181(よなか) 名の知れたセッター
――ぱあんっ!
と破裂音がした。あたしたちの女神――丹羽美禰子様がツーアタックを決めた音だ。
「「ナイスツーです、美禰子様!」」
「うん、ありがとう」
「「きゃーっ!!」」
自分を取り囲む信者たちの歓声に、ふふっ、とやや困ったように微笑む美禰子様――もとい、ネコちゃん。あたしたちはノリノリで崇め奉っているのだが、ネコちゃん本人は嬉しいやら恥ずかしいやらで複雑な心境らしい。そのことはもちろんあたしたちのほうも承知の上ではあるが、しかし、すべてはネコちゃんのカリスマ性がいけないのである。
ネコちゃん――あたしこと仲嵩よなかの幼馴染みにして、古手川第二女子バレーボール部の女神――丹羽美禰子様。シルクのような手触りのクリーム色の長髪に、慈愛に溢れる優しい眼差し。陶磁器のように白く艶めく肌にはシミ一つなく、プロポーションは色々こぼれるほどの豊穣の大地。その破壊力たるや中学時代の修学旅行のお風呂タイムでバスタオルを巻いた状態にもかかわらずあたしたちバレー部員を含めクラスの女子数十人が目眩・鼻血・高熱を訴える事態になったほどである(その後クラスでは卒業記念製作で美禰子様像を作ろうという議題が出た)。
そんな美禰子様だが、むろん美しいだけではない。古の女神の大半がそうであるように、いざ戦となれば一騎当千、鎧袖一触の活躍をみせる。特に利き手である左手から繰り出されるツーアタックは強力無比の一言に尽きる。
讃えて曰く〝断鋏の女神〟――県内最多のツーアタック打数&決定本数を誇る、超攻撃型セッターだ。もっともネコちゃん本人は、
「わたしがブロッカーを引きつければ、みんなが楽になると思うから」
とあくまでサポートに徹した結果だとご謙遜なさる。ああ美禰子様! 強く美しく慈悲深いあたしたちの女神!
元々、あたしたち古手川のクラブや中学は、南地区の中ではぱっとしない小粒の集まりだった。それというのも近くに四神の一角・武岡中があるので、本格的にバレーに打ち込みたい子はそっちへ流れてしまうのだ。ネコちゃんみたいな有力選手がうちにいるなんて滅多にない奇跡なのである。おかげであたしたちは今年、福智学園武岡、大洋大筑紫、津久和第一に次いで、激戦区・南地区で四位の座につくことができた。
できることなら一回戦、二回戦と勝ち上がり、ベスト8に名を連ねたい。ネコちゃんをその高貴なる御身に相応しい雲居へと祭り上げたい。それが、ネコちゃん信者たるあたしたちの共通目標である。
とは言え、敵もさるもの――。
「まもりちゃん、あと、お願い」
「おまかっせ、十稀子ちゃ!」
今大会、一回戦で当たったのは、中央地区二位の大田第二。まず目立つのは、なんといっても県内屈指の左――〝十字弩砲〟こと矢野十稀子だ。その身長はこの場で最大の175センチ(ちなみに二番目に高いのは171センチのネコちゃんだ)。後衛に下がるとリベロと交替するのが唯一の救いで、前衛にいる間はひたすら耐えるしかない厄介な存在である。そして、そんな矢野十稀子と同じかそれ以上に厄介なのが、去年の新人戦で話題になった大田第二の変則ローテを支える――あの彼女。
「一本、切り替えていきましょう。カットしっかりお願いします、遊さん、それにまもりも」
「わかってっら!」
「まあ、できる限りね」
ところで、ここで再びネコちゃんの話に戻る。ツーアタックを得意とする左利きのネコちゃんだけれど、一般的に、セッターは利き腕によらずツーアタックを左手で打つ。これがなんでなのかと言えば、セッターとは常にレフト側を向いているものだからだ。レフト側を向いているセッターにとって、ネットは自身の右側にあり、ボールは自身の左側から飛んでくる。これを自然な形で相手コートに叩きこもうとすれば、必然的に、左手を使ってボールの左側を叩くことになるのだ(これは要するに、左利きのアタッカーがライトから打つのと同じ動作である)。
さて、ここで大事なのは、なぜセッターが『常にレフト側を向いている』のかということだ。この理由はいたってシンプルで、単に世の中に右利きのほうが多いからである。右利きのアタッカーは、右側からトスが飛んでくるほうが打ちやすい。だからセッターはみんな、アタッカーの右側――ライト寄りの位置にいて、レフト側を向いてトスをするのだ。
