C-8(玲子) 冷めた自己中
藤本いちい――いちい君。
他人を寄せ付けず、滅多に馴れ合うこともない、第一級取扱注意人物。
この石館商業において、そんないちい君と最も付き合いが長いのがわたし――尾崎玲子だ。
初めて出会ったのは、わたしが小学五年生のとき。わたしや千里が所属していた『たいよう』というバレークラブに、小学四年生になりたてのいちい君(9歳)がやってきた。
「……藤本いちいです。よろしくお願いします」
可愛げはなかった。まったくなかった。
どういうわけかいつも不機嫌そうで、愛想はゼロ。それでいて悔しいことに運動神経は抜群。体力も体格もわたしたち高学年顔負け。練習態度も基本的に真面目。上達も早い。
まあ、それだけなら強い後輩が入ってきたと喜ぶべきなんだろうが……困ったことに、いちい君には看過できない問題点があった。
他人への関心が薄い。
バレーボール、というスポーツそのものはどうやら気に入ったらしい。向上心もある。だから練習では特に問題は起こらなかった。むしろ年相応にやんちゃな小椋燿なんかのほうがよっぽど手のかかるやつだった。
わたしたちがいちい君の厄介さを理解したのは、本番になってからだ。
合理的で冷めた自己中、とでも言えばいいのだろうか。
試合をするからには、勝つことを目標にプレーする。ただし、自身に与えられた役割以上のことはしない。ボールが来たら拾い、トスが来たら決める。誰かが困っていても手助けはしない。必要でなければ全力を出すこともない。
そして根深いことに、この問題はバレーボールに限った話ではなかった。
いちい君とわたしは小学校が同じだったので、クラブ以外でもあいつを見る機会があった。それは運動会のクラス対抗リレーのことだ。二位でバトンを渡されたいちい君は、その足の長さを活かしてあっという間に一位に躍り出た。そうして後続との差をほどほどに広げたいちい君は、次の走者にバトンを渡す手前で、なんと速度を落としたのだ。その後、いちい君のクラスはいちい君が広げた差のおかげでトップを守り続けた――のだが、終盤にバトンを渡し損ねるというアクシデントに見舞われ、結果的には最下位に落ちてしまった。
で、そのときのいちい君はというと、クラス中がバトンの取り零しで大騒ぎする中、さっさと帰りたいとばかりに校舎の時計を見つめていた。
グランドの外からそれを目撃したわたしは、思わず天を仰いだ。
いちい君は、不誠実でも、不真面目でもない。やるべきことはやるし、自分自身に対してはむしろストイック過ぎるくらいだろう。
だが、その反動なのか、あいつは他人に対してまるで興味がない。
同じコートにいる仲間にも、ネットの向こうの敵にも、等しく関心がないのだ。
そんなんだから、当然、団体競技の勝ち負けに執着があるはずもなく。
勝って周りが喜ぼうが、負けて泣こうが、いちい君は眉一つ動かさなかった。あいつの関心はあくまで自分が目標を達成したかどうかにあり、そして大抵の場合、いちい君は求められた仕事をやってのける。しかも端から見てわかるほどに余力を残して。
そんないちい君を、わたしたちは持て余した。特にわたしたちの学年は、いちい君をどうするかによってレギュラーやポジションに影響が出るので、揉めに揉めた。さらには、当時『控え』のセッターだった千里を「僕を出すなら、セッターは柳さんにしてください」といちい君が所望したこともあって、話はよりややこしいものになった。
それに比べれば、中学のときはまだ混乱が少なかったと言える。学区の関係で千里が別の中学に行ってしまってセッター争いは回避されたし、ポジション争いのほうも、クラブ時代のキャプテンで主力の一人だった幸村美佳が同じく学区の関係でいなくなってしまったため、サイドアタッカーの枠が緩くなっていた。
加えて――誰もが覚悟していたことだが――中学生になったいちい君の力は、異論を挟む余地がないほどに、わたしたちを凌駕していた。
まあ……いちい君が部を辞めるとか言い出したときには、さすがに焦ったけどな。
あれから三年以上の年月が経った。
高校生になり、わたしは三度、いちい君と同じチームになった。
あのとき、『バレーボールは中学でやめる』と語っていた、いちい君と。
「――わかりました。こっちは僕が拾います」
「おう、よろしく頼む」
「すまないねえ、助かるよ」
音成女子の曲者セッター――獅子塚美波のジャンプフローターに苦戦するわたしをフォローする形で、リベロの日下部杏子が守備陣形を調整する。それにすんなり従ういちい君だが、たぶん、杏子が言わなければ、いちい君も同じ指示を出していたんじゃないかと思う。
変われば変わるもんだな……と、昔のいちい君を思い浮かべながら、ふと、わたしは向こう正面の観客席へ目をやった。
いちい君を巡って一番ゴタゴタしていた小六の初めにふらっと現れた油町由紀恵……は置いといて、その隣でカメラ片手にこちらを見つめる、一際デカいやつ――。
「玲子、正面……っ!」
「お、おう!」
一瞬気が逸れていたところへ、またしても獅子塚のサーブが飛んでくる。ふらっ、ふらっ、と揺らめきながら。ええい、鬱陶しいっ!
