157(静) 安心な手のひら
ゴールデン合同合宿、最終日。
城上女子VS明正学園、第一セット。
スコア、5―5の同点。
コートポジションがBLでプレイヤーポジションがBRの私は、コートポジションがBCでプレイヤーポジションがBLである藤島さんと、コートの中央辺りで横並びになり、北山さんのサーブが放たれるのを待っていた(サーブが放たれるまではコートポジションの制約を守らなければならないので、私は藤島さんよりレフト側に、藤島さんは私よりライト側にいなければならないのだ)。
明正学園は、今は小田原さんが前衛。当然、ツーアタックは警戒しておく。特に小田原さんは長身でセット位置がネットより高いので、Aカットが上がった場合には十分注意が必要である。セッター前衛、ツーあるかも、と私と藤島さんは頷き合って、その時に備える。
が――、
「「……あれっ?」」
相手コートに向き直った私と藤島さんは、同時に驚きの声を上げた。小田原さんが、あのとても存在感のある巨体が、ネット際に不在。どこに行ったのかと見れば、素知らぬ顔でFRに構えている。その背後には栄さんがぴったりとくっついて、瀬戸さんや西垣さんに何かのサインを送っている。
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希和 芹亜 七絵
夕里
颯 凛々花
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「「ほへ……?」」
状況から導き出される結論は一つのような気がするが、私も藤島さんもそれを信じたくなくて間の抜けた声を上げることしかできない。そうこうしているうちに、北山さんのフローターが放たれる。ぎゅーん、と直線的に伸びるボールはFCにいる西垣さんへ。西垣さんはそれをオーバーハンドで処理。ネットから離れたBカット。そこへ栄さんが入り、
「ほなっ、七絵隊長、一つよろしくです!」
しゅとーん、
と滑らかなオープントスをライトへ上げた。
「ねねちんっ、詰めて詰めて!」
「えっ? あっ、は――?」
ミドルブロッカーの霧咲さんも混乱していた。宇奈月さんが強引に霧咲さんを万智の隣に追い立て、「せーの」で跳び上がる。が、案の定足並みが揃わずバラバラの三枚ブロックになる。
……いや、でも、たとえ足並みが揃って隙間のない防壁を築けたところで、彼女にとってはさしたる障害にならなかっただろうが……。
「ナイス、トス――」
ぐらぐらと揺れる床。ぐわんと躍る体躯。ぬうっと振り上げられる丸太のような腕。
巨木が倒れてくるような現実離れしたプレッシャーに、目を瞑りたくなる。足の裏が床に貼りついて、一歩たりとも動ける気がしない。それは藤島さんや北山さんも同様だったようで、
ぺしんっ、
と手首のスナップだけで打たれた軟打に、誰も反応できなかった。まるで足元のゴミ箱に丸めた紙をポイするみたいな容易さでボールをブロックのほぼ真後ろにはたき落とした小田原さんは、特に喜びを露にすることもなく、ふう、と肩の力を抜くと、すたすたと後衛へ下がっていった。
「「……え、えーっと……」」
てんてんと転がるボールを北山さんがキャッチしたところで、私たち後衛は顔を見合わせる。揃って白昼夢でも見ていたのだろうか――なんて思ってみるけれど、スコアボードの表示は間違いなく5―6だ。
えっ? じゃあ、なに? 前衛にダブルエースも栄さんもいないけどどうするのかなーって思ってたら、そういうこと? このローテが来るたびに小田原さんがライトから打ってくるの? いやいや! 力押しにも程があるでしょ!?
「はいはぁーい! びっくりですけど、いったん気持ちを切り替えましょうぉー!」
ぱちぱちっ、と手を叩いて、万智が私たちに笑いかける。呆然としていた私は我に返り、同時に、一年生たちと一緒になって呆けててどうする、とか、こんなときこそ三年生の私がしっかりしなきゃ、とか、後悔の波が押し寄せてくる。そうしてうじうじ髪に触れていると、さらに、
「対策はゆくゆく考える。ひとまず、みんなは目の前のことに集中して」
といつの間にやら胡桃がコートの近くに立っていて、凪いだ海のように揺るぎない目で一年生たちを順番に見ていった。そして私を飛ばして最後に万智に目配せすると、胡桃は回れ右してベンチに戻っていく。そうこうしているうちに北山さんと入れ替わりに三園さんがやってきて、彼女が「一本、集中です」と声掛けをする頃には、コートに広がっていた動揺はすっかり収まっていた。
いやはや……さすが万智、そして胡桃だ。よくないほうに傾きかけた一年生たちの気持ちを一瞬にして元に戻してみせた。それに引き換え私のこの体たらくよ……。
「静ちゃんっ!」
「えっ、あっ、な、なに?」
「ここ一本、よろしくでぇす!」
肩身の狭さにますますうじうじしていた私に、にぱっ、と笑顔で右手をパーにしてみせる万智。小さいけど、骨太で、もちっとしていて、テーピングの巻かれた、安心な手のひら。
「……うん、わかった」
こくっ、と私は頷く。しゃっきりしなきゃ、と髪を弄るのをやめて、頬を叩く。いつまでも思い悩んではいられない。せめて最低限、与えられた仕事――セッターの役割は、きっちり果たす。
後衛の私は霧咲さんの後ろについてネット際に上がり、アタッカー陣にサインを出す。サーブは、小田原さんだった。スピードもパワーもあるジャンプフローター。藤島さんが狙われて、カットが少し乱れる。速攻に入れないと判断した霧咲さんが、二段トスに入ろうと動き出す。大丈夫、と私はそれを制して落下点に走り込んだ。きゅ、とボールの下で急停止し、私のトスを心待ちにしているレフトを向いて、ジャンプ。
「頼んだっ、万智!」
「た、の、ま、れ――――たぁ!!」
ばぢーん!
と衝撃波が出てるんじゃないかってくらいのパワーで放たれたスパイクは、ゴミ箱をゴミ箱ごと焼却炉に投げ込むみたいな荒々しさで、ブロッカーの腕もろとも(比喩だよ、もちろん)反対側の壁までふっ飛んでいった。
「ないすとすっ! ばっちり、静ちゃん!」
嬉しそうに手のひらを突き上げる万智。「それはよかった」と私はそこに自分の手のひらをぺたっと合わせた。
スコア、6―6。
瀬戸さんの「どなたかー! コートの中にお医者さんはいらっしゃいませんかー!? わりと切実にッ!」という涙の叫びをBGMに、明正学園の一年生たちがついさっき思っただろうことを、私も思った。
こんなに頼もしい彼女が、私たちの味方でいてくれて、本当によかった、と。
でも、一年生ではない私は、それだけではなく、同時にこうも思った。
安心しきって、頼りきっていて、三年生としてそれでいいのか、と。
私はちらりとベンチの胡桃を盗み見る。胡桃はマル秘ノートに何かを書き込みながら、油断なく相手コートに目を光らせている。その真剣な表情に悩みや迷いはなく、読み取れるのはただ、そうすることで自分はチームを支えているのだという、静かな自負だった。
どうにも敵わないな……でも、それはそうだよな――と、私は私が部活を去っていた一年以上もの時間のことを思う。
手のひらに残っていた万智の手の熱と感触がぼやけていく。胸の奥のほうが、じくじくと疼いた。




