193(優妃) 予行演習
それは、プロトコールの前のこと。
試合と試合の間の、短い空き時間。私たち津久和第一と相手の南五和は、両校合意の上で同時にサーブ練習をすることになった。Aコート全体を使い、選手もボールも入り交じる形で、各自思い思いにサーブを打つのだ。
ばしっ、ばしっ、ばしっ――と、私は何かに急き立てられるように、次々とサーブを放った。
因縁の南五和との試合を前に、私の神経は毛羽立った毛布のようにちくちくになっていた。こんなに張り詰めていたら一試合保たないぞ、落ち着け、クールになれ――と自分を宥めるように、ぼこすかサーブを連打する。
事件は、そのときに起こった。
ぼごーん!
「ぶっ!?」
「……ひぁ……?」
おわかりいただけただろうか? 見逃した、という方のために説明すると、うちの新人エース・新堂灯の打った強烈なジャンプサーブが、ネット際に溜まっていたボールを流すのにフロントゾーンへ行って帰ろうとしていた相手チームのリベロ・有野可那の顔面に直撃したのだった。
「可那ちゃん!? 大丈夫! すごい音したけど!?」
「有野氏ー!? ご無事でござるかー!?」
相手キャプテン・江木小夜子と、うちのリベロ・曳舟かなめが大慌てで有野へ駆け寄った。有野は片手で顔面を押さえつつ、もう片方の手で丸を作ってみせる。が、ほっとしたのも束の間、わっ、と江木が悲鳴を上げた。
「可那ちゃん、血! 血が出てるよ! うわわわっ!?」
「どなたかー!? 出場選手の中に保健委員はおらぬかー!?」
「いや、こんなん騒ぐほどじゃ――もごっ!?」
「とりあえず、救急箱だよ! 救急箱っ! 史子ちゃん、すぐ用意して!」
「わわわわかりました!」
「あっ、あの! 私、ベンチまで運びますね!」
「お願い、信乃ちゃん!」
「もがっ(おいっ)、もがが(小夜子)、もも(信乃)!?」
どうやら鼻血が出たらしい有野可那は、江木にタオルで顔を覆われ、そのまま左のエース・生天目信乃にお姫様だっこでベンチへ運ばれていく。
「鼻血くらいで大袈裟だな。こんなん適当にティッシュ詰めときゃ止まるっての」
「可那ちゃんは無理しちゃうからダメ。私がいいって言うまで大人しくしてること」
江木がぴしゃりとそう言うと、練習に戻ろうとごねていた有野は「わぁーったよ」と諦めて治療を受けた。とりあえず大事には至らなそうで良かったが……しかし、大変なことになった。
「おい、灯」「灯氏」「灯……」
「ひぃ……!」
有野にダイレクトアタックをかました張本人――新堂灯は真っ青な顔をして震えていた。そこへキャプテンの花文蒼子がやってきて、追い討ちをかける。
「灯……あなた、とんでもないことしでかしたわね。よりにもよってあの〝暴れ金糸雀〟に喧嘩を売るなんて」
がたがたと怯える灯。蒼子は――あっ、あいつ今ちょっと笑ったか? さては楽しんでやがるな――おどろおどろしく声を潜める。
「あの黄色はね、中学の頃から相当な不良だったらしいわよ。だいたい考えてもみなさい。あの真っ黄色の髪。あんなふざけた髪の色をしている人がなんで学校から注意されないと思う? きっと先生も彼女には逆らえないんだわ。番長なのよ、番長。舎弟が何百人もいて、あいつが一声かければパラリラパラリラ歌いながら光る釘バッドを華麗に振り回して夜の街を練り歩くんだわ」
なにそのエレクトリ『ワル』パレード……逆に見てみたいな。しかし、あわれ灯は冗談を真に受けて白目を剥いていた。閏が呆れたように蒼子を小突く。
「チョイ、蒼子さん、灯をからかうのもそんくらいデ」
「ごめんごめん」
「ホラ、灯も、何はともあれまず謝りに行こうゼ。ワタシも付き合うからヨ」
「お前らだけじゃ心配だから、私も付いていく」
「拙者もお供するでござる! 有野氏とは知らない仲ではござらぬからな!」
そんなわけで、灯、閏、私、かなめの四人で有野のところへ行き、平謝りした。灯はびびりまくっていたが、有野は最初からまったく気にしてなかったようで、屈託なく笑った。
「つーか、あたしも不注意だったぜ。こっちこそなんか悪いな、大事っぽくしちまってよ。この通り大した怪我じゃねえし試合にも影響ねえから、心配すんな」
「有野氏!」
「だってヨ。よかったナ、灯」
「ひゃぃぃ……」
「にしても、お前……新人戦の時はいなかったヤツだよな?」
「ひゃ?」
