第110話 農民、ビーナスのお世話をする
「ビーナス、この辺に水をまけばいいの?」
「うん、そうそう。苔が生えてるとこにね。うーん、いい感じよ」
「光はこのぐらい離した方がいいのか?」
「そうね、マスター。もうちょっと上に浮かせることってできる? あと、わたしの背丈の倍ぐらい上の高さに」
「いや、無茶言うなよ。俺、アイテム、浮かせて持つことなんてできないって」
「きゅい――♪」
「あ、なっちゃんの『土魔法』の手か。じゃあ、そっちに持ってもらえばいいのかな?」
「きゅい♪」
「あ、そのぐらいの高さならいいわね。畑の区画全体に光が当たるわ」
テスター四日目の朝。
俺とルーガとなっちゃんの三人は、早速、ビーナスの植え替えられた畑へとやってきていた。
ラルフリーダさんの『結界』の内側。
その中でも、『木のおうち』が立っている場所から、少し左奥に入った場所に、その畑はあった。
広さは十メートル四方という感じで、それほど広くはないけど、ここに関しては、ビーナスのための畑みたいなものだし、そもそも、『結界』の内側の貴重な土地の一部を貸してもらっているわけで、あんまり贅沢は言えないのだ。
まあ、少なくとも、当のビーナスが割とご機嫌というか、昨日よりも大分元気が良くなっていたので、それで十分ではあるよな。
ちなみに、ログインしたのが、夜明け前だったこともあって、今日はまだ、こっちでは朝ごはんを食べていない。
サティ婆さんの家も、俺たちが出てくる時はまだみんな眠っている時間だったし、他のテスターさんたちを起こすのも悪いので、静かにしながら、こっちの畑までやってきたのだった。
何で、ここまで朝早いのかっていうと、ルーガたちのことがあったからだ。
よくよく考えると、俺たちのような迷い人の場合は、『PUO』の世界の中で眠ると、ログアウトして、元の世界へと戻って来るわけだが、ルーガやなっちゃんの場合って、おそらく、この中で寝ているだけで、そのままずっと居続けていることになるだろうから、そのことが少し気になったってのが理由のひとつだ。
実際、夜、俺がログアウトしようとした時も、ルーガが不安そうにしていたので、あんまり間隔を空けない方がいいだろうと考えて、今までのような午前中ではなくて、夜明け前を選んでログインをしたってわけだ。
ちょうど、ログインの時間帯設定ってのも試してみたかったしな。
以前、ジェムニーさんからやり方は聞いていたけど、具体的にどういう感じになるかってのは、『けいじばん』でもあまり触れられていなかったし。
まあ、やってみるとすごく簡単ではあった。
ログインの時に、一色さんに希望の時間帯を伝えると、そのまま、夜明け前の時間でログインができてしまっていた。
さすがに午前四時は早いとは思ったけど、向こうのでログイン時間もそんな感じなので、その辺は仕方ないだろう。
俺、設定が『一倍速』のままだし。
実家でも早起きは日常だったので、そんなに苦でもないしな。
むしろ、その時間でも普通に一色さんが起きていたのに驚いた。
何気に、老人ホームに勤めている職員さんって、大変なんだなあって感じたし。
二十四時間体制で、担当者が起きているのな。
まあ、そんなこんなでログインしてみると、ルーガはルーガでもう目が覚めていたらしくて、サティ婆さんの家にある縁側のようなところに腰を下ろして、ずっと真っ暗の中で、星空を見ていたのだそうだ。
『何となく、わたしがいた山とは空が違う気がしたの』
そんなことを言っていたけど、やっぱり、住み慣れた場所から飛ばされてしまっただけに、それなりに不安とかもあったんだろうな。
ちょっとは寝たけど、すぐ目が覚めちゃったのだそうだ。
まあ、見た感じは飄々としてるように見えて、ルーガも色々と思うところはあるんだろうな。
