69(万智) 思いやり
静ちゃんと会ったのは、私がバレークラブに入った、小学五年生のとき。
そのとき、静ちゃんは六年生で、クラブのキャプテンをしていた。もちろんレギュラーで、ポジションはセッター。
そのクラブは、北地区でも一、二を争うくらい強くて、高学年だけで十人以上いた。みんな三年生か四年生の頃からバレーを始めた子で、五年生で初心者は私だけだった。
私が最初に見学したときは、大会メンバーがサーブカットからの攻撃の練習をしていた。メンバーの半分はレシーブの列に並んでサーブカットを上げる。もう半分はレフトかライトに並んでスパイクを打つ。レシーブを上げたした人はスパイクの列、スパイクを打った人はレシーブの列に並ぶ。そうやってぐるぐる回るのだ。
ただし、セッターである静ちゃんだけは、ずっとネット際に立って、上がったレシーブをトスしていた。
さすが北地区の強豪だけあって、初めて見た私は圧倒された。レシーブとスパイクに入る子はみんな「お願いします!」と大きな声を出して、構える。監督さんは数秒置きくらいにどんどんサーブを打ち込んでいく。とても速くて伸びのあるサーブ。それを、みんな慣れたようにカットする。静ちゃんがふわっとオープントスを上げる。アタッカーの人はそれを、ばしんっ、と力強く叩く。そうかと思うとまたサーブが飛んできている。
目が回るようだった。純粋に、すごい、と思った。
私も頑張ればこの中に混ざれるんだ、と思うと、わくわくした。
でも、初心者の私に待っていたのは、もちろん基礎練習。クラブの練習は、習熟度に応じて内容が変わるので、いきなり上級者がやっている練習には参加できないのだ。私は三、四年生に混ざって、アンダーとオーバーとサーブを覚えるところからのスタートだった。
それが大切なことは理解していた。けど、やっぱり、コートの外でパスばかりやっているのはなんだか物足りなかった。壁に向かって「せーのっ!」でステップを踏むだけのスパイク練習より、実際にネットを使って、あの静ちゃん(その時はまだちゃんと名前を覚えていなかったけど)のふわっとしたトスを打ってみたかった。
クラブに入って二ヶ月くらい経って、課題が出た。
アンダーハンドでもオーバーハンドでもいいから、対人パスを連続で100回続けること。
大会メンバーも一緒の全体練習で、上手な五、六年生がパスの相手をしてくれる。このパス練習をクリアすれば、下級生+初心者の初級者グループから、中級者のグループに入れることになっていた。中級者グループは、実際にネットを使ったスパイクや、スパイクカット、サーブカットなどをやらせてもらえる。
静ちゃんたち大会メンバー――上級者グループへの、最初のハードル。
対人で100回なので、私自身は50回、相手のところに返せばいいのだ。
けれど、これがなかなか難しい。自分が50回ミスしないこともそうだし、相手も上級者とは言え同じ小学生なので、失敗するときは失敗する。成功率15パーセントの試練、といった感じだろうか。上手い子は三年生でもさくっとできてしまったりするのだが、私は苦戦していた。
早くできるようになって、次のステップに進みたいのに、うまくいかない。練習は真面目に取り組んでいたつもりだったので、なおさら焦りがあった。休憩する間も惜しんで壁パス(壁を相手に一人でパスする練習)をしてみたけれど、上級者相手でも続かないのに、私の下手なパスをそのまま反射してくる壁相手じゃ20回も続かなかった。
足踏みしているうちに一週間が過ぎて、すっかりパスに苦手意識ができてしまった。
そんなとき、パスの相手になったのが、静ちゃんだった。
「岩村万智ちゃん、でよかったよね。私は六年生の市川静。よろしくお願いします」
「よ、よろしくお願いしまぁす!」
パス練習は15分。その時間内に、100回をクリアすればオーケーだった。
早速、いつものようにパスを始めた。いーち、にーい、と二人で数を数えていく。
しかし、その日は特に調子が悪くて、私はミスしてばかりだった。20回といかずにパスが終わってしまう。