しかし、ごくごく稀に、そうではないことも起こりうる。セッターがライト寄りにいてレフト側を向いているのは、規則ではなく、あくまで通例。右利きのアタッカーが多数派だからそれに合わせているに過ぎない。当然、そうでない場合に、この通例は『反転』する。
例えば、そう――大田第二のように、エース・矢野十稀子を筆頭に、左打ちの選手のほうが多い場合には。
「「っさあああ来おおおい!」」
あたしはギラギラと気迫を発する相手の前衛を見やる。FLは村沢竜胆・右打ち、FCには来布佑乃・左打ち、FRには播本瞬・左打ち。三人のうち二人が左打ちだ。この場合、セッターは立ち位置や向く方向を通例に合わせる必要はない。右打ちが右側からトスが来るほうが打ちやすいように、左打ちは左側からトスが来るほうが打ちやすい。そんな左打ちが多数派ならば、セッターは『レフト寄りの位置にいてライト側を向いて』トスを上げるべきだろう。
「行きますっ!」
「「いってらっしゃいませ、美禰子様!!」」
あたしたちの一糸乱れぬ声援に頬を赤らめつつ、ネコちゃんがサーブを放つ。セッターの彼女は、来布佑乃の『左手側』から飛び出して、ネットの『レフト寄り』に構えた。サーブはFCの来布佑乃のところへ行ったが、それを後衛からリベロの日比谷まもりが飛び出して拾い上げる。その間に、サイドアタッカーの来布佑乃はライトに回り、逆にミドルブロッカーの播本瞬はセンターへ移動。右打ちの村沢竜胆はそのままレフトに待機だ。
――――――――
セッター
竜胆 瞬 佑乃
遊 まもり
ちょうど、一般的な三枚攻撃――右打ちレフト、右打ちミドルブロッカー、左打ちライトの布陣を、そっくり反転させた形である。セッターが『レフト寄りにいてライトを向いている』見慣れないフォーメーション。そこから彼女は『ライト平行』を使ってきた。
「いやライト平行って――!」
戸惑いを隠せないあたし。そうなのだ。矢野十稀子も来布佑乃も、ライトから『平行』を打ってくる。鏡の世界に迷いこんだようなこの攻撃に、あたしたちはまだ十分に対応できていない。そもそも左打ちのブロックに飛ぶこと自体、数少ないというのに――。
ずばんっ、
とブロックの間を抜かれた。レフトブロッカー・椙山瑪瑙と、ミドルブロッカー・大平原包子の呼吸が合わなかったのだ。
これで、大田第二VS古手川第二――スコア、3―4。矢野十稀子がいない今、ネコちゃんのツーアタックで稼いだリードを詰められたくはないが……。
「ライトに平行トスなんて、なんだか不思議な感じね。あちらのセッターには一体どういう景色が見えているのかしら」
ネコちゃんが感心したように呟く。その視線の先にいるのは件のセッター――二年生の国木田弥子。160センチの細身の体型、黒髪ショート、生意気そうな切れ長の目と、ぱっと見はそこそこ上背があるかなくらいの普通のセッターのようだが、侮るなかれ。国木田弥子は美禰子様をして感嘆せしめる『稀有な才能』の持ち主なのだ。
前述したように、通例、セッターは『ライト寄りにいてレフト向きにトスを上げる』。そして国木田弥子はさっきからそれを『反転』させているわけだが、実際のところ、それは言うほど容易いことではない。左右を反転させれば、見える景色も軸足も動作も何もかもが鏡写しになる。国木田弥子ほどに標準的な経験と技量を身につけたセッターならば、通例のセットアップの感覚が沁みついているはずで、反転するにはどうしたってネコちゃんが言ったような『不思議な感じ』が障害になるはずなのだ。
にもかかわらず、国木田弥子は反転セットアップをなんの苦もなく自然にこなしている。否、彼女はそればかりか――、
「瞬、サーブしっかりね」
「おうおう! 半端ないのお見舞いしてやんぜっ!」
大田第二のローテが回って、キャプテンの高天原遊(右打ち)が前衛に上がり、播本瞬(左打ち)が後衛に下がる。これで前衛は右打ち二人に左打ち一人。試合が始まって初めて、大田第二の前衛が右打ち優位となる。ここで国木田弥子がどうするのかと言えば――驚くべきことに――『反転』を『反転』する。つまり、通例に従って『ライト寄りの位置からレフト向きでトスを上げる』のだ。
