160(志帆) アブノーマル
さすが胡桃は思い切りがいい。ちょっとした亀裂を見逃さず、貪欲に崩しにくる。
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実花 由紀恵 透
↑New!
万智 ひかり 静
思っていたよりは早いタイミングでの切り札投入。先に動いて私がどう反応するのかを見極める狙いもあるのだろう。で、当の私の解答はといえば――「こういうときは下手にジタバタしないに限る」だ。
「落ち着いて、目の前のことを一つ一つやっていこう。由紀恵のことはひとまず意識しないでいい。それよりも、まずは静のサーブだ。かなり厳しいところを突いてくるからね。際どいところは積極的に取っていこう。とにかく、ボールを落とさないこと。そして全員でフォローし合うこと。みんな、よろしくね」
「「はい!」」
私が声を掛けると、みんな素直に頷いてくれた。大丈夫。浮き足立ってはいない。清静為天下正――私が何か特別な仕掛けをせずともこの場を切り抜けられるなら、それが一番だろう。幸いなことに、
「さっきみたいにしくじってくれるなよ、露木凛々花!」
「あんたこそ、一周前みたいにまんまと崩されないよう気をつけなさいよね!」
と、この通り、エースの調子は良好だしね。むしろ私は周りより私自身のことを心配したほうがいいのかもしれない。二年前、一年生にして城上女子のベスト8を決めたという静のサーブは、実際、それほどに厄介なのだ。
「一本、集中していこう!」
「「はいっ!!」」
あちらのメンバーチェンジが済み、各自定位置について、時間いっぱい。サービス許可の笛が鳴る。両手でボールを持つ静は、彼女なりのルーティンなのかボールの向きを微調整し、しばしの間を空けて、助走を開始。そして、
ばしっ、
と精確にボールを叩いた。狙いは、ライト線の深いところ。しっかり頼むよ希和――と私は口を開く。と、次の瞬間、
「こんっ――のー!」
ばじんっ、
と荒々しく汗が弾ける音がした。FR付近を守っていた颯が、ジャンプからのオーバーハンドでサーブを叩き返したのだ。強引だが、悪くない対応である。一般的に無回転サーブは、打ち出されてから時間が経つほど変化が激しくなる。『際どいところは取る』=『アウトっぽくても見逃さない』方針の現状、変化の出端を挫く形でカットできるなら、それに越したことはない。
「七絵先輩、フォローお願いします!」
「うん」
言って、七絵が定位置から離れる。颯のカットはネット際まで飛ばなかったのだ。しかし、高さがあるので二段トスには支障がない。距離的には夕里のほうが近かったが、今回は本来の担当に従って七絵が落下点に入る。それを見た夕里は、センターからライトへ回った。そして、
「七絵先輩、レフトお願いします!」
「うん」
颯のファーストタッチとともにレフトへ開いていた凛々花が、高々と右手を挙げた。七絵はそちらを一瞥し、くるりとレフトへ身体の背面を向ける。
「行くよ」
ふっ、
と軽くジャンプしての、バックトス。僅かに身体を反らして後方へ押し上げられたボールは、まるで見えないレールの上を滑るように、ブレなくレフトへ飛んでいく。
「凛々花っ、ブロック三枚やで!!」
「っ――!?」
ライトから夕里が警鐘を鳴らす。ブロッカーは向かって左から実花・由紀恵・透で、特にクロス方向は城上女子の最高峰が並んでいる。夕里としては言外に「ここはフェイントでかわすのも一つの手や」という意味も含ませたつもりなのだろう。しかし、凛々花は口元に笑みを浮かべ、吼えた。
「三、枚、だからぁー――――何よッ!!」
どぱんっ!
