故郷
たとえ今晩の夕食の時間にいなかったとしても、泊まるところは男爵家屋敷なわけだし、何もお互い部屋から全く出ないなんてこと、あるわけないんだから。王城に比べればウサギ小屋のように狭い屋敷の中で出くわすことなんて、まぁ、それほど珍しいことでもなく。星がよく見える夜だからと散歩に出たのが間違いだった。
「持病が仮病って何だ。」
「でっ殿下!?」
お前の妹に聞いたらそう答えたぞ。と言われとぼけようにも逃げられそうにない。弟が妹に余計な言葉を教えたせいだ。それから呑気に散歩をしていた自分の阿保さを呪った。
本物のダリア嬢が帰ってきて、ダリア嬢の許可をもらって実家に里帰りしたというのに。実家に殿下たちがいるのでは城にいたときと変わらないじゃない。心がちっとも休まらない。
殿下の少し不機嫌な雰囲気に逃げる気も失せているというのに、なぜか腕を掴まれている。
粗相をしないように、危険を回避するために引きこもって姿を現さなかったというのに。私なりの気遣いだったのに。何かほかに機嫌を損ねることをしたかしらと思いを巡らせていると、掴んだ腕を引かれ、殿下と私の距離が一歩縮まった。
「久しぶりだな。いや、はじめましてと言ったほうがいいか。」
「え?」
「身代わりの婚約者として以外では初めて顔を合わせるからな。ネリネ=ハーベスト男爵令嬢。」
「・・・・・・知っていたんですね。」
「当然だ。」
そう殿下が言ったきり沈黙が続く。掴まれた腕はじんわりと熱を帯びている気がして、静かな夜に二人きりというシチュエーションに緊張して、激しく鳴る鼓動が殿下に聞こえてしまいそうで。
「あの、殿下、そういえばどうしてこんな北の辺境の地にいらしたのですか。」
「ん?あぁ、もともと北部視察の予定は組んでいた。国境付近の大事な拠点であるし経営状況が芳しくない繊維工場のことも気になっていたからな。」
時期は少し早まったがな。最後に付け加えた殿下を見上げる。これといった大きな建物のないハーベスト男爵領は遠くまでよく見渡せる。天気がいい日は北国の山まで見えるほど。満天の星空を見ながら、殿下は何を思っているのだろうか。
「それにしてもなにもハーベスト男爵領に泊まらなくても。ご覧の通り修繕も追いついていないこの屋敷は使用人を何人も雇うことができてなくて、町の人に通いでお願いしています。一応客室は綺麗に整えてはいますが、隣の伯爵領のほうがずっと良い環境だったのでは?」
生まれたときから育ってきて大好きな家だけど、やっぱり他の領主家屋敷に比べるとみすぼらしく感じて。王城で働いていたから余計にその設備の違いに驚かされたものだ。
「いや、ここに来たかったんだ。」
「え?」
「ここは良いところだ。この屋敷が町の中で一番古い。」
何それ。やっぱり馬鹿にして…
「だが、町は綺麗だ。上下水設備も整っているし、教会や学校もきちんとしている。これといった貧民街もなさそうだし、町の人が活き活きとしていた。工場も古くはあったが手入れはされているようだし、給金も合法な額であった。他の町では領主家屋敷ばかり綺麗で町の整備がされていないところもざらだからな。ここは良い町だ。自分の故郷にもっと誇りを持て。お前の父や叔父は素晴らしい領主だ。」
一言一言が胸に染み渡る。稀にしか見ることのできない殿下のやわらかい笑みに思わず見とれているといつの間にかその温かな腕の中にいた。




