163(透) ただのオーバーハンドパス
牙を剥かれた、と感じた。
ここまで、こんなに大がかりな仕掛けはしてこなかった。由紀恵さんのメンバーチェンジで場が動いたときも、芹亜が個人で活躍しただけで、チームとしては静観の姿勢を崩さなかった。言わば、動かざること山の如しだった。
それが、このタイミング――一番強いローテで、セッターや守備位置を変更しての強襲。まさに、侵掠すること火の如し、だ。
「ごめんなさい……スパイク拾われちゃって、ブロックもつられて……」
「今のは仕方ないわよ。それより、次はレセプションから、きっちり一発で切りましょ。ラリーに持ち込まれると、夕里がいつまた隙を突いてくるかわからないもの」
「一発で……となると、藤島さんはかなり警戒されてるみたいだから、ここは霧咲さんがいいかな?」
「そうですね。凛々花があたしのことめっちゃ見てたんですけど、一枚ブロックくらいなら、なんとかしてみせます」
「わ、私も! トスをいただければ、次はがつーんと、き、決めますっ!」
「う、うん……ありがとう。じゃあ、そんな感じで――」
「どもども! 失礼しまっせ!」
前衛三人で相談していたところに、ずずいっ、と顔を出す実花。にこにこと笑う口の前で、鋏をチョキチョキしている。
「ラリーに持ち込ませずレセプションから一発で切りたい――そんなあなたにぴったりの商品っ! ご用意しております! 今ならなんと聞くだけ無料! ささっ、知りたい方はこちらをクリック!」
怪しげなインターネット商法みたいにそう言って、ぴちっと閉じた鋏を突き出す実花。私たちは頷き合って、その指(というより手)を握る。実花は一層にこにこして、「あのね――」と早口にその作戦を伝えた。
「――ってことで、よろしくお願いします。それじゃあ、カット集中していこー!!」
プチ作戦会議を終えて、私たちは定位置に散った。相手のサーブは希和。さっきと同じ立ち位置、同じフォームで、ばしっ、とボールを打ち出した。狙いは――これもさっきと同じ、私の前だ。
『まず、とーるう。さっきみたいなサーブが来たら、カットはしずしず先輩にぴったり返すこと。そして、そのまま――』
私は実花の言葉通りに、しっかりボールの落下点に入り、なるべく腰を落として丁寧に静さんに返す。レシーブは、果たして、成功。ほどよい弾道のAカット。ただ、レシーブに注力した分、ここからレフトに開いて打つとなると、助走距離を確保できずに半端なアタックになってしまう。
でも、いいのだ。レフトに開くのは間に合わない――なら、レフトに開かなければいい。
「静さんっ、お願いします!」
私はサーブカットを上げた位置から、そのまま静さんの元へ踏み込みを開始した。ネットに対して鋭角な、やや変則のAクイック。これにあちらのブロッカーは、
「透が、速攻――!?」
「やからどうしたやで、颯! やることは変わらへん――キミは透の正面塞いでな!」
「お、おう!」
私の動きに、夕里と颯が合わせてくる。でも、これは――囮。
『そして、そのままとーるうは速攻。で、ねねちんはその裏から――』
「静先輩!」
私の踏み込みと交差して、音々がレフトへ駆け出す。私をマークしている夕里と颯をセンターに釘付けにして、空いたレフトの隙を狙うのだ。
「凛々花、キミのお友達があっち行ったで!」
「大丈夫よ、任せなさいっ!」
音々が私の裏を回ったように、凛々花は夕里と颯の裏を回り、副審側へと音々を追って走る。
『ねねちんはその裏からレフトに回る。ただし、ここまでやっても、たぶん相手の前衛は振り切れない。でも、ここは『振り切れない』でいいの。なぜなら――』
そう――つまり、これも囮なのだ。
『とーるうとねねちんがブロッカーを引きつけることで、あっちの前衛はセンターより副審側に固まります。そうしたら、あとはしずしず先輩が――』
はっ、と夕里が息を飲むのが聞こえた。気づいたんだ。でも、もう遅い。
『あとはしずしず先輩が、バックトスの要領で、誰もいなくなった主審側――相手コートのFLに、ちょんっ、とやるだけです!』
本命は、静さんのツーフェイント。
「――ここは外せないよね」
ちょんっ、
と私が跳び上がる直前に、静さんは滑らかに右斜め後方へボールを送った。ボールはするりとネットを越えていく。その先には、誰もいない。夕里が追おうとするも、隣に立つ颯が障害になってスタートが遅れる。間に合わない。そうしてボールは音もなく落ちていく。が、
「まったく楽しませてくれる……!」
床に触れる寸前で、後衛から白い腕が伸びてきた。リベロの志帆さんだ。BLを守っていた志帆さんが、ぎりぎりで静さんのツーに気づいて飛び込んできたのだ。そして、
ぼんっ、
と平手がボールを受ける。まさに紙一重のレシーブだ。ふわりと浮き上がったボールは、そのまま、ネットを越えてこちらに戻ってくる。
まずいっ! と私は焦る。主審側に前衛が誰もいないのは、こっちも同じなのだ。あちらの主審側ががら空きだったように、こちらの主審側もがら空き。そこへボールが返されたら、どうなるか――私も静さんも咄嗟のことで動けない。このままでは……っ!
