57(礼亜) 大切な後輩
期末テスト、夏期講習、模試、模試、模試――。
気付けば、夏が終わり、秋になっていた。
地元の国立大学へ進学するつもりの私は、もうすっかり受験生。れーれーるーるるるれれよ、なんて鼻唄混じりに呟く日々。
大会後、バレー部の活動には、主将の引き継ぎで何度か監督や紀子と会った以外、一切タッチしていない。進学校の城上女では、三年生は部活を引退した翌日から受験勉強に頭を切り替えなくてはいけない。夏休み目前だし、遅れを取り戻さなくてはならないからだ。
学校全体がそんな風だから、静の件は、紀子に言われるまま、次代のメンバーに託した。監督にも、引退したお前が背負う問題ではない、と諭された。
もちろん静のことは気がかりだった。だから、時々、胡桃や紀子から話を聞いた。けれど、深くは突っ込まなかった。静に会いにいくこともしなかった。静にかまけて勉強が疎かになるようでは、私のためにも静のためにもならない――と監督に釘を刺されていたし、私自身もそれはそうだと思ったからだ。
夏休みに突入すると、実際、受験勉強以外の何かをする余裕なんてなくなった。
静と会って話をしよう、と思ったのは、二学期の半ば。
直前にあった模試を自己採点して、かなりいい手応えを感じた。今なら、少しくらいは我儘も許される。あまり心残りを放置し続けるのも、かえって受験に悪影響だ。うん、そういうことにしよう。ってな感じで。
「やっほ、静」
とある祝日。私は、静を石館駅に呼び出した
暇してんでしょ、ちょっと付き合いなさい、って具合に。
「おはようございます、礼亜先輩」
パンツルックで現れた静(足、長ぇ! 細ぇ!)。黒かった髪はいつの間に染めたのか明るくなっていて、今日は下ろしている。その髪がまた白いニットと合うんだなぁ。ヒールを履いているのもベリーグッド。うん。完璧によそ行きの格好だ。
そして、服装同様、態度も随分とよそよそしかった。私は静の腕に自分の腕を搦めて、上目遣い攻撃をする(ヒール履きの静は私より10センチ以上高い)。
「小学生の頃みたいにちゃん付けで呼んでほしーなー!」
静は予想通り顔を赤くして、そっぽを向いた。
「……礼亜ちゃん」
照れ静だった。最高。日頃の疲れが一瞬で吹き飛んだ。
「じゃ、行こっか!」
「どこへですか?」
「んー? わからん。適当ー」
そして、私と静は本当に適当に街をぶらぶらした。石館駅周辺は、沿線内では栄えているほうで、城上女の生徒も休日にはよく遊びにくる。私は静を連れ回した。
静は最初こそ戸惑っていたが、私のはっちゃけ具合(受験が相当ストレスになっていたんだと自分でも驚くほどだ)に当てられて、徐々に自然な笑顔を見せるようになった。
三時くらい。そのときはショッピングモールにいた。さすがに遊び疲れて、私たちは喫茶店に入った。
店内は賑わっていたが、私たちは、さっきまで(ゲーセン)の落差もあり、ゆったりとした時間を迎えていた。
そろそろいいかな、と私はマンゴーフロートのフロートをスプーンで突きながら、切り出した。
「静さ、あれから、一度も部活に顔見せてないんだって?」
静は、一瞬表情を曇らせた。けれど、いつかはこの話題が振られると覚悟していたのだろう、すぐにそれまでのくだけた調子に戻って、応じた。
「うん。なんか……休んでいるうちに、行き辛くなって。ごめんね」
なんで静が謝るのよ、と思うが、言わない。言うと、もう一、二回、静のごめんを聞くことになるからだ。
「もう復帰するつもりはないの?」
「そう……だね。今戻っても迷惑かな、って思うし」
「気にし過ぎだと思うけどなぁ」
「紀子先輩たち、まとまり強いから。いい雰囲気を壊したくないなって」
それは……まあ、わかる気がする。紀子たちの学年は部員が八人いて、ポジションもちょうどバラけている。チームが完成しているのだ。ポジションや実力を考えれば、静が入ることで間違いなくそのバランスは崩れる。
それと、三年には私がいたが、二年生には同中出身者がいない――このことも、静的にはやりにくいだろう。さらに言えば、静が復帰することで由紀恵も復帰するだろうから、余計、その影響は大きくなる。
切磋琢磨はいいことだ。刺激は必要だ。私が静の立場なら、今からでも部に戻る。
でも、静は、名前の通り、穏やかな平静を好む。チームの結束を固める夏が過ぎて、そろそろ新人戦へのカウントダウンが始まるこの時期に戻るのは、彼女の中ではありえないことだろう。
「それに、クラブの手伝いとかで、バレーは続けられてるし」
クラブ、というのは、私たちが小学生の頃に入っていたバレークラブだと思われる。
当時、静はクラブのコーチの一人——その娘さんと親しくしていた。恐らくは、その繋がりでクラブの活動を手伝っているのだろう。
