C-23(明晞) 意地
タイムアウトを終え、コートに戻ろうとサイドラインを越えたとき。
空港のセキュリティゲートでもくぐるみたいに、えいやっ、と、ちょっとばかしの気合が要った。
……空気が、違うねえ。
コートの内側と外側で、空気の密度が明らかに違う。
その原因の半分はいちい君で、もう半分はあちらだろう。
崖っぷちでこの集中力は、さすがの四強だ。さながら巣の周りを哨戒する毒蜂の如く、近づけば刺すとばかりにプレッシャーを放ちながら、彼女らはフォーメーションを整えていく。
鬼門のS5でいちい君のジャンプサーブ。23―24の、1点たりとも失えないこの場面で、あちらさんは一体どんな仕掛けを見せてくるんだろうねえ……。
――――――――――
☆
芽衣
愛梨
和美
美波★ マリチカ
さやか
――――――――――
……ふうん?
随分と深いところに構えるセッター(★)を見て、私は目を細める。
あんなに遠くっちゃあまともに定位置(☆)につけるかも怪しいと思うけど……。
コンビを半ば捨てて、攻撃はライトの佐間田さん頼み、残りのメンバーで守りを固めてサービスエースだけは確実に防ぐ――みたいな作戦だろうか。
ならば、こちらは意地でもワンタッチを取って、いちい君の反撃に望みを繋ぐ感じかなあ。
佐間田さんは厄介だけれど、こっちの前衛には瑠璃がいる。あの子の跳躍力なら、たとえ佐間田さんの速度に振られても、空中戦で挽回できる。それでも止まらないというのなら、私が穴埋めすればいい。後ろには杏子だって控えている。
勝算は、ある。
取らぬ蜂巣の蜜算用、でなければ。
あの陣形に関する私の推測が、どこまで当たっているのか。
『攻撃』の音成が防御重視、ってのがどうにも腑に落ちないしねえ。
あるいは、マリチカ御大のバックアタック、とか狙ってたり?
そうでなければ、鍵になりそうなのは、あの人か――。
「……藤本」
ぼそっ、と杏子が声を落としていちい君に呼びかけるのが聞こえた。私は視線だけで振り返り、二人のやりとりに耳を澄ます。
「すみません、集中したいんですが」
「悪いな。けど、一つだけ」
「なんですか?」
「柴田和美に気をつけろ」
「……わかりました」
――さすが玉緒仕込みの杏子さん、目の付け所が違うねえ。
「明晞さん? なに変顔してるんですか?」
「いやあ、ちょっとねえ。――それよりも、瑠璃」
「はい?」
「佐間田さんのこと、頼めるかい?」
「ふっふっふ。さすが明晞さん、私のこと、よくわかってますね」
「長い付き合いだからねえ」
「任せてください。あの性格ブスは私が仕留めます」
「こらこら、人前でそういうこと言わないの」
「いや、もちろんしず姉の前では言いませんよ?」
たまに思うけど、この子静以外は『人』としてカウントしてないんじゃないかなあ――と、私は苦笑を浮かべる。
サービス許可の笛が鳴ったのは、その直後だった。
「「――――――!」」
ぴしっ、と空間に罅でも入ったような緊迫感。
無言でサーブのモーションに入る、いちい君。
私は息を止めてその瞬間を待つ。
ひゅっ、
と静寂の中、ボールを投げ上げる音が、やけに大きく響き、
たんっ、たっ……!
と踏み込みに床が震動、そして、
ばあんっ――!!
聞いただけで本日最高の一撃だとわかる、完璧な打音が耳朶を打つ。
そんな弾丸サーブの、向かう先は――。
「シバっさん……!」
レフトに構える、柴田和美女史。
あえて要注意と警告された当人を狙う――それがいちい君の流儀だよねえ!
