185(杏子) 一挙登場
――ありがとうございました!!
間に一つコートを挟んだ向こう側で、明るい声が上がった。中学時代の仲間の声。私は思わずそちらに視線を向ける。と、目敏く私の余所見に気づいた斎藤明晞が、へらへら笑いながら言った。
「おお、玉緒第二は一回戦突破かあ。元仲間としては一安心かな?」
「まあな。もっとも、そんなに心配していたわけじゃないが」
一回戦の玉緒第二は赤のユニフォームを着ていた。チームカラーの赤――しかし、玉緒第二は、私たちとの地区予選決勝がそうだったように、ここ一番の試合では白を着る。これはチームカラーの『赤』をリベロ一人に背負わせる『紅一点』の伝統で、つまりあいつらは初めから『二回戦』を決戦の舞台と決めて臨んでいた――勝つつもりだったってことだ。
まあ、その二回戦の相手のことを思えば、勝つつもりなのは当然で、むしろなにがなんでも勝ちたい試合だったに違いない。ある意味では地区大会決勝よりも。ただでさえ守りの堅いあいつらが勝ちに躍起になるというのは、喩えるなら恐ろしくタフなゾンビみたいなもので、正直、私が敵の立場だったら真っ先に避けたいタイプの相手だ。
「にしてもなんだ、修英学園は負けちゃったけど、玉緒第二は勝った。私たちとしては、ぜひ玉緒第二のほうにあやかりたいもんだねえ」
のんびりと明晞が言う。あやかるってお前な……と私は苦笑した。実力を出し切ればこの一回戦は勝てる、という自信が顔にありありと出ているくせに。
「ほんじゃあま、ラスト一本いこっかあー!」
「「「はい」」」「「おう!」」「はいっさー!!」
後発で行われていたこちらの公式ウォームアップも、残り数分。監督が人差し指を立てたのを見て、明晞が号令をかける。コートの六人+反対側でブロックにつく一人がそれぞれに返事をし、監督がネット越しにボールを放る。後衛の私がそれをチャンスにして、セッターの柳千里へ返す。前衛は三枚攻撃。千里はそこから、何はともあれエースへ上げた。
「もらったー!」
「邪魔」
ぱんっ、
とキレのあるストレート打ちが放たれ、反対側で飛びついたミドルブロッカー・宝円寺瑠璃の右手をしたたかに弾く。
「痛ぁぁぁっ!? ちょい公式で小指狙うのやめてくんないかなマジで! 突き指したらどうしてくれんの!?」
「喚くな」
エース――藤本いちいはそう切り捨てて、後衛に下がる。入れ違いに明晞がFRに上がり、元々FRにいた尾崎玲子がFLへ移る。そして次のチャンスボール。藤本がぴたりと返す。千里はAクイックに上げた。それをミドルブロッカーの佐々木郁恵が四角四面に打ち込む。
ぱしんっ!
「痛ぁぁぁっ!? 郁恵! なんで重ねがけしてきたし!」
「すまない」
「そこ代われっ! 仕返ししてやる!」
「む……」
瑠璃が入れ替わりにこちらのコートへ入り、郁恵が反対側に移動。すぐに三本目だ。前衛の玲子が拾い、そのまま千里は玲子へレフト平行を送る。そして、
ばしんっ!
と、深めを狙うことの多い玲子にしては珍しく、今回は真下へ叩きつけた。力強く打ち込まれたボールは、たーん、とネットの高さ以上まで大きく跳ね上がる。
「っしゃああああ!」
相手チームの目を意識しているからだろう、豪快に腕を振り上げる玲子。一方、その頃センターでは、
「おいいい郁恵!? なんでコミット!? いま私のこと止める気満々だったよね!? だったよね!?」
「はて。なんのことだかわからないな」
などと二年生ミドルブロッカーズが騒いでいるうちに、四本目だ。今度は、私がチャンスボールを処理し、千里は玲子とスイッチしてFLに入った明晞に上げた。
「そおー……れいっ!」
ぱんっ!
と小気味良く決まる強打。次は、いよいよラストもラストの五本目だ。藤本、郁恵、玲子、明晞ときて、まだラストを打っていないスタメンは、あと一人。
「千里さぁぁぁんAくだっさああい!!」
と大はしゃぎの瑠璃だった。前衛に残った明晞が苦笑しながらチャンスボールを上げる。しかし、ここで瑠璃の悪い癖が出た。踏み込みのテンポが早過ぎるのだ。たたたんっ、と瑠璃は千里がボールに触れるより先に飛び上がる。千里は僅かに眉を顰め、どうにか合わせようとするも――敢えなく、
ぼふんっ、
と結果はコンビミス。打ち損じで、ボール・アウト。
「ぐあ!? なんてことだ!?」
「んー、仕方ないねえ。ラスいちもう一本でえ!」
「さっすが明晞さん! そうこなくっちゃ!」
「いやあ、なんというか、悪いんだけどねえ瑠璃」
「えっ?」
「――瑠璃」
びりびりと、放射線でも撒き散らすように、殺気が迸る。
「邪魔」
気の弱いヤツなら聞いただけで気を失いそうな冷徹な声。相手チームも審判も驚いたようにこちらに振り返った。放たれるボール。細心の注意を払ってチャンスを上げる明晞。同じく細心の注意を払ってトスを上げる千里。藤本はタイミングを合わせつつ、バックゾーンの後方から大きく助走し、目の前のボールをフルスイングで叩いた。
――ばあんッ!!
