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じょばれ! 〜城上女子高校バレーボール部〜  作者: 綿貫エコナ
第八章(城上女子) VS明正学園高校
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144(樒) 二日目午後

 ゴールデン合同合宿、二日目午後。


 二日目の主題は『連携』。午前中は守備が主だったが、午後からはさらに攻撃も加わるようになった。


 午後一番の練習は、三人一組で、スパイクレシーブから、二段トス、アタックまでを行うというもの。三人はBC(バックセンター)BL(バックレフト)FL(フロントレフト)にそれぞれ入り、後衛の二人がレシーブとトスを、前衛の一人がアタックを担当する。ただし、アタック担当の子も、決してファーストタッチをしないわけではない。たまにフェイントが飛んできたりするので、その時は自分で拾って自分で打つことになる。


 この練習はスパイクまで打つので、両面同時進行はできなかった。代わりに、一度に二組六人がコートに入って、前の組がスパイクを打ったらすぐ次の組にボールが打ち込まれる――という形で進んだ。これまた練習のテンポが早いので、生徒たちも、ボールを打つ神保先生の旦那さん――唯文ただふみさんも大変そうだった。また、残る三組のうち、一組は空いているコート脇でサーブカットに取り組んだ。ここには、午後から参加の明正学園の裏部員だという子たちが混ざった。


 やがて、一時間強ほどで練習は次のメニューに移る。今度はスパイクから始まる練習だ。一組がレフトからのスパイクを打ち、もう一組がブロック&レシーブをする。スパイク側は、基本的にブロックの空いているクロス側に打ち込む。ブロック側は、FR(フロントライト)FC(フロントセンター)に構え、FC(フロントセンター)の人はトスが上がると同時にサイドステップでライトに回り、FR(フロントライト)の人と協力してストレート側を塞ぐ(しめる、とも言うらしい)。レシーバーはBL(バックレフト)に構えて、ブロックの横を抜けてