第171話 農民、炎の鹿と遭遇する
「――――もぐもぐ、ごくん」
突然、現れたもう一匹の炎のモンスター。
大きさは一メートルあるかないかの小鹿のような風貌で、その身体全体が炎に包まれているのだ。
肉体のように見えるところも、わずかな揺らぎがあるから、もしかすると、こっちの鹿型のモンスターも、向こうで怒っている火蜥蜴と同じような存在なのかもな。
今は、俺たちの目の前で、次々と周囲に漂っている火の玉をぱくりと口に入れては、それを咀嚼してから飲み込んでいるという感じだ。
さっき、リディアさんが言っていたように、食事をしているようにも見える。
えーと?
火蜥蜴の方は、ペルーラさんの工房の『炉』が暴走したことが原因なんだよな?
一方の、新しく現れた炎の小鹿は何者なんだ?
目を見ると、あっちの火蜥蜴とは違って、どこか理性的な光を伴っているようにも感じるから、敵なのか味方なのかもよくわからないし。
まあ、こういう時は『鑑定眼』の出番だよな。
そう思って、俺がスキルを発動しようとしたのだが。
『鑑定が失敗しました』
『ターゲットの存在が希薄なため、今のレベルでは鑑定できません』
「えっ!?」
うわっ、こんなメッセージは初めてだぞ?
というか、『鑑定』失敗でのぽーんもあるんだな?
今までも、『鑑定眼』そのものが発動しなかったことは、けっこう多かったんだが、その時は何もメッセージが表示されなかったぞ?
これって、相手がモンスターだからか?
『鑑定眼』の種類が合っていないからじゃなくて、その適したスキルにも関わらず、読み取れなかったから、エラーが表示されたってことか?
「もしかして、セージュさんも『鑑定』が失敗しました?」
「はい。あ、ヨシノさんも?」
「ええ、あちらの火蜥蜴のモンスター……グレンリザードですか? そちらはきちんと『鑑定』できたのですが、こちらの鹿のモンスターは失敗のメッセージが流れました」
やっぱりか。
ヨシノさんも読み取ることができなかったらしい。
そういうケースもあるんだな?
そうこうしている間にも、その炎の鹿はと言えば、工房の中を駆け回りながら、火蜥蜴が放ってくる火の玉を次々と平らげていく。
いや、それはそれでありがたいんだが。
俺たちへの攻撃を勝手に食べてくれているわけだし。
ただ、こっちはこっちで、ペルーラさんたちやリディアさんとかが動こうとしていた矢先だっただけに、ちょっと虚を突かれてしまったというか。
正直、この状況どうしよう、という戸惑いみたいな空気が漂っている感じだよな。
「ペルーラの嬢ちゃん、新しく現れた鹿みてえのも敵ってことでいいのか?」
「うーん……ちょっと微妙、かしら。リディアさんの見立てはどう?」
「ん、こちらに対する敵意は感じない」
目の前の火の玉を食べたい、って欲求だけ、とリディアさん。
「まあ、リディアがそう感じるなら間違いないだろうさ。じゃあ、一応は味方ってことでいいのかね?」
「それは不明。ただ、共感はする」
「いや、あんたのは空腹を満たしたいって気持ちがわかるってだけだろ?」
リディアさんの言葉に、ちょっと呆れかえった表情を浮かべるアビットさん。
敵か味方かは置いておいて、その気持ちはよくわかる、ってのがリディアさんの意見らしい。
というか、だ。
大分、周囲を漂っていた火の玉が少なくなって来たぞ?
『狂って』いるはずの火蜥蜴が少しずつだけど、突然の闖入者に対して怯えだしているし。
「SYAA――――!?」
「――――――――!」
うわっ!?
また、さっきの嬌声だな。
何となく、十兵衛さんとかが使っていた『威圧』に近い気もするけど、その声自体が辺りの火の勢いを弱めているようにも感じるのだ。
たぶん、その炎の鹿の能力なんだろうな、これって。
何だろう。
確かに、ちょっと前に、今日は何事に巻き込まれることもなく、平和に終わりますように、とは願ったけどさ。
変なことに巻き込まれたにも関わらず、自分たちとはあんまり関係のないところでケリが付いてしまうのも、それはそれでどうなんだろうな?
ちょっと複雑な気持ちになってしまう。
あっ!?
そのまま、その鹿が火蜥蜴の側まで駆け寄ったかと思うと。
俺たちが見ている前で、その火蜥蜴をそのまま、パクリと頭から一気に丸飲みしてしまったのだ。
いや、すごいけど、何だ、今の。
あっちの火蜥蜴も鹿の身体とおんなじぐらいの大きさがあったのに、そのまま、一気に丸飲みって。
「あ、飲み込んじゃったね?」
「まあ、エレメンタルモンスターの場合、本体の大きさそのものはあんまり関係ないからね。ルーガは今みたいのは初めて見たのかい?」
「うん、『山』では見たことがなかったよ」
「んー、ああいう食べ方もありかも」
「いや、リディアさん、さすがにあれは真似しない方がいいと思いますよ?」
というか、炎を食べても、あんまり美味しそうじゃないしなあ。
――――じゃなくて。
話が変な方向へと流れて行きそうだけど、結局、今のは何だったんだよ?
