155(芹亜) ほんの僅かな差
透が打ったスパイクが七絵さんの腕に跳ね返されて真下に落ちる――その衝撃が床を伝って私の元まで届いた瞬間、
ぶるるっ、
と背中に震えが走った。
やっぱり『本物』は、すごい。試合だとなおさらに。
こちらのポイントになってローテが回ると、私はいてもたってもいられなくなって一人きりのアップゾーンから飛び出した。お下げに黒いリベロゼッケンの志帆さんが苦笑を浮かべてサイドラインにやってくる。やっと前衛の順番が回ってきた。交替だ。
「楽しんできたまえ」
「はいっ!」
志帆さんに肩を叩かれ、コートに入る。ぱぱぱんっ、と凛々花と颯と夕里から歓迎のタッチをもらいながらネットの前まで行って、黒い網の向こう側にいる梨衣菜に声を掛ける。
「やっと来たっスね、芹亜殿!」
「うんっ、来たっスよ!」
梨衣菜が片手を挙げて笑うものだから、私はつい、その手に触れようと手を突き出した。当然、ぐに、と途中でネットに引っかかる。おっと危ない。これがプレー中ならタッチネットになるところだった。
「なにやってるっスか、芹亜殿! ぽやぽやしてると決めちゃうっスよ!」
なんて梨衣菜は歯を見せて笑った。ちなみに、そのあと点を決めたのは、ライトにいた透だった。このローテではレフトの夕里と、ミドルブロッカーである私とでブロックに跳んだのだけれど、透は、まるで道端の縁石を飛び越えるみたいに、ひょい、と私たちをかわしてみせた。夕里は大げさに渋面を作って首を振る。
「参ったで。小細工が通じひん」
口ではそう言いつつも、諦めているようには見えなかった。対抗策を編んでいるのだろう。でも、ひとまず、これで透は後衛。
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万智 実花 梨衣菜
ひかり 静 透(サーブ)
対するこちらは、アタッカー二人の、五人サーブレシーブ体制。
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七絵
芹亜 夕里 凛々花
希和 颯
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私には速攻に入るようにとのサイン。夕里がレフトに回る都合もあるので、私はアタックラインより前に守備位置を取り、夕里は後ろに構えた。
サーバーは、透。ゆったりとしたフォームのフローターサーブだった。ボールはFRの深いところを守っていた凛々花へ。正面で受けるも、カットは少し詰まった。
「短いです、すいません!」
「大丈夫。――西垣さん」
七絵さんはボールの下へ移動しながら、私に目配せする。こういうときにどうするかは、もう教わっていた。カットが乱れたときには、乱れた分だけ踏み切り位置をズラすのだ。ネットから離れた位置にカットが上がったならネットから離れた位置で跳ぶ。左右にズレた場合も同様。私はカットの軌道と七絵さんのセット位置を確認し、それに合わせた踏み込みを行う。あとは、ネットとの距離にさえ気をつければ、いつも通りの感覚で打てばいい。
「えいっ」
ばちんっ、
とトスが来たので打った。いい感じの手応え。しかし、
「痛ぁーっス!?」
どうやら梨衣菜に触られたらしい。止められたわけではないみたいだけど、ボールはどこ?
「「芹亜(まりーな)! 上、上!」」
「「え?」」
主審側から飛んできた夕里(と実花)の声に従い、上を見る。ボール発見。ちょうど、すぐ正面のネットの真上。今から跳べば、相手コートに押し込める。でも、それは梨衣菜から見ても、同じこと。
「ほっス!」「やあっ」
たっ、と二人同時に飛び上がる。ほんの僅かな差で、速かったのは、梨衣菜だ。
ぱちんっ、
と乾いた音が鳴った。指先に風。やや遅れて、ふぐぅ、と希和の無念のうめき(飛び込んだけれど届かなかったのだ)。そして、笛の音。
「ふっふーん! だから言ったっス、ぽやぽやしてると決めちゃうってね!」
「ほんとだね。やっぱり梨衣菜はすごいなあ」
「いやーそんな照れるっスぅって違ぁぁぁぁう!!」
「違くないよ。梨衣菜の瞬発力は、すごい」
「そういうことではないっス! なんかこう、もっとこう、あれっス! 自分は芹亜殿の苦悶にゆがむ顔が見たいっ!」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
「なななななんでもないっス……っ!!」
変な梨衣菜。
けれど、これで、スコアは4―4。
追い越されないように、気をつけなきゃ。
<バレーボール基礎知識>
・タッチネット
プレー中に身体などがネットに触れてしまった場合に取られる反則です。
この言い方だと漠然としているので、ちょっと細かく見ていきます。
まず、『身体など』。この『など』には『服や髪の毛』も含まれます。なので、髪の長い選手は基本的に結んでいます。また、ユニホームも、たるんだり翻ったりしないようにシャツインしたり、そもそもからしてぴっちりした作りになっています。
それから、『ネット』。これは正確には『アンテナとアンテナの間のネット』です。アンテナそれ自体も含めて、その間にある白帯や黒い網の全部(※)を指します。アンテナの外側の紐や、支柱は、なので触れても大丈夫です。
最後に、『プレー中』。これは正しくは『ボールをプレーする動作中』と表現します。私自身は『ラリー中は誰でもいついかなるときもネットに触れたらアウト』という認識だったのですが、調べてみるとどうもそうではないようです。
例えば、レシーブが明後日の方向に飛んでいき、後衛のメンバーがそれを必死に追いかけている間、呆然と見ているブロッカーの肩が不意にネットに触れてしまったとか、そういう『プレーに絡んでいない場合の接触』はタッチネットにならないようです。
とは言え、『相手への妨害行為』と見なされるとどんな場合でもタッチネットになるので、基本的には触らないほうが無難です。
そして今回西垣さんがやっちゃってますが、たとえラリー中ではなくとも、ネットに触れるのは極力控えたほうがいいです。タッチネットにはなりませんが、相手への挑発と判断されると、イエローカードをもらう可能性があります。
※ この『ネット』の定義は一度、2009年に『アンテナとアンテナ間の白帯のみ』に改正されました。それが、2014年に『白帯も黒い網も全部』に再改正されました。バレーボールのルールは最初期に比べるとあちこちで緩和されているのですが(過去には、足でレシーブ、ブロック時のオーバネット、サーブのネットインなどが全て反則に含まれました)、『一度緩めたルールが再び厳しめに戻った』例はこのタッチネットくらいだと思います。
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余談ですが、『バレーボールで好きな反則は?』と訊かれたら、私は『タッチネット』と『ペネトレーション・フォールト(『オーバーネット』と『パッシング・ザ・センターライン』を合わせてこう言います)』と答えます。
要するに、ネットに触れたらダメ、ネットの上から手を突き出してもダメ、ネットの下から足を踏み出してもダメ、ということです。
これらの反則は、バレーボールが『敵味方がネットに隔てられていて基本的に接触プレーがない』スポーツであることを保証してくれています。
バレーボール以外のメジャーな道具を使わない系の球技(サッカー、バスケ、ハンドボール、フットボールなど)では、どうやっても接触プレーが発生します。当然、それによる怪我や事故も起こります。また、いわゆるラフプレーが行われることもあります。
しかし、バレーボールは上の二つの反則により、『原理的』にそれらが発生しないようになっています。この『相手に直接干渉できない』という原理は、バレーボールの大きな特徴の一つと言えるでしょう。そしてこの原理ゆえに、バレーボールには『フォールト』はあっても『ファウル』はないのです(しれっと断言してますがあったらすいません(汗))。
この点が、私にはとても『フェア』だと感じられて、気に入っています。