――――――――
弥子
遊 竜胆 佑乃
まもり 瞬
称して曰く〝叛逆の御手〟――世にも稀有な『両利き』の才能を持つセッター。『左打ち優位』と『右打ち優位』がローテによって『切り替わる』という大田第二の変則ローテが成立しているのは、ひとえに『左右どちら向きでも変わりなくセットアップできる』彼女の存在があってこそだ。ちなみに言えば、彼女は恐るべきことにツーアタックまで『両打ち』が可能である。
しかし、そんな稀有な才能を持つ国木田弥子だが、実は去年の新人戦まで、あたしたちは誰もその存在を知らなかった。というのも、あたしたち現三年世代が中心となって大会に出ていた中学時代、彼女はずっと控えで試合には出ていなかったのだ。もちろん、それは当時の彼女が怠慢だったからでも力不足だったからでもない。
三年前、高天原遊や矢野十稀子に加え、佐間田姉妹をも擁していた中央地区の強豪――大田一中。その時の正セッターは今、目の前の大田第二を地区予選で下し、準シードとして悠々とギャラリーからこちらを見ている。
県内にネコちゃんのライバル(だとあたしたちが認定している)は幾人かいるけれども、『彼女』はその代表格だ。ツーアタック打数&決定本数でナンバーワンを誇るネコちゃんに対して、ツーアタック『決定率』で上をいくセッター――南五和の逢坂月美。
ベスト8を目標とし、ネコちゃんを唯一神と仰ぐあたしたちとしては、是が非でも打ち倒したい敵である。ほかにも八強級で名の知れたセッターは何人かいるけれど、その中でも、特にだ。
そういう意味では、この大田第二は格好の相手と言えよう。南五和の逢坂月美――その直系の後輩であるところの、国木田弥子。ネコちゃんの輝かしい栄誉のために、彼女にはここで消えてもらう。
「むりゃあっ!!」
ばしっ、
とあたしは諸々の情念を込めてコートポジションからセミを打つ。が、ぐぬっ、拾われただと――! カットはほどよくネット際に上がり、国木田弥子が落下点に入る。通例に従い、ライト寄りの位置に、レフトのほうを向いて。そこから彼女は高天原遊へレフト平行を送る。なんのレフト平行なら慣れたものよ! とプレイヤーポジションに戻ったあたしはブロックに飛ぶ。ばん、とお返しの強打。うぎっ、左手が弾かれる――!?
ぼむんっ、と零れ落ちるボール。これで、スコアは、4―4。追いつかれた。
「ちい……やってくれるじゃないのよ、高天原遊」
「昔の仲間の手前、そちらの丹羽さんにだけは負けられないのよね」
「わたしがどうかしました?」
「これはこれは、丹羽さん。いや、私の昔馴染みがね、あなたを意識してるという話を」
「まあ、もしかして逢坂さんのこと? だとしたらそれは――ふふっ、とても光栄です」
「なに呑気に笑ってるのネコちゃん! 県内屈指の司令塔を目指すなら、あんなへにょへにょなヤツは真っ先にぶち倒さないと! 今だって見てよ――ほら、ギャラリーのあのナメきった姿! なにあれ! 真っ黄色のブランケットに包まっちゃって! まるで数の子じゃないのよ! やる気が感じられないわやる気が!」
「あらほんと! 栗きんとんみたいで微笑ましいわ。逢坂さんって黄色が好きなのかしら」
「いや、あれはたぶん有野さんのを借りてるんだと思うわ」
「ええい、黄色は食いつくポイントと違くて! とにかく! どっちにしろ逢坂月美は潰すのだ!」
「むっ、聞き捨てならないですね! 月美さんをどうこうするっていうなら、まずはあたしを――」
「ハナっからそのつもりだ! いいからすっこんでな、二年坊! こちらにおわすネコちゃんをどこのネコちゃんだと心得る! 畏れ多くもネコちゃんよ!」
「もちろん存じておりますとも……古手川南の丹羽美禰子さん。相手にとって不足なしです」
「こら、弥子、そんなに睨まないの。いや、すいません、この子両向き可なのに向こう見ずで」
「そんなそんな、とんでもない。お見知りいただいて嬉しいわ。今後ともよろしくね、国木田弥子さん」
「っ……! よ、よろしく、お願いします……」
「弥子? 大丈夫? 顔赤いけど?」