鼻にティッシュを詰めた有野は、鋭い眼光で灯を見上げた。セメントのように固まる灯(あとなぜか有野と灯の顔を見比べて慌て出す生天目)。付き添いの江木が間に入り、有野の好戦的な雰囲気を中和するようにおっとりと微笑む。
「一年生の新堂灯さんでよかったよね。一回戦、見てたよ。明星の十二単さんと張り合うなんてすごいよねえ」
「ちょ、小夜子さん……っ」
まるで親戚のおばさんみたいなノリで褒めそやす江木(あとなぜか有野と灯の顔を見比べてそわそわする生天目)。灯は「ひぇぇぇ」と顔を真っ赤にして照れた。部内だと蒼子に虐められるのが常だけに、持ち上げられるのには弱いらしい。
「あれだけ打ててその身長――新堂さん、もしかして中学では県選抜だったんじゃない?」
「ひゃ、ひゃぃ……」
「あっ、やっぱり! そうだよね、新堂さん強いもんね。いやあ、本当にすごいねえ」
「あ、あの、小夜子さ」
「へえ! 県選抜ってことは、あれか? お前、一年ン中じゃ藤島の次くらいに強えってことか!」
「ひゃ?」
「チョ、えっ? 有野さん、〝黒い鉄鎚〟を知ってんすカ?」
「ん? ああ、ちょっと前にやりあってよ。ありゃ大した怪物だよな」
「やりあった? え、マジすカ! それどこで? あいつ今日ここ来てます? ていうカ、あいつどこ行ったっすカ?」
「どこって、そりゃお前――」
言い差して、有野は閏の顔を見ながら、にんまりと口の端を吊り上げた。とびきりの悪戯を思いついたように。
「お前らが試合であたしらに勝ったら、教えてやるよ」
「ワオ……そーゆー感じっすカ。いやはやどうも――受けて立ちますけどネ?」
「閏氏!?」
見え見えの挑発に乗った閏に、かなめが目を見張った。私はというと、ひとまず傍観。今のところは江木も微笑ましく見守っているし(生天目はなぜか挙動不審だが)、やりたいやつにはやりたいようにやらせよう。
「申し遅れたっすけど……ワタシは一年の京閏。こっちの灯とコンビでやらせてもらってます。ちなワタシも県選抜っすヨ。一年最強の左と未来の県内最強の司令塔ってことで――以後、お見知りおきヲ」
「はっ、面白え! おい、聞いてたか、信乃!」
「は、はいっ! もちろんです!」
「藤島透ん時は右打ちだから白黒つけねえまま終わっちまったが――今度は正真正銘の左打ちだ。しかも一年最強、相方付きと来た」
ふんっ、と有野は血塗れのティッシュを吹き出し、立ち上がった。私やかなめよりも小さいはずなのに、黄色の髪の威光がそれを感じさせない。
「県内最強の左とやる前の肩慣らしに、これ以上の相手はいねえ。ここは一つ揉んでやろうぜ、なあ、信乃!」
「はいっ、お揉みします!」
「こっちも望むところっすヨ、県内最高の左さん。もちろん対県内最強の左の予行演習って意味ですけどネ。そうだよナ、灯!」
「ひぇぃ……」
なんてやっているうちに、トラブルの匂いを嗅ぎつけたのか、こちらからは蒼子がにまにましながら、向こうからは逢坂月美がはらはらしながらやってくる。やがて主審と副審が姿を現したのを潮に、私たちはサーブ練習は切り上げ、それぞれの陣営に分かれた。
「……予行演習、か」
「どうかした、優妃ちゃん?」
「いや――」
私は冬の新人戦を思い出す。私たち津久和第一は、その二回戦で一度、南五和に敗れているのだ。だから私は今回、リベンジマッチに挑むつもりでいた。組み合わせ表を見たときに、南五和と再戦するこの二回戦を、最大の目標にしていたのだ。
でも、閏や灯、それに有野は違った。この二回戦はあくまで通過点――あいつらが獲ろうとしているのは、八強の座ではなく、四強の首。
あいつらが見据えているものと、自分が今さっきまで見ていたもののギャップに、自然と肩から力が抜けていく。口元に笑みが浮かびそうになる。でも、寸でのところで、きゅ、と唇を引き結んだ。
「気を引き締めないと、と思ってな。閏と灯には負けてられない」
「おっ、なんか吹っ切れた? もう、心配してたんだぞ!」
「悪い悪い、ありがとう」
このこのっ、と横から肘でつっついてくるかなめに、やめろっ、と私も同じように肘でつっつき返す。私とかなめは身長が同じくらいなので、何回目かでごちんと肘と肘がぶつかり、じぃぃーん、と腕が痺れて二人して悶えた。
四強への挑戦権を賭けた一戦は、目前に迫っていた。
登場人物の平均身長:164.2cm