それが三回くらい続いたとき、「うーん」と静ちゃんが首を傾げた。私は申し訳なくなって「ごめんなさぁい……」と下を向く。静ちゃんは慌てて「あっ、違う違う」と否定した。私がどう反応していいか困っていると、静ちゃんは髪(この頃はショートカットだった)に触れながら言った。
「岩村さんは、パスをするとき、どんなことを考えてる?」
「んぅ……コーチに言われたこと」
「膝を柔らかく、とか?」
「そう。オーバーは三角からボールを見るとかぁ」
ちなみに、三角とは、オーバーハンドを構えたときの、両手の親指と人差し指で囲まれた部分のことだ。
「そうだね。岩村さんは、綺麗なパスができてると思う。真面目に練習してて、えらいよ」
静ちゃんは私の前に屈んで、笑ってみせる。
「岩村さんはもう十分アンダーとオーバーができるようになってる。だからね、次は、もっと相手のことを考えてパスしてみようか」
「相手のこと……?」
「そう。どこにパスをしたら、相手が取りやすいのかを考えるの。ちょっとボール貸してね」
静ちゃんは私からボールを受け取って、オーバーの構えをする。
「例えば、私はオーバーが得意。だから、高くて山なりのボールを上げてくれれば、とてもやりやすい。岩村さんが取りやすいボールを返してあげられる」
次に静ちゃんは、ボールを腰の辺りに持ってくる。
「中には、アンダーが得意な子がいるね。そういう子にあんまり高いボールを上げると、顎が上を向いちゃってアンダーがやりにくくなっちゃう。だから、目線の高さくらいの、ほどほどの高さのボールをパスする。できれば身体のちょっと前側くらいにね。胸元にボールが来ると、アンダーってやりにくいでしょ?」
静ちゃんは仰け反るような仕草をして見せる。確かに、そうやって詰まってしまうミスはよくあった。
「パスで一番大事なことは、思いやりなの」
静ちゃんは胸にボールを抱いて、私の目を見る。
「もちろん習った通りにやることも大事だよ。でもそれだけじゃ足りない。パスは自分一人でやるものじゃないから。自分がうまくできても、相手がうまくできないと続かない。だから、相手のことをよく見て、その人が取りやすいボール、その人が欲しいボールを返すの。
いつもいつもうまくはいかないけど、相手に思いやりが伝わっていれば、カバーしてくれる。逆に相手が失敗しちゃったときは、岩村さんが大丈夫だよってカバーしてあげる。すると、相手も安心する。そうやって繋いでいけば、100回なんてあっという間だよ」
静ちゃんはそう言って私から離れると、ボールを投げる素振りをする。
「次からは、ボールを呼ぶときに、欲しいところで手を叩くようにしよっか。オーバーなら頭の上。アンダーなら腰の前。岩村さんならできると思うんだけど、どうかな?」
「が、頑張りまぁす」
「うん。それじゃあ、早速やってみようね。岩村さん、ボールを呼んでみて」
私は頭の上で手を叩く。
「オーバーお願いしまぁす」
「よしっ、行くよ」
静ちゃんは山なりのボールを放る。私はボールを目で追う。すると、ぱちぱち、と音がする。頭の上で手を叩く静ちゃんの姿が視界に入る。
「私もオーバーでお願いね」
「はぁい」
私は来た軌道をそのまま逆になぞるように返す。ボールはふわりと舞い上がる。
「そうそう。さ、次はどこに欲しい?」
「あ、あんだぁー! ちょっと長めで」
私は胸の前で手を叩いた。短いボールをアンダーで拾うのが苦手だったのだ。自己流だが、少し深いボールを身体を開いて取るやり方が私には合っていた。
行くよー、と静ちゃんが返す。それはまさに私が一番アンダーしやすいボールで、あまりに取りやすくてびっくりして、腕の変なところに当たってしまった。
「わぁ、ごめんなさぁい……っ」
「大丈夫だよ。それっ!」
私が横に弾いたボールを、静ちゃんは滑らかにすくい上げる。高く上がるボール。静ちゃんは元の位置に戻りながら手を叩く。
「高いのちょうだい」
「わ、わかりましたぁ!」
私はオーバーでボールを捉え、膝を使って高々と突き上げる。静ちゃんは苦笑しながら後ろに下がる。
「あはは、これはちょっと高過ぎるかな」
「す、すいませぇんっ!」
「ううん。気持ちは嬉しいよ」
