166(万智) がんばり屋
頑張る、っていう言葉がある。
今でこそ「ふぁいと! 頑張って!」みたいに応援するための決まり文句として使われ、「目標を実現するために努力する」という意味でスローガンや標語にも頻繁に登場する言葉だけれど、「頑張る」がここまでポジティブなニュアンスで日常的に用いられるようになったのは、実はここ最近のことなのだ。
頑張る、っていう言葉は、元来「頑に意地を張る」というような意味の言葉だった。現在のように勤勉さや辛抱強さを表すのに使われることもあれば、頑迷さや欲深さを表すのに使われることもあった。
そうして元々の意味を辿ると、「頑張る」という言葉は、「我儘」によく似ている、と私は思う。
私はがんばり屋だとよく周りから褒められる。それは、物事に一生懸命に取り組むとか、積極的に家事や宿題をするとか、ハードな練習でも弱音を吐かないとか、そういうニュアンスで言われることが多い。
そして、私自身も、私はがんばり屋だと思う。ただし、それは、みんなが言うような「一生懸命で真面目な努力家」というニュアンスのがんばり屋ではない。より元の意味に近いニュアンス――つまり、「我儘で頑固な意地っ張り」としての、「我ん張り屋」。
だから、本当は、私はキャプテンには向いていないのだ。本当の「一生懸命で真面目な努力家」なら、確かに、キャプテンに相応しいだろう。音成女子のつばめさんみたいな人がまさにそう。でも、私は、つばめさんとは違う。私はあくまで「我儘で頑固な意地っ張り」。だから、チームのことに気を配ったり、みんなを引っ張ったり、そういうのは実のところ、ちゃんとできているのかあんまり自信がない。
今の城上女には胡桃さんがいるし、一年生たちも練習熱心で、部はうまく回っている。私は胡桃さんが前もって調べてくれた道を、みんなの先頭に立って歩いていけばいい。殿には胡桃さんがいるから、私は前だけ向いていればいい。ちょうど、桜田駅から明正学園へ向かったときのように。
――『頑張ろうぉー!』『おー!』と。
けれど、私のそのやり方では、うまくいかないこともある。中学の時だ。私はやはり、前だけを向いてずんずんと突き進んでいた。後ろに続くみんながどうなっているのか、何を考えているのか、私はちっともわかっていなかった。
私は我ん張っていた。我儘に。我武者らに。そして、それを当然のこととして、みんなにも求めた。
そうして、周りのことなんて何も見えていない私は、私の我儘を頑なに押し通そうとするあまり、大切な仲間を傷つけた。
『万智さん……私……もう、頑張れません……』
泣きながらそう言った女の子は、それっきり部活に来なくなった。私は、それでも、最後まで私の我儘を貫き通した。そして私たち石館一中は、地区大会で敗退した。ついに地区代表の枠に届くことなく、私は最後の夏を終えた。
『……私は、万智とバレーできて、今までみんなで頑張ってきて、よかったって思ってるよ』
何が一番いいやり方だったのか、私には未だにわからない。仮にいいやり方がわかったとしても、それが私にうまくできるか、わからない。私には頑張ることしかできないから。
でも、そんな私のやり方に、ついてこられない人は、確かにいるのだ。
チームで大会に臨むというのは、遠足の行きのバスの中のようなものだと思う。自分たちで行きたいところを決めて、わいわい盛り上がりながら、そこへ向かって突き進む。
私は、それがたとえどんなに曲がりくねった道だとしても、目指した場所へ辿り着くためなら、きっと立ち止まらずに進み続けるだろう。
でも、中には、乗り物に弱い子だっている。どんなに体調管理をして薬を飲んで必死に耐えても、酔ってしまう子は酔ってしまう。どんなに遠足を楽しみにしていて、遊びの計画を嬉しそうに語っていても、目的地に着く前にリタイアしてしまう子は必ずいる。道が険しく長いなら、なおさらに。
中学の時の私は、そんなこともわからないで、みんなの乗るバスのハンドルを握っていた。アクセルから足を離すことなく、急カーブでも強引に曲がろうとした。そうして後ろに乗るみんなを振り回して、とうとう、一人を途中で降ろすことになった。
私はいいキャプテンではなかった。後輩を泣かせて退部させてしまうようなキャプテンが、いいキャプテンであるはずがない。
――ばんっ!
