第226話 農民、『鎧』に戦慄する
その『鎧』がよく見える位置まで近づいてきたことで初めてわかった。
遠目では黒い鎧にしか見えなかった、それは。
微かに紅い煙のようなものを纏っていた。
漆黒の鎧ではなく、血塗られた黒。
そこから決して絶えることがなく、宙へとにじみ出ては煙と化しているのは血の飛沫。
呪われた鎧。
それが第一印象で俺が感じたものだった。
誰も身につけていないにも関わらず、ガチャンガチャンという硬質な音を発して、人型を保ったまま動き続ける『鎧』は、確かにどこか歪で不自然で、それでいて何もないはずの空間に確かに、何者かの存在を感じさせるだけの迫力を伴っていた。
「『地針』!」
「――――――――」
相対するグリードさんが地面へと手を遣ると、数メートル離れた『鎧』の真下の地面が変質して、空を貫く無数の針と化して襲い掛かった。
『土魔法』の針――――!
だが、それは一瞬前に飛び上った『鎧』が放った真下への剣の一薙ぎで無効化される。
針による攻撃が『鎧』の周囲だけに飛び散り、直接『鎧』へと届くことはなく。
それでも動きを封じる枷のような役割へと転じる。
――――そう、俺が思った直後だった。
「――――――!」
『鎧』による回転斬りのような動きによって、まるで雑草でも刈っているかのように『土魔法』の針が刈り取られて周囲へと倒れた。
「反応が速いな」
厄介だ、と俺の横でカミュが嘆息する。
確かにそうだ。
グリードさんの魔法は一瞬で発動している。
にもかかわらず、その発動とほぼ同時に『鎧』は地面から離れて、対応に移っている。
もしかして、魔法の発動が見えているのか?
「――――オットー!」
グリードさんとの間合いと詰めて、攻撃に移ろうとしていた『鎧』が近づく前にグリードさんの叫びが響く。
「――――――!?」
オットーさんが穴の開いた結界を発動させたのだ。
淡いピンク色をしたセロファンのようなそれは、『鎧』が剣を持っている腕のみを通した状態で、『鎧』の突進を拒んだ。
『よしっ! 飛ばすよっ――――ああっ!? ダメかっ!』
オットーさんがピンク色の結界を外側に押し出そうとした瞬間に『鎧』が後ろに飛び退きつつ、剣を横に薙ぐのが見えた。
剣の軌跡に沿った形で結界の穴が左右に広がった。
オットーさんの操作だ。
それによって、辛うじて、結界が破壊されるのを防ぐ。
「遠距離部隊! あと、オットー! 同時に解除!」
「行くよ!」
「一部『憑依』による『精霊同調』発動します! ポイント確定! 標的固定したよっ! お姉ちゃんたちっ!」
「『石礫』乱射っ!」
「はーい! 『水槍』投擲っ!」
グリードさんの叫び声と同時に、ルーガが矢を放った。
そして、シモーヌちゃんがやっているのがターゲットのロックオンだ。
小さいながらも彼女は『精霊術師』だ。
それも、ふたり同時に『憑依』させられるだけの資質持ち。
シモーヌちゃんが同調による『精霊眼』で見て、標的の動きへと標準を合わせて。
アルルちゃんとウルルちゃんは、それに合わせて、弧を描いた魔法を放つ。
直線的な攻撃はルーガが。
それとは別角度からのそれぞれの魔法攻撃がわずかな時間差で『鎧』へと放たれる。
ピンク色の結界が一瞬消失して。
「――――――!?」
矢による攻撃を刺突で防ぎつつ、『鎧』は放たれた『水槍』に対応しようとして。
槍を撃ち落したのと同時に斜め上から降って来た礫の攻撃を避けきれずに一部被弾する。
「よし! ようやく、攻撃が通ったな!」
そう言いつつも、グリードさんの表情には笑みはない。
『鎧』がほとんどダメージを受けていないのに加え、予想以上に攻撃に対する対応速度が速くなっているからだ。
直線的な攻撃はほぼ通用しなかったが、先程の『地針』による牽制も、戦闘が始まった当初はそれなりに有効だったのだそうだ。
なので、失敗はその段階である程度傷を負わせられなかったこと、だ。
攻撃への対処が成長している。
残念だったのは、その時に一緒に戦っていたのが、魔法を使う経験が不足していたクレハさんたちだった、ということ。
今のアルルちゃんやウルルちゃんのように、変則的な軌跡で魔法を放つというのはさすがに俺たち迷い人にとっては難しいことだったから。
「まあ、さすがに多方面からの同時攻撃には対処しにくいみたいだな」
「囲むか?」
カミュの言葉に俺がそう問いかける。
だが、カミュはすぐに首を横に振って。
「結界があって、触れると飛ばされると知っているから、向こうも攻めあぐねているんだ。いくら、オットーが結界管理に慣れていると言っても、全方位型の結界だと対処が難しいだろ」
『そーだよっ! 剣の動きに集中するだけでも大変なんだってば!』
なるほどな。
さっきの回転斬りじゃないけど、相手に滅茶苦茶な動きをされてしまうとオットーさんの負担が一気に大きくなってしまうそうだ。
向こうは触れたら飛ばされるけど、こっちはこっちで攻撃を受けると即座に結界が破壊されてしまう、と。
そもそも、今も『精霊の森』の結界のほとんどはオットーさんの管理によるものだし。
すでに『並列思考』もいっぱいいっぱいの状態のようだ。
「間合いを詰める速度も速い。グリードの牽制がなければ、弱いところを狙って来る可能性は高いだろうな」
そうなったら対処が難しい、とカミュ。
今はとにかく、真っ直ぐであれ、攻撃を畳みかけるしかない、と。
「『火球』ですわっ!」
「――――――――KUAAAAっ!」
「微力ですがわたくしも」
クレハさんとモミジちゃんが『火魔法』を放ち、それに合わせる形でツクヨミさんが投げナイフを上空へと投擲する。
えっ!? 投げナイフ?
いや、そもそも上空に投げて?
――――あ、すごい。
ツクヨミさんの投げた複数のナイフが弧を描いて、先の魔法と同時に着弾する。
さっきのウルルちゃんたちの魔法みたいだ。
あんなことできるんだな?
「――――――っ!?」
ふたりが放った『火魔法』はかき消されてしまったけど、ナイフの一本が鎧の肩部分に当たって。
激しい金属音と共に、『鎧』の一部が欠けて。
「げっ!?」
うわっ!? 何で、欠けた部分から血みたいなものが流れるんだよ?
ほんと、何なんだよ、あの『鎧』。
まるで本当に『鎧』が生きているかのようだ。
「どうも、『小精霊』が削れると、血が流れるようだな。ったく、悪趣味な」
「全くだな」
カミュの意見に同意しつつ。
引き続き、『鎧』とにらみ合う俺たちなのだった。




