C-13(杏子) 決めてくれるヤツ
藤本いちいと初めて対面したのは、私が小五の秋、石館の市民体育館での練習試合でだった。
当時のあいつは小学四年生。成長期の真っ只中って感じで、背ばかりがひょろりと高く、手足は針金のように細かった。髪の色は黒く、長い前髪が目元を隠していて、どことなく陰気な印象――というか、ほとんど印象に残らないヤツだった。
なにせ、声は小さいし、プレーにまるで覇気がない。試合にはフロントライトで数回出ただけで、トスが来ても大半はかったるそうにフェイントするばかり(ただ、むかつくことに、これがぎりぎりで拾えなかったんだが……)。
バックレフトの私にしてみれば、玲子や幸村美佳、あるいは同じくその場に参加していた『きたかぜ』の明晞や室井冴利なんかのほうが、よっぽど手応えのある相手だった。
しかし、そんな、ともすれば記憶にも残らなかっただろう藤本との初邂逅を、私が今でもはっきり覚えているのには、理由がある。
『彼女は、四年生ですよね。お名前はなんと言うんですか?』
昼休憩中のこと。各自が思い思いに寛ぐ体育館の一角から、あいつの声が聞こえた。盗み聞きするつもりはなかったが、一度意識が向くと、それは自然と耳に入ってきた。
『藤本、いちいさん。……いえ、ただ、初めて見る方でしたので。……そうなのですか? ……ええ、それは見ていてもなんとなくわかります――』
やがて話題は下級生全般のことに移って、その時には私も聞き耳を立てるのをやめていたので、詳しい内容までは覚えていない。
ただ、あいつが『たいよう』のキャプテンである幸村に話し掛けた、その意味については、私の頭にしっかりと残った。
あいつが――三園ひよりが、藤本いちいに興味を持った。
ひよりはフロントレフトで、藤本はフロントライト。試合中、二人はネットを挟んで向かい合っていた。一つ下の有望株が上級生に混じってアタッカーを務めたとあれば、名前くらい聞きたくなっても不思議ではない――ただ、その主体があいつってことになれば話は変わってくる。
あいつが只者じゃないことは既に薄々気付いていた。そんなあいつが、わざわざ下級生のことを、しかも大して目立つわけでもないヤツのことを、知りたがった。
『……藤本、いちい、ねぇ……』
そんなつもりは全くなかったのに、私もまた、藤本の名を覚えて帰ることになった。
――――――
それから時は流れて、半年後。私が小六の初夏。私たち『たまのを』と『たいよう』は地区大会で対戦した。結果は私たちの勝ちだったが、藤本いちいは第二セットに姿を現し、その力の片鱗を覘かせた。
そして、試合が終わり、コートから散会した後のこと。
『藤本さん』
『……何か?』
手洗いに向かう途中、藤本を呼び止めるひよりの声が私の耳に飛び込んできた。目を向けると、二人は自販機コーナーの前にいた。藤本は缶を持っていて、プルタブに指を掛けている。ひよりは手ぶらで、肩にジャージを羽織っている。どうにも声を掛けにくい雰囲気。というか何してんだよ――と思った、次の瞬間だった。
『あなたは強いですね』
真っ直ぐに藤本を見上げて、ひよりは静かに口にした。
端的に、普遍的な事実を述べるように。
藤本は訝しむように目を細め、不機嫌さと気怠さの入り交じった声で言い返した。
『そうですね』
ぷしゅっ――と、返答と同時に缶の封が切られた。傲岸。尊大。そんな言葉が頭に浮かぶ。ひよりも面食らったのか、ぱちぱち、と二回ほど瞬きをしてから、『では、またどこかで』とその場を去った。藤本は缶に口をつけながら、蜃気楼でも眺めるようにじっとひよりの後ろ姿を目で追い、ほどなく踵を返し、私のいるほうへとやってくる。私は覗き見の後ろめたさから一瞬身構えたが、大股で廊下を闊歩する藤本は私に目もくれなかった。
『……可愛くねぇ……』
遠ざかる背中を睨みながら、私は思わずそう呟いた。
なお、この第一印象は、その時から現在に至るまで、一切変わっていない。