「さっすがしかしほ先輩! でも、ここまでですっ!!」
――えっ?
と私は声のしたほうに目を向ける。がら空きだったはずのFR。そこに、いつの間にか実花が跳んでいた。スキップのように軽くジャンプして、返ってくるボールに対してオーバーハンドを構えている。そのままダイレクトに返すつもりなのだ(後衛の選手がフロントゾーンでジャンプした場合、たとえオーバーハンドでも、ネットより高い位置からボールを相手コートに返すと反則になる。だから実花は『スキップ』程度にしか跳んでいないのだ。ネットより低い位置でボールを捉え、なおかつ、できるだけ素早く返すために)。
実花の視線を見るに、狙いは恐らくあちらのBL。志帆さんが前に飛び出したことで空いた穴だ。しかし、実花が実花なら、志帆さんも志帆さんだった。
「――希和!」
「うっす!」
いつの間に指示を出していたのか――実花がボールを返そうとしたまさにその瞬間、志帆さんの空けたBLの穴に、BCの希和が走り込んできた。二日目の午前中にやったぐるぐる回ってレシーブするあの練習と要領は同じだ。志帆さんは自身の空けた穴を狙われてもいいように、事前に保険をかけていたのだ。
「――それでも、やっぱりここまでですっ!」
言って、実花は、ひゅ、と『BC』へダイレクトを返した。志帆さんが空けた穴を埋めた希和が空けた穴――さすがの志帆さんも、あの一瞬では希和一人を動かすのがやっとだったのだ――にボールは吸い込まれていく。逆を突かれた希和が「マジかっ!?」と腕を伸ばすも、敢えなく空振り。
ぽんっ、
と、錯綜したラリーは、あまりに軽い音で決着がついた。
「……やるじゃないか、実花」
「いえいえ、それほどでも!」
ぶいっ、とピースを決める実花と、立ち上がって右手を擦る志帆さん。二人のやり取りを呆然と眺めながら、私は今回の合宿でやったことを思い返していた。『ボールコントロール』と『連携』――それは『守り』や『繋ぎ』に役立つだけではない。狙ったところにボールを送る技術と、相手の連携の穴を見つける目があれば、強いスパイクでなくとも、ただのオーバーハンドパスで一点が取れるのだ。
なんだかな……まだまだ、私には足りないところがいっぱいある、と考えさせられる。
ともあれ、スコアは、15―17。二点差に戻し、こちらのローテが回る。
続くレセプションで、明正学園はセッターを七絵さんに戻してきた。音々のサーブから、希和がカットし、凛々花・颯・夕里の三枚攻撃ですぱんと切ってきた。
スコア、15―18。
あちらのローテが回って、颯のサーブ。また私の前のスペースを狙われた。なんとかレシーブを静さんに返し、そのままレフトにトスをもらう。正面には七絵さんと夕里のブロックが立ちはだかり、さあどうぞお通りくださいとばかりに空いたクロス方向には志帆さんが待ち構えている。どうしたものか……と悩んでいると、背後から小さくも鋭い声が耳に届いた。
「フォローオーケーです」
三園さんだ。私は思わず頬が緩みそうになる。そうだ……シャットさえされなければ、きっと三園さんがなんとかしてくれる。悩みは一瞬にして吹き飛んだ。ならば、いっそ一番堅いところに――! と、私はストレートに向かってボールを思いっきり叩いた。岩壁のような七絵さんのブロック。恐らく手の平に直撃したのだろう、ぱあんっ、と心地よい音が響く。ボールは、果たして、まだ生きていた。
「オーライ」
と三園さんの声。振り返ると、ボールはバックゾーンまで跳ね返されていた。三園さんはそれを、ありがたいことに、ゆったりとしたチャンスボールに仕上げてくれる。私は息を弾ませながら、だだだっ、とコート外まで開く。さっきは十分取れなかった助走距離。今度はたっぷりと、大股に踏み込めるくらいに取る。
「レフトっ、もう一本くださいっ!」
トスを呼ぶ。静さんがそれに応える。ふわり、と流れてくるボール。私は万全の状態から、今度はクロスへスパイクを叩き込む。
ばんっ!