そんな調子で、私たちは喋りながらパスを続けた。だんだん静ちゃんのことを見る余裕が出てきた。そして、思ったところに思った軌道でボールを飛ばす難しさを思い知った。同時に、私が五回に一回くらいしか成功しないそれを、ほぼ毎回やってのける静ちゃんの上手さも。
「うん、いい感じだね」
静ちゃんがアンダーでボールを返す。もう手を叩くのにも慣れて、アンダーとオーバーを交互にやる流れになっていた。
「岩村さん、最初よりずっとよくなったよ」
「ありがとぉございまぁす!」
そのくらいで、びー、と電子ホイッスルが鳴る。いつの間にかパスの時間の終わりが来ていた。
「「ありがとうございました」」
私たちはお礼を言い合う。と、私は重大なミスに気付いた。
「あぅー、回数数えてなかったぁ……」
静ちゃんと喋るのに夢中で、100回数えるのをすっかり忘れていたのだ。静ちゃんは私を見てくすくすと笑う。
「大丈夫。数えるまでもなく100回以上続いてたよ。私が証人」
「あ、ありがとうございまぁす。えっと、市川さんっ!」
「うん、こちらこそありがとう、岩村さん。またパスしようね」
「はいっ! またよろしくお願いしまぁす!」
そして、静ちゃんは上級者のグループのところへ集合した。私は初級者のグループのところへ行って、初級者担当のコーチに課題をクリアしたことを伝えた。ほどなく、私は中級者のグループに混ざった。夏の大会では、応援要員として静ちゃんたち大会メンバーと一緒に行動した。二学期の終わりくらいには、念願の上級者グループ入りを果たした。
中学校に上がるとき、学区の関係で、私はクラブのメンバーとは離れ離れになった。みんな強豪の石館二中に進学する中、私だけが石館一中だった。石館一中の同級生や後輩に経験者はいなくて、今度は私が教える立場になった。
「パスで一番大事なことは、思いやりなんだよぉ」
私は、初心者には最初に必ずそう教えた。そして、静ちゃんがそうやってくれたみたいに、声を掛け合ってパスをした。
――――――
静ちゃんは、私にバレーの楽しさを教えてくれた、最初の人だ。
パスがうまくできなくて、落ち込んでいた私を、静ちゃんは引っ張りあげてくれた。
静ちゃんのおかげで、私は苦手だったパスを楽しめるようになった。
だから、今度は私が静ちゃんを引っ張り戻すんだ。
部活が苦手だっていう静ちゃんに、その楽しみ方を教えてあげるんだ。
静ちゃんが悩んでいることは、具体的にはわからないけれど、それでも、思いやりは伝わる。相手のことを思ってするプレーは、その気持ちは、届くはずだから。
「れふとぉー!」
私はまたトスを呼ぶ。スコアは、3―8。さっき一度打って、シャットアウトされ、点差は広がっていた。でも、それくらいで私が退くわけにはいかない。厳しいローテだからこそ、私が活路を開くんだ。
ごっ、と全力でボールを叩く。しかし、通らない。さすが県内最高の左――透ちゃんより高い人。けど、きっと、もう一押しだ。
「上がってます!」
ひかりちゃんがフォローしてくれる。私は音々ちゃんに向かって叫ぶ。
「もうぉ一本!」
「お願いします!」
音々ちゃんのトス。打ちやすい。ちゃんとネットから離したボールをくれる。
これが三本目。今度こそ、決めてやる。
私は目一杯開いて、ネットへ向かって走り込む。私は高さで勝負できるアタッカーじゃない。だから力は上じゃなく前に込める。助走で得た推進力を、ボールを通してブロッカーにぶつける。中学生の頃から何度もやってきたことだ。
仲間へのパスは、思いやり。
敵へのスパイクは、思いきり。
飛び越えられない壁は、壊して進め。
「たああああああぁー!!」
ごがっ、
と鈍い音。いい手応えを感じる。果たして、ブロックを弾き飛ばしたボールは相手コートの外側に落ちた。
ぴっ、と笛の音。三本目にしてようやく決まった。
「「ナイスキーです!!」」
「ありがとぉー。でも差は開いちゃったねぇ、ごめん」
スコアは、4―8。もっと決定率を上げていかないとね。最低でもさっきのシャットの分は取り返さなきゃ。今日はただの練習試合じゃなくて、静ちゃんに部活に復帰してもらうための戦いなんだから。
私はベンチの胡桃さんと静ちゃんを見る。胡桃さんは頷きを、静ちゃんは控えめな微笑を返してくれる。
よぉし、もっと頑張るぞ!




