92(月美) 守備の穴
長いラリーは恐い。特に終盤は。時として、その得点あるいは失点が、試合を決めることもある。
まあ、今回に限っては、そこまで心配することもなさそうだが。
「お前ら気合いが足りねえぞコラあああ!」
玩具を取られた子供みたいに大騒ぎする可那。鳴き止ませるには誰かが点を与えるしかない。
「どんな手を使ってもいい! 誰か決めろ!」
「「はいっ!」」
「っしゃあ、一本集中!」
「「はいっ!」」
「声が小せえ!!」
「「はあああいっ!!」」
信乃や珠衣だけじゃなく、生真面目な雫も可那の煽りに乗っかっている。熱くなってる証拠だ。前衛三人の「トスくれ」視線が痛い。アタッカーの選択に迷う。もちろん、いい意味で。
サーブは藤島透。ばんっ、と打ち出されたボールは雫へ。
「小夜子おおっ!!」
「うん、大丈夫! 雫ちゃん、任せて!」
「お願いしますっ!」
バックの小夜子が前まで出てきて、ボールの下に身体を滑り込ませる。その間に雫はライトに開き、珠衣がアタックラインまで下がる。信乃も大きくレフトに開く。小夜子のカットはもちろんぴったり。
「「「月美さんっ!」」」
異口同音。さて誰にしようか――。
「月美さあああん!」
わかったわかった。頼むよ、雫っ!
とんっ、とちょい低めのライトセミ。興奮してるときの雫にはこれくらいがいい。タイミングを外してないのは、シューズが床を蹴る音でわかる。
「こん――のっ!!」
ばぢんっ、
と打音に汗の飛び散る音が混じる。強い回転のかかったボールは、前に出た小さな子の意表を突いて、クロス深くへ突き刺さる。
「……ふんっ!」
城上女の小さな子を睨みながら、ちょっと怒ったように眼鏡を押し上げる雫。借りは返した、って感じだ。
「よくやった、雫!」
「エースとして当然のことをしたまでです」
「ちょあー! だからエースは珠衣だって!」
「わ、私のスーパーエースは誰にも譲らないからねっ!?」
「やっほー! ウルトラエースのはるが来たよー!」
いいから早く次のプレーの準備をしなさいあなたたち。
わたしは相手からボールを受け取って、サーバーの珠衣にパス。水を差すつもりはないが、わたしが止めないと彼女たちはアクセルを踏み続けるのだから仕方ない。
スコア、22―22。一進一退。その理屈で言えば、ここでサイドアウトを取られる流れだが、できればブレイクしたい。城上女のローテ的に、ここで先行すれば、勝ったも当然だから。
ぴっ、と心地よい笛の音。熱気で湿度が上がってきたからか、序盤に比べて高音がよく響く。
だんっ、と珠衣のジャンプフローター。南五で一番攻撃力のあるサーブだ。ボールはBRの背の高い子へ。恐らく、彼女はあまりサーブカットが得意ではない。これは期待できる。
「霧咲さん、無理せず上に!」
「っ……! ごめ――」
腰が高いアンダーハンド。伸びるボールに対応できず、胸の辺りで、ぼふっ、と詰まる。典型的なカットミス。
「藤島さんっ!」
「うん……!」
レシーブを詰まらせ、胸元から零れ落ちそうになるボール。それを、小さな子の指示で近くにいた藤島透がカバーに入る。床すれすれのボールを、やや窮屈そうにアンダーハンドで掬い上げる。インパクトの瞬間に肘を曲げ、腕の力だけで繋いだボールは、ひょろひょろとセンターにいる初心者の子の頭上へ。
「梨衣菜ちゃん! らすとぼぉーる!」
「はいっス!」
ここまで来たら強打は無い。前衛三人とわたしはそう判断して、フォーメーションをチャンスボールからの攻撃のそれに切り替える。わたしはアタッカーの二年生ズ――特に一本で切ってもらう予定の信乃――とアイコンタクトを取りつつネ
「月美! 前だっ!」
ット際、へ……?
