C-20(玲子) 陽炎
「あいつ……っ!」
やりやがった、とわたしは拳を握った。全身が震えて、口元には笑みが浮かぶ。そして、
「ナイスキー、いちい君ッ!」
気づくと、自分が決めたみたいに大声を上げていた。いちい君は憎たらしいほど表情を変えずに、呼吸を整えながら軽く頭を下げる。と、そんなわたしたちのやり取りをにまにまと眺めていた明晞が、よおしっ、と手を叩いた。
「そんじゃあみんな、もう一本――ここまで来たら取っとこうかねえっ!」
「「おうっ!」」
もう一本――それが何かの合言葉であるかのように、わたしたちは頷き合う。
現在のスコアは、22―23。
ここからセットポイントに持ち込めば、たとえ直後にサイドアウトを取られたとしても、23―24。音成はマリチカが後衛に下がり、対するこちらはいちい君がまだ前衛。レセプションさえ上がれば、あいつはきっと決めてくれる――それが石館商業のエース、藤本いちい君ってもんだ。
ぴしゃりと頬を叩いて、わたしは気合を入れ直す。
あと一押し……ここが踏ん張りどころ。
いちい君が決めるか、あるいは瑠璃がもっぺんミラクル起こすまで、何がなんでもボールを繋ぐ――!
「郁恵、思いっきりやっちゃいなあー!」
「了解ですっ!」
明晞の声援が潤滑油にでもなったのか、郁恵はいつもより滑らかにサーブを放った。スピードのあるボールは白帯すれすれを通り、FCの佐間田を強襲する。
「芽衣、予定変更で!」
「仕方ない――わねっ」
ばむっ、
と佐間田は一歩下がって、アンダーハンドで確実にレシーブを返す。どうやら元々決めていたコンビがキャンセルになったらしい。ややセンターに寄っていたマリチカが苦笑いでライトに開き始めたところから見るに、佐間田とマリチカで時間差でもやるつもりだったのか――とにかく、あちらの思惑を一つ、潰した。
「カッモーン、愛梨!」
「はいっ!」
FLからセンターに切り込むのは、リベロを除けば唯一の二年生レギュラー・東愛梨。対する瑠璃は、仕留めてやる、とばかりに舌なめずり。ライトに残るマリチカとレフトに回る佐間田も気になるが、それを逆手に取って速攻ってのはいかにもありそうだ。身長で言えば、東は相原より高く、マリチカに次ぐ二番手。油断はできない。そして案の定――、
「決めちゃって、愛梨!」
「任せてください!」
とんっ、
と気持ちのいいリズムでAクイックが上がる。その軌道は少しレフトへ流れているように見える――となると、こっちに来るか……!?
「と見せかけてクロスだあ――!」
確信に満ちた声で瑠璃がそう叫び、左側を押さえる。瞬間、東はごく自然な動きでこっちに打ち込んだ。
「ばっ……!?」
まんまと抜かれてんじゃねえか!?
と、心の底から叫びたいが、今はそれどころじゃない。
東が打ったコースは中央寄り、わたしの左手、しかし手を伸ばすだけでは届かない。
ここでわたしが拾えなければ、あちらの思惑通りの一撃決殺。
「こん、のっ……!」
あと一手で四強に王手を掛けられるんだ。
いちい君が前衛でいられる最後のローテを、そんな簡単に諦めて――
「――たまるかよッ!!」
だんっ、
と一歩、
わたしは大きく足を踏み出し、ボールへ向かって身を投げ出す。
――ばむっ!
握りしめた拳に強い衝撃。
だが、ボールは……? ボールはどうなった……!?
