154(梨衣菜) 合宿で得たもの
大地が、震えた。
――どんっ!
〝黒い鉄鎚〟が振り下ろされ、相手コートに楔が打ち込まれる。
ブロックに跳んだ二人――七絵殿は少し困ったように頬を掻き、夕里殿はぱちぱちと目をしばたいて、コートの外まで跳ねていったボールを見つめた。
スコア、2―3。
決めたのはもちろん、我らがエース――。
「透殿ぉー! ナイスキーっス!!」
「う、うん。運が、よかったよ」
「またまた! ご謙遜をっス!」
「……ありがと、梨衣菜」
ほわ、と小さく口元を綻ばせる透殿。そこへ「やったね、とーるうー!」と実花殿が後衛から抱きつきにやってくる。透殿がまた小さく「ありがと」と言って微笑んだ。
透殿、自分、実花殿。ローテが回って、前衛はこの三人。さらにもう一つ回ると透殿が後衛に下がってしまうので、できればここで同点に持ち込みたいところ。頼もしいことにサーバーは静殿だから、これは好機っス。
――――――――
実花 梨衣菜 透
万智 ひかり 静(サーブ)
でも、明正学園の前衛も、これまた手強い。
―――――――――
七絵 夕里 凛々花
志帆 希和 颯
前衛三人の高さはほぼ互角。だからこそ、このローテ、鍵になるのは自分だ。
合宿の成果を見せるときが来たっス!
「ナイッサーっス、静殿ぉー!!」
自分は相手コートをチェックしながら声を出す。向こうはセッターの七絵殿と、七絵殿がFRのプレイヤーポジションに入る都合で今はミドルブロッカーとなっている夕里殿がネット際に上がり、四人レシーブ体制。一つ前とほぼ同じ陣形だ。
――――――――
七・夕
凛々花 颯
志帆 希和
――――――――
ばしっ、
とサーブが放たれる。静殿が狙ったのは、ローテの制約で凛々花殿より半歩後ろに構えていた颯殿の右手前、FRのライン際だ。
「希和、ジャッジ頼む!」
「イッ、アウ、イ、ア――――ウイーン!!」
「おまっ、なぜ突然自動ドアの物真似をッ!?」
「颯、いいからボールをよく見て上に!」
「くっ、の……!?」
すんでのところで落下点に滑り込む颯殿。ボールはふわりと舞い上がり、こちらのレフトサイドに落ちてくる。ネット際だ。これは透殿にダイレクトスパイクのチャンス――!
「とーるう! 一旦しずしず先輩に戻すよっ!」
「オ、オーライ……!」
透殿はその場ジャンプで打とうとしていた動きをキャンセルして、オーバーハンドの構えを取る。その対面で、同じくブロックのモーションに入っていた七絵殿が、僅かに目を細めた。そうだった……今、透殿の正面には、七絵殿がいる。迂闊に攻撃していたらどうなっていたことか――。
「静さんっ」
お願いします、とチャンスボールを返す透殿。アタックラインまで下がっていた自分は、タイミングを計って切り込む。
レフト平行―センター速攻―ライトセミの三枚攻撃。あちらの前衛三人は、こちらの前衛三人の前にそれぞれ立ちはだかり、受けて立つ構え。それを見て自分は思う――やっぱり、勝ちの目があるとすれば、ここだ、と。
つまり、自分がどれだけ、やれるか。
今、透殿の前には七絵殿がいて、実花殿の前には凛々花殿がいる。どちらも向こうのほうが身長が高い。対して、自分の相手は夕里殿。高さだけなら、自分が上。
――かましてやるっス!
「静殿!」
トスを呼ぶ。踏み込む足元を意識しながら、上空のボールと静殿のセットアップを視界に収める。今回の合宿で得たものの一つ――Aクイックの『安定』。もう打ち損ねていた合宿前とは違うっス!
さあ来い――そう念じたのが伝わったのか、ふっ、と頭上にトスが置かれる。来た! と目を見開き、直後、だっ、と「ここだ!」という位置とタイミングで跳ぶ。そして一番高いところで、
ばしんっ、
と会心の手応え!! これは――、
「甘ぁーいでー!」
ごっ、
と夕里殿のワンタッチ! いやでもなぜっスか!? 夕里殿の手がなさそうだったクロスを狙ったのに!!
「そこは経験と腕やな!」
「くぬー!?」
いや、しかし、まだ落ち込むのは早いっス。あっちは二枚攻撃。そして自分にはもう一つ、この合宿で得たものがある。それは――、
「まりーな、いける!?」
「いつどこからでも来いっス!」
リードブロック! トスを見てから跳ぶアレっス!
リベロの志帆殿がゆったりとチャンスを上げたのを確認して、自分は相手の前衛三人の動きをチェック。セッターの七絵殿は定位置、夕里殿はFC、凛々花殿はFL。恐らくはレフト平行―センター速攻のコンビ。
果たして、夕里殿はAクイックに切り込んできた。その気配を肌で感じつつ、自分は視線を上へ。ぴったり飛んでくるチャンスボール。それを見た七絵殿が、
ぐわんっ、
と跳躍。
ええええっ待っ高っ!? これトス見てから跳んで間に合うっスか!? っていうかツーされたらどうしようっス!?
「そこは気合と根性だよ!」
と実花殿からアドバイス。なるほど、それなら自分、得意っス!