「あっ!? 鹿が逃げる!?」
「どうする、ペルーラ? 捕まえるかい?」
「ん、放っておいていい」
「うーん、リディアさんの言う通りじゃない? 私たちにとっては、『炉』の暴走を食い止めてくれたわけだし。今のところ、実害がなさそうだもの。関係各位に報告だけして、それで済ませることにするわ」
「………………」
「まあ、工房主がそういうのなら、それでいいかね?」
火蜥蜴を食べてから、それこそあっという間の時間で、炎の鹿はといえば、入って来た窓のところから、そのまま逃げ去ってしまった。
モンスターとは言え、友好的なモンスターの可能性も捨てきれないので、ひとまずはそのまま放置ということになったようだな。
まあ、確かに、状況だけ見れば、工房で起こったトラブルを、突然現れて解決して去って行っただけだから、ちょっとしたヒーローみたいなもんだよな。
ペルーラさんとジェイドさんも、手間が省けたって言っているし、あんまり大事にしなくていいらしい。
ただ、あの炎の鹿がどこから来たのかは謎のままだけどな。
「火属性のモンスターを食べたかったのかしら?」
ペルーラさんがそんなことをつぶやいた。
確かに、炎の鹿も同系統のモンスターみたいだったし、案外、その手のモンスターしか食べられないとかあるのかも知れないな。
だから、たまたま、発生した『炉』のモンスターに気付いて、ここまでやってきたとか、そういう感じだろう、って。
いや、町の中に普通にモンスターがやってくるのか?
「町長さんの結界を突破したとは考えにくいから、正攻法で入って来たか、たまたま、町の中で生まれたか、そのどっちかじゃない? その辺は気にしても仕方ないわよ」
「それでいいんですか、ペルーラ師匠?」
「ええ。だって、考えるだけ無駄だもの」
今の時点では情報が足りないしね、とペルーラさんがファン君に対して頷く。
あの鹿も生きていれば、今後も町の人が遭遇することもあるだろうから、それからの話だ、って。
「それよりも、今ので話がぶれちゃったけど、本日の『鍛冶』の修行に関してのことよ。とりあえず、ファンとセージュとルーガについては、スタート地点に立つことができたから、今日のところは終わりでいいわ。今後は、私とかが暇な時は修行を行なうこともできるし、自分たちで訓練してもいいから。ここの工房に関しても、私たちがいる時だったら、好きに使っていいから」
お、それは嬉しいな。
まだ、ペルーラさんの弟子って扱いだから、この工房の設備に関してはある程度自由に使っていいらしい。
「ただし、自分たちの鍛錬のためには、自分たちで素材などを用意するのよ。『鍛冶』のスキルを持っていれば、オーギュストのやってる武器屋でも金属系統の素材は購入できるようになるから」
「わたしは? スキル持ってないよ?」
「あ、そうね。ルーガについては、私が許可したことを伝達しておくわ。それで、購入可能になるから」
「うん、わかった。ありがとう」
へえ、そういう抜け道があるのか。
金属系の素材を得るためには、例の『採掘所』を使うか、それとは別に、オーギュストさんのお店で購入したりもできるそうだ。
そこならば、インゴット類も購入可能、と。
ただし、普段は店頭には並べていないので、知る人ぞ知るって扱いではあるらしい。
「ヨシノ姉さんは修行を続けるんですか?」
「そうね。十兵衛とヨシノについては、『鍛冶』を覚えるまでもうちょっと頑張ってもらおうかしら。まだ、日が落ちるまでは時間があるしね」
ファン君の問いに、ペルーラさんが答える。
というか、俺とかルーガに負けてられない、って、十兵衛さんもヨシノさんもやる気になってるみたいだしな。
何とか頑張って、『鍛冶』を覚えれるよう、俺も祈るだけだ。
「…………」
「はい、セージュ。旦那さんがなっちゃんを護っていてくれたわよ」
「きゅい――――♪」
そのまま、ジェイドさんからなっちゃんを渡された。
さっきまでは、この工房全体が火の玉だらけになっていたから、安全なところに避難してくれていたらしい。
ジェイドさんの手のひらの上で、なっちゃんがどこか楽しそうにしていたし。
「ありがとうございます。なっちゃんも無事で良かったよ」
「きゅい!」
嬉しそうに、土魔法で作った手でピースサインをするなっちゃん。
うん?
大分、器用になってきてるよな、なっちゃんてば。
それはそれとして、そのまま、なっちゃんを肩の上に受け取って。
無事、『鍛冶』修行を終えられたことに関して、ペルーラさんたちにお礼を言って。
俺とルーガとなっちゃんは、そのまま鍛冶工房を後にした。




