246(音々) 極上の美人
――Aコート観客席
「最後まで隙らしい隙もなく押し切り、か……」
セットしたカメラを止めて、無音の溜息をつく胡桃先輩。南五和の江木先輩や有野先輩とは同中出身だけに、結果を口惜しく思う気持ちは一入だろう。
「点差ほど法栄大立華も余裕ではなかったと思うがね」
フォローのつもりなのか、純粋な分析なのか、そんな見立てを口にする志帆先輩。胡桃先輩は「それは、まあ――」と少し得意そうに微笑む。
「鳥籠に閉じ込めたくらいで、大人しくなる連中ではないから」
違いない、と心からの同意を示す志帆先輩。もちろん、あたしも先輩に同じ、だ。
攻守ともに盤石を誇る法栄大立華に対して、南五和は最後まで攻勢を崩さなかった。
敵が強大であるからこそ、その反抗精神が際立っていたようにも思う。
以前の練習試合では静先輩の復帰に全力で協力してくれた南五和だけれど、今回は当然ながら、目の前の勝利にその全力が傾けられていた。
観客席から見ているだけでも、手に汗を握る熱量。
果たして、あたしたちはこの南五和と戦って、あの時のように勝つことができるだろうか?
そして、そんな南五和にストレート勝ちした法栄大立華には――?
「ちょっと、お手洗い行ってくるわね」
あたしは気分を変えようと腰を浮かす。と、隣の凛々花が顔を上げた。
「あっ、じゃああたしも行こうかしら」
「っ――待て、露木凛々花……出てきたぞ」
逆隣の颯の警戒した声に、はっ、とコートに振り返る凛々花。その顔がにわかに強張る。
「聖レオンハルト女学院……ッ!」
法栄大立華と入れ違いにコートに姿を見せたのは、気品の漂う烏羽色の集団。
西の王者にして四強の一角――聖レオンハルト女学院。
明正学園が遠征先でけちょんけちょんにやられたという、因縁の相手だ。
「ごめん、音々。ちょっと離れられなくなったわ」
「構わないわよ。ただ、えっと、一瞬失礼するわね――」
瞳に炎を宿し、前のめりになって仇敵を見つめる凛々花の前をさっと横切って、通路に出る。そのとき、「あっ」と前の席に座っていた万智先輩が振り返った。
「音々ちゃん、離れるついでにいっこお願いしてもいいかなぁ」
「Cコート組のことですか?」
「そうそう。あっちのみんなに、終わったら戻ってくるように伝えてくれる?」
「わかりました」
「ありがとうねぇ」
「あ、でしたら音々殿! 自分もお供するっスよ!」
しゅばっ、と手を挙げて梨衣菜が席を立つ。座席の列の真ん中にいた梨衣菜は背もたれをひょいっと跨いで脱出(ちょ、あんたスカート気にしなさいよ!? 山野辺先生が「わーっ!?」って叫びながら坂木さんの顔に張り手してるから!!)し、先回りで回廊へ出る。
「梨衣菜ちゃんもありがとぉ。二人とも、よろしくねぇ」
「お任せっス!」
「では、行ってきます」
もちもちした手を小さな子供みたいにふるふると振る万智先輩に見送られて、あたしたちは本陣から旅立つのだった。
――――――
「いやー、それにしても凄かったっスね! これぞ県一位って感じっス!」
「そうね。中学の時も強いチームは強かったけど、高校バレーになると迫力が段違いだわ。スパイクの威力も中学生とは全然違うし」
「キャプテンのレフトの方とか、七絵殿の相方だったという左の方とか、もー強烈でしたっスもんね!」
「ええ。それに何より、あの全国最強の紅よ……とんでもないわね、マジで」
「ひかり殿の姉御前……あの方はなんというか、どこか別世界にいるみたいっスよね! レシーブだって魔法みたいに拾っちゃうっスし! こうっ、しゅぱしゅぱっと!」
試合の興奮が蘇ったのか、身振りを交えてはしゃぐ梨衣菜。その楽しそうな姿を見ているうちに、そわそわした気持ちもだいぶ収まってくる。一人だとかえってアレコレ考え込んでしまったかもしれないので、梨衣菜が付いてきてくれてよかったと思う。
「大会を勝ち上がっていったら、いつかあの法栄大立華とぶつかることになるっスよね……」
ふっ、と梨衣菜は急に真面目な顔になって遠くに目を向ける。あれ? もしかして不安になっちゃった――? と心配になる。が、次の瞬間、梨衣菜は、むふふ、と口元を綻ばせた。