一瞬でも速く反応しようと、七絵殿の手の動きに集中する。ジャンプした七絵殿と落ちてくるボールが接近――接触、ボールの行き先は、目の前!
跳べっ!!
「りゃあーっス!」
「なんのっ!」
そこに向かって両手を突き出したはずなのに、ボールはまるで落ち葉のようにひらりとすり抜けていく。
「っ、宇奈月さん!」
「お任せです! 行っくよー、とーるう!」
「うんっ」
自分の右斜め後ろに落とされたフェイントを、BRの静殿が辛うじて拾い、それを実花殿がアンダーハンドでレフトへ繋ぐ。
ひゅるる、
とほどよい高さに上がる二段トス。対して明正学園は、
「凛々花、止めたるで!」
「この時を待ってたわ!」
七絵殿と夕里殿に加え、凛々花殿がブロックに加わる。三枚ブロック。透殿は、しかし、目の前のボールに集中しているのか、怯む様子もなく跳び上がる。
ぐわあっ、
と右腕を引き上げながら宙へ。弓を引き絞るように身体を反らせ、最高到達点に至ると同時に『引き』も終える。ぴたっ――と空中で透殿の時が止まり、刹那ののち、溜め込んだ力が解放される。
ばちごーん!
「ワンタッチ――!」
それマジっスか七絵殿!? ボールはクロスへ大きく膨らんでいる。落下点には颯殿。
「七絵先輩ッ!」
三枚ブロックから大急ぎでレフトに引き返しながら、凛々花殿が火を吹くように叫ぶ。思わずそちらへ釣られそうになる。でも……ひとまず定位置で待機。チャンスボールが上がったのを確認。相手の前衛の動きをチェック。素早く動き出せるよう余計な力を抜いて、セットアップする七絵殿を注視。そして、
とんっ、
と今度はレフトへ平行が上がった。サイドステップしながら弾みをつけて、実花殿と並び、全力でジャンプッ!
「ぬりゃあーっス!」
ばんっ!!
「ワンタッーチっス!」
「なあっ!?」
「ナイスです、北山さん」
凛々花殿のスパイクに両手が弾かれ、変なとこへボールが飛んでいってないかと心配したのも一瞬、ひかり殿の声で意識を攻撃に切り替える。
「チャンスボール、行きます」
再びの三枚攻撃。自分は速攻へ入る。ここでセッターの静殿は――もう一回透殿での勝負を選んだ。自分は空中でトスを見送り、着地してすぐさま左側を向く。
そこにいたのは、二人の怪物。怪物は、自分の手が届かない高さにあるボールを、喰らい合う。
ばぢんっ――!!
「っ……!?」
「……ふぅ」
勝負は、七絵殿に軍配が上がった。ボールはネットのすぐ真下で跳ね、ブロックフォローに入っていた万智殿の足元に転がる。悔しげに目を潤ませる透殿。七絵殿はほっとしたように肩の力を抜いた。
スコア、2―4。
目の前で繰り広げられた光景を処理するのに、しばらく時間がかかった。ラリーで上がった息を整えながら、思う。
今回の合宿で得たものは色々あるけれども、もしかすると、『これ』が一番大きなものかもしれない。この感覚――高い、遠い……という、感覚。
できることが増えるということは、見えるものが増えるということだ。
透殿や七絵殿が『すごい』のは、初めて会ったときからわかっていた。だって、巨大だから。超高校級――数百人に一人レベルの、特別な才能。
けれど、そんな透殿や七絵殿でも、悔しい結果に歯噛みしたり、紙一重で得た一点に胸を撫で下ろしたりする。
なんでも思い通りにはできないのだ。たとえどれだけの力があっても。二人ともそのことを知っている。だからああして、自分と対等以上の相手と戦うときには、傍目にわかるほど、結果に一喜一憂する。
自分は……でも、透殿や七絵殿に、そんな顔はさせられないだろう。というかまず勝負にならない。夕里殿がわけなくひらりとかわしていったように、自分は透殿を止められないだろうし、七絵殿を抜くこともできないだろう。
できることが増えて、見えるものが増えて、ようやくわかり始める。
同じコートに立ちながら、自分とはまったく異なる次元で、勝負をしている人たちがいる。
透殿、七絵殿、夕里殿――県選抜にして、全国経験者。高くて遠いところにいる人たち。
彼女たちに、これから、自分はどれだけ近づけるだろうか。どれだけの境界を踏み越えれば、同じところに立てるだろうか。
ぶるるっ、と背中に震えが走る。
今の自分はまだ、Aクイックを打つときみたいに、足元と目の前を確かめることでいっぱいいっぱいだ。けれど、でも、いつか――。
「梨衣菜」
呼び掛けられて、自分は考え事を中断した。ひとまず未来は置いといて、なにより大事は現状っス。
「やっと来たっスね、芹亜殿!」
「うんっ、来たっスよ!」
なんて言いながら天然ボケをかます芹亜殿。競技は違えど、全国経験者であるところの芹亜殿。その目に何が見えているのかは未だよくわからないけれど、とりあえず、自分が目下倒すべき相手は確定っス。
「なにやってるっスか、芹亜殿! ぽやぽやしてると決めちゃうっスよ!」
やがて、ぴッ――と耳心地のいい笛の音が聞こえ、サーブが放たれた。




