170(志帆) 答え合わせ
「まあ、なんだ。ちょっとドリンクでも飲んで一息つくといい。私からは、以上!」
「「はいっ!」」
タイムアウトで集合して僅か数秒で、神保先生は話を打ち切った。それから各自思い思いに束の間のブレイクを持つ。私は知沙が甲斐甲斐しくみんなにドリンクを配って回るのを微笑ましく眺めていた。と、目の前に突如壁が出現する。顔を上げる。仏頂面の七絵と目が合った。
「説明してください」
何のことだね? と惚けてみようかとも思ったが、タイムアウトの時間は限られている。私は勿体ぶらずに種を明かすことにした。
「『そういう』反応をされるのを避けたかったんじゃないかな。だから、意図的に印象操作したんだろう。下の名前しか記憶に残らないようにね」
「印象操作って……あの自己紹介の時に、ですか? でも、あの時は、他己紹介もあって、いくら本人がそう望んでも――」
「よく思い出してほしい。その『他己紹介』の段階で、既に隠蔽工作はなされていたよ」
「なん、という……」
「……ほな、ひかりんは実花に借りがあったわけですね。それであんな横槍を入れてきたんか……」
「やあ、夕里。君も答え合わせに来たのか。ところで『横槍』とはなんの話かな?」
「あっ、いえ、これはウチ案件なんで、お気になさらず」
「なになに、夕里、先輩たちとこそこそとなんの話よ?」
どやどやっ、と一挙に聴衆が増える。というか、先生を除く全員だった。
「ひかりんの話やで」
夕里はしれっとそう答える。厳密に言えば君はいま実花の話をしていたはずじゃなかったかな――と指摘する代わりに私は苦笑し、成り行きを見守る。
「ひかりが、どうかしたんですか? いや、確かにさっきのラリーではすごく拾ってましたけど……てか拾われましたけど……」
「ひかりんさんの、名字の話」
「「ひかりん(ひかり)の名字?」」
「あれ? そう言えば、なんでしたっけ。知沙さん、わかります?」
「えっ? ああ、ひかりちゃんなら確か――あれ? なんだっけ?」
「ひかりんなら、名字は『ミソノ』ですよ。自己紹介で言ってました」
「あっ、そうそう、そうだった!」
「「ふーん? で、それがどうかしたの(か)?」」
「別に珍しい名字でもないわよね。ミソノ、なんて。ミソノ――――ミソノ、ヒカリ……? えっ? なにこれ、なんか猛烈に寒気が……っ!?」
「「どうしたの(んだ)、希和?」」
「……まあ、ウチら世代は直接の関わりは薄いから、ぱっと出てこーへんでも無理はないけどな。ただ、現在進行形で高校女子バレーボール界に身を置くなら、同世代のトッププレイヤーの一人や二人くらい、知っておいて損はないで。
例えば、去年の三冠・北鳴谷のエース。〝女王〟――九条綺真さん。
そしてより身近な例として……当県第一代表は法栄大立華のリベロ。〝天頂〟――三園ひよりさん」
「「リベロ、三園……? それは、ひかりん(ひかり)の――えっ? えっ?」」
「そうっ、そうよ、思い出した……! 法栄大立華の――って、いやマジで!?」
「「ど、どうしたの(んだ)、希和……?」」
「どうしたもこうしたもないわよっ! 法栄大立華の〝天頂〟って言ったらあんた――えっ、いやいや! でも、あそこは南地区のはずよね? 偶然じゃないの?」
「その可能性ももちろんあるやろ。ただ、そうやないんですよね、七絵さん?」
「……うん。あの人は中学の時は北地区だったんだよ。さすがに、同地区出身で、同姓で、名前も一文字違い、そしてあの実力と来れば……」
「いや、でも、そんなっ……!? ひかりんが、あの〝天頂〟の? えっ、えええっ!?」
「「待って待って(待て待て)! だからその〝天頂〟ってのはなんなのよ(なんだって)!!」」
「知らないなら今ここで覚えとくといいわ!! マジでめちゃくちゃ有名な人だからっ!!」
「「そ、そうなんですか……?」」
「う、うん。私も言われて思い出したけど――法栄大立華のあの人は、すごくすごく有名な選手だよ」
「ん……? でも、その人って、リベロなんですよね? そんなにすごい人なんですか? だって、この県で一番のリベロは――『県内最強』は、聖レの鶯谷さんだって、あの時に七絵さんが……」
「鶯谷さんは……もちろん『県内最強』の名に相応しい人だよ。ただ、実際に『この県で一番のリベロは誰か』って話になると、誰もがあの人だって言うと思う。私もそうだし、鶯谷さん本人もそう言うと思う」
「えっ? なら、どうしてその人のことを『県内最強』とは言わないんですか?」
「その名が『相応しくない』からだよ。あの人は『県内』の枠の中で語られるような選手じゃない。つまりどういうことかと言えば――」
「法栄大立華の〝天頂〟……あの人は『全国最強』のリベロなんや」
「「全国、最強……のリベロっ!? そんな人がこの県にいるのか!? というか、その人が、つまり、ひかりんの――!!」
「近親者なんやないか、と。普通に考えれば、姉妹やろな」
「「そ、それは……!!」」
「はいっ、みんなそこまで」
ぱちん、と手を叩いて注意を引きつけ、私は微笑してみせた。
「まあ、それぞれ思うところはあるだろうが、本人はあまり騒ぎ立ててほしくないようだよ。今のところ真偽も不明だしね。というわけで、彼女の件はこのくらいにしておこう」
言って、みんなが驚愕や衝撃を飲み込むのを見届けてから、さらに続ける。
「現在のスコアは、19―24。王手をかけているのは私たちだが、今はあちらに追い風が吹いている。ここを一本、しっかり締めていこう。いいね?」
「「――はいっ!!」」
一年生たちの意識が無事に試合へと戻ったのを確認し、私は頷く。それを合図に、メンバーはコートへと向かっていった。と、そんな中、一人だけまだ割り切れない気持ちを抱えているらしい大きな背中を見つける。私はこっそりと声を掛けた。
「大丈夫かね、七絵? 不安なら、私も入るのに吝かではないが――」
「いえ。このまま、やらせてください」
七絵はやけに硬い声を出す。まだ力みが抜けきっていないようだ。
「それは命令かな、キャプテン?」
ちょっとからかってみる。七絵はぴたっと足を止め、小さく首を振った。
「……よしてください。別に、そんな大層なものじゃ……大体、やっぱりガラじゃないですよ、どうも……」
ふぅ、と肩を落とすように息を吐き出す七絵。私は苦笑しながら、その背中をぽんっと叩いてやった。
「そこはほら、七絵、あれだよ――『頑張れ』」
「それ……元々はあんまりいい意味じゃないらしいですよ」
「それでもさ、七絵」
私が意地悪くそう言うと、七絵は振り返って、困り果てたように肩を竦めた。実直な七絵は私が頼めば大抵のことはやってくれる。しかしそれだけに、達成困難な課題を安請け合いしたりはしないのだ。
私はベンチに戻り、知沙の隣に腰を下ろした。コートでは、七絵が少しぎこちなく「集中して、いこう」と一年生たちに声を掛けている。
宿題の提出は、どうやらもう少し先になるようだった。