と空気が震える。地区予選で一度だけ披露したバックアタック。県大会で見せるのはこれが初めてだ。ちょうど隣もその隣も試合と試合の切れ目だったから、体育館中の視線が藤本に集まった。藤本もそれを意識してか、恐ろしいほどの威圧感を周囲に放つ。どこからともなく誰かがごくりと唾を飲む音がし、さぁー、と血の気が引くように館内の空気が冷えていく。おいおいどうしてくれんだよ藤本……この戦々恐々とした雰囲気の中で試合するのはちょっと嫌だぞ、と思わず私はこめかみを押さえた。
と、次の瞬間、静寂が破られる。派手な音がしたのは、玉緒第二が撤収準備をしている反対側のAコート。
「っどらああああああああッ!!」
ばあんっ!
と扉が蹴り(実際には手で開けていたのだがそんな感じで)開けられる。そこから飛び出してきたのは、金髪の藤本に負けず劣らず目立つ真っ黄色の髪をした人物。真夏の飛行機雲のように伸びやかなソプラノの声が館内の空気を一新した。玉緒第二と入れ違いに現れたのは、館商と同じ前回大会八強にして、中央地区一位――南五和高校。声の主は、そのリベロ――悪名高い〝暴れ金糸雀〟だ。
「しゃああああ気合入れていけお前らあああああああ!!」
「「うおおおおおおおおお!」」
「声が小せえええええええ!!」
「「うおおおおおおおおおおおお!!」」
「うらあああああああああああああ!!」
響き渡る有野可那の(特に意味のない)奇声。それは藤本の殺気をいくらか紛らせてくれた。が、こうも突き抜けてハイテンションだと、それはそれで調子が狂ってやりにくいな……と私は小さく溜息をつく。直後、
「――くすっ」
と涼やかな笑い声が耳に届いた。声の主は、私たちのいるコートと南五和のいるコートの間――Bコートに面した入口から姿を現した。
「あらあら皆様お揃いで……なにやら楽しそうですわね」
どの角度から見ても完全無欠な微笑を浮かべ、黒い集団の先頭に凛と佇む天女。彼女はその視線をまず私たち、次に南五和のほうへ移し、やがて微笑を深めて目を伏せ、言った。
「では、わたくしたちもここは一つご挨拶をば――あやめ、お願いしますわ」
「〝御意〟」
颯爽と、甚だしく場違いな漆黒の翅を翻し、そいつは前へと進み出た。そしてコートのど真ん中までやってくると、右目に装着されていた眼帯を取り去って、そのふくよかな胸を張り、両手を広げ、謳う。
「〝傾聴謹願〟いたします……〝聖戦〟に湧き滾る〝戦士諸姉〟」
それは――何を言っているのかはさっぱりわからないが――腰が砕けそうなくらいに甘く美しい声だった。まるで聖なる光のように、藤本のせいで凍りつき、有野可那のせいで荒れ狂った館内の空気を、隅から隅まで清浄していく。
「〝真力〟を、〝絆繋〟を、〝快悦〟を、〝褒銘〟を……〝希求〟は〝自由〟なれども、其を〝在現〟せしは〝運命〟を制した者のみ」
この世のものとも思えない美声。讃えて曰く、〝甘美令嬢〟。
「我ら〝大聖帝国〟――〝願望〟はただ〝玉冠〟なり! 〝祈祝〟して、ここに〝天階〟を〝将上〟す!」
彼女のことはもちろん知っている。今現在、この県で最も〝天頂〟に近いところにいるリベロ――聖レオンハルト女学院の鶯谷あやめ。二年生にして『県内最強』の称号を持つそいつは、包帯の巻かれた左腕を突き上げ、体育館の中央で高らかに宣誓した。
「いざ〝饗宴〟をッ!!」
しん――、
と、体育館に一瞬の沈黙が下りる。壊滅的に意味不明でありながら、圧倒的な浸透力を持つ口上は、どうやら終わりのようだ。重厚な黒マント(あれは本気でベンチに持ち込むつもりなのか……?)を翻し、チームの輪へと戻っていく鶯谷。藤本はいかにも不愉快そうに目を細め、有野可那は心底愉しそうに笑む。やがて館内に再び無数の声が戻ってきた――ただし、先程までとは明らかに種類の異なる緊張感を帯びて。
ブロック大会県予選、初日の折り返しとなる、第四試合。
Aコート、南五和VS池ノ島。
Bコート、聖レオンハルト女学院VS石館第二。
Cコート、石館商業VS松川女子。
そして別会場のDコートでは、柏木大附属VS妻部。
準シードと第三シードの一挙登場――県大会の熱気は、いよいよ頂点を迎えつつあった。




