A-18(叶実) 純真なる天《Innocent Heaven》
あと一押しだったのに――そう思いながら、私は速攻にトスを上げる。
豊見もなみはそれをきっちり決め、スコアは、18―15。
「ドンマイ! 次一本、切り替えていこうっ!」
「「はいっ!!」」
「気合入れていけよ、お前らああああ!!」
「「うおおおおおお!!」」
先程の連続得点で崩れるかに見えた南五和だが、寸前のところで踏み止まった。要所で恐いハマり方をするチームだけに、今の点差では心許ない。二十点台に乗る前に、もう一、二点は突き放しておきたいところだけれど――。
「そっこだぁー!」
ふわっ、と完全に勢いの殺されたフェイントが純の指先をすり抜ける。私はフライングして手を伸ばすが、あと半歩分くらい届かない。
「わわっ、大丈夫ですか、カナミン先輩!」
「大丈夫……それにしても、本当に器用な子ね、あなたのお友達」
「珠衣は珠衣ですからねー」
純に手を引かれて立ち上がりながら、姉と同じく整った横顔を、私は眺める。
佐間田珠衣――攻撃の音成女子において、鞠川千嘉に次ぐ点取り屋、佐間田芽衣の妹。
前のローテでは、ほぼ単独で南五和の乗る『大波』を生み出した〝暴風〟――彼女がもう一度荒らしにくるようなことがあれば、勝負の行方はわからなくなるだろう。
スコアは、18―16。
タイムアウトからの立て直しに成功した南五和は、今日一番の一体感を見せている。そしてじっと反撃のチャンスを――追い風が吹くのを、待っている。ラリーでの揺さぶりも、県選抜経験者である佐間田さん、それに常に冷静沈着な逢坂さんが前衛に戻ってきた今、あまり効果は期待できそうにない。
ここは素直に、打ちたくてうずうずしている純に任せてみようか。
一抹の不安はある。けれど、これは、いずれにせよ勝てる賭けだ――と私は思う。
「カナミン先輩っ!」
一凪のところへサーブが行ったのを見て、純がトスを呼ぶ。やがて、いい位置に返ってくるカット。私はぎりぎりまで決断を待って……結局、『彼女』に賭けた。
「任せたわ、純!」
「やったね!」
ひゅっ、とボールを手放す。
賽は投げられた。
純は踏み込み、跳躍する。
翼が生えているかのように高々と。
小学生の頃から変わらない天然無垢の輝き――〝純真なる天〟。
純という存在は、ただプレーをしているだけで周囲に大きな影響を及ぼす。
言うならば、天使が人々に祝福を与えるように。
そこに敵味方の区別はない。
ゆえに、時として純は、こちらの思惑とは全く『逆』の結果を引き起こすこともあって――。
ずだんっ!!
と、溜め込んでいた力が解放された、直後、
「いっ……!?」
「ふわっ――!!」
打ち込まれたストレート側で、ほぼ同時に二つの悲鳴が上がった。一つはスパイクに手が弾かれた赤井さんのもの。もう一つはスパイクを正面で受け止めた江木さんのもの。
つぅ――、と嫌な予感が冷や汗となって頬を伝う。
「さささ、小夜子ーっ!?」
「どこ見てんだ月美!! ボールボール!!」
「えっ?」
ぱっ、と逢坂さんの目が上を向く。ボールは宙を漂っていた。純のスパイクが拾われたのだ。
「あはっ! これはやっちゃったっぽいですね、カナミン先輩!」
「っぽい、じゃなくて完全にやっちゃったわよ……」
拾われた本人はとても楽しそうだ。一方、私は試合中じゃなければ頭を抱えたいくらいだった。
そう――これが純の扱いの難しさ。
彼女という切り札は、出すタイミングを間違えると、逆にこちらの破滅を招く。
純のスパイクがいい感じに決まれば、先程のような三連続ブレイクのきっかけとなり、
純のスパイクがいい感じに凌がれれば、相手の気運を一気に上昇させてしまう。
「月美さん、レフトくださいっ!!」
「珠衣もスタンバってますよー!!」
わっ、と猛烈な吹き降ろしの風のような気迫に晒され、ぴりぴりと肌がひりつく。こちらにとっての向かい風は、あちらにとっての追い風。そしてこの〝暴風〟を受けて、逢坂さんは最も『そうしてほしくない』ところへトスを送る。
ひゅっ、
とボールが流れる先は、私から見て対角――右翼。
「決めろおおおっ、信乃おおおお!!」
「はいっ!!」
県内最高の左が、その翼を大きく羽ばたかせる。迎撃位置につく一凪ともなみ。レシーブの構えを取る私と純。そして、
だんっ!!
と放たれた一撃は、吸い込まれるように、
「――おいでませ、です」
ふっ、
と紅の腕に絡めとられる。
ぴたり――、
とコート上の時間が、数瞬、止まる。
そのボールタッチの鮮やかさ、待ち構える位置の正確さ、どんな強打にも揺らがない堅牢さに、誰もが息を飲む。
やがて我に返り、見上げれば、ボールは天頂に座す太陽のように、はるか上空にあった。
こうなってしまえば、私の仕事は終わったようなもの。
ゆっくりと落ちてくるボールを受け、再び純へと繋いで、あとはその時を待つ。
――ずだんっ!
という軽やかな打音が、耳に心地よい。
投げた賽は落ち、結果が出た。
「えっへへー!」
ラリーを終わらせた純は、それはもう嬉しそうに、ひよりのほうへ駆けていく。
「ヒヨヒヨ先輩! どうでしたかっ、今の!?」
「はい、ナイスキーだと思います」
「ふへへっ! もっと褒めてください!」
「褒めるのは吝かではありませんが……ひとまず、それは後に回しましょう」
そう言うと、ひよりは静まり返るネットの向こうへ、黒く澄んだ瞳を向ける。
「試合はまだ終わっていません」
いつの間にか、風は止んでいた。
コートを支配しているのは、沈黙。
私は汗を拭う振りをして、手の震えを止める。
いずれにせよ――純が一度目に決めようと決めまいと――勝てると思ったから、彼女に賭けたのだけれど……やっぱり、手に余る切り札を扱うのって、緊張するわね。
ふぅ、と呼吸を整え、スコアを見れば、19―16。
これで、私は前衛。入れ違いに後衛に下がるのは、純。
当然、その純が、これからサーブを打つ。
もちろん試合はまだ終わっていない。最後まで何が起こるかわからない。それは私もわかっている。でも――、
法栄大立華の勝利を、私はもはや疑っていなかった。