「だらあっ!」
ごふっ、と当たり損ねたのを気合で前に持っていく。フォーメーションを変えたおかげで、ボールがほとんど正面に来たのが幸いした。わたしのカットはどうにかこうにか千里の元へ届く。
「持ってこい、柳!」
「っ――いちい君!」
そこから先は、何度も見てきた流れ。
いちい君が千里を呼び、千里がいちい君に応える。そして、
ぱしっ!
と軽く叩くようにして、いちい君は相手ブロックの上からボールを鋭角に落としてみせた。
サーブカットとトスさえきっちり上がれば、四強相手でもこの通りだ。
おかげ様でどうにか危険地帯を脱出。
スコア、11―9。
「ナイスキー、いちい君」
「はい」
感謝を込めて声をかけると、いちい君は、これくらい当然だ、とばかりに無愛想な返事。さらに、
「それよりも、尾崎さん、サーブはなるべく強めにお願いします」
「……おう」
人にお願い事をしておきながら、視線は敵のエースに固定。ま、このあたりは安定の僕様っぷりが出るよな。しかし、その眈々と次の手を考えている横顔――試合に勝とうとしている姿を見ると、文句を言う気もなくなる。
「……むしろ感慨深いくらいだよな……」
サービスゾーンに向かいながら、わたしはそうひとりごちて、今一度そいつの姿を視界の端に捉えた。
落山中の一年――藤島透。
あいつがいなかったら、いちい君は間違いなく今ここにいなかった。中学時代、わたしたちの引退後にバレーを続けていたかどうかも怪しい。県選抜の話だって蹴っていたと思う。
いちい君は『別に』だの『なんでもない』だのと言うが、そんなわけがないのは明らかだ。
三年前の夏――わたしたちの最後の夏。
地区大会の決勝リーグで、わたしたち石館三中は落山中に敗れた。
最終成績は地区四位、続く県大会も一回戦敗退。
とても有終の美を飾ったとは言えない結果だが、得たものは大きかった。
それが証拠に、わたしたちの引退後、いちい君と愉快な仲間たちは地区一位に輝き、県大会では最高ベスト8まで上り詰めた。
いちい君はその技に磨きをかけ、学年最強の右の称号とジャンプサーブを会得。
ついには県選抜のレフトエースに抜擢され、天久保純と共に全国の舞台で大暴れ、その名を広く知らしめたという。
元々の素質だけで成し遂げられることではない。
あの落山中との試合をきっかけに、いちい君は変わったのだ。
どういうわけかいつも不機嫌そうで、愛想はゼロ、合理的なところは相変わらず、だが……。
仲間の窮地に帰りの時刻を気にするような、冷めた自己中では、もはやない。
長年付き合ってきた先輩からしてみれば、万歳三唱、喜ばしい限り――と、
そうすんなりとは収まってくれないのが、またこいつの愉快なところで。
――――――
――――
――
いちい君は変わった。
一皮も二皮も剥けて、強くなった。
そしてその分だけ、わたしといちい君の力の差は開いた。
元からプレーに関しちゃ手のかかるヤツじゃなかったが、最近は中身もそれなりに落ち着いてきたように見える。
そうなってみると、先輩としては、こう思わざるをえない。
わたしがこいつにしてやれることって、もはやなくね――?