――――――
小六のあの時、ひよりが何を考えて藤本に声をかけたのかはわからない。
もちろん、藤本がひよりの言葉に何を感じたのかも知らない。
ただ、そんなことがあったので、私の中で藤本は『ひよりが気にかけている下級生』として脳内にインプットされることになった。中学で再会したときには、その身長の伸びっぷりに驚かされた。地区大会では毎回決勝リーグで当たった。てこずったのは言うまでもない。
しかし、私には一つ、腑に落ちないことがあった。
小学生のときも、中学生のときも、ずっと不思議だった。
というのも、ぶっちゃけたことを言えば――。
藤本ってヤツは、ひよりが気にかけるほどの選手とは、私にはどうしても思えなかったのだ。
――――――
そうして高校生になり、私は藤本と再々会した。
今度は仲間として、より近くで藤本と接した。
すると、まもなく、私は気づいた。
藤本は変わっていた。
何があったのか知らないが、別人のようになっていた。
針金みたいにひょろかった身体は、鉄筋のように強靭に鍛えられ。
倦怠に濁っていた瞳には、ブラックライトのような不気味な光が宿り。
図体のわりに希薄だった存在感も、羊の群れに紛れた殺人鬼の如くはっきり感じられる。
そのせいで可愛げのなさは悪化していたが――そんなもんこいつに求めるべくもない。
『石館三中出身、藤本いちいです』
その名を覚えてから六年目、ようやく本人の口から名乗りがあった。
最終戦績は玉緒中と同等の北地区一位・県八強。前年度県選抜のレフトを務め、戦果は全国ベスト4。左の天久保純と双璧をなす学年最強の右――と、物々しい肩書きを引っさげて。
えらい後輩が入部ってきたな、と口元が歪んだ。
それから、さらに一年。
中学までのイメージを微妙に引き摺っていたのと、小学時代からの馴染みである玲子たちのあまりの寛容さ、あとなんとなくそれを認めるのがひよりの強さを再確認するみたいでシャクだったってのもあり、距離を計り兼ねたまま一緒にやってきたが……。
「佐々木、詰めろ!」
声を張り上げ、トスを追って大股にサイドステップする藤本。その先にいるのはレフトの鞠川千嘉だ。藤本は獲物の喉元に噛みつく肉食獣のように全身を躍らせ、両腕を突き出してマリチカの打角を塞ぎにかかる。だが、
「来やがったな……っ!」
踏み込む県内最強はその瞳を輝かせる。180近い藤本が迫ってくるのは相当なプレッシャーのはずだが、怯むどころか動きのキレが増してないか……? どうとでも決めてやる――そんな気迫が、最後方の私まで届く。
どうする?
私は頭をフル回転させる。
あの女のやりたい放題を止めないことには、勝機はない。
どうしたらいい。考えたが、これだという答えが出ない。
だったら――直前の明晞のプレーと、玲子の苦笑が脳裏を過る――いっそ賭けてみるか……!
だばんっ!
ネット上で激しくボールが弾ける。マリチカの打ったボールは藤本の手を吹き飛ばし、インナーに詰めていた明晞の頭上を越えて、大きくコートの外へ。
「っ、斎藤!」
藤本が素早く振り返り、叫ぶ。そして叫ばれた明晞は、
「ちょおっ、届かな――」
と情けない声を出しながら、ワンタッチボールを仰ぎ見、そして、
「――いんだけど、頼めるかね杏子さんや……っ!」
と、後ろに先回りしていた私へ、笑みを向ける。
「言われなくてもなっ!」
落下点に入った私は、してやったり顔で声を張った。藤本が意外そうに目を見開く。失敬なヤツ。まあ実際追いつけたのは単なる一点張りなんだが、私はあくまで狙い通りだという体で通す。
「ボサッとしてんな、チャンス行くぞ!」
「――っ、柳!」
攻守の切り替わりに、いち早く反応したのは、やはり藤本。ブロックのためにライトへ回っていたところから、またレフトへとって返す。大忙しだ。私は高めのボールを千里に戻し、声を上げた。
「決めろおおお、藤本!」
「ちっ――!」
あいつ舌打ちで返事しやがった!?
