75(静) そんなつもり
「次、交替するよ。準備して」
立ち上がった胡桃は私を見下ろして、そう言った。
真剣な、真っ直ぐな目。射竦められたように、私は動けなくなってしまう。
「い、いきなり何を言い出すの、胡桃……?」
「だから、メンバーチェンジ。静に試合の流れを変えてほしいの」
「ちょ、ちょっと待って、私はそんなつもりで来たわけじゃ」
「わたしは『そんなつもり』で静を呼んだんだよ」
胡桃は本気だった。いや、胡桃は最初から本気だった。私がそれを見て見ぬフリをしていただけだ。
「覚悟を決めて、静」
胡桃はそう言うと、副審の南五OG――片桐さんのほうへ歩いていく。
二年前の記憶が蘇る。監督に呼ばれて、交替を告げられた。緊張と不安で胸の鼓動が速くなった。
ばくっ、ばくっ、ばくっ――心臓は勝手に鳴り響いて、私を追い詰める。
「……めて……」
喉が渇いて、うまく声が出ない。胡桃は止まらない。振り返りもしない。
私は髪を握り締め、気付いたときには立ち上がっていた。
「やめてっ……!!」
がしゃん、と大きな音を立ててパイプ椅子が倒れる。私はそれにびっくりして我に返る。みんなが私を見ていた。胡桃も、コートにいるメンバーも、隣で練習しているバスケ部の人たちも。
いつの間にか、ラリーは終わっていたみたいだ。
「やめないよ」
胡桃は極めてシンプルにそう返して、隣のバスケ部に「失礼、気にしないで」と手を振る。向こう側の時間が動き出す。だが、こちら側の時間は、まだ止まったまま。
「どうして……?」
私は声を絞り出す。胡桃は、ベンチにいる私ではなく、コートのほうを見て、言う。
「大切な後輩のため」
反射的にコートに視線がいく。心配そうな表情の万智と目が合う。私は咄嗟に視線を外す。すると、今度は審判台の上に立つ礼亜ちゃんと目が合った。礼亜ちゃんは、審判の役割を一時的に放棄して、成り行きを見守っていた。
私は、私のことはいいから試合を進めて、と目で訴える。
けれど、礼亜ちゃんは静かに首を振る。
「礼亜ちゃんまで……なんで……?」
私は俯いて、髪の束を痛いくらいに握り締める。
「……私も胡桃と同じ」
礼亜ちゃんは、優しい声音で言う。
「大切な後輩のためよ」
それを聞いた瞬間、私は胸が潰れそうになった。
思わず、礼亜ちゃんに「ごめん」と言いそうになった。
けれど、顔を上げることはできなかった。
みんなの視線が私に集まっているのを感じていたから。
それを受け止めるだけの強さも覚悟も、私には無いから。
「……私は、でも……」
上擦りそうな声で、縋るように、私は言う。
南五の人たちの前では黙っていようと思っていたけれど、言ってしまう。
「……サーブが、打てない……んだよ」
何人かが息を飲む気配がした。
気まずい沈黙は、しかし、長くは続かなかった。
「そのことなんだけど」
胡桃は、無感情に告げる。
「あの黄色が、話があるって」