「っ――ん、これはなかなか……」
と、ボールは志帆さんの守備範囲外に突き刺さった。たとえコースが絞られていても、純粋にアタッカー対レシーバーなら、なんだかんだ言ってもやはり有利なのは攻め側なのだ。私はほっと一息つく。すると、
「……藤島さん、なんだか、少し変わった?」
「えっ、そ、そうですかね……?」
不思議な味の海外の飴を舐めているみたいな顔で、七絵さんが私をじっと見てきた。たじろいでいると、ぽんっ、と背中に小さな手の感触。
「ナイスキーです、藤島さん」
振り返ると、三園さんがくりくりの目で私を見上げていた。それだけで、まるで羽が生えたみたいに身体が軽くなる。私は自然と笑顔になっていた。
「うんっ!」
これで、スコア、16―18。
小さいようで大きい二点差だ。なんとかして、二十点台に乗られる前に追いつきたい。しかし、それは明正学園の立場で言い換えれば、意地でも追いつかせたくない、となるだろう。
こちらはローテが回って、サーバーは静さん。前衛は三枚攻撃。サーブで崩すことができれば、一周前みたいに連続得点するのは十分に可能のはず……。しかし、さすがにあちらも、ここは手を打ってきた。
「夕里、悪いがちょっと下がってもらえるかな。ここで盛り返されると厄介だからね」
「了解です」
志帆さんの指示で、明正学園は五人レシーブ体制となる。守りを固める作戦だ。
――――――――
七絵
夕里 凛々花 颯
志帆 希和
――――――――
これに対して、静さんは夕里を狙った。やや深めに打ち込んで、速攻を封じにかかる。夕里は、しかし、落ち着いてオーバーハンドでしっかりとボールをセッターに返した。そしてそこから、
ばしっ、
と七絵さんのツーアタック。どこかであるかな……とは思っていたけれど、というかブロックに跳んだのだけれど――防げなかった。
「すいません、抜かれてしまいました……」
「ドンマイです、藤島さん」
「うぅ……ありがとう、三園さん」
私はどうにか気を取り直して、レセプションに臨む。
スコアは、16―19。
この三点差を広げられるわけにはいかない。あちらのサーバーは凛々花だった。ばしっ、と打ち込まれるフローター。それをFLの実花が堅実にカット。そこから静さんは梨衣菜の速攻を選んだ。芹亜がブロックにつき、梨衣菜はそれを避けてフェイント。夕里が拾って、芹亜のセンターセミが来る。痛烈な強打。が、梨衣菜も負けじとワンタッチを取って、それを万智さんがレシーブ、さらに静さんがライトにトスを繋いで、フィニッシュは実花。ぺちょん、とボールの上側を軽く撫で上げるように打つ。ドライブ回転のかかった山なりの軌道の軟打が、芹亜のブロックを超えて、BCを守る颯の前に落ちた。私がこっそり「ぺちょんスパイク」と呼んでいる実花のアレは、途中までは普通の強打とフォームが同じだから、野球のチェンジアップと同じ理屈で裏をかかれると緩いのに拾えない、という厄介な代物なのだ。
「「ぐぬぬ……っ!!」」
と足が動かなかった颯(と見ていることしかできなかった凛々花)はとても悔しそうに歯嚙みする。うん。気持ちはよくわかる。
そうして、スコアは、17―19。
またローテが一つ回る。はふう、と私は息を整えながら、サービスゾーンに向かった。
それにしても……ここで、後衛か。
私は相手コートを見やる。リベロの志帆さんがいないのは、あちらの弱点になると思う。けれど、いかんせん前衛にはまだ――。
「…………」
無言の存在感を放つ七絵さん。何を考えているかはわからない。ただ、追う立場だと、その隙の無さがより際立つ。まるで七絵さんの周りだけ重力が大きくなっているみたいだ。見ているだけで、ざわ、ざわ、と胸が騒いでやまない。
でも、とにかく、その場その場で、できることをやるしかない。私はごくりと唾を呑み込んでから、ゆっくりと、サーブを放った。




