第130話 農民、ビーナス畑で異変に遭遇する
「マスター、来てくれたのは嬉しいけど、ちょっと様子が変よ」
「えっ? どういうことだ?」
ビーナスのいる畑のところまで行くと、いきなりビーナスから、ちょっと周囲警戒! という風に促されてしまった。
うん?
でも、ここって、町の中だよな?
一応、町自体には結界が張られていて、さらに、このラルフリーダさんの家の周囲には『結界』があるから、二重に結界が張られている状態だと思うんだが。
「ねえ、ビーナス、どういうこと? やっぱり、モンスターの気配?」
「ええ。やっぱり、ってことは、ルーガも感じるのね?」
「うん、『山』とかでも感じたびりびりするようなのがね」
えっ!? ルーガもか?
というか、俺が驚いている前で、ルーガがそのまま、自分のアイテム袋から武器を取り出した。
昨日、冒険者ギルドで借りた『初心者の弓』に、つがえるための矢が入った入れ物を袋から出して、そのまま武装する。
その姿を見て、ようやく俺も慌てて、武器を取り出す。
「ちょっと、マスター! その短い刃物じゃダメよ! それじゃあ、届かないもの!」
「えっ!? 届かない?」
「セージュ、気配が近づいているのは上の方だよ」
そう言って、ルーガが空を指差した。
って、おい!?
そこを見て、ようやく、俺もモンスターの姿を確認する。
まだ、豆粒みたいな大きさだけど、鳥だな。羽ばたいている鳥の群れが、ゆっくりと遠くから近づいてくるのが見えた。
いや、ちょっと待て!?
何だよ、あの数!?
少なく見積もっても、十や二十やきかない数の鳥が――あれって、鳥モンスターだよな? それが、こっちの方に向かって飛んでくるのだ。
確かに、上空から襲って来るってことは、短剣程度じゃどうしようもないな。
え、でも、俺、飛び道具は持ってないぞ?
攻撃範囲は狭いけど、土魔法に頼るしかなさそうだ。
あ、待てよ?
「あ、マスターそっちの方がいいわ。少なくとも、さっきのちっちゃいのよりはマシね」
「でも、俺、こっちは使ったことがないぞ? ……まあ、無いよりマシか」
俺が手に持ったのは、今朝買ったばかりの『鉄の鎌』だ。
こんなの戦闘に使えるのか? って正直思ったばかりだけど、今、俺が持っている中では、この鎌が一番、間合いが遠いのだ。
あとは、木でできたトライデントもどきもあるけど、あっちはそもそも、木だから、金属よりも耐久性に乏しいだろうし。
だから、選択肢がほとんどない状態だ。
というか、何でいきなり、モンスターが襲撃してくるんだよ?
「ここって、『結界』の中じゃないのか!?」
「知らないわよ!? 大体ね、マスター。安全地帯なんて、幻想を真に受けてるから、マスターたちみたいな種族って、危機感がなくなるのよ? 山で暮らしてたら、こんなことってよくあることだもの」
現に、ルーガは気付いたじゃない、とビーナスが怒る。
いや、それに関しては申し訳ないけど、今見ても、けっこう離れてるじゃないか、とは思う。
あれだけの距離でモンスターの気配を感じろって言われても、普通の人間にはきついって。
いや、ルーガは何なんだって話だが。
スキルとかはないから、純粋に『山』で暮らしていたから得た能力だろうな。
もしかして、向こうでも、プロの猟師さんとかはそういうことができるのかね?