「ん~、これは~――」
まったりとした口調とは裏腹に、素早く一歩下がる柴田さん。いちい君が狙ったのはレフトの奥いっぱいだ。防御重視で深めに守っていてもなお、ちょっとでも対応を誤れば即サービスエースの際どいところ。実際、
「入ってっす!」
自身もそちらに詰めながらジャッジする浦賀さんの声にも焦燥が滲んでいる。これで決まれば話は早い。果たして、柴田さんは――、
「む~り~め~」
と早々に『何か』を諦める。そしてさらに一歩下がって、半身になってアンダーハンドを構え、破壊力抜群のいちい君のサーブを、
ばぢーんっ、
と、水面を叩いたような音を響かせ、『撥ね返した』。
「あとよろしく~」
そんな遺言を残して、ゆっくりと後ろへ倒れていく柴田さん。あのミサイルのようなジャンプサーブを撥ね返した反動は、それほどに大きかったということだろう。後退しながらのレシーブだったこともあって、体勢は完全に崩されていた。
ここから柴田さんが攻撃に参加するのは、それこそ『不可能』。諦めざるをえない――だが、
「カットは問題ねー! そのまんま走れヅカミー!」
ボールの軌道を見極めながら、声を張り上げるマリチカ御大。
それを聞いて、『背後に目を向けることなく』定位置(☆)へと猛ダッシュしていたセッターの獅子塚さんが、さらに加速する。
「本当、よくやるよねえ……っ!」
これが、恐らくは杏子が危惧した展開の一つ。
柴田さんが獅子塚さんに負担を強いてまで、深く守った意図。
防御と攻撃の両立が困難なS5ローテで、柴田さんは、自身の攻撃参加を犠牲にしても、サーブカットは完璧に仕上げる――そんな、いわば次善の策を講じた。
カットがほぼ確実に上がる、という前提があれば、セッターは格段に動きやすくなる。それこそ、死角に弾丸サーブが飛んでこようと、一顧だにせず定位置に走ることができるほどに。
もちろん、カットが乱れてしまえば総崩れだ。しかし、いちい君のジャンプサーブを受ける以上、反抗するならどこかでリスクを負わねばならない。ゆえに音成は今回、チームの命運を柴田さんに賭けたのだろう。
その結果は――ご覧の通り。
「っ……と、マジで絶好球ね――! じゃあこっちもやるわよ、芽衣、愛梨!」
「ええ――」「はいッ!」
定位置に辿り着いた獅子塚さんは、そこで初めてボールを視界に入れると、ライトの佐間田さんとセンターの東さんに合図を送り、余裕を持ってセットアップに入った。それもこれも、柴田さんのカットが高々と、且つ正確に上がっているからこそできる芸当。こうなれば、いよいよ『攻撃』の音成女子――〝毒蜜蜂《Killer Honey Bee》〟の本領発揮だ。
「そんじゃあ、こっちも手筈通りにねえ、瑠璃!」
「ガッテンですよ、明晞さん!」
とは言え、こちらも手は打ってある。一本取られたくらいで受けに回るつもりはない。
「かっもーん、芽衣ッ!」
「もう来てるわ、よ――!」
獅子塚さんの呼び掛けに呼応して、速攻に切り込んでくる佐間田さん。たまらずブロックしたくなる……けれど、ここは、我慢。
「静が見てるよお、瑠璃!」
「うおおおお漲ってきたぜえええ!」
即効性の餌に目の色を変え、びょんっ、と佐間田さん前へ跳び出す瑠璃。
このまま佐間田さんで勝負してくるなら、それも良し。
けれど、たぶん本命は違うよねえ――?
「っ、任せたわよ、愛梨!」
「はいッ……!!」
獅子塚さんが選んだのは、東さん。
佐間田さんの脅威を最大限に活かしての、移動攻撃だ。
「んなあーっ!?」
瑠璃が空中で目を丸くしているが、悪く思わないでねえ。
佐間田さんのマークを瑠璃に頼んだ以上、こちらは私の担当だ。
「楽には打たせてあげないよ……っと!」
私はボールと東さんを視界に収めつつ、跳躍。
ネットから思いっきり両手を突き出して塞ぐのは、彼女の正面。
右を抜くなら抜けばいい――そちらには杏子がいる。
左を抜くなら抜けばいい――そちらにはいちい君がいる。
あるいは真っ直ぐ来るのであれば――、
「ぶっかませぇー! あーり!」
「っらああああー!!」
意地でも、止めてやろうじゃないの……ッ!!
「ッ――!」
ぱあん……!
両手に伝わる衝撃。
一拍置いて、全ての運動エネルギーを失ったボールが、ぽとり、と落ちる。
ネットの向こうの彼女と目が合った。
泣きぼくろがチャーミングな顔が、苦しげに歪む。
そこから、彼女は大きく息を吸い込むと――、
「っしゃああああ!」
と、大声で喜びを露わにした。
「――ああ……そっ、かあ……」
足元に視線をやる。ボールはすぐに見つかった。それは私たちのコートに落ちている。
痺れる腕には、蜂に刺された赤い跡。
……やられたなあ……。
というのが率直な感想。口には出さないけどね。しかし、こうなると恐いのが、
「……斎藤さん」
聞くだけで耳が削げそうな、ざらついた声。ああ、これはいよいよ年貢の納め時かねえ――。
「すみません、仕留め損ねました」
ゆっくりと、振り返る。そこには、眉間に深い谷を刻んでいるいちい君。
なんでだか、可笑しくて噴き出してしまいそうになる。が、もちろんそんな命知らずなことはしない。私は適度に神妙な顔を作って肩を竦める。
「いやあ、私こそ面目ない。まんまと抜かれたよ」
「はい、目の前で見てました」
当然のように、慰めや励ましはない。何をどう言ったところで結果は変わらないからだ。でも、だからこそ――。
「……次、切り替えていきましょう」
たとえ千載一遇のチャンスを逃した直後だろうと、それがどうしたと言わんばかりに、いちい君は前を向く。
「あの人が上がる前に、決着をつけてやります」
あくまで傲然と、胸を張って、敵を見据える。
「うん、そうだねえ……」
いちい君からは見えない角度で、私はこっそりと笑みを浮かべた。そしてぴしゃりと頬を叩き、思考を切り替える。
スコアは、24―24。
あちらは佐間田さんが下がり、獅子塚さんが上がる。音成では最も攻撃力の弱まる裏マリア様ローテ。対するこちらは、一つ回せば玲子が上がる。強気で攻めていこうじゃないの。
「いちい君」
「なんですか?」
「勝つぞ」
自分に喝を入れるために、お腹に力を込めて言う。いちい君は蜂の巣を睨みつけながら、
「――はい」
静かに、頷きを返した。