と、思ったが、すぐに誤解だと気づいた。見れば藤本の前には三枚の壁。対する藤本は空中で上体をストレートへ捻り、そのまま真っ直ぐ降り下ろした――、
「っ、にゃろ!?」
――はずなのだが、打球はマリチカの腕をかわして真逆へ抜けた。恐らくボールを叩く手の部位をズラして方向を調整したのだろう。威力はないが、狙いは完璧。後ろから柴田が滑り込むも、ボールは、ぼむん、と気の抜けた音を立てて跳ねた。
「はっ――まんまとやられたぜぃ。激しくキレまくってんなー、モッチー!」
「……別にキレてませんが」
失点を呵々と笑い飛ばすマリチカに、眉をぴくつかせる藤本。いやお前それ確実にキレてるやつだろ! と私はハラハラしながら様子を見守る。
「しっかし、こいつぁーさすがに茶化せる状況じゃねーか」
「まったくだわ」
「本当にそうね……」
苦笑いのマリチカに、相原つばめと獅子塚美波が険しい表情で頷く。
スコア、18―19。
この終盤、一点を先行したのは大きい。二十点台にもリーチを掛けた。いかに歴戦の音成女子だろうと、この状況は少なからず重圧になるはず。畳み掛けるには絶好のタイミングだが――、
「……ちっ」
藤本の軽い舌打ち。その視線は音成ベンチに注がれていた。若い女監督が立ち上がっている。ややあって、ぴぃぃ、と笛の音。音成女子の一回目のタイムアウトだ。
さすがに見過ごせないってわけか……いよいよギリギリの勝負になってくるな――なんて、あちらの様子を伺ってると、急に視界が塞がれた。
「日下部さん」
おいなんだ藤本お前いきなり目の前に立つなただでさえ威圧感あんだから。
「カバー、ありがとうございます」
「………………」
ちら、と目だけで上を見る。軽く瞼を伏せている藤本。鈍い金色の前髪が顔の半分にかかっているが、20センチほど低い私の視点からだと端正な顔がよく見える。てか睫毛長え……近くでまじまじ見ると腹立つほど美形だなこいつ……。
「…………おう」
藤本の目礼をなおざりに受け取り、私はぼそりと呟く。
「そりゃあ……拾えば決めてくれんだもんな」
藤本は目を伏せたままで、私の独り言に応じた。
「そうですね」
傲岸に、尊大に、肯定。
いつか聞いたような台詞だが、あの時とは少し違って響く。
「……見えてきたな、打倒四強」
にやりと笑みを浮かべて私がそう言うと、顔を上げた藤本は相手方を睨みつけながら、口をヘの字にひん曲げて返した。
「僕は最初からそのつもりですが」
本っ当にこいつは可愛くねえ……!
頬が引き攣るのを堪え、私は藤本の背中を軽く叩いた。不意の衝撃に藤本は苛立ったような表情で見下ろしてくるが、私はそっぽを向いて知らんぷりを決め込む。
そうしてタイム中、私は集中を切らさないよう、監督から指示を受ける以外、余計なお喋りをせず黙ったままでいた。
なぜなら、一番の大事は、既に確認を終えている。
『拾えば決めてくれんだもんな』
『そうですね』
私が拾えば、決めてくれるヤツがいる。
それだけハッキリしていれば、私のやることは一つだけ。
体育館の反対側から、大勢の歓声と、小気味いい鳴り物の音が聞こえてくる。
どうやら順調に点を重ねてるらしいAコートのほうを意識しつつ、私は手にしたドリンクを呷った。
『A-13』も更新されています。↓
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