――ひゅっ。
ボールが髪の毛を掠めた。えっ? どういうこと? 何が――、
「うおおおっ!!」
可那の声に反射的に振り返ると、黄色がさっきまでわたしが守っていたBRへ飛んでいる。ボールもそこにある。可那の手は、しかし、ボールまであと数センチのところで空を切った。
たんっ、
とボールはライン際で跳ねた。体感時間で五秒くらいの空白――のち、笛の音で現実に引き戻される。
何が起こったのかは空白の間に理解していた。経験がわたしにそれを告げるのだ。そのお告げが正しいかどうかを確認するために、わたしは相手コートを見る。
初心者の子が、他のメンバーに囲まれて笑っていた。
「大丈夫、月美ちゃん!?」
棒立ちしているわたしの傍に小夜子が掛け寄ってきて、腕を揺する。わたしは息を止めて、ぎゅっと目を閉じる。
……やられた。
お告げは果たして正しかった。急いては事を為損じる、なんて格言が浮かぶ。
今のは、わたしがネット際へ上がるときの、フォーメーションの切り替えで一瞬生まれる隙を突かれたゆえの失点だ。
その『隙』とは、具体的に言えばBRの角。それは、後衛にいるわたしが、守備から中継に思考とポジションを移行する際にどうしても生まれてしまう、一時的な守備の穴。
むろん、移行を注意深く且つスムーズに行えば、致命的な隙にはならない。でも、今のは、わたしに油断があった。
あの初心者の子――彼女が『そういうこと』をしてくるとは、思っていなかった。強打だけじゃなく、強襲も無いと決めつけていた。チャンスボールからの攻撃を確実に成功させようと気が急いた。普段のようにきちんと相手の動きも意識していれば、いくらでも対処できたものを……。
わたしは薄目を開けて、初心者の子を見つめる。
序盤で同じような状況だったとき、彼女はただオーバーハンドで返すだけだった。それが、今は、同じオーバーはオーバーでも、恐らくジャンプして勢いをつけている。それも守備の穴に狙いを定めて。
違和感だらけだ。後衛のセッターの上がり際を狙うのはバレーの定石の一つだけど、初心者の彼女が一体いつそんなことを思いついたのだろう。わたしの飛び出しを見てその場で判断したにしては、的確だし逡巡が無かった(実際は見ていたわけじゃないんだけれど、可那が追いつかなかったっていうのは、つまり、そういうこと)。
今のは、たまたまなんかじゃない。
彼女には確かにそういう思惑があった。
でも、序盤のプレーを見る限り、彼女が最初からそんな発想を持っていたとは考えにくい。
ここまでのプレーの中で、彼女なりに何かを見つけたのだろうか。
あるいは誰かが――と考えを巡らしていると、初心者の子がベンチに向かってピースするのが見えた。まさか、とわたしはそのピースの先に目を向ける。そこには同じようにピースをしている彼女の姿が……。
「おうっ、悪いな、月美! ちと間に合わなかったぜ!」
ばしんっ、と可那に思いっきり背中を叩かれた。普通に痛い。衝撃で軽く咳き込みそうになる。
「す、すいません、月美さん! 私、打つことしか考えてなくて……!」
むっとした表情で振り返ろうとすると、泣きそうな顔の信乃と目が合った。さらにぐるりと首を回すと、雫やはるも心配そうにわたしを見ている。わたしは片手を挙げて、力のない微笑みを浮かべ、最初に声を掛けてきた小夜子に目を合わせて、そのあとにみんなを見回す。
「失礼……今のはわたしの飛び出しが早かったよ。申し訳ない。次はきっちりやるから、みんなよろしく」
小夜子は目を細めて微笑み、ほっとしたように胸に手を当てる。なおも謝り続ける信乃には、じゃあ次で取り返そう、と手を合わせる。可那は――あの黄色、もう守備位置に戻ってる……薄情なヤツめ。
……いや、違う、か。
城上女のローテは、ここが急所。
前衛に小さな子が上がり、
「っしゃあ! お前ら、切り替えだ切り替え!!」
そして、サーバーが、ライト対角の市川静。
「最大級に集中しろよ!! 必ず一本で仕留めんぞ!!」
可那が騒ぐのも当然だ。ここで押し切られれば負け、堪えれば、勝ちはほとんど見えている。
スコアは、23―22。
気になることはあるが、可那の言う通り、ここは集中しなくてはならない。守備位置に戻り、ふうっ、と深呼吸。はると雫にサインを送り、密着している信乃には小声で攻撃を伝える。
「来いやああああ市川ああああああっ!!」
可那の威嚇。市川静は、一瞬怯んだが、気丈に唇を噛んでこちらを見据えてきた。
主審が笛を鳴らす。直後にお互いの声がふっと途絶えて、コート内の空気が、張りつめた。




