危機
冷たくて硬い床。
じめじめとしていて埃っぽい匂い。
不自由な身体。
閉ざされた視界。
ずきずきと痛む首筋。
遠くに聞こえる、複数人の男の話し声。
今、自分に得られる全ての情報が、私に危機を知らせている。これ以上ないくらいに。
穴場のお菓子屋を目指して裏路地を歩いていたところ、私は突如襲われた。気絶のさせかたが首筋の手刀とは、そもそも私をこの世界に巻き込んだ人物を思い出させる、とてもいやな感じである。
意識が戻り、異様な静けさと、明るくならない視界と縛られて動かない身体にパニックを起こしかけた。口元にも布が噛まされていて、声も自由に出せない。息苦しくもあるし、それにこれってよだれが垂れ流しなのよね。しばらくはうなりながらじたばたとしてみたけれど、どうやら無駄らしい。むしろ手首やら足首の縄がこすれてひりひりとしてきた。
もがき疲れてだらりと身体を弛緩させて休んでいるところに、隣の部屋・・・からだろうか、すこし遠くのほうで、荒い足音が複数人分聞こえてきた。ドタドタと品の無い歩き方は、城では聞くことのないもので、この場所がやはり知らない場所なのだと悟る。
と、いきなりひとつの足音が近くなり、バタンと乱暴に扉が開く音がし、思わず息を飲み身動きできずにいると、数秒の沈黙の後「まだ寝てるようだな」と声の主は再び扉を閉めた。足音が完全に遠ざかったあと、様子を伺おうと、扉の向こうに耳を済ませる。男たちの会話が少しだけ聞こえた。
「動きは。」
「今・・・事実確認で大騒ぎし・・・るってよ。」
「あーあ。大変な・・・・・・ちまったな俺ら。」
「ふんっ。バレるわ・・・ねぇだろ。・・・・・・が関わってんだか…よ。」
扉越しの会話はくぐもっていて聞こえにくいが、大体の内容は理解ができた。酒を飲みながら談笑しているのか、グラスのこすれる音と、卑下た笑いが時折混じる。男たちは、私をダリア嬢として誘拐したらしい。身代金目的なのか、怨恨か、はたまた他になにか理由があるのかはわからないが、ともかくも私のせいで殿下たちに迷惑をかけている。
・・・いや、私って本当の婚約者ではないし、見捨てられるかも。
「レンギョウ王子殿下の婚約者?彼女なら城にいらっしゃいますが。誰か別人を浚ったのでは?ともかくも、我々がお前たちの指示に従う謂れはありません。」
「やむを得ん。」
「わりぃな。これも国のためなんだ。」
とか言われてたらどうしようっ。
どうしようもなく脱しがたい状況に、心臓が破れそうなくらい鼓動を激しくしている。手は汗がにじみ、口は歯がカタカタと鳴るのが止まらない。
どうしよう。どうしよう。助けて。だれか。
思い出されるのは家族の顏。故郷に残る母に叔父に弟に妹。久しく会っていないが元気だろうか。それから心に浮かんできたのは・・・。
しばらく時間が経過し、私の張り詰めた緊張の糸も限界まで張り詰めていたころ、扉の隙間から冷たい風が伝ってきた。すでに夜になっているのだろう。薄手の服のままの私には肌寒く感じる。隣で宴会をする男たちの反応から、誰かが外から帰ってきたらしい。しかしその誰かは、男たちの声に答えることなく、足音はまっすぐとこちらに近づいてくる。足音とともに早まる自分の鼓動と呼吸に、緊張がさらに高まった。
ガチャリ。
思っていたよりも静かに部屋の扉が開けられ、その人物が私のすぐそばまで近づいたのが、衣擦れの音でわかった。そして予期せず身体に手が触れたことで肩がぴくりと動いた。そのまま上体を起こされ、目隠しだけが取り払われ、気を失ったフリをするのも忘れ、私を抱き起こした男と目を合わせてしまった。
目が合った男は全身黒づくめ。髪も目も服も。切れ長でつりがちの目は、私から何かを探り出そうとしているのか、少しの表情の変化も、胸の鼓動さえ読み取られそうな感じだ。
容姿から想像するに年齢は私よりいくつか年上のコーリア様くらいの青年で、無表情ながらも綺麗な顏をついまじまじと観察してしまったが、あちらだって私を観察している様子だからおあいこだ。私はしばられているけれど。
青年が口を小さく開き、何か言いかけたところで、何事だと扉から様子を伺う他の男たちの気配でそちらにそらされた。目の前の青年に視線を戻したときには、すでに口は堅く閉じられ目も合わなくなっていた。




