏よさらば』ってね」
「……巻き込まれるやつはいい迷惑なんだよなあ。てか、あんた、やっぱり、他にも連れてきたやつがいるんだな?」
「ふふ、だから、あなたもここで高みの見物をしましょう、って言ってるの。興味がないわけじゃないんでしょ?」
私は答えないから、見て判断なさい、とハイネが微笑んで。
その笑みに対して、諦めの境地へと至ったカミュが肩をすくめる。
「わかったよ。どっちみちあたしも関与できないんだろ?」
「ええ。道筋を余計に乱したくなければ、ね。それにね」
「何だよ?」
「くくく、カミュも気付いているのでしょう? あの場に駆けつける精霊種がほとんどいない理由を。表面上はどうあれ、精霊種は冷静よ。それこそ、次代の『ナンバース』を切り捨てる可能性を天秤にかけた上でもね」
「…………だろうな」
「ふふ、少数精鋭? 確かにそうかも知れないけどね。精霊種はそこまで甘くないわ。最悪の想定をした上で、どうすれば無難に済ませられるか。落としどころを明確に探っているわ」
「……めずらしく饒舌だな?」
「であるからこそ、要素が増えればどういうことになるかしらね? おそらく、彼らは最悪の場合、『区画』の『崩壊』を狙っていたのでしょうけど、先程の地震でその目算は崩れたわ」
「だから、地震を起こしたってのか?」
「ふふ、ねえ? 意図した『空間変動』で終わらせるなんて面白くも何ともないもの。それに、こうなった以上は、あの場の戦力だけで何とかしなければならないわね? だったら、そこに要素を加える余地が生まれるわよね?」
「ああ、なるほど……遠まわしに戦力を、ってことか」
呆れたように、カミュが苦笑して。
「ひどいマッチポンプだな。そういうことしてるから嫌われるんだよ、あんたは」
「くくく、褒め言葉として受け取っておくわ」
「『語り部』、か。まったく、面倒だよ」
「ふふ、『狂言回し』って言ってね。そっちの方が私の好みよ」
その言葉を最後に。
カミュたちは、遠目で映し出される光景をただ眺めるのだった。




