帰還
ようやく帰ってきました。我らがふるさとフローリア王国。
ここ数日はとにかく慌しかった。王室のパーティーに参加したり、美味しいジュースを堪能したり、変態が夜中に部屋を訪ねてきたり、殿下の珍しくくつろぐ姿に出会ったり、浚われたり、縛られたり、袋詰めにされたり、殺されかけたり、死闘を目の当たりにしたり、険悪な殿下とコーリア様を見ちゃったり・・・
なんだか後半いやなことだらけだ。しかも重たい空気の中おなかが鳴っちゃってすごく恥ずかしい思いもした。
「やっぱお前すげぇな。勝てねぇわ。あの場面で腹なんて鳴らせねぇよ。」
なんてヴァンさんに言われたけれど、あの、誤解しないでいただきたい。あれは生理現象で自然発生的に起こったものであり、わざとではないのだけれど。
「乙女の捨て身の行動。感服いたしました。」
ヒイラギさんには尊敬のまなざしと感謝の言葉をもらった。だから、違うって。私はあの場面で空気を和ませたかったわけではなくて。いや、結果的に和んだから良かったものの、殿下すごく呆れていたもの。もう、すっごくすっごく恥ずかしかったんだから。
それよりも・・・それよりも私のファーストキスがあんなにあっけなく終わるなんて。初めてが暗く薄汚い監禁部屋で水を口移し・・・だなんて悲しすぎる。
「もぉこんなことコーリア様にでも知られた日にはものすごく馬鹿にされる。殿下だってぜったい心の中で笑ったりするんだ。哀れな奴とかって思うんだ。せっかくヴァンさんからのは防げたのにぃぃ。これは、絶対に誰にもばれないようにしなきゃ。そうだ!忘れよう。無かったことにしよう。あのノワールって人は言いふらしそうにも無いし、私が黙っていれば大丈夫なはずだよね。」
「その本人の口から思いきり情報漏えいしていますが。」
「ヒィッ。」
突然声をかけられ振り返ればブリザードを纏ったコーリア様が立っていた。
「え、あの、その・・・・?」
なんで怒っているのかしら。目を合わせ続けるのが怖くて視線を下に下げていると分厚い教本を胸に抱えていた。
「さ、余計なことを考えていないで用意してください。授業を始めますよ。」
ソファに座っていた私をさっさと追い越し、窓辺にあるテーブルセットの側に立つ。ドスンと鈍い音が鳴るほど重たそうは本をテーブルに載せ早く来いと目で訴えている。これ以上この方を刺激しては(私の)身が危ないと感じすばやく立ち上がった。
しかし「ちょっと、ちゃんと聞いています?」久しぶりのコーリア様の講義は辛かった。午後のちょうど眠気が襲ってくる時間。聞きなれない単語を羅列するコーリア様に耳が付いていかず、瞼が下りてくる。なんとか耐え抜こうと教本を睨みつける。あくびを必死にかみ締めるもそれと共に緩む涙腺は抑え切れないようで視界が霞んでくる。やばい。眠たいのばれちゃうかも。
さっと顔をそらして目をこすって顔を前に戻せば、視界はクリアになったけれど目の前にあった綺麗な顔は歪んでいた。ん?何?ばれてた?顔を背けた一瞬で欠伸もちょっとしちゃったのだけれど。
「そんなに気にしているのですか?」
「へ?」
机越しにいつの間にか伸びていたコーリア様の手が頬に触れている。いつになく静かで眉はよせているのにオーラが怖くない。どこか痛そうに、哀しそうにも見える。
「今でも思い出して涙が出るほど気にしているのですか?」
そう言ってコーリア様の親指がそっと目じりをさすった。
「見知らぬ男に唇を奪われたことを。」
なんだか全く別の件を話しているコーリア様の発言に首をかしげたくもなるが、あまりにも甘く優しい触れ方に背筋がぞくりとする。まっすぐと見つめる瞳は深く暗い海のようで、気を抜けば果てしない闇に吸い込まれてしまいそう。いつもがみがみと怒ったり嫌味を言ったりする姿は影を潜め誰か別の人を前にしている錯覚さえ起こる。
「忘れる方法、教えてさしあげましょうか。」
ゆっくりと近づいてくる。目を閉じることさえできずただ綺麗な顔が近づいてくるのを見ている。濃紺の瞳には目も口も大きく開いた表情の私が映っている。それも見えなくなるほど二人の距離がなくなって・・・
コンコンコン
「ダリア様、コーリア様、レンギョウ王子殿下がお呼びです。」
扉がノックされ外から声がかけられた。私の部屋付きの侍女マルガリータさんの声ではない。聞きなれない少し緊張しているのか上ずっている男の声。
コーリア様は息がかかるほどの近さで止まっていた。
思わず息が詰まり喉を鳴らしてしまうけれど、短く息を吐くとコーリア様は目を一瞬こちらに向けたあと身体を起こして扉に向かっていった。
戻ってきたコーリア様に声を掛けられるまで息を吐くのを忘れていた。




