第195話 農民、泣いている少女と出会う
「……うわあ、何だか大分じめじめしてきたなあ」
「きゅい…………」
「クエェ……」
「ほんと、何なのかしら? こんなに風が強いのにどんどん霧が濃くなっているなんて」
ビーナスが感じた気配の方へと進み始めた俺たちだったんだが、少し進んだ辺りから、霧のような……いや、身体を包んでいるマントとかも濡れてきているから、むしろ霧雨に近い状態か。そんな感じの気候になってしまったのだ。
ただ、な。
上の方を見ても、ずっと深い森の状態が続いていて、そもそも木々の枝葉が異常なぐら生い茂っているから、上から雨が降って来るような状況でもないはずなんだよなあ。
おまけに、ビーナスも言った通り、強風は相変わらず吹き荒れているし。
俺も、そんなにお天気とかには詳しくないけど、普通はこれだけ風が吹いていたら、霧なんて保てないよな?
台風の状態で霧が発生するなんて聞いたことないし。
ほんと、何なんだろうな、この霧?
なっちゃんなども、濡れるのは苦手らしくて、移動中と同様、俺の服の中に引っ込んで、顔だけ出している状態だし。
どうやら、あんまりびしょびしょになると飛べなくもなるらしく、たまにブルブルッと身体を震わせて、溜まった水を弾いたりもしていたし。
何となく、見ているとかわいい感じの仕草ではあったけどな。
ただ、それはそれとして。
厄介だと思ったのは、視界が見えにくくなってきたことだ。
白い霧が進む先の方を包んでいて、それが風の流れによって、まるで川の流れのように流動的に空間を支配しているのだ。
うん。
あんまり、向こうだとお目にかかったことがない光景だよな。
ここが『精霊の森』の側だから、こうなのか。
それとも、こっちの世界だと、割とよく見かける感じの自然現象なのかはわからないけどな。
「少なくとも、『山』では遭遇したことはないわね」
「そうなのか、ビーナス?」
「ええ。延々と風が吹き荒れている谷みたいな場所はなくもなかったけど、こんなに視界が真っ白になることはないもの……まったく、面倒ね!」
あんまり速く進めないわ、とビーナスがぼやく。
そうなのだ。
それなりに樹が密集しているから、『精霊の森』に来るまでのように、カールクン三号さんに猛スピードで駆け抜けてもらうこともできないのだ。
ここまで霧で見えないと、樹にぶつかる可能性も高いしな。
この辺の樹って、ちょっと脆いけど、表面はしっかりした硬さみたいだから、勢いよくぶつかるとかなり痛そうだし。
「ビーナス、さっきの気配の方はどうだ?」
「ええ、大分近づいているわよ。もうちょっと先かしら? さっきからほとんど動いてないみたいだし、そろそろたどり着けるわね」
「よし、じゃあ、もうちょっと進むか」
そろそろ、日が暮れる時間だしな。
というか、深い森の中にいるせいで、今何時頃なのかってのがわかりにくくて困る。
頼りになるのは、ステータスに記載されている現在時刻だけだものな。
うーん。
下手をすると、俺にとっては初めて、ゲーム内で夜を過ごすことになりそうだ。
急いで近くの集落を目指そうにも現在位置も、周辺地理もさっぱりだしな。
夜営の覚悟もしておいた方が良さそうだな。
そんなことを考えながら。
俺たちはそのまま、森の奥へと進んでいくのだった。
「うー、うー、ひどいよー。こんなのってないよー」
俺たちが、しばらく森の中を進んで行って、いきなり出くわしたのが、目の前の光景だった。
地面にうずくまって、シクシクと泣いている少女がひとり。
淡い水色をした髪の、年恰好は俺よりも少し年下か、同じぐらいか、そんな感じの女の子が羽衣のような服を着て、でも足は裸足で、全身はちょっと泥だらけで。
その状態のまま、泣いているのだ。
えーと。
誰かと遭遇するのは望んでいたんだが、ちょっとこれは予想外というか。