「っ……!!」
「…………」
無慈悲な音が鼓膜を叩く。スパイクを打った私と、それを完全封殺したナナちゃんの視線が、一秒ほどぶつかる。ナナちゃんはこの状況をどう思っているのだろうか――私を見下ろすその透徹な瞳からは、何も読み取れない。
スコア、17―21。
「ごめんねぇ……また止められちゃったよ」
私は息を整えながら、集まったみんなに笑いかける。ひかりちゃんは「次はフォローの輪を密にしてみます」と即応的なことを言い、実花ちゃんは「まだまだこれからですっ!」と明るく励ましてくれる。梨衣菜ちゃんは「フォローできずにすいませんっス……!」と悔しがって、ナナちゃんの実力をよく知る透ちゃんは「うぅぅぅ……が、頑張ってください!」ともどかしそうに言う。
「だ、大丈夫、万智……?」
そして、誰よりも心配そうな顔で私を思いやってくれるのは、静ちゃんだ。
「うん、大丈夫っ! ありがとぉ、静ちゃん!」
私が拳を握ってみせると、静ちゃんはやっぱり心配そうに「トス……もっとネットから離そうか?」と訊いてくる。私は首を振った。静ちゃんのトスはいつも通りとても打ちやすい。
「……そっか。でも、なにか、他に、私にできることがあったら、遠慮なく言うんだよ」
「うん、ありがとぉ」
私はぐるんと肩を回して、レフトに戻る。みんなもそれぞれの定位置に戻って、次こそは、という意気のこもった声を出す。ありがとう、と思う。ごめんね、とも思う。
この二度の完封でたぶんみんながもう気づいているように、実際のところ、私自身、私がナナちゃんを抜ける可能性はすごくすごく小さいと思っている。三十センチの身長差に加えて、経験や技術の差も大きい。私も肩や腕の力には自信があるけれど、ナナちゃんの体格や筋力を考えると、それだけでは足りないだろう。全国には、私と同じくらいのパワーを持ち、さらに高さと技術を兼ね備えたエースが何人もいるはずで、ナナちゃんはそんな人たちを相手にしてなお〝エース殺し〟の称号を与えられるような怪物なのだ。
けれども……避けては通れない。私たちのチーム目標は『全国大会出場』――その険しさを考えれば、これくらいの窮地は、きっと遠からずやってくる。私の身長の低さはうちの明確な弱点の一つだからだ。
みんなも、それがわかっているから、私の我儘に付き合ってくれている。真っ向勝負で頑張りたいという、私の気持ちを尊重してくれている。
このやり方は、たぶん、キャプテンとしては間違っているのだろう。今の私は私のことしか考えていない。それでも、みんなは私を応援してくれる。信じてくれている。
なら、私は頑張ろうと思う。ねばぁーぎぶあっぷ。元より、頑張る以外のやり方を私は知らない。
サーブは、引き続き、夕里ちゃん。狙いは実花ちゃんで、四人サーブカット体制の穴を突いて、絶妙に厳しいコースに打ってくる。そうして実花ちゃんにレセプションを強いることで、攻撃の選択肢を私と梨衣菜ちゃんに限定させ、私にはナナちゃん、梨衣菜ちゃんには芹亜ちゃんを張りつけて、ラリーに持ち込む作戦なのだ。
「ていやぁーっス!」
「なんのっス!」
ぱだんっ、と梨衣菜ちゃんの速攻。それに芹亜ちゃんがワンタッチ。後衛に下がっても存在感の減らない夕里ちゃんがカット。そこから希和ちゃんへトスが上がり、希和ちゃんはブロックに掴まらないよう、丁寧にクロスの深いところを狙う。それをひかりちゃんが拾って、静ちゃんがトス。ここで実花ちゃんを頼ってもいいが、あちらも足を使ってレシーブする気満々だ。そうして繋がれてしまえば、最後にはまた希和ちゃんが丁寧に返し、こちらの攻撃――という流れに戻ってくる。当然、いつかは私へトスが回ってくる。
ひゅるる、
とこちらへトスが飛んできた。長いラリーになって体力が削られるくらいなら、早い段階で勝負を仕掛けよう、という静ちゃんの判断だろう。幸い、さっきの速攻が楔となって、芹亜ちゃんはレフトへ回ってこない。ナナちゃんとの一騎討ちだ。
さて、どうしよう……と踏み込みながら考える。フェイントは一番警戒されているだろうから、無し。さっきとタイムアウト前はブロックアウト狙いでぶつけてみて、止められた。なら、今回はクロスを狙ってみようか。抜けるなら、それに越したことはない。抜けないにしても、ナナちゃんの意識がクロスへ向くなら、次でその逆のストレートを狙う布石になるはず。
――なんて、これくらいの考えは、お見通しかな……?