「ちょー燃えてきたっス!」
……なんとまあ大物である。あたしは微笑みそうになるのを堪えて、一応それらしく釘を刺しておく。
「あんまり上ばかり見てると転ぶわよ。なんたって法栄大立華と優勝争いする四強が三つもあって、その四強の牙城を崩さんとする八強がいて、加えて今回は八強入りを逃した各地区強豪もわんさかいるんだから――っていうか、そもそもあたしたち、県大会の前に地区大会を突破しなきゃだし」
「確かに……あっ、そうっス! 言われてみれば、自分まだ見てない四強があったっス!」
目線を頂点から九合目にまで下げてくれた梨衣菜。あたしの釘は糠に刺さる程度の効果があったようだ。
「法栄大立華と、つばめ殿のいる音成女子。それに、芹亜殿たちが戦った聖レオンハルト女学院」
「さっき出てきた、黒いジャージのとこね」
「みたいっスね。これで三つ――あと一つは、なんていうとこなんっスか?」
「えっとね……確か、トーナメント表で見たわ。柏手大附属ってとこよ」
「ふむふむ、柏手大附属っスか。名前からして勢いのありそうなチームっスね!」
「ええ、きっとみんな髪とかベリーショートで、語尾に『っス!』とかつけて、『燃えてきたっスー!』とか叫びながら筋トレする猛者共の集まりなのよ」
「おおっ、なんか妙に親近感が湧くっス!! ぜひ生で見てみたいっス!!」
「あくまであたしの個人的なイメージだけどね」
ナントカ大附属、ってそれだけで強豪感あるし。ほら、夕里の元いたトコとか。
「まあ、実際は意外と普通っぽいのかもしれないけど――」
「っ、音々殿、危ないっス!?」
「えっ――――きゃあっ!?」
「うおっ!?」
ちょうどお手洗いの入り口に差し掛かったところ。あたしは梨衣菜と話すのに夢中で、奥から飛び出してくる人影に気づかなかった。相手の歩調はほぼ駆け足に近く、避ける間もなく、どんっ! と梨衣菜の飛びつき並みの衝撃があたしを襲う。
「っ――と!!」
ぼふんっ、綿ぼこりのように弾き飛ばされたあたしの腕を、飛び出してきた人は咄嗟に掴んでみせた。そしてすぐさま物凄い腕力でもって、ぐんっ、とあたしの身体を引き上げ、さらに腰に手を回してしっかりと支えてくれる。
「悪いな、お嬢ちゃん。怪我はないか?」
結果、なんか社交ダンスでよく見るような体勢になり、あたしは吐息がかかる距離でその人の顔を見――衝突時とは比べ物にならない衝撃があたしの胸をぶち抜いた。
「っ……!?」
えっ!? なにこの極上の美人さん!? あたしの人生史上ぶっちぎりの美女なんですけど!? どこかの歌劇団の女優さんですか!?
「……顔が赤いな。本当に大丈夫か?」
「ひゃっ、ひゃい! 大丈夫れす!」
顔が近いです顔が!! あとなんか薔薇みたいな匂いまでするんですけど!?
「そうか、大丈夫なら良かったぜ――」
ほっ、と溜息をついて、その人はあたしを解放した。
少し離れてから改めて見ると……いよいよその美しさの全貌が明らかになる。
あたしより一回り大きく、凹凸のはっきりした体躯。ヒールを履いてるのかと錯覚するほど長い足に、見事にまっすぐ伸びた背筋。髪はゆるやかに波打つ鳶色のロングヘアで、その髪と同じ色をした双眸はどこか危うげな野性味を帯びている。人形のように長くきりりと反った睫毛。彫刻のように筋の通った鼻梁。そして、吸い寄せられそうな肉厚の口唇――。
「あ、あの……あなたのお名前は……?」
「ん? あ、名前? 名前は――」
「おおーいゴーリさーん!! 置いてかないでよぉー!!」
と、奥の個室から涙ながらの嘆き声が聞こえてくる。けれど、その口調はどこか嘘泣きっぽいというか、状況を面白がっているような印象さえ受けた。実際、美人さんは柳眉を逆立て、声を荒らげる。
「やかましい! ってか便所で叫ぶな、みっともねえ!」
怒鳴る姿も海外のアクション女優みたいで絵になるわね……って、それよりも!
「剛璃さん……とおっしゃるのですか?」
「は?」
金剛石の剛に玻璃の璃――強さと美しさを兼ね備えた素敵なお名前ですね!
