86(月美) 手の平の上
スコア、18―19。
ここで城上女はメンバーチェンジを申告。恐らく守備が苦手と思われる謎の女・ユキエに代わり、レシーブの上手い小さな子が投入される。
交替を待つ間、わたしは小夜子と珠衣とコンビの確認をする。そのとき、ふと向こうのコートから視線を感じた。振り返ると、小さな子が藤島透と背の高い一年生から離れていくところだった。三人で、わたしを見ながら何か話していたのだろうか? けど、一体なんの話を……?
「うおおおお来いやああああ!!」
わたしの思考は、可那の怒号に遮られる。せっかくの声質と声量なので、いつかミュージカルにでも出てほしい。主演作品のタイトルは『幸せの黄色い鳥』でいいんじゃないかな。うるさいし目立つからすぐ見つけられそうだけど。
などという暢気な妄想は、小さな子がサーブを打った瞬間に消え去った。
ばしっ、
と放たれたボールを見た瞬間、
あれ、この感じ、なんか覚えが――、
そう思うと同時に、じわっ、と手に冷たい汗が滲んでくる。
サーブの軌道は、文字通りの意味で、デジャヴだった。
可那のところへ一直線に向かうボール。『上がる』という宣言。トスを呼ぶ小夜子と珠衣。
『わ……っ!』
脳裏に過るのは、一周前の小夜子への三枚ブロック。小夜子の驚いた表情、大きく外れてアウトになるボール、そのあとのサーブカットの乱れ、相手のチャンスボール――嫌なイメージが次から次に湧いてくる。それを打ち消すために、わたしは横目で相手ブロッカーの様子を伺う。特に変わったところはない。三人とも定位置。しかし、さっき藤島透たちは何かを話していた。何を話していた? その内容次第ではここから動いてくる可能性もある。一周前はそれでやられた。
どうする? どちらに上げる? 小夜子か? 珠衣か?
アタッカーの選択に悪い意味で迷う。結局、わたしはライトに移動した珠衣に上げた。が、案の定、タイミングとコントロールが大幅にズレる。トスがかなり短い。
「っと……!」
踏み込みの途中でトスの乱れに気付いた珠衣は、助走の勢いを殺してその場でジャンプ。器用に左手でボールを相手コートに押し込むが、FRの市川静に拾われる。それをFCの背の高い子がジャンプトス。ツーアタックもあるか、と思わせて、トスを藤島透へ。対するブロッカーはわたし。だが、焦って早く跳んでしまう。ダメ、いけない、これじゃ止まらない――!
だんっ!
上を抜かれた……掠りもしない。
「月美ちゃん、どうしたの……?」
駆け寄って声を掛けてくれる小夜子。心配そうな顔だ。わたしはつい「大丈夫」と返してしまう。
「そう? でも、なんかあったら言ってね」
「……う、うん、ありがと」
何か、か。実際のところ、何かあったわけではない。どうしたの、何があったの、と訊かれても、どうもしていない、何もないと答える以外にない。こんなの勝手に自爆しているだけ。少し落ち着けばいいだけの話。
小夜子に余計な不安を与えるわけにはいかない。司令塔は常に冷静であるべし。自力で立て直せるならそれに越したことはない。
わたしは深呼吸をして、定位置に立つ。
スコア、19―19。
同点……同点、か。
その事実を意識した瞬間、ひたっ、と濡れた手で背中に触れられたような悪寒が走る。どっ、と肩が重くなる。悪いものにでも取り憑かれた……?
違う。そんなバカなことがあってたまるか。並ばれたのが最初の1―1以来だからちょっと動揺しただけ。それだけのこと。
もう一度深呼吸。落ち着け。よく周りを見ろ。可那は万全。アタッカーも万全。わたしはその間に入っていい感じに繋げばいい。それが南五の勝ちパターンなんだから。
わたしはサーバーの小さな子を見つめる。筋の通ったフォームから、ばしっ、とサーブが放たれる。また可那のところへ。恐らく狙ってやっているのだろう。そうとわかれば、何も焦ることはない。頭を回して、いつものプレーをいつものように。
「っしゃあ、上がんぞ!!」
わたしに言っているようにも聞こえる可那の高い声。宣言通りにぴったりと返ってくるAカット。今度のコンビは基本のAクイック―レフト平行だ。本命は珠衣の速攻、警戒が強いなら小夜子のレフト平行――いや、あるいは、わたし自身がもう一度、
「ツー!!」
びくんっ。
指先が震えた。あの小さな子の鋭い声。嘘それマジか――えっと、こういうのはなんと言うんだったか――機先を制する?
「……っ」
最悪のタイミングで考えを読まれ、急激にメモリが圧迫される。相手ブロッカーをチラ見する余裕すらなくなっている。今そんなことをしたら間違いなくボールを見失う。
「くっ……!」
迷った末に、わたしは小夜子に上げた。が、今度も制球が甘い。低くてネットから離れたトス。小夜子はなんとか繋いでくれるが、決定打にならない。また相手のチャンスボール。
「ブロック! 一本止めるよ!」
「どっからでも来いですよっ!」
小夜子と珠衣の力強い声。何やってんだわたしは――と自棄になりかけていた意識が、ぎりぎり繋ぎ止められる。そうだ、ここで止めれば。焦らなければ、わたしでも藤島透からワンタッチを取るくらいは、
しかし、市川静が選んだのは、背の高い子の速攻。レフトに寄っていたせいでリードブロックが間に合わない。背の高い子はターンでボールを捉え、わたしが塞ぐべきコースに打ち込んでくる。
たんっ、
と信乃の足下に落とされるボール。
20―19。
逆、転……された。
「小夜子!」
「わかってる。タイムお願いします!」
ぴぃぃ、と主審が笛を吹き、両手の手刀を直角に合わせてTの字を作る。
タイム――タイムアウト。
プレーが一時的に止まり、コートの外に出る。
そこで、わたしはようやく本当の意味での落ち着きを取り戻した。小夜子が背中と肩に手を置いてくれたおかげで、憑き物もどこかへ消えた。冷や汗は引き、小夜子の手の熱が心地いい。
…………やられた。完全に。
重い溜息が漏れる。
今のを偶然で片付けるにはあまりにタイミングが良過ぎる。意図的にやってるんだ。それがどれくらいの規模と強度なのかはわからないけれど、少なくとも今、わたしは手の平の上で転がされていた。その実感がある。
名前……なんていったっけ、あのポニーテールの子。
顔を覆った手の隙間から相手ベンチを伺う。ポニテの子は相変わらずにこにこと屈託なく笑っている。とてもじゃないが、こんな仕掛けをかましてくるような子には見えない。けれど、彼女以外に心当たりもない。謀略好きの立沢胡桃でも無理だ。
にしても参ったな。何が参ったって、彼女は可那VS市川静以降ずっとベンチに引っ込んでるって事実。コートの外から、ボールに一切触れずに、この手練。そんな彼女がフル出場したらどうなるか――鞠川千嘉擁する音成女子とやり合っても不思議ではない、くらいまでは辛うじて想像できる。
いやはや……とんだ怪物がいたものね。