「ぬあっ! 国木田、貴様さては美禰子様にときめいているな!? 不敬だぞこの異教徒め! 我らがネコちゃん教に入信したければ逢坂月美を踏み絵にしてから出直してこい!」
「なっ、ちが! あたしは、そのっ、月美さん一筋ですし!」
「あらあら。やっぱり逢坂さんは人望もあるのねえ。こんな素敵な後輩さんに慕われて」
「素敵な、後輩、さん……!?」
「おい国木田ああああ貴様なに目をキラキラさせとんだあああ!!」
「くっ、違う! あたしは、あたしは月美さんが……!!」
「国木田さんは先輩思いなのね。ふふっ、可愛らしいこと」
「ひぅっ、にゅあ……!?」
「弥子ちゃー!? 急に倒れてどっしたー!?」
「――くっ、信じられない、これが南の〝断鋏の女神〟……! ちょっと触れただけなのに身も心もズタズタにされた気分よ!」
「あな恐ろっし!!」
「はいはい、弥子もまもりもそのくらいにしてね」
「ほらっ、ネコちゃん! こっちも次の攻撃考えないと!」
向こうでは高天原遊が、こっちではあたしが、脱線してしまった流れを元に戻す。
「まったくもう、ネコちゃんは本当に女神なんだから……」
謙虚な上に友愛の情に溢れるネコちゃんは、敵味方問わず親睦を深めようとする。しかし戦いとは時に非情なもの。栄冠という名の椅子取りゲームに勝利するため、ネコちゃんにはもっと苛烈に振る舞ってもらわねばならない。
県内屈指の司令塔――四強の連中はもちろん、南にネコちゃん在りと言われるように、東には〝五彩の嬋媛〟、西には〝真円舞姫〟、そして中央には逢坂月美と、敵の名を挙げればキリがない。一つ下にだって聖レの仲村由有希やそこの国木田弥子みたいなのがいる。目に付くヤツは蹴り飛ばし、楯突くヤツは張り倒し、苛つくヤツは鳩尾に膝――くらいの感じでぎったんぎったんやっつけていかないと、曲者揃いのセッター界で上位に君臨することなどできやしないのだ。
それに……、とあたしは思う。
高校に入ってからぱったりその名を聞かなくなったが、あたしの記憶では北に〝静止軌道〟とかいう目立たないけど洒落にならないレベルで上手いセッターがいたはずなのだ。さらに言うなら一つ下のあの怪物――本当にどこへ消えたのか〝偉大なる七《"Big" Seven》〟――だって、何かの拍子にまた戦線復帰してくるかもわからない。
バレーボールにおいて、最悪、エースとリベロは不在でもチームは成り立つ。しかしながら、セッターだけは、どんなチームにだって必ず一人はいなければならない。そして学年や体格の優位が必ずしも〝強さ〟に直結するわけではない司令塔は、他とは比べ物にならないほどに競争の激しい世界なのである。
その中でも指折り――県下に百人以上いるライバルの中で五指に数え上げられる、という栄誉。
あたしたち古手川第二は、ネコちゃんを除けば160そこそこの高さしかない。チームとしては上位に食い込めないだろう。でも、だからこそ、せめてネコちゃんだけは雲の上の高みへ押し上げたいのだ。本人は恥ずかしがるかもしれないけれど、それが、あたしたちをここまで連れてきてくれたネコちゃんへの、恩返しになると思うから。
「ネコちゃん、こっちもう一本ちょうだいなっ!」
「ふふっ、そうこなくっちゃよね、ナカちゃん!」
ネコちゃんは中指の上から人差し指を重ね、その閉じた鋏のように立てた二本の指をあたしに振ってみせる。レフトセミのサイン――今度こそ向こうのブロックに風穴を開けてやる!――とあたしが意気込んだのも一瞬。他のメンバーが我こそはと名乗りを上げた。
「美禰子様! 私めにもAクイックを!」「美禰子様! 私めにもライトセミを!」「美禰子様! 私めにもバックアタックを!」「美禰子様! 私めにもなにとぞ慈悲を!」
「いや比可子! あんたリベロなんだからトスもらっても打てないじゃないの!」
「問題ない! なぜなら私の打点はネットよりも低いから!」
「そんなへっぽこ山なりスパイクじゃ点が取れないでしょうが!」
「美禰子様のトスが打てるなら本望だッ!」
「この狂信者め……!?」
まったくうちのチームはまとまりがあり過ぎる――まっ、それもこれもすべては、ネコちゃんが女神様なのがいけないのである。
登場人物の平均身長:164.6cm