俺たちの場合、迷い人って言っても、ちゃんと元の場所に戻ることができるから、ルーガのケースとはちょっと違うし。
それはそれとして。
せっかく起きているわけだし、やれることをやっておこうというわけで、夜明けを待たずに、動き始めたというわけだな。
俺の枕元で寝ていたなっちゃんも、俺がいないのに気付くと、慌てて飛んできたし。
眠っているのを起こすのも悪いかな、と思ったんだけど、そういう風に言ったら、なっちゃんにもの凄く怒られた。
『一緒についていく!』って感じで。
なので、素直に謝って、そのまま三人でビーナスの畑を目指してやってきたというわけだ。
ちなみに、ラルフリーダさんから『許可』を得た俺には、はっきりと『結界』の境目が視えるようになっていた。
どういう理屈かは不明だが、町の至る所に、例のピンク色のもやのようなものが現れたのだ。
ただ、一緒にいたルーガでも、俺が場所を指摘しないと、最初はわからなかったようなので、ある種の認識阻害のようなものが働いているような感じではあったけどな。
というか、町長さんの家に向かうための入り口が、こんなに町のあちこちに開いているとは知らなかった。
もちろん、あちこちって言っても、それなりに数は制限されているみたいだけど、本当に、町中をちょっと歩くと、『結界』の境目に引っかかるというか。
もしかして、いざという時の非常口とかもあるのか?
その辺はよくわからないし、すべての入り口が同じところに通じているのかもわからないけどな。
とりあえず、今まで通ったことがある場所から、『結界』の内側へと入った。
時間帯が早すぎるから、ダメかな? とも思ったが、俺の想定とは裏腹に普通に中に入ることができたのだ。
もっとも、まだ夜明け前なので、ラルフリーダさんの家の周辺も静かではあったけどな。
だが、星空とか、空に浮かんでいる月から以外の光がほとんどなかった町の方と比べると、それなりにはラルフリーダさんの家周辺には、異なると言うか目立った違いがあった。
昼間は普通の『木のおうち』だと思っていた建物。
その全体が白と緑を混ぜたような淡い光を纏っていて、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていたのだ。
家、だけでなく、その周囲の木々も、だな。
だから、『結界』の中に入った途端、ほぼ月明かりだけの真っ暗な状態から、淡い光に浮き上がった不思議な家だけが目立つような、そんな光景となっていたのだ。
これには、俺も驚いた。
一緒にいたルーガも目を見張っていたし、なっちゃんはなっちゃんで、どこか嬉しそうに、その緑色の光に近づくように飛んでいたしな。
まあ、もっとも、近づこうとしていたなっちゃんも、そこで家を護っていたクリシュナさんに止められてしまったんだけど。
こんな時間でもクリシュナさんって起きてるのな。
というか、昼間も寝そべって家を護っていたから、案外、寝たり起きたりしつつ警備をしているのかも知れない。
確か、向こうでも、野生動物には完全には熟睡しない種ってのも多かったはずだ。
明らかに肉食っぽい、巨大な銀狼のクリシュナさんがそうなのかは知らないけど。
とりあえず、無言のままだが、今は家の中に入っちゃダメ、っていう感じの雰囲気が伝わって来たので、ビーナスに会いに来たことを伝えて。
そうすると、クリシュナさんも頷いてくれたので、今、そっちの畑へとやってきた、というわけだ。
『そっち』という感じでクリシュナさんが方向を示してくれて、その方向に向かうと、出会った時と同じような姿のまま、下半身が土に埋まった状態で、目をつむって眠っているビーナスに出会うことができたわけだ。
というか、マンドラゴラも睡眠が必要なんだな?