「ナイスだ、玲子っ!」
日常ではまず聞けない、千里の気迫溢れる声。
顔を上げれば、ボールは、ぎりぎり繋がっていた。
「にゃっはー! 計画通りですねっ、玲子さん!」
「なっ……!?」
「……………………おう」
一点の曇りもない笑顔で、わたしに振り返る瑠璃。
あたかも、瑠璃がクロスを押さえたのは、わざとターンに打たせてわたしに拾わせる作戦だったかのように。
その満面の笑みの圧力に押し切られてなんとなく頷いてしまったが……。
あいつ、市川静にアピールするためなら本当に手段を選ばねえな。
ネットの向こうで「ハメられた!?」みたいな顔で悔しがってる東になんか申し訳ねえわ……。
「つーか、瑠璃! そんなことより攻撃だろ!」
「そこらへんは抜かりなくっ!」
言うだけあって、瑠璃はちゃっかりアタックラインまで下がっていた。
ぎらり、と目を光らせて速攻へ切り込んでいく。
わたしの拾ったボールはセンター線上、ネットの白帯近くへと落下していた。
セッターにとっては、決してトスしやすいとは言えないボール。ネットに触れないよう、身体は自軍側に残しながら、ボールを扱う両腕だけを相手側に伸ばさなければならないのだ。自然、セットアップはネットを背にして仰け反るような形になる。
その場合、手元に近いAクイックに上げるのが確実な道ではあるが――、
「持ってこい、柳ッ!!」
怒鳴るような呼び声が、レフトから発せられる。
いちい君から、トスの御所望。
それは喩えるなら、暴君による勅命だ。
下されたが最後、どんなに無理な体勢だろうと、ボールコントロールが難しかろうと。
その願いに応えることが、うちの柳千里の存在意義。
「っ……いちい君!」
ぱしゅっ、
と反則上等くらいの強引さでレフトへ送られるボール。
ヒゲを引っ張られた猫みたいなひどい変顔でそれを見送る瑠璃。
普通ならセオリー外の采配――だが、あいにくと、うちはレフトエース偏重がコンセプト。
無論、それは音成も心得ているわけで。
「そーこなくっちゃねぃ、モッチー!」
「今度は抜かさねーよ、もっさん!」
待ってましたとばかりにいちい君を迎え撃つのは、レフトブロッカーのマリチカと、BLの浦賀さやか。
「口を――ッ」
対するいちい君は憤怒の表情で跳び上がり、身体を弓なりに反らす。
密室に充満した可燃性ガスに火を点けるような、今にも大爆発が起こるのではないかと錯覚するほどの、威圧感。
全力で跳躍するいちい君はこの場の誰よりも高い。
引き絞られた右腕も相応の破壊力を宿している。
解放すれば灰も残るまい――と、わたしは思う。
実際、いちい君はそれだけの熱量を有している。
鉄人・相原つばめでさえ、全開のあいつは止められなかった。
そして、だからこそ、
「閉じろッ!!」
その陽炎は、誰にも捉えられない。
「っ……!?」
――ふっ、
とボールが置かれた瞬間、コートの時が止まる。
落下点は、ブロックの裏、距離的にはBRが最も近い、空白地帯。
「マジできちーな……っ!!」
時が止まった世界で、ただ一人動き出したのは、浦賀。
だが、本人がぼやいたように、ボールまでの距離があまりに遠い。
そこは本来ならBRの獅子塚の守るべき場所で、いくら浦賀とはいえカバー範囲を超えている。
かと言って獅子塚にどうにかしろというのも酷な話だ。いちい君が狙ったのは山勘で飛び出してもぎりぎり届くかどうかの欠点。そしてそのマグレも、初手の強打で牽制している。一度いちい君の強打を目の当たりにした人間があの威圧を跳ね除けて前に出られるわけがない。
――どうだ、見たか、四強……!
わたしの心が奮い立つ。
変幻自在で、用意周到――これが石館商業のエースだッ!
「落ちろおおおおお――っ!!」
わたしがそう叫び、浦賀がボールの下へと手を伸ばした、
次の、瞬間、
「サマメィ!!」
「瑠璃っ!!」
マリチカといちい君が同時に叫ぶ。そして、
――ばむっ、
と、ボールが、生きる。
「っ、嘘だろ――上がるわけが……!?」
心の声がそのまま出た。
いちい君のフェイントは完璧だったはずだ。いくら浦賀の勘と瞬発力が優れていようと――そう思って見てみると、なぜか拾った本人も目を丸くしている。
どういうことだ……?
疑問を抱いたのはわたしだけじゃなかった。明晞や千里、獅子塚や東も驚きに固まっている。
そんな場で、『次』の攻防へと動き出していたのは、四人。
いちい君、瑠璃、マリチカ、そして、
「――私を呼んだからには」
ブロック着地後、瞬時にアタックラインまで下がり、こちらのコートを見据える〝雹嵐〟――佐間田芽衣。
「いただけるのよね、マリチカ?」
「おーよ、釣りは要らねーぜッ!!」
低空に漂うボールを、マリチカがアンダーハンドでセンターへ繋ぐ。
ライトの佐間田はその二段トスに合わせ、半端な位置で棒立ちする東と床を這う浦賀の間をまっすぐ突っ切る。
びゅうっ!
と、凍てつく風が吹き抜け、わたしはようやく忘我の境を脱した。
マリチカと佐間田による当意即妙の反撃。
迎えるは、いちい君と瑠璃のデコボココンビ。
「どんな汚い手を使ってもいい――止めろっ!」
「貴様に言われるまでもないわ!」
仲が良いんだか悪いんだかわからない二人は、迫りくる共通の敵を前にして、特に息を合わせることもせず隙間のない壁を築く。
いちい君は言わずもがな、ジャンプ力に優れる瑠璃もかなりの高さだ。
二人が左側と正面を塞いでいる現状、スピードとセンスで決めるタイプの佐間田は、正面衝突を避けて抜きにかかるだろう。
だとすれば狙われるのは、こちら側。
わたしは空いたコースに待ち構える。
やるべきことは、はっきり、ただ一つ。
「来いやああ――っ!!」
雄叫びを上げ、心身を奮い立たせる。
同時に、佐間田が踏み切る。
その右腕がボールを捉える、瞬間、わたしは半歩前へ詰めた。
ぱあんっ!