「あ、いや、それは単なるアダ――っと、ヤベェ、いま笛鳴ったか……!?」
剛璃さんはコートへ向かう通路を一瞥すると、ぽんぽんっ、とあたしの肩を優しく叩く。
「ロクに詫びもできず済まねえな。もし何かあったらきっちり責任取るから、遠慮なく『ここ』を訪ねてくれ」
言って、剛璃さんはあたしに背を向けて、そこに刻まれた文字を親指で示す。
白いジャージを纏う広い背中――目に飛び込んできたのは『柏木大附属』という高校名。
はて、似たような名前の高校のことを、ついさっき噂したような……?
「もちろん、ただ遊びにくるってのもアリだぜ。いつでも歓迎するよ、眼鏡のお嬢ちゃん。じゃあ、またな!」
やはり美人は何をやってもサマになる――軽く手を挙げただけなのに、去っていく剛璃さんはとても颯爽としていた。
って、眼鏡のお嬢ちゃん!? その通りだけど妙にこそばゆい! なぜコンタクトを入れる手間を惜しんだ、今朝のあたし!
などと煩悶しているうちに、剛璃さんの姿は通路の角へと消えていく。
「な、なんだか歩く核融合みたいな人でしたっスね……ところで、本当にダメージはないっスか、音々殿?」
「ええ、身体のほうはなんともないわ。不意の衝撃はあんたで慣れてるしね」
「あれ!? 自分いま微妙にディスられたっスか!?」
いじわるっスー! と口をタコみたいに突き出して拗ねる梨衣菜。その時、奥から、じゃごーっ、と水音がして、剛璃さんと同じ白いジャージを着た人が個室から出てきた。
「うわっ!? ゴリさんめー、マジで先行ったのなー!? (遅刻)仲間を見捨てるとは薄情ナリ!」
一人芝居みたいに大袈裟なリアクションを取りつつ、その人は大股に手洗い場にやってくる。口調や動きはせわしないが、しっかり石鹸で手を洗うあたり、剛璃さんほどには焦っていないらしい。
「さーて、そんじゃー行きますか――ヨーイ、どーんッ!!」
トイレの出口に立ったその人は、非常口の人みたいなポーズを取り、だっ、と駆け出した。その瞬発力は目を見張るものがある。身長もあたしと同じくらいあったし、もしかしてミドルブロッカーだったりするのかも……? というか、剛璃さんといい今の人といい、もしかしなくてもこれってアレよね……。
「音々殿……その、大変言いにくいっスけど、柏手大附属というのは――」
「架空の高校だったようね! 正しくは柏木大附属よ!」
「にわかに音々殿の語る情報に不安が……えっと、それで、柏手改め柏木大附属は本当に四強の一角なんっスか?」
「そっ、それは間違いないはずよ! というか、そうでなきゃ説明つかないでしょ、あんな迫力!」
「おお、確かに……! お二方とも雰囲気あったっスもんね! 短髪でも語尾が『っス』でもなかったっスけど!」
「いや、そこはあくまであたしのイメージだって言ったでしょ!?」
「短い間でしたがいい夢見させてもらったっスよ……ああ、さらば憧れの柏手大附属っス……」
「どんだけ気に入ってたの!?」
「――ん? ときに音々殿、そこに何か落ちてないっスか?」
「えっ……?」
見ると、通路の上に一枚のタオルが広がっていた。
隅に金糸で柏葉の刺繍が施された、白いタオル。
あたしたちがここに来たとき、そしてあたしが剛璃さんと衝突っちまったときにも、それは無かったものだ。だとすれば、あのスタートダッシュを決めた人が落としたもので間違いないだろう。
これがただのハンカチなら、最終的に本人の下へ届けば問題はない。
しかし、校章入りの、明らかにチームで揃えたようなタオルとなれば、試合で使うものである可能性が高い。
もちろん予備は用意しているだろうが、こういうものに思い入れを持つ人だっているし、あの人がそうではないとは限らないわけで――。
「……まだ間に合うわよね。行きましょう、梨衣菜!」
「がってん、りょーかいっス!」
あたしはタオルを手に取って、剛璃さんたちの後を追う。せめて公式練習が始まる前なら、関係者を通して渡すこともできるだろう。
そうして走ること数秒、コートへ通じる曲がり角を曲がると――いた! 白いジャージの人が……あれ、三人に増えてる!?
そのうち一人は剛璃さんで、あたしに背を向ける位置でモデル立ちしている。何やら剣呑な雰囲気を漂わせているが……果たして、剛璃さんの向こう正面にいたのは、剛璃さんよりもさらに一回り大きな巨躯を誇る人物――。
「……ナニモンだ、てめえ……」
「わっ、わた、わたたたっ――!」
「落ち着いてください、藤島さん」
なんか透が剛璃さんに絡まれてるー!?