どう声をかけていいのか反応に困ると言うか。
俺だけではなく、一緒にいたビーナスたちも困っているし。
「……ビーナス、この子が気配の正体か?」
「……ええ。そうみたいね。マスター、気付いた?」
「え? 何にだ?」
「この周辺だけ霧が晴れているでしょ? でも、ここを中心に霧が渦巻いている状態になってるってことよ」
「――――っ!? そういえば、そうか!?」
ビーナスの言葉に慌てて、周囲を見やる。
確かに、目の前の女の子の周りだけ……いや、俺たちの立っている辺りも含めてだな、その周辺だけが霧がなくなって、視界が開けているのだ。
ただし、そこから外側を見ると、さっきまでの白い霧の対流のよる渦状の流れが発生しているのがわかった。
まるで台風の目の中にいるかのような。
そんな感じだ。
ただ、風に関しては、少し勢いは弱まっているものの、この周囲も吹き荒れてはいるみたいだけどな。
女の子の着ている服も、風でたなびいているのがわかるし。
とは言え、だ。
少なくとも、見た目は俺と同じように人の形を取っているけど。
この目の前の女の子は、普通の人間種じゃないよな?
明らかに状況がおかしすぎる。
「たぶん、精霊種ね。わたしが知ってる気配とも似てるし。まあ、あの人も人型をとることはよくあったから、別にめずらしい話じゃないわ」
「やっぱりそうなのか。うーん……彼女が精霊ねえ」
精霊種に遭遇できて嬉しいは嬉しいけどさ。
何となく、イメージと違うというか。
だってさ。
「うー、うー、もちろん、けんかしてたけどー、まさか本当に置いていっちゃうなんてひどいよぅ、あんまりだよぅ……うー」
何となく、見ていると物悲しくなってくるというか。
『うわっ、ファンタジーだなっ!』って感じじゃなくて、どこか途方に暮れているだけの切なさしか伝わってこないというか。
まあ、何となく、うずくまって泣いているその背中から状況がわからないでもないけど。
どうやら、この少女は一緒だった誰かに置いて行かれたらしい。
と、不意に。
俺たちがもうちょっと近づいて、声をかけようとしたその前に、水色の髪の女の子がこっちの方へと振り返って。
「……うー、誰かいるのー?」
ようやく、少女と目が合った。
半泣きで目元には涙が浮かんではいるものの、どこか眠そうな目をして。
であるけれど、突然現れた俺たちに対して、不思議そうな表情を浮かべている。
まあ、そうだよな。
この辺、どう見ても、人気がなさそうだもんな。
いや、人気どころか、モンスターとの遭遇もなかったんだが。
モンスターもそれほど生息していないのかね?
さておき。
「……どなたー? 村に新しくやってきた人ー?」
お母さんの許可がないとこの辺りまで入ってこれないもんねー、と少女。
いや、その『お母さん』って誰だ?
というか、それよりも、だ。
「村って、『精霊の森』の側の『村』のことか? 俺たちはそこを目指してやって来たんだけど」
「あー、やっぱり、新しい人なんだー。あれー? でも、今って、館の人って、大体いたよねー? どこの館に来ることになったのー?」
「え? 『館』?」
「はい、ちょっと落ちついて。マスターもそっちのあなたも」
「きゅい――――♪」
「わわわーっ!? モンスターさんー? そっちは『人化』が使えるモンスターさんかなー? ウルル、初めて会ったよー」
「――――って!? ちょっと!? いきなり触らないでよ!? やめて!? 抱き付かないでって!?」
「えへへー、やっぱり、植物さんなんだー? 大丈夫、大丈夫ー。痛くしないからー」
「そうじゃなくって!?」
…………えーと?
何だか訳がわからないうちに、カールクンに横座りしていたビーナスへと、その少女がいきなり抱き付いてきて。
そのまま、辺りは混沌とした状況になってしまうのだった。




