閑話:王妃、寝室でほくそ笑む
《一方その頃》
《場所:◆◆◆◆◆◆◆◆の◆◆の部屋》
「あらあら……やはり、そうだったのかしらね?」
『精霊の森』よりも大分離れた場所。
とある立派な建物の一室、その中に置かれていた天蓋付きのベッドに横たわったままの姿で、くくく、と女性が口元に笑みを浮かべた。
しばらく、そうして、何かに納得しながら微笑んでいた彼女だったが、ややあって、ゆっくりと身を起こしたかと思うと、手に持っていた鈴のようなアイテムを鳴らして、部屋の外で待機していた存在を呼び出す。
「失礼致します、王妃様。どうなされましたか?」
「ええ、ええ。くくく、どうかなされましたわよ」
かすかに響いた鈴の音。
だが、そのわずかな音を聞き分けて、その人物は室内へと現れた。
部屋に入るための扉を開けることなく。
まるで、ずっと部屋のどこかに待機していたかのように、だが、それでいて、目の前の、高貴で柔らかそうな材質で誂えられた白色の寝間着に身を包んだ女性の前で膝をついて、頭を垂れる。
それは、目の前の存在に対して、絶対の忠誠を誓う証。
銀の短髪を綺麗に切り揃えて、服装は闇にたたずむがごとく、黒一色に統一された礼装で、さながら一流の従者のようで。
それでいて、『彼』の姿をもし他に目にしている者がいたとすれば、彼が男なのか女なのか、一目ではわからぬほどの美貌。
中性的に整ったその顔つきと、その身を包む漆黒の男性礼装、そして、怜悧な空気を纏ったかのような雰囲気は、常人が触れることすら恐れるような鋭利さを伴っていた。
にも関わらず、目の前の寝間着の女性はそれを気にするでもなく、どこか狂おしげなほどの笑みを口元に称えたまま。
天蓋付きのベッドに腰を下ろしたまま、ただ微笑んでいる。
「……王妃様?」
「何かしら?」
「いえ……随分とご機嫌ですね。それで少し驚いた次第です」
「あら、私はいつもご機嫌よ?」
「それは表向き、でしょう? 今は違うではないですか」
「あらあら、くくく、わかる?」
「ええ、長い付き合いですから」
出会った当初は背中がむず痒くなるような感じだった言葉遣いにも、それなりには慣れてしまうほどには、長い付き合いでしょう?
そう、『彼』が言いながら苦笑する。
少なくとも、本当のわたくしは従者など柄ではありませんよ、と。
「そうね、そうね。くく、わざわざ、こっちへ連れてきたのは貴方だけだしね。ふふ、エヌったら、どこまで把握しているのかしらね? さすがに隠し通せていることも多いし、一部欠けている要素も多いけど、それなりには大したものだわ」
「はい。わたくしもそう思います。こちらのラファエル卿はさすがに普通の人間のようですが」
「そりゃあね。エヌにもできることとできないことがあるもの。R・Rが相手じゃ、私みたいに直接本人を呼ばないとね。もっとも、あの男はあっちの王国を愛しすぎているから。エヌの招きに応じることはないでしょうね。その点では少し残念ではあるわね」
「王妃様に比するお相手のひとりですからね」
「ええ。少なくとも退屈はしないわ」
それだけにちょっと残念、と『王妃』が肩を竦める。
そんな彼女の言葉に膝をついたままで、『彼』が首を傾げて。
「王妃様、退屈されておられたのですか? わたくしの眼にはそれなりに楽しんでおられるように映っていたのですが」
「ええ、ええ、その通りよ。くく、予想以上に楽しませてくれる子も見つけたし、ね」
「正直、わたくしも驚きました。迷い人という存在はすごいのですね。王妃様の命で、わざわざエディウスの側に付けましたが、まさかあの『鬼子』と同等、いえ、それ以上の戦果をあげるとは、完全にわたくしの想定を越えておりましたので。さすがは異世界の存在というところでしょうか」
「そうね。でも、勘違いしないようにね。それはあの子が異世界からやってきたからじゃなくって、単にあの子がそうだったってだけよ? ふふ、ね? 私の眼は節穴じゃないでしょ?」
「はい、王妃様。恐れ入りました」
どこか子供っぽい仕草で、えっへんと胸を張る『王妃』に、こちらも合わせるように大仰に頭を下げる『彼』。