硬い結晶が砕けるような、高い打音。
鋭いスイングから放たれたスパイクは、ちょうどわたしの正面――!
「……っ!?」
だが、それは、幻覚。
佐間田の殺気と切れ味が見せた、『本来の』軌道。
「んにゃっ……!?」
どうやら瑠璃の腕に当たったらしい。実際の軌道は微妙に外側にズレていた。
「まっ……だだ……ッ!」
それでも、目では追えている。反応はできている。身体だってまだ動く。
わたしは体勢が崩れるのも構わず、倒れこむようにボールに手を伸ばす。
拾えるならなんだっていい。
触れるならどこだっていい。
このレシーブさえどうにかなれば、きっと千里がカバーしてくれる。
そして千里ならば、どんなにひどいレシーブだろうと、必ずいちい君へのトスに変えてくれる。
だから、届けよ、頼むから……っ!
――ひゅ、
と、氷礫がわたしの指先を抜けていく。無慈悲な冷気だけを残して。
「っ……!?」
――たんっ、
と、聞きたくなかった、ボールの落ちる音。
「ぐっ……!」
やや遅れて、ボールを導く運命がわたしの身体も引き倒す。
どかっ、と尻から落ちて、衝撃が背中を通って頭へ抜けていく。
――届かな、かった……。
次へ、繋げられなかった……。
わなわな、と手が震える。
尻餅による一時的な痺れと鈍い痛み、そして湧き上がる悔しさで。
「楽には越えさせねーぜ、四強の壁はよ」
「……みたいですが、だから、何だと?」
ネット際では、そんな、エース同士の意地の張り合いと、
「これで貸し借りなしよね、子猫さん?」
「っ……思ってたより百倍ヤなやつですね!?」
どこか似た者同士の、戯れ。
四強の稼ぎ頭二人を前にしても、意地を見せる後輩二人。
そんなあいつらのやり取りが聞こえてくるから、なおさら不甲斐なさが募る。
「――っくしょお……!」
声を押し殺して、苛立ちまぎれにコートを叩く。
するとそこへ、ぬうっ、と差し出される手。
……ダサいとこ見せちまったな……まあ、今更体面を取り繕うような間柄じゃねえからいいけど――。
「悪い、明晞、すぐ切り替えっから――」
瞬間、意外なほど強い力で、ぐんっ、と身体を引き上げられる。驚いて顔を上げると、そこには、私を『見下ろす』一対の瞳。
「うげえっ!? い、いちい君!?」
「……なんですか、その反応」
「なっ、なんだ、急にどうした!?」
「いえ、怪我とかしてないかな、と思って」
「心配してくれたのか!?」
そんなのおまえのキャラと違うだろ!?
「いえ、心配はしてませんが」
と、思ったが、いちい君はいちい君だった。
「まだ試合、終わってないので……いま先輩に抜けられると困るんですよ」
ぼそっ、と低い声で言いながら、穴が開くほど睨みつけてくる。
いや、心配してくれないのは別に構わねえけどな!? だからって脅していいわけじゃねえから!! セリフだけなら殊勝っぽいのに言い方と目つきで台無しだよ!!
「……っとに、おまえは――」
いちい君をよく見れば、かなりの量の汗がユニフォームに染み込んでいた。握った手も熱い。今朝セットしたんだろう髪も乱れ、金色の前髪が額に張りついている。
いちい君は湯気のように熱い溜息を吐きながら、ピアスを空けた耳にかかった髪を煩わしそうに払う。
さすがに疲れているのだろう、表情もかなり不機嫌そう――いや、違うな、こいつは普段からこのくらいの不機嫌面だ――ともあれ、そんな不機嫌そうないちい君を見ていると、反作用でも働くのか、わたしはなんだか可笑しくなってくるのだった。
「面目ねえ……けど、次は落とさない。必ずおまえに繋いでやるよ」
少しでも先輩の威厳を取り戻そうと、余裕あるっぽく笑ってみせる。
いちい君は、そうしていただけると、と可愛げなく頷いて、言った。
「次、レセプション、よろしくお願いします」
「おう、よろしくお願いされてやる」
「そしたら、あと2点、僕が決めるので」
「ああ……頼むぜ、いちい君!」
ばしんっ、と殴り合うように手を合わせて(痛え……)、わたしはコートポジションに立つ。
いちい君の手前、口では強気なことを言ったが、ぶっちゃけ胸の中では今も不甲斐なさやら悔しさやらがごちゃごちゃと渦巻いている。
それでも……腐ったり諦めたりするには、まだ早過ぎるよな。
スコア、23―23。
ここで音成はマリチカが後衛に下がり、対するこちらは、いちい君が前衛のまま。
同点にされたが、依然、うちが優位であることに変わりはない。
首に掛けた手は離さねえ――覚悟しとけよ、四強……!!
『A-20』も更新されています。↓
https://book1.adouzi.eu.org/n5390ct/344/