少なくとも、スキルがすべてじゃないってのはわかった。
さすがは狩人と言うべきか。
「でも、あれって敵なのか?」
「もう! だから、マスターは危機感がないっていうの! ただ、飛んでるだけだったら、わたしだってわかるわ……ああ、もう! しまったわね、ラルさまに封じられたままになってるじゃないの、わたし!」
今、まっすぐな音波を出そうとして、『音魔法』が発動しないことを思い出したようだ。
慌てて、ビーナスが自分の能力のチェックを始めた。
「……つるは伸ばせるわね。それに『土魔法』も使えるし。ああ、でも、使い慣れてるのが封じられてるのは痛いわね。仕方ないわ……せっかく育てた子たちをダメにするのは可哀想だけど、本体が生き残らないと意味がないもの」
そう言って、ビーナスが、辺りに生えていた苔に対して、何らかの能力を使う。
苔が紫色の光で輝いているぞ?
一体、何をやってるんだ?
「ビーナス、それは何をやってるんだ?」
「『眷属成長』のスキルよ。本当はね、伸び伸びと育ててあげるといいんだけど……こういう育て方をすると、ちょっと残念な活かし方しかできないから。あ、そうだ、マスター。ちょっとでいいから、この子たちをなでて」
「こうか?」
時間がないから、ビーナスに言われるがままに、苔をなでる。
――――と、再び、なでた苔たちが紫色に光って、何やら、丸い実のようなものをつけた。
「はい、これで準備完了。あっちが近づいて来たら、これいっせいに投げるから、射線に入らないようにね、マスター」
「え? これ、何の実だ?」
「それはぶつけてみてのお楽しみよ。正直、わたしもマスターの力がどういう風に作用するか、ちょっと興味あるし」
「……おい、ビーナス。お前、ちょっと楽しんでないか?」
「そんなことないわ。まあ、死ぬかもしれないから、はっちゃけたいってのはあるけど」
どこかおちゃらけた雰囲気のまま、そんなことをビーナスが言う。
おい、ちょっと待て。
いや……俺が思っている以上に、この状況ってまずいのか?
何というか、ルーガと最初に会った時も思ったが、ビーナスはビーナスでどこか刹那的な感覚が強いよな。
いや。
もしかすると、こっちではこれが当たり前なのかも知れない。
死と隣り合わせの日常に、ある程度慣れてしまっている、というか。
それに気付いて、何となく、背筋に冷たいものが走るのを感じた。
俺たち迷い人には、『死に戻り』という救済措置がある。
だから、いわゆる死線って言っても、なんちゃって死線だから、まだこうやって、平静でいられるのだ。
だが、ビーナスやルーガ、なっちゃんたちにはそれがない。
「きゅい――!」
やる気に満ちているなっちゃんの姿を見ながら、その事実の凄さを改めて感じる。
ああ。
ここにいるみんなは強いな……俺以外は。
身体のレベルとか、そういうことじゃなくて、生物としての強さを感じるのだ。
たぶん、俺には覚悟が足りない。
死んだら蘇られる、っていうイメージを削り落として。
そうすることで、ルーガたちの強さへと追いつきたいと、そう思って。
よし。
気持ちの整理、完了。
まずは、この状況から生き残ることを最善としよう。
ビーナスは自由に移動できない。
だから、その範囲を護ることが大前提となる。
今度は、ルーガも弓を使って攻撃できるし、なっちゃんも『土魔法』で手伝ってくれる。
正直、俺の鎌さばきが一番不安ではあるが、その辺は、『土魔法』とかと併用で粘るしかないだろうな。
そうこうしてるうちにも、モンスターが近づいてきた。
――――来る!
てか、近づいてくると大きいな! この鳥モンスター!
いや、でも、大きな個体でも、俺と同じぐらいだから、今まで戦ってきたラースボアとかミスリルゴーレムほどじゃないよな。
問題は、数だな。
そう考えると、鎌を使うってのはそこまで悪い話じゃないのか?
今思うのは『農具』のスキルをもうちょっと鍛えておけばよかった、という微かな後悔だ。
とは言え、後悔なんて後でもできるよな!
「セージュ! この距離なら、届くからやるね!」
「ああ! ルーガの判断で攻撃してくれ!」
「うん、わかった!」
俺の声に合わせて、ルーガが構えていた弓から矢を放った。
それが、この戦闘の始まりの合図となった。