その長い付き合いから、『王妃』がそちらの雰囲気に合わせろ、と無言で命じているのがわかるから。
そういう意味では、どこか子供っぽいところがある、と『彼』は『王妃』の態度に心の中で苦笑する。
それでいて、『王妃』の持つ別の顔も『彼』は十二分に身に染みてわかっている。
目の前のどこか無邪気で、常に笑みを絶やさない女性は、本当の意味で優しいだけではない存在である、と。
だが、だからこそ。
『彼』が忠誠を誓うのに相応しい存在でもあった。
「まあ、あの子も、貴方が目をかけているエディもそうだけど、それ以外にもまだまだこっちには面白い子たちがいるのよ? ふふ、それがエヌの頼みに応じる条件のひとつだったしね。私としても、それなりに満足はしてるわ」
「つまり、王妃様がご機嫌なのはそれが理由ですか?」
どうやら、また、『王妃』の眼に適うものが現れたらしい。
そのことを従者として嬉しく思う反面。
自分もそうであったように、これから『王妃』がすることを想像して、その相手に同情を禁じ得ない、と『彼』は心の中で嘆息する。
この『王妃』が気に入る、というのはそういうことだから。
普通なら『王妃の寵愛』というのは特別な、素晴らしい響きを含んでいるはずの言葉にも関わらず、この場合、『寵愛』というのは『呪い』に等しい、と。
いや、事実、『寵愛』であることには違いないのだ。
少なくとも、『彼』自身、目の前の『王妃』に救われた者のひとりではあるから。
ただ、問題はその救い方、だ。
目の前の女性がどこまで考えているのか。
『彼』が救われた、とそう思い込まされることまで織り込み済みで、計略が成されていたのではないか。
蠱惑的な誘惑とその選択肢。
決して、今の自分を後悔するつもりはないが、それでも、目の前の『王妃』に対しては、どうしても、底が知れないと感じてしまう。
企みが失敗しても成功しても、表情ひとつ変えずに笑みを絶やすことがない彼女の在り方は、まるで全てを見通しているようで、それでいて、何も望んでいないようにも……そんな風にも受け取れる、と。
それも含めて、『彼』にとっては、忠誠を誓うに相応しい存在であると言えるのだが。
「それもあるけど、ちょっと違うわ。あの子とエディに新しく『お願い』することが決まったの。ふふ、だから、今の私はご機嫌なのよ」
「左様で」
「ええ、左様でございますわよ。くく、ただ、エヌったら、私が思っていた以上に色々と知っているようね。本当の意味で初めて、こっちに来て良かったと思ったわ」
「……王妃様?」
おや? と『彼』は少し驚きを持って『王妃』を見る。
微かに。
ほんの微かではあるが、『王妃』の言葉から熱のようなものを感じたからだ。
それは長い付き合いである『彼』だからこそ、気付くことができたほどの微かな感情の揺らぎだった。
……もしかして、本気、か?
そう、『彼』が表情に出さずに思ったその時だった。
『王妃』から、新たな命令が下される。
「貴方にはあのふたりを連れて、ちょっと遠出してもらうわ」
「遠出、ですか?」
「ええ、そう。ふふ、今回は能力を使っても構わないわよ?」
「えっ!?」
「というか、『能力』を使いなさい」
「……ですが、わたくしがあのふたりの前で、そうであると知られるのは不味いのでは?」
「ああ、別に同行する必要はないわよ? 貴方は後ろからでもこっそりついて行きなさい。ふふ、ふたりには私の持つ魔道具だと説明するから心配ないわ。そうでなければ、あれだけの遠距離を転移するなんて、普通じゃあり得ないしね」
呆気にとられている『彼』の前で『王妃』が口元を手で隠して、くく、と笑う。
その言葉に、即座に気持ちを切り替えて頷く『彼』。
すでに、『王妃』の命令に振り回されるのは、『彼』にとってはいつものことであったから。
「畏まりました。それで、王妃様、今回向かう先はどちらですか?」
「そうね。それじゃあ、教えてあげるわね」
そう言って、『王妃』は此度の命令について、『彼』に詳しく話すのだった。