ばんっ!!
とクロスへ打ち込んだボールを、車のワイパーが雨粒を弾くみたいにさっと腕を振るって叩き落とすナナちゃん。着地して、またも目が合う。
「「…………」」
動揺は微塵も見られない。これは弱ったな――もしかすると、私が打つコースが見切られているのかもしれない。藤本さんがブロッカーやレシーバーを見てから打つコースを変えているように、ナナちゃんは私の動きをぎりぎりまで見てから止めるコースを決めているのかも。観察に集中して高さがいくらか下がったとしても、元々大きな差があるから隙にはならない。コースの打ち分けが駆け引きの材料にならないとすると、出し抜くのはさらに困難になる。むぅ……本当に、どうしたものか……。
スコアは、17―22。
点差が五点に広がった。そして、あと三点取られたら負け。いよいよカウントダウンだ。
ぽた、ぽた、と流れ落ちる汗を拭う。みんなが声を掛けにくそうに息を潜めている気配を背中に感じる。ごめんねぇ――そう言って笑おうとしてみるけど、口の周りにうまく力が入らない。
まずいなぁ……と目元を手で覆う。思っていた以上に、プレッシャーが大きい。色々な感情に溺れそうになる。悔しさやふがいなさ。意地や負けん気。それに――恐怖。
いざ敗北が迫ってくると、あまり考えないようにしていた、キャプテンとして――チームの代表としての責任が、重くのしかかってくる。
私の負けは、キャプテンの負けだ。それは少なくない動揺を周囲に与えるだろう。果たして、ここで私がナナちゃんに完敗を喫したとして、その事実を引き摺らずに次の試合に臨むことなんてできるだろうか。それは何も城上女子のみんなに限った話じゃない。明正学園のみんなだって、どこか気まずさを抱えることになるんじゃないだろうか。真剣勝負に余計な影が生まれやしないか。私の我儘のせいで合宿の総決算が台無しになってしまわないか。もしそんなことになったら、ゲスト参加してくれた礼亜さんたちはどう思うだろうか。まるまる四日も付きっきりで指導をしてくれた先生たちはどう思うだろうか。ひどくがっかりするんじゃないだろうか――。
それに、だ。もしもそんなことになって、煮え切らない気持ちのままで合宿を終えてしまったとして――そうして私は家に帰って、お父さんやお母さんに、一体なんて言えばいいんだろう。お父さんは「頑張れ」って応援してくれた。お母さんには、「城上女子の主将として頑張る」って、約束したのに……。
我儘でいることとキャプテンであることが衝突して、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
そうしてすっちゃかめっちゃかになった脳裏に、一人の女の子の悲痛に歪む顔が過った。
『先輩には……私の気持ちなんてわかりっこないです! 私みたいな――頑張ることもできない、ダメな人間の気持ちなんて……っ! 先輩にわかりっこない!!』
私はぐっと奥歯を噛み締め、唾を飲み込む。
――そうだ……そうだよ。結局……どれだけ迷ったって、なんと言われたって、どうなったって……私にできることは、たった一つ。
「……がんばらなきゃ……」
その時だった。視線を感じる。はっと顔を上げて振り向くと、硬い表情をした胡桃さんが、ベンチから立ち上がって、じっと私を見つめていた。
ぴぃぃぃ、と笛の音がいやに高らかに響く。そして、二度目のタイムアウトが取られた。