俺たちが近づくまで、ちょっといびきのような、寝息のようなものもかいていたし。
もっとも、近づくのに気付いた途端、目を覚ましたけどな。
その辺は、野生のモンスターだけあって、違和感には敏感らしい。
『会いに来てって言ったけど、こんな時間に来るなんて!』
結局、会うなり怒られたので、早々に謝る羽目になった。
というか、俺、今日は謝ってばっかりだな。
それはそれとして。
そんなこんなで今に至るというわけだ。
ちょうど、ルーガのクエストにも『ビーナスのお世話』ってのがあったし、そっちも兼ねる意味で、今やっているのはビーナスの住まいづくりの手伝いだ。
と言っても、土を掘り返したり、自分が移動したりするのにちょうどいい硬さに調節したり、その後で、畑の範囲内で苔の元を生やしたりとか、そっちの作業については、昨日、俺たちと別れた後に、ビーナスが終わらせてしまったらしく、今手伝っているのは、どちらかと言えば、ビーナスが喜びそうなことについて、という感じなのだが。
昨日、キャサリンさんの家で購入した魔道具。
使うと中から水が湧き出てくる、青いジョウロ型の魔道具と、見た目は白いカンテラって感じの光を発する魔道具。
それらのチェックも兼ねて、だな。
【魔道具アイテム:日用品】魔法の水差し
水属性の魔石で作られた水差し。魔力を込めるか、魔石の魔力を利用して、水差しの中に水を生み出して、それを使うことができる。
完全に魔石の中の魔力がなくなってしまうと、石自体が砕けてしまうことがあるので、補充をお忘れなく。
【魔道具アイテム:日用品】陽光のカンテラ
光属性の魔石で作られたカンテラ。魔力を込めるか、魔石の魔力を利用して、カンテラの中に光を生み出すことができる。
生み出された発光球は好きな方向に向けて照らすことができるので、上手にコントロールしましょう。
完全に魔石の中の魔力がなくなってしまうと、石自体が砕けてしまうことがあるので、補充をお忘れなく。
お店に並んでいた時は、『水を生み出す魔道具』とか『光を発する魔道具』としか読み取れなかったのだが、購入した後は、アイテムの名前がこのような感じで変化したのだ。
要するに、詳細な情報は買ってみてのお楽しみ、ってことか?
意外と、値段の割に博打性が高いよな、魔道具って。
ちなみに、『お湯を沸かす魔道具』はこんな感じだ。
【魔道具アイテム:日用品】湯沸かしのタリスマン
火属性の魔石で作られたタリスマンに、水属性の魔粉を定着させて、水を温める機能を特化させた魔道具。通常の火の魔石を使うよりも、温度調節がしやすくなっている。
ただし、火力はほどほど。
温めたい水に触れて使うことで、お湯を沸かすことができる。
完全に魔石の中の魔力がなくなってしまうと、石自体が砕けてしまうことがあるので、補充をお忘れなく。
とりあえず、共通しているのは、魔石の中の魔力が枯渇するとまずいってことだったので、それで、万が一に備えて、俺が魔法を使える状態になるまで封印……というか、日付を跨ぐまでは、使うのを我慢していたわけだ。
本当は、お湯を沸かせたら、こっちでもお風呂とか入れないかな? とか思っていたんだが、それは、今日の夜にでも、だな。
「あっ! マスター! この光、太陽の光に近いわね! 『光合成』ができるもの」
「へえ、そいつは良かった。買っておいて正解だったな」
おっ、そいつは嬉しい誤算だな。
昨日の地下通路ダンジョンでの経験もあったので、やっぱり、光源となるようなアイテムは必要だろうと思って購入したんだが、それ以上にメリットがあったようだ。
「ふふ、いい感じね。この調子でよろしく頼むわね」
まあ、ビーナスもご機嫌そうだし、それはそれでいいか。
にこにこしているビーナスを見ながら、俺は魔道具のテストを続けるのだった。
魔道具は高価ですが、色々と便利なのです。
というわけで、4章スタートです。
ようやく、畑がらみの農民っぽい話になってきました。




