第214話 農民、サティ婆さんの話に困惑する
「ねえねえ、ちょっと質問よ。わたしは会ったことがないけど、マスターやルーガは会ったことがあるんでしょ? そのサティ婆さんって何者よ?」
「ぽよっ――――!」
それまで、少し離れた場所でみかんを抱いたまま黙って話を聞いていたビーナスが、いつの間にかこっちの方まで近づいて来て、そう尋ねてきた。
あ、ちなみにビーナスとみかんは一晩の間、大地などから英気を養っていたおかげで、大分元気になったのだそうだ。
というか、この『村』もビーナスにとっては『元気の素』が多めの環境だったらしく、何となく緑色の肌つやもよくなっていて、艶々しているんだよな。
みかんはみかんで、何だか仲間になった時よりも一回り大きくなってるし。
もちろん、レランジュマスターだった時みたいな巨大みかんって感じじゃないけど、もう完全にビーナスの頭の上には乗れないような大きさだ。
というか、だ。
そういえば、ビーナスって、サティ婆さんとの面識がなかったんだよな?
よくよく考えれば、オレストの町に入る時も、クリシュナさんの背中に乗って素通りだったし、その後はずっとラルフリーダさんの結界の中にいたから、そっちまでサティ婆さんが出向いてない限りは会えるはずもないか。
まあ、『隠れ薬師』ってことはラルフリーダさんも知ってたし、立ち位置を考えると普通に町長の家までは行き来できるとは思うけど、俺たちがお世話になっていた頃って、ちょっと腰痛っぽい感じで、長距離を移動するのはしんどそうだったしなあ。
とりあえず、きっかけはなさそうだ。
「サティ婆さんってのは、俺やルーガが居候させてもらっている家の家主さんだよ。ほら、前にビーナスにも、薬師の人に『苔』を譲ったって話しただろ?」
「うん、お婆ちゃん、とっても良い人だよ」
「きゅい――――♪」
作ってくれるスープも美味しいし、とルーガが力強く頷く。
ふうん?
実は、ルーガもサティ婆さんにお手製スープはお気に入りだったようだ。
まあ、そうだよな。
あれって、材料は謎だけど、下手をすれば、ユミナさんの『ぷちラビットスープ』よりも深みのある味だもんな。
おそらく、薬師ならではの材料も使っているんだろうけど。
「ああ、そういえば、マスター、そんなこと言ってたわね。別にわたしはマスターにあげた分の『苔』に関しては、自由にしていいって思ってたから、その辺はサラッと流してたわ」
「いや、サラッと流すなよな」
「そんなことより! その『薬師』ってのは何? わたしはよく知らないんだけど」
「えーと? 『薬師』ってのは薬を作る人だろ? 自然に取れる素材を組み合わせて、傷薬とか毒薬とかそういうのを作る職人さんってとこだ……と思うけど」
「って、何で、マスターも最後は自信なさげなのよ?」
「いや、そう言えば、俺もこっちの職業に関する詳しい事情とか知らないなあ、と思ってさ」
ビーナスに説明してて、ふと思ったのは今の説明で本当に『薬師』について、正しく述べることができたのか、ちょっと自信がないよな、ってことだ。
何となく言葉の響きから、向こうの薬剤師のようなイメージを持っていたけど、冷静に考えると、『暗号学』に関する部分といい、謎に包まれたギルドの実態といい、そんなに簡単に語れるような職業じゃない気がしてきたというか。
「ああ、そういえば、傷薬って、昨日、マスターがみかんに投げつけてたやつよね?」
「ぽよっ!」
「あっ!? 痛い痛い!? みかん、そんなに体当たりするなって。あー、もしかして、そんなに不味かったか?」
「ぽよっ――――!」
不味かったらしい。
というか、手加減してくれているとはいえ、バスケットボールぐらいの大きさのみかんに体当たりされるとけっこう痛いぞ?
今後は『まずいお薬を飲ませる時は、前もって言って!』ってことみたいだけど。
というか、だ。
「ビーナスは傷薬を知らないのか?」
「ええ。だって、わたしは『元気の素』を取り込んで、自分で自分の傷は癒すもの」
「一応、ビーナスが生やしている『苔』が薬の素材としてはすごいものらしいぞ?」
「うん、そのまま食べてるだけでも元気になるもんね」
「そうなの? わたしとしては、今、ルーガが言った通り、食べるとわたしたちみたいなマンドラゴラじゃない種族がちょっと元気になる、ぐらいに思ってたんだけど」
「あれっ? 前にビーナスが自分で『一目置かれている』とか言ってなかったか?」
「ええ。それは事実だもの。というか、わたしの中じゃ、自分の傷も自分で癒せないなんてお気の毒ね、ぐらいにしか思ってなかったわよ? だから、わたしにとって嬉しい物と交換で『苔』を恵んであげてたの」
そうすれば、喜んでくれたし、悪い気もしなかったから、って。
なるほど。
どうやら、ビーナスがどこか上から目線だったのもそれが理由か。
もっとも、ビーナス自身にとっては、『自己治癒』なんて、それこそ呼吸をするかのような当たり前の能力なので、そこまですごいことだとは思っていなかったらしい。
「だって、『山』だったら、『治癒』の能力持ちはけっこう多かったわよ? わたしみたいな魔樹系統だったら、ごくごくありふれた能力だと思うわ。ほら、みかんも持ってるじゃないの」
「ぽよっ♪」
「あ、そういえば、そうか」
確かに、みかんもスキルの中に『樹霊吸収』ってスキルがあったもんな。
あれで、周囲の精霊樹から栄養とかを吸収して、それを身体の回復にあてていたってことだろう。