好きなときにボールに触れられる環境にいるなら、確かに、無理してバレー部に復帰する必要もないのかもしれない。
「あと……あれ以来、サーブが打てなくなっちゃって……」
初耳——ではなかった。
静の口から聞くのは初めてだが、胡桃や紀子から、それとなく聞かされていた。
静はそこまで言うと、下を向いてしまった。私はできるだけ明るい口調で言った。
「そっかぁ。まあ、仕方ないかぁー」
私はフロートをすくって、口に含む。
と、目の前のドリンクの色を見ていたら、ふと思い出すことがあった。
「そう言えば、静、南五のリベロのことって覚えてる?」
静はふっと顔をあげる。急に話題が他校のことに飛んで、きょとん、としていた。
「覚えてるけど、あの人がどうかした……?」
「あ、いやね、あの試合の翌日なんだけど、南五メンバーが謝罪と激励に来てくれてね。そのとき、あの黄色の子――有野可那ちゃんが、静のことを気にしてて。それだけなんだけど」
「……そのことなら、実は、大会のあと、あの人が私に会いたがってるっていうのを、胡桃から聞いた」
「ああ、同中なんだっけ、あの二人。それで? どうしたの?」
「わざわざ悪いって断ったよ。もう大会は終わっちゃってたし、私は部活続けるかどうかもわからなかったし……私個人に改まってっていうのも、なんか変というか。それに、あの人、ちょっと怖いから」
最大の理由はそれか、と私は可笑しいような同情するような変な気持ちになった。
まあ、髪を真っ黄色に染めている時点で普通ではないし、インハイ予選に一年生がレギュラー出場ってのもそうあることじゃない。何より、三十八度の高熱を物ともせず一回戦をフル出場、さらには二回戦の第三セットのあの瞬間まで誰にも異常を悟らせずにプレーした子なんて、静の許容できるパーソナリティじゃないだろう。
個性的という意味では由紀恵も同じだけど、その辺は相性の良し悪しもあるのかな。
「でも、あの子、断られても押し掛けてきそうなタイプだったような」
「うーん……私は、でも、ちょっとわからないかな。間に胡桃がいるから」
「ああ……なるほど」
たぶん、胡桃が彼女を押しとどめたんだ。試合直後は、静も混乱していたし、あんなハチャメチャな子と会わせるのは危険だ。
「でも、そっかぁ……静、本当にバレー部辞めちゃうんだ……」
私は天井を見上げて、そう呟く。もちろん、静に聞こえないような、小さな声で。
「ねえ、礼亜ちゃん」
「なに?」
「それ飲み終わったら、上のシアターに行かない? 私、見たい映画があるの」
「おっ、いいね! どういう映画?」
「礼亜ちゃんは、勉強してたし、知らないかな。夏に話題になったドラマの劇場版なんだけどね――」
それっきり、私たちは、バレーの話はしなかった。
それっきりっていうのは、つまり、私が城上女を卒業して、今に至るまでってことだ。
静とは、卒業式のとき、個人的に会った。けれど、バレー部同士ではなく、小・中・高と同じだった幼馴染み同士として、だ。
もちろん、私は、静が何か大事なことを隠しているのは、わかっていた。
小学校、中学校、高校と、都合三回、私は静と同じチームになった。わからないはずがない。
繊細で、責任感が強くて、優しくて、何より、バレーが好き。
市川静っていうのは、そういう子なんだ。
言いたいことはいっぱいあった。聞きたいことはいっぱいあった。できるものなら説得したかった。力になりたかった。
けれど、私はもう部活を引退した受験生で、静の性格も置かれている状況も、よくわかっているつもりだった。だから、それ以上は踏み込まなかった。
何が正解だったかなんてわからない。でも、たとえ今あの時に戻ったとしても、私はやっぱり、静を無理にバレー部に戻そうとはしないんだろうと思う。
突き詰めれば、私には、覚悟が足りなかった。
自分の我儘で誰かを傷つけることになってもいい。
誰かの我儘で自分が傷つくことになってもいい。
そういう覚悟を決めるには、私は〝強さ〟が足りなかったんだ。
そのせいで、私は、静のために何もできなかった。
きっとこのまま、私も静も大人になってしまうんだろうな、と思っていた。
だから、胡桃や南五のリベロが、静をバレー部に復帰させるために動いていると聞いたときは、驚いた。
彼女たちは、強い子たちだった。
『静のことでお話があります』
そのメールを見た瞬間、私は弾かれるように電話を掛けた。
胡桃は、私が協力を惜しまない旨を告げると、『ありがとうございます』と言った。
私は、ううん、と首を横に振った。
こちらこそ、ありがとう。
もう一度、ちゃんと静と向き合う機会をくれて、本当にありがとう。
胡桃との電話を切って、私はすうっと大きく息を吸い込んだ。
今度は、私も、覚悟を決めよう。
待っててね、静。
バレーを通して出会った、私の大切な後輩。




