現実
「殿下。」
「何だ。」
「着きましたね。王都に。」
「あぁ、帰ってきたな。」
着いてしまった。王都に。耐え難いわけではなかったけれど、唸る殿下と狭い馬車の中で過ごして数日。いくつか宿場町や観光名所の地方都市をめぐったものの、殿下の様子は晴れることなく難しい顔をしていた。せっかくおもしろそうなお店があって美味しそうな香りが漂っているのに物見をする気分でもなく、王室御用達の宿で静かに過ごしていた。時折紙に何かを書き込んではすぐにぐしゃりとまるめてしまう。仕事は持ってきていないと言っていたのに机に向かう時間が多かったように思う。
そして何も進展も解決策もないまま王都に到着した。
特に会話もなく馬車で走っているといつも以上に人が多いことに気が付いた。季節の祭りも王家の誕生祭も何もあっていないはずなのに、いったいどうしたのだろうか。
「にぎやかだな。」
殿下も不思議に思っているらしく窓の外から通りをしきりに見ている。街中をよく見るといたるところに貼り紙が貼ってあり、街を歩く人も同じような紙を持っている。書いてある内容を見たところ有名な劇団の公演を宣伝するものであった。どおりでおしゃれしたお嬢様方が多いと思った。皆演劇を観に行くようだ。
「ダリア嬢」を演じていたころ何度か演劇を観に行ったことがあるけれど、どれも初めて観るものが多くとても楽しかったのを覚えている。
「私」に戻れば、観覧料の高い演劇などそう簡単に観ることなどできないのだろう。そうやって生活のほとんどが変わることになる。いや違う。変わるのではなく戻るだけ。元の正しいかたちに戻るだけ。ただ胸にぽっかり空いた穴は当分元に戻りそうもない。
殿下が共にいられる方法を考えてくれているみたいだけれど。その真意を、確かには聞いていないけれど。殿下が私を思って考えてくれただけで十分だった。うれしかった。共に過ごした日々がとても大切なものになった。もちろん出会った人たちも。
ふと殿下の横顔を盗み見る。相変わらず凛々しくて美しい。柔らかな蜂蜜色の髪も、輝くエメラルドの瞳もすっと通る鼻筋も、いつも皺のよった眉間も。こんなに近くで感じるのは最後かもしれないから、目に焼き付けておこう。
門が開き少し進んだところで馬車が停まる。殿下の手を借りながら降りると、どうやら止まった先は裏口だったようだ。出迎えはなく殿下が開けた裏口をくぐり城内を進んでいく。
「付いてこい」とだけ言い進んでいく殿下の後を歩いていると、人とすれ違うこともなくいつの間にか見慣れた風景に入り、殿下の執務室までやってきた。
こんな人の出入りが多そうな場所にやってきて大丈夫だろうか。執務室に誰か入ってきたら?今は「ダリア嬢」がいるはずなのに、もう一人のダリア嬢 (わたし) がいることに城内は混乱しないのだろうか。そう思うものの口出しが出来るわけでもなく悶々とするばかりだ。なのに。
「ネリネ、しばらくここで待っていてくれ。」
「え…?」
もしかしなくても、殿下。私を一人にしてどこかへ行くおつもりですか?さっき帰ってきたばかりで、これから先どうするかも聞かされていないのに。一人にしないでくれという思いをこめて殿下を見上げるが「すぐに戻る」そう言って扉を開けた。
そのすぐ先、扉の向こう。
目をまんまるく開き驚いた様子のダリア様と、王妃様が立っていた。




