混迷
「……。」
「……。」
沈黙が重い。
何の準備もせず殿下に手を引かれ馬車に乗せられてから数時間。ろくな会話も無いまま順調に王都へと向かっている。
向かいではなく隣に座る殿下は何か考えているのかずっと難しい顔を窓の外に向けている。視線を下すと、そこには殿下に握られたままの手がある。最初は強く掴まれていた私の手首は、特に抵抗もしなかったからか、今はやんわりと握られている状態だ。できるなら手を離してほしい。顔を合わせていないとはいえ、ずっと手を握られているのは恥ずかしく、胸の鼓動が手を通して殿下に伝わってしまいそうだ。
殿下の横顔を見ていると、ふと屋敷の庭で、殿下に会った夜を思い出す。突然抱きしめられて、それから私の額に・・・。あれは、あの柔らかい感触はキスだったのだろうか。
と、なんだかこんなことを一人悶々と考えている自分がいやらしく思えて、思考を散らそうと頭を振る。汗もかいてきた気がしてますます手を離してほしくなってくる。窓の外をにらみ続けている殿下は、私がこんなにも思い悩んでいることに気づかないのか、あえて気づかないふりをしているのか。空いた方でつながれた手を外しにかかるが、やんわりだった手が余計強くにぎられた。イタイイタイ。
近頃殿下は変だ。
いきなり実家に来たり、抱きしめてきたり、手を握ってきたり。思うことがあって、何か言いたげな顔は何度も見かけたけれど、結局話してくれることはなかった。
考えていることを想像してみたこともある。それは浮かんでは消え、また考えて。結局答えは出ていない。
ともかくもまずは気まずいこの空気をなんとかしたい。
「殿下…。」
「………………何だ。」
「えーと。良い天気ですね。」
「今にも雨が降り出しそうな雲行きだが。」
たしかに窓の外を見るに昼間というのにどんよりとした雲が空を覆っている。
「…悪かったな。無理に連れ出して。まだ実家にいるつもりだったのだろう。」
「いえ、私も1~2日内に戻るつもりでしたから。このキャリッジに乗せてもらえて感謝しています。まぁ帰り支度くらいはゆっくりしたかったですけど。」
「すまん。」
「殿下は常識人に見えて、結構強引なところがありますよね。」
「…すまん。」
「・・・こっちを向いてはくれないのですか。」
そう言ってようやく窓の外へ向けていた視線をこちらに向けた顔の眉間には、いつものように皺が刻まれている。
「……すまん。」
「なんだか謝ってばかりですね。」
なんて笑ったら眉間のしわがさらに一つ増えた。
「殿下、一つ、お聞きしてもよろしいですか。」
「なんだ。」
「あの、どうして、私を城に連れて帰ろうと思ったんですか。」
「知りたいのか。」
「知りたいです。」
「だめだ。」
「え?だめ?」
「少し、待ってくれ。考えがまとまっていない。」
再び窓の外に顔を向けた殿下は独り言のようにぼそぼそと話し出す。
「考えている途中…なんだ。ここへ来る途中も、視察の時も、今も、考えている。自分がどうしたいのか、どうしたらいいのか、これからどうなるのか。自分が一番聞きたいくらいだ。」
殿下の握る手の力が籠められ強く握られる。そして、ただ、と言葉を続ける。
「お前が実家に帰ったと聞かされて動揺した。気づいたらコーリアに視察の準備を命じていたし、お前が王都に帰らないんじゃないかと思ったら、手を掴んでいた。」
窓の外に向けていた顔を一瞬、こちらに向ける。
「離れたくなかった。」
そういうと再び窓の外に視線を戻す。横顔が怒って見える、耳たぶが赤く染まっている。“離れたくない”なんて言われれば、心が揺さぶられてしまう。期待してしまう。まだ殿下たちのそばにいていいのかなんて。
でも。
殿下が許してくれたとしても。周りは?本物のダリア様は?殿下とダリア様が二人寄り添う姿を私はどこから見ているの?私はそれが耐えられるの?今まで自分がいた場所に他の人がいることに。
いいえ。
本来、私の場所ではなかったのだから、正しい状態に戻るだけなんだけど。それでも一度味わった幸せを、そばで見ているだけなんてできるのだろうか。ただの使用人として?言葉も交わさないまま?それくらいなら。
「おいどうした。気分が悪いのか?」
いつの間にか俯いていたようで、握られた手を引かれ、上を向くように促される。
「誤解しないように言っておくが、俺はお前を女官として雇うつもりはないぞ。」
「え?」
てっきり、そばにいるとしたらダリア嬢か殿下か、はたまたコーリア様の専属女官かしらと思っていたけれど。
「お前の力量で王家の側付になれるはずがない……」
「えぇっ?」
「と、コーリアが。」
あ、殿下が目を反らした。
「当たり前だろう?お前の世話をしていたマルガリータはかなりのベテランだ。お前が敵うはずがないだろう。他の王族付の女官も同じく優秀な者ばかりだ。」
至極まっとうなことを、真顔で言われるとかなり辛いもので。「何を寝ぼけたことを言っているんだお前」と殿下の顔に書いてある。
「ごもっともです。…でもそうしたら私は王都に帰って何をしたら?ダリア様の代わりをする前の職場に?」
「それもダメだ。目が届かない。」
「じゃあ、どうしたら。」
「それを、今、考えている。」
声を少しだけ荒げた殿下の話はそれきりで、王都に着くまで碌な会話をすることはなかった。




