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彼女

殿下視点です。

抱えていた公務を終えようやく解放される頃には夜になっていた。仕事自体、嫌いではないから苦にはならないが、さすがに何時間も続けて机に向かうのは疲れる。凝り固まった首と肩を軽くもみほぐしながら昼の出来事を思い出す。


昼の茶会で火傷を負った仮の婚約者のことだ。

コーリアに聞けば痕に残るほどにひどいものではないようで、何日か安静にしていればよいとのことだった。彼女は言わなかったが火傷の原因は相手側、宰相の娘にあるらしい。謝罪を兼ねた見舞いをしようかとも思ったが、夕食の時間もとうに過ぎていたしいくら下働きとはいえ女性の部屋を訪ねるのは憚られた。

見舞うのは明朝にするとしよう。


宰相の娘による火傷が、もし自分が退席したせいで起こったのだとしたら一言詫びねばなるまい。権力と金のためにすりよってくるような令嬢たちなどに興味はない。だいたいあの宰相は様々な黒い噂があるのだ。そんな奴らにとって第一王子の花嫁たる彼女はさぞかし邪魔な存在なのだろう。彼女が生来の高位貴族なら貴族同士の争いなど慣れているだろう。


本物の婚約者は大陸北部に位置する大国スノードロップから来た公爵家令嬢だ。鉱山からとれる鉱物で財をなしたこの大国は有数の宝石の産地だ。寒さの厳しい国ではあるが、数多くの鉱山のおかげで国民の生活は富み、また宝石の加工から発展して様々な先端技術がこの国で生まれている。大陸一の経済大国だ。フローリアも頑張らねば。


代わりとして宛がわれた彼女はこの城で働いていたらしい。が、もちろん使用人の顔など覚えていないから知らない。本物との見分けすら付かなかった。


元々結婚などに興味はなく、政略結婚であろうがなんであろうが国王に言われればその通り従うつもりだ。女に興味がないわけではないし、それなりに経験はある。しかし今はさして必要ではなく、仕事をするにはわずらわしいとしか思えなかった。


婚約者も婚約者で、特に自分に興味があるわけでは無いようであるし、たびたび城を抜け出す様を見れば、相手としても不本意な結婚なのであろう。北方の、大陸一の都会から嫁いでくるのだ。農場と工場くらいしかないこんな田舎の国に来るなど嫌だっただろう。無論、ただの田舎国のままでいるつもりはないが。


まぁ、だから正式に婚約者となるまでは自由にさせておいた。すると本当に逃げられていた。期限付きではあるらしいが。


不運にも容姿が似ていたメイドが代わりを務めることになったのであるが、コーリアにしごかれて可愛そうだと思う。人に容赦のない男だ。辛いだろう。だが特に文句を言うわけでもなく今まで1ヶ月間「ダリア」を演じている。侍女や講師に当り散らすわけでもないらしいし、勉強の覚えも悪くはないようだ。


コーリアが調べたところ、彼女は北方の国境付近の生まれだった。元々爵位持ちではあるが、それも没落した名ばかりのものらしく、一応貴族である身にも関わらず家のために13の頃から城仕えをしていたらしい。


細く小さな身に、家族の期待を一身に負っているその境遇を不憫とは思うがそれだけだ。そのような境遇の人間は大勢いるし、むしろもっとひどい人間の方が多いだろう。これから国の政治を担っていく身としては貧しい民の暮らしが少しでも向上するよう努めねばならない。特に北方は土地が痩せて穀物は育たぬし、放牧にも向いていないため何かしらの対策を練らねばならない。昨今からの課題を後回しにしていたことに弁解はできない。


彼女とこうして関わったのも何かの縁かもしれない。彼女の故郷の話を聞きながら今後の北方の開拓について考えよう。しばらく彼女は火傷のため療養をするはずだ。コーリアの“しごき”を休めるであろうし公務の合間にでも訪ねてみよう。


ここでふと思う。そういえば、自分は彼女の名を知らない。一度コーリアに聞いた気もするが如何せん興味のないことは何故か頭から抜けていってしまう。


明日、名を聞いてみるとするか。


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