第180話 農民、水を受け取る
「ああ、セージュや。少し遠出するんだったら、これを持っていくといいよ」
俺やルーガが部屋の方で、せっせと明日の支度をしていると、サティ婆さんが何やら、布でできた袋のようなものを持ってきてくれた。
あ、この袋、厚い革のようなもので作られているんだな?
手渡された袋を持ってみると、ずっしりとした重みと、固形物ではなさそうなものが中に入れられている感触があった。
例えるなら、水枕のような触り心地というか。
もしかして、これって。
「ありがとうございます、サティ婆さん。もしかして、これって、水筒ですか?」
「ふふ、そうそう、水を持ち運ぶ時に使う水袋だよ。ただの水は食料と比べると、アイテム袋でも劣化はしにくいけどね。それでも、数日で飲めなくなるからねえ」
そう言って、サティ婆さんが苦笑する。
その話については、俺もカミュから聞いていたんだよな。
なので、今受け取った水袋とは別に、カールクンの背中に乗せられる大きさの水の入った樽などに関しても、キャサリンさんの道具屋で購入しておいたのだ。
旅の途中では、飲み水が自由に確保できるとも限らないので、その辺の準備ってのは大切なんだよな。
まあ、カミュが水魔法を使えるので、いざとなれば、そっちを使って水の生成とかもできるらしいけど、こっちの世界の旅に慣れるという目的なら、細かい部分をきちんとした方がいいとも言われたのだ。
『いつも、あたしが一緒とは限らないだろ?』
そう、カミュがシニカルな笑みを浮かべていたのが印象的だ。
今回の旅にしても、一緒に行くのは行きだけだしな。
『精霊の森』に着いた後は、状況にもよるけど、『森』を巡った後で、カミュとアスカさんは、そのまま教会本部に向かうって言ってたし。
正式に、アスカさんのことをシスターとして登録してしまおう、って狙いもあるらしいし。
まあ、それはそれとして。
サティ婆さんが、この水袋に入っているものについて教えてくれたので、それについてきちんと傾聴する。
「水袋はその町の道具屋とかでも売っているけどねえ。この水袋の場合、重要なのは入っている中身の方だよ」
「え? 何が入っているんですか?」
「ふふ、ちょっとした特別な『水』さ。水自体が清めの効果を持っている『深淵の水』が入っているんだよ。これなら、アイテム袋に入れても劣化しないからね。まあ、薬師として、あたしから素材のプレゼントってことで持っていくといいさ」
「へえ、『深淵の水』、ですか?」
何となく、響き自体が意味ありげな感じもするけどな。
とは言え、アイテム袋に入れても問題ない水ってのはありがたいな。
あれ?
清めってことは、もしかして?
「サティ婆さん、これって、『ヴィーネの泉』の『湧水』みたいなものですか?」
「まあ、特別な水ってことならそうだねえ。もっとも、あっちの『湧水』はアイテム袋だと劣化するから、性質としては少し違うけどね」
なるほど。
そういえば、『ヴィーネの泉』の『湧水』もアイテム袋に入れるのは禁止だったものな。
あっちはあっちで、樽なり水筒なりに入れておかないとダメって。
アイテム袋に入れて放置すると、物をきれいにする効果がなくなってしまうのだそうだ。
なので、どうしても旅のための荷物ってのは多くなってしまうんだよな。
アイテム袋の構造自体が謎仕様だけど、思った以上にご都合主義が通用しないのな、この世界のアイテム袋って。
輸送に使うにしても、色々と欠陥があるようなのだ。
一応、俺がカミュから改めて聞いた説明だと。
同一種類のアイテムを大量に入れることはできないのだそうだ。
その辺は、アイテム袋を作っている魔女たちの制限らしくて、どうやら、その辺にも色々と問題があったりするのだとか。
少なくとも、カミュの話だと、極力悪用できないように制限を持たせているらしい。
戦争とかへの転用とかな。
まず、武器や防具などは一個人のレベルを超えた量を入れることはできない。
剣を百本とか二百本を袋に入れて、隠し持ったりはできない、ということらしい。
何で、そんな制限があるのかと言うと。
そうしないと、アイテム袋自体がかなり危険物になってしまうからなのだそうだ。
まあ、なあ。
袋の仕組みについては、『空間魔法』という謎属性の魔法を使っているぐらいしかわからないけど、もし中に自由自在に色んなものを詰め込めるとなったら、今の俺でも色々と使い道が思い浮かぶものな。
割とよくある使い道としては、水を袋の限界の容量まで詰め込んで――――という感じの使い方だ。
冗談抜きで、攻城戦とかで水攻めみたいな使い方もできてしまうもんな。
低地にある都市なんかを水で沈めたりとか。
うん。
言っていて、自分でもシャレにならないってことはよくわかる。
まあ、込み入った事情はさておき。
魔女たちも世間から隠れてひっそりと暮らしていたいらしく、各国から余計な恨みや警戒などを買いたくないのだそうだ。
なので、魔道具として、アイテム袋が出回ることはあっても、本当の意味で出力が強いものに関しては、禁呪の一種とされているとかいないとか。
とは言え、町の門や各国の関所では、アイテム袋に関してもチェックはされるとは聞いたが。
そのぐらいの警戒は当然のことだろうとも思う。
「あの、素材ということは、これも『調合』に使えるってことですか?」
「ふふ、その通りだよ。というかだね、セージュ。薬師にとって、水ってのは重要な要素だからね? 『調合』でも使うし、洗浄などにも必要になる。少なくとも、水魔法の素養がまだ無い者にとっては、より良い水を探すってのは大切なことなのさ。この町の周辺で採れる『湧水』もそのひとつってことだよ」
なるほど。
サティ婆さんによると、世界各地で『湧水』やこの『深淵の水』のような水が、その土地土地によって存在していたりするそうだ。
だからこそ、旅をするのであれば、そういう水を採取できたら、薬師としても新しいことに挑戦できるようになる、と。
そういう話らしい。
「でも、いいんですか? この『深淵の水』って貴重なものってことですよね?」
「ふふ、セージュが『精霊の森』に行くって言ったからね。そういうことなら、あたしも少しだけでも手助けしてあげようって、そう思っただけさ。それに、話は変わるけど、この間、セージュに譲ってもらった『マンドラゴラの苔』だね。あれがちょっと面白い反応を示したから、そのお礼と考えてもらってもいいよ」
「あ、そうなんですか?」
どうやら、サティ婆さんにとっても、ビーナスの『苔』はかなり興奮するような代物だったらしい。
なので、そのお礼も兼ねて、この『深淵の水』を分けてくれたのだそうだ。
というか、何気にすごいなビーナスの『苔』。
実際、あの鳥モンとの戦闘でも、舐めていたおかげで、魔法が枯渇まで行かなかったもんな。
実は、相当な代物か?
そういえば、闇の精霊も欲しがっていたって話だし。
何はともあれ、サティ婆さんが『調合』などで薬としても研究してくれるのなら、ありがたい話だよな。
あれ、今後もビーナス畑で採れるだろうし。
あ、そうだ。
旅に持っていく傷薬の方ももうちょっと作っておかないとな。
今日、町の外へ行った時、素材についてはある程度は集まったし。
よし、今度はもうちょっと良い品質の傷薬を目指すぞ!
そんなことを思いながら。
サティ婆さんにも改めてお礼を言って。
俺は旅のための準備を続けるのだった。