と渾身の強打。ボールはひかりの頭上を大きく越えて、壁際まで吹き飛んでいった。膝を深く曲げて着地の衝撃を和らげた凛々花は、ゆっくりと身体を起こすと、さっ、と首を振って胸の前に掛かっていた自身のサイドテールを払った。
「あたしたちの目標は『打倒・県内最高』でしょ。これくらいの壁を越えられないでどうするの」
ふんっ、と胸を張る凛々花。言うやんか、と苦笑する夕里。たまたまのくせに偉そうに、と眉を顰める颯。まったく頼りになる信号機トリオである。
一年生たちの活躍で、スコアは、10―10。
ローテが周り、凛々花が後衛に下がる。同時に、私OUT、芹亜IN。交替を終えてベンチへ向かう途中、相手ベンチの胡桃の様子を伺う。表情からは何も読み取れない。でも、指示を出さずに見守っているということは、由紀恵を軸に攻撃するという作戦に変わりはないようだ。
「おう、星賀。どうだった、市川のサーブは?」
「先生のおっしゃっていた通り、狙いがまったくいやらしいですね」
「そう、そうなんだよ。まったくいやらしいんだ、あの市川ってヤツは」
昔の教え子のことを誇らしげに語る神保先生。これではどちらのチームの味方なのかわからない。私が苦笑すると、神保先生は今のご自身の立場を思い出したのか、声のトーンを落として訊いてくる。
「で、油町のことはどうする? というか、お前、あいつの特異性については?」
「いえ、何も知らないです。普通じゃないのはなんとなくわかりますが」
「宇奈月のことといい、意外と情報収集にこだわりはないんだな、お前」
「胡桃を基準に考えるなら、そうでしょうね」
「口の減らなさはお前のほうが上みたいだな。――さておき。油町は言うならピーキーな速攻屋だ。私は三点差がついたらタイムアウトを取るつもりだが、お前のほうでもし何か手を打つつもりなら、相談は早めにな」
「わかりました。ひとまず、彼女の特異性をこの目で見てみようと思います」
「おう、そうしてくれ」
「――――しかし、どうですかね……」
言い差して、私はコートを見やる。ぴッ、と笛の音。サーバーは凛々花だ。「行きますっ!」と気迫溢れる発声から、その熱量に浮かされることなく冷静に狙いを定め、ばしんっ、とサーブを打ち出した。
「志帆ちゃん? どうしたの?」
小声でそう言いながら、知沙が私のリベロゼッケンの裾を引く。私はボールから目を離さずに引き寄せられるまま彼女の隣へ。
「いや、少し引っ掛かることが――」
凛々花が狙ったのはFRにいる透だった。透はアンダーハンドでボールを捉える。ややネットから離れるBカット。その、直後、
ざっ、
と彼女は床を蹴ってスパイクモーションに入った。レセプション不参加で、サーブの打ち出しに合わせてネット際から一旦アタックラインまで下がっていた、由紀恵だ。
「静、いつものっ!」
100パーセント果汁のオレンジジュースみたいな溌剌とした声でトスを呼び、大きく腕を振って弾みをつける由紀恵。私はベンチに腰を下ろすのも忘れてそれに見入った。ピーキーな速攻屋――こういうことか、と驚く。まずテンポが早過ぎる。セッターからの距離もひどく遠い。その上、左打ちの死角であるはずの自身の右側から飛んでくるトスに合わせようとしている。あまりにも非常識な攻撃で、そして何より非常識なのは、そんな攻撃を『いつもの』とのたまう油町由紀恵という存在だ。
これは確かに初見では無理だ。いや、たとえ初見でなくとも止めるのは容易ではない。七絵と夕里がVS聖レ一軍で披露していたが、マイナステンポの速攻というのは基本的にリードブロックを置き去りにするものだ。きっちり抑えようとすればコミットで跳ぶしかない。
コミットで――予め標的を決め、動きをトレースし、ピンポイントでその存在に意識を傾けて、抑えにいかなければ――。
「……あっ」
ふと、呟きが漏れる。
私は合宿初日の遊戯を思い出した。引っ掛かっていた違和感がたちまち解消する。そして心の中でニタリとほくそ笑んだ。
そっか……そうだった。すると、つまり、あれか。さしもの胡桃も『アレ』の詳細までは聞き及んでいないのだな――あるいは聞いていたとしても重要視していないのか――私の遊び心に端を発する『アレ』の全容を。
あの『誰が一番気になるかアンケート』の集計結果を。
――ぱがだんっ!!
と一瞬の間に三度の衝突音。一つ目は、由紀恵が『いつもの』を打った音。二つ目は、その『いつもの』が止められた音。三つ目は、止められたボールが真下の床に落ちた音だ。
「……んあ?」
夜中に不意に夢から覚めてしまって寝ぼけているように、ぽかんと口を開けたまま固まる由紀恵。
一方、由紀恵の前に立つ彼女は、朝の日差しに心地よく目覚めて伸びをするように、ほああ、と欠伸のような声を上げた。
「間近で見ると、やっぱりすごいですねえ。由紀恵さんのそれ」
ふふふっ、と彼女――由紀恵の『いつもの』を単独でシャットアウトした芹亜は、微笑み、そして、
「あっ、よければ、もう一回お願いしますっ!」
無邪気に、ほんわかと、私が口にしたら確実に挑発と受け取られる台詞を、他意なく言い放った。
「……信じがたいな……」
やや城上女子寄りの立場からぼやく神保先生。でも気持ちはわかる。誰もまさかこんなところに罠が埋もれていたとは思うまい。こちらもあちらも芹亜以外はみな唖然としている。かくいう私もこれは予測も想像もできなかった。しかし決まってみれば、この上ない『返し』である。
特異な非常識には、独特な天然を――。
呆然と突っ立っていた私は、すとん、と知沙の隣に腰を下ろす。驚いていた知沙と目が合って、これも私の作戦のうちか、と瞬きで尋ねられる。私は上着に袖を通しながら、いいや、と首を振り、そのまま、こてっ、と知沙の肩に頭を乗せて、僥倖と充足をしみじみと噛み締めた。
「……やってくれたね」
呟くついでにわさわさと知沙のふとももを撫でる。今は試合中だからっ、とスコアブックでガードされた。知沙成分の補充は、どうやら合宿終了までおあずけのようであった。