何だかんだで、今はふわふわ浮かぶみかんになってるけど、マスターだった時のみかんの回復能力は脅威だったもんな。
そう考えると、植物系の種族ってどれもこれも強い気がする。
ラルフリーダさんみたいなドリアードもそうだし。
「おい、セージュ。話が逸れてるぞ」
「あ、ごめん、カミュ」
サティ婆さんの話はどこ行ったんだよ? と横にいた不良シスターから突っ込まれてしまった。
なので、慌てて、話を戻す。
――――って、そうじゃなくて。
「いや、そもそも、サティ婆さんって何者なんだよ? 俺だって、いつもお世話になってる薬屋のお婆ちゃんぐらいにしか思ってなかったぞ? ルーガもそうだろ?」
「うん、優しいのと、『調合』はすごく上手ってこと? そんな感じのお婆ちゃんだよ」
「きゅい――――♪」
なっちゃんも俺やルーガの言葉に『そうだ』って言ってるし。
結局のところ、ビーナスから、あと、フローラさんたちから『何者?』って聞かれても、改めて、俺たちが語れるようなことは何もないんだよなあ。
凄腕の薬マスターで、今はちょっと腰痛を患っているので、同居している俺たちも家事とかを手伝ってるぐらいの話だ。
「だから、たぶん、カミュの方が色々と知ってるだろ」
そう言いながら、昨日一昨日のカミュの発言を思い出す。
今考えると、カミュがそれとなく言っていたことが、『精霊の森』とサティ婆さんの繋がりだったんだろう。
普通は伝手がなければ、『精霊の森』に入るのは不可能。
そのうえで、俺が今まで知り合った中に、その伝手を持っていそうな人がいそうだ、ってことにはそれとなく触れていたしな。
たぶん、それがサティ婆さんだったんだろう。
「だから、カミュも俺が『精霊の森』を目指すのを止めなかったんだろ?」
「いや? どっちに転んでも面白そうだとは思ったぞ? てか、あたしもセージュが本当にそこまでの伝手になりそうなものを受け取っているのは知らなかったからな。ふふ、あんたの場合、なければないで、変な方向に話が進みそうだったしな」
あ、俺の考えは深読みすぎか?
別に、カミュはそこまで世話を焼くつもりはなかったらしい。
確かに、ダメだったら諦めろとも再三言ってたしな。
「それでサティ婆さんって結局何者なんだ?」
「あたしの口から言うつもりはないぞ? それを語るべきは本人だけだ。セージュが帰った後で、直接聞けばいいだろ? 別にな、さっきの言葉だけでフローラが気付いたようだから、この場はそれで十分なのさ」
そう言って、カミュがシニカルな笑みを浮かべて。
「ふふん、前にも言ったろ? 女の秘密を探ろうとするな、って。しかも当の本人がいない場所でな。そういうことをすると嫌われるぞ?」
「いや……そもそも、ビーナスが聞いて来たから考えてただけなんだが」
「ちょっと、マスター! わたしのせいにしないでよね!?」
「まあ、フローラに話す気があるのなら別だがな。だが、そのつもりはないんだろ?」
「ええ、そうね。私の推測が事実なら、あまり『外』に漏らしたくない話になりそうだから」
「あっ? そうなのー? お母さん?」
ウルルも何だかよくわからなかったんだけどー、とウルルちゃんが言って。
その言葉にフローラさんが嘆息する。
「ウルルは口が軽すぎるから、教育が終わってからね」
「ええっ!? 嫌だよー! お母さんの『教育』反対! アルルだって、ぐったりして寝込んじゃったじゃないのー! 今、逆にシモーヌが看病してるんだからねっ!」
「あのね、それはアルルの自業自得じゃないの。そっちのみかんちゃんには事情を説明しておいたわよ。本当、何とか許してもらえて良かったわね」
「ぽよっ――――!」
あ、そうなのか?
どうやら、昨日の『罰』のおかげで、アルルちゃんが寝込んでいるのだそうだ。
まあ、人助けのためとはいえ、物を盗んじゃいけないってことだろう。
……って。
よくよく考えると、ゲームの中だと、モンスター相手なら俺たちも普通にそういうことをやってるような……。
うん。
『PUO』の中だとあんまり推奨されないことだ、って思っておこう。
何かを得るためには対価が必要ってな。
「とにかく、この件については、これでおしまいよ。私も他の『ナンバース』に相談する必要があるし」
どうやら、フローラさんもサティ婆さんのことについては話すつもりはなさそうだ。
あっさりと話を打ち切った後で、そのまま話題を変えるようにして。
「それよりも、今日はウルルを案内として付けるから、セージュ君たちも『村』の様子を見てきたらどう? アルルに用があるってことだけど、元気になるのはお昼過ぎになるでしょうしね。それまでは適当に出歩いてもらっても構わないわ」
「あっ、いいんですか?」
「オットーからもそう言われてるわ。明日までには出て行ってもらうから、それまでは歓迎してくれってね」
「そのオットーさんが大きな蛙さんだよ」
フローラさんの言葉にルーガが補足をしてくれた。
何でも、ルーガたちを『村』まで案内してくれたのが、そのオットーさんって人……いや、蛙さんらしい。
滞在期間を制限する代わりに、それなりに歓迎はしてくれる、って。
もちろん、『精霊の森』を自由に移動できるってわけじゃなくて、この『村』の範囲内だけ、ってことらしいけど。
いや、それでも十分だよな。
今、アスカさんもこっちに向かっているって話だし、彼女と合流しつつ、この『村』の散策ができるといいな、って。
そう考えて、胸を躍らせる俺たちなのだった。




