24(胡桃) 何者
倒れたスコアボードが立て直され、捲れ上がってズレた得点表示が反対側のスコアボードと合わせられる。
スコア、4―6。
なかなか、どうして、とわたしは身震いする。
県内最強クラスの攻撃力を誇る成女のマリア様ローテをたった5失点で乗り切ったこのチームは、既に県大会出場にほぼ手中にしているといっていい。少なくとも、今のワンプレーは、決して『まぐれ』なんかじゃない。
実力と実力をぶつけ合い、そして競り勝った。
自分たちの手で掴み取った、価値ある一点。
それも、相手はレギュラーメンバーではないにせよ、県四強の一角だ。
まったく先が楽しみだ。
「まったく末恐ろしいわ」
同じ意味の言葉を『敵』の側から呟いたのは、成女キャプテン・相原つばめ。
「ねえ、胡桃。私、成女に戻っていい? うぞうぞしてきちゃった」
「つばめ様、そこをなんとかお力添えを」
「はーい」
今のサイドアウトでローテが回って、つばめIN、ひかりOUT。
「お疲れ様」
わたしは作り置きのドリンクを差し出す。ひかりはそれを両手で受け取って、こきゅ、と一口だけ飲んでわたしに返した。
「ありがとうございます、立沢先輩」
「身体は本当に大丈夫? どこか痛めてない?」
ひかりは、手と足の関節をぐるぐる回したり、跳ねたり横跳びしたりした。不具合がないかどうか確かめているのだろう。最後に深呼吸を一つして、首を横に振った。
「異常ありません。大丈夫です」
「そう。よかった。もし何かあったらすぐ言って」
「お心遣い感謝します」
ぺこり、とひかりは頭を下げると、わたしの横に来て、コートのほうを見た。
「立沢先輩の目から見て、何か気付いたことはありましたか? 全体的なことでも、個人的なことでも」
「全体については、まったくと言っていいほどない。今日が初めての練習で、即席のチームで、よく成女と張り合ってる。あなた個人については、強いて言うなら、梨衣菜が取れるボールは梨衣菜に取らせるよう意識して、くらい」
「先ほどの守備位置変更のことですか?」
「ううん。心がけの話。そもそも、美波の信頼と実績は『梨衣菜が取れるボール』じゃないし」
「それはそうですね」
こちらのサーバーは実花。綺麗なフォームから放たれた右打ちのフローターサーブが、レフトを守る芽衣のところへ。
「ところで、一つ、立沢先輩にお尋ねしたいことがあります」
「なに?」
「宇奈月さんのことですが」
「あなたも彼女が気になるの?」
言うと、ひかりは僅かに眉根を寄せて、頷いた。
「はい、気になります」
「実はわたしも。それで、実花のことで何か?」
「先ほどの、藤島さんのカットが乱れ、私がフォローに走った場面のことです」
ずどん、とレフトへブロード気味に回り込んだ鞠川千嘉のスパイクが決まった。マリア様ローテは、サーバー殺しのローテでもある。ほぼ必中でサイドアウトを取れるからだ。
これで、4―7。
「サーブが打たれるまで、宇奈月さんはセッターの定位置――フロントライトにいたはずです。藤島さんがボールを弾いた方向とは対角にいたはずです。なのに、なぜか宇奈月さんは真っ先に私に追いついてきました。
宇奈月さんがラストボールを返したとき、岩村先輩や北山さんの姿も近くにあったので、二人も私を追いかけてくれていたのだと思います。それでも、一番速かったのは、一番遠くにいた宇奈月さんでした」
成女は鈴木アンドロメダのサーブ。リベロの浦賀さやかが一旦抜けて、前衛に東愛梨が上がってくる。
「私が知りたいのは、宇奈月さんが私のフォローに走り出したのが一体いつなのか、です。立沢先輩、わかりますか?」
わたしはそのときのプレーを思い出して、少し考えたのち、答えた。
「実花がひかりのフォローに走り出したのは、ひかりが『まだ終わっていません!』と言った時」
「……それは本当ですか?」
「わたしの見た限りでは」
「いえ、しかし……いくら宇奈月さんの足が速くても、そのタイミングから走り出して私に追いつくのは無理だと私は思います」
「うん、わたしもそう思う」
ざっ、
と、アンドロメダのジャンプサーブはネットに掛かった。5―7。
「……申し訳ありません。私には、立沢先輩の言っている意味がわかりません。宇奈月さんの足が、韋駄天の如く速い、ということですか?」
「ううん。実花の足は、確かに速いけど、あなたほどではない」
「参りました。わかりません」
「ごめん、少し意地悪をした」
「立沢先輩、人が悪いですね」
「否定はしない」
城上女のローテが周る。梨衣菜が前衛に上がり、音々が後衛に下がる。サーブは音々。
「ひかりが『アウトです!』と言う少し前。ひかりの求めている答えはこれだよね?」
「それなら納得です。つまり、宇奈月さんは、あの時点で、藤島さんのレシーブがスコアボードのほうへ乱れて、私がそれを追うと読んだわけですね?」
「そういう解釈もできると思う。でも、わたしの目には、あの時、実花は『あなたのフォロー』ではなく『透のフォロー』に走り出したように見えた。そして、あなたの『まだ終わっていません!』で、実花は『あなたのフォロー』に走り出した」
「なるほど……よくわかりました。ちなみに、立沢先輩は、もし私が棒立ちしていた場合、宇奈月さんは藤島さんの弾いたボールをフォローできたと思いますか? なんならスコアボードを蹴り倒しても構いません」
こらこら。
「お世話になってる他校の備品をぞんざいに扱ってはいけません」
「……申し訳ありませんでした」
「もちろんあなたが怪我をするよりはいいけれど……。さておき、そうだね、良くて指先が触れるくらいだと思う」
「そうですか……いえ、十分だと思いますが」
「うん。あ、あと」
「何か?」
音々のサーブは、アンドロメダと入れ替わったリベロ・さやかの元へ。
「これも解釈問題だけれど、精神的なことを言えば」
「はい」
「実花が走り出したのは、一番早くて、あなたが『ばっちこい、です』と言った時だと、わたしは思う」
「それは……」
「美波のサーブの精度、そして、あの守備位置。美波がレフト線狙いのサーブを打つ可能性。透が左後方へ弾く危険性。自分がそのフォローをする実現性。
守備位置変更をした時点で、実花はそのヴィジョンを持っていたと思う。
少なくとも、透と音々がフェイントサーブにお見合いした時点で、実花は、次にあのレフト線へのサーブが来ると読んでいたと思う。
実際、透と音々がお見合いしたあとのサーブカットで、実花は自分の立ち位置を、それまでよりも一歩半分、バックレフト方向に移していた」
ぴたりと美波へ返ったサーブカットから、『毒蜜蜂《Killer Honey Bee》』の名に相応しい鮮やかなコンビバレー。
ばちっ、と芽衣の無駄のないクイックが決まる。5―8だ。
「……何者ですか」
「さあ。本当に何者なんだろうね、あの子」
「いえ、立沢先輩もです」
「ん?」
「興味深いお話をありがとうございました。私はコートに戻ります」
「いってらっしゃい」
ひかりIN、音々OUT。