「…………ちっ……」
隣に立つわたしにしか聞こえないくらいの、小さな舌打ち。さっきからさりげなく様子を伺っているのだが、その視線に気づいたわけではなさそうだ。いちい君は眉間にびっしりと皺を寄せて考え事に没頭している。その集中力はすばらしいと思う……が、しかし、どうしたもんかな、これは――。
というのも、目下、戦況は良くないほうへと傾きかけていた。
マリア様ローテを抜け出してから、前衛のいちい君は自ら決めたり囮で睨みを利かせたりと、遺憾なくその力を発揮してくれた。
しかし、そこは敵もさるもの――あの鞠川千嘉という怪物が、いちい君の活躍をことごとく相殺してきやがる。
互角にエース対決をしている、と言えば聞こえはいいが、チーム単位で見れば、こちらはいちい君が前衛で稼げていない。いちい君とマリチカで綱引きをしている限り、差は開いても縮まらないのだ。
そうしているうちにローテだけが回っていき、スコア、13―11。
マリチカに次いでいちい君も後衛に下がり、こちらにとっては大きな連続得点のチャンスであるいちい君のジャンプサーブとなって――その一本目は、相手を崩してブレイクに持ち込んだ。
スコア、13―12。押され気味な流れの中で、もう一本が欲しい場面。
だが、続くサーブは何かの歯車がうまく噛み合わなかったのか、大きく外してしまう。
スコア、14―12。
一周前のいちい君のサーブではうちがリードしていたことを思えば、この2点差ビハインドはかなり重いと言わざるをえない。
ゆえに今――わたしたちは、一回目のタイムアウトを取っていた。
「……あちらはここから二枚攻撃になりますから……これはつまり我々とは逆になりますから……その優位を生かすためにも一つ一つのプレーをしっかりと……」
仄原先生がわかりにくくも的を射てるっぽいことを言ってるのだが、どうにも頭に入ってこない。
理由の半分くらいは、サーブを外してからいちい君が「すみません」以外の何も言わずに黙り込んでいて、空気が死んでいるせいだろう。かと言って、不用意に刺激してヘソを曲げられたら取り返しがつかない。それでなくとも状況は切羽詰まってるのだ。
サーブを終えて、いちい君はここから後衛。パイプ攻撃は有効だろうが、それで点差を詰めても、鞠川千嘉が前衛に戻ってきたとき、いちい君不在の状態でどれだけ凌げるかわからない。下手を打ってそのまま二十点台に乗られてしまえば、いちい君が前衛に復帰する頃には手遅れ、という展開もありうる。
点数状況的にはよくやれてるし、まだやれるはず――なのに、勝ち筋が見えてこない。
それでも、何か手を打たねば、それこそ勝負にならないわけで。
ここが、この試合の運命を左右する、分水嶺。
「――というわけです、頑張ってください……」
うおっ、いつの間にか仄原先生の話が終わってた……!? ってことは、残り時間はほんの数秒。いちい君はなおも沈黙。いやいや、このまま何の方針も打ち出せずにコートへ戻るのはさすがにマズいだろ……っ!!
(そうだよねえ、マズいよねえ――というわけで、ここは一つ)
刹那、脳内に直接語りかけてくるかのような目配せを飛ばしてきたのは、キャプテンの斎藤明晞。
(はあ!? わたしにどうにかしろと!? この鉛のような雰囲気を!?)
(そこをねえ、なんとかお願いしますよお、玲子の旦那)
(なんとかって言われてもな……)
(とりまあ、いちい君の封印を解くだけでもいいからさあ)
(それが一番難しいから困ってんだろうが!)
(つべこべ言わずにどうにかしろ、危険物処理係)
(いや杏子もかよ!?)
ちらっ、ちらちらっ、と視線でごねてみるも、結論は変わらない。
実際、いちい君のことで始末をつけるとなれば、わたしに白羽の矢がぶっ刺さるのは道理だしな。
つまるところ、いちい君のことで今のわたしにできるのは、こんくらいなのだ。
いや、でもまあ、あいつにしてやれることがまだあったってのは素直に嬉しいような――って待てよ、冷静に考えると別にそうでもなくねえか、これ……?
とまれ、そうと決まれば、腹をくくるか。
わたしは静かに息を吸い込む。
そして、いちい君にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。
「――構うことはねえ。好きにやっちまえ」
ぼそっ、と突き放すように。
あるいは、どこか投げやりに。
いちい君の背中を押すなら、これくらいの距離感でちょうどいい。
「………………ん」
いま蠅が飛んでたか? くらいのごくごく小さな返事。
いちい君は眉間に込めていた力を緩め、ふっ、と長い睫毛を伏せ、目を細める。
その口元に微かに笑みが浮かんだ気がしたが、まあ、錯覚だろう。
「そうですね――」
底冷えするような低音で呟いて、いちい君はパキパキと右手の骨を鳴らす。
……そうそう、そうこなくっちゃな。
苦笑を浮かべながら、ばしんっ、とわたしはいちい君の肩を強めに叩いた。
「――――――尾崎さん?」
そのあと滅茶苦茶睨まれたのは、言うまでもない。
『A-8』も(昨日)更新されています。↓
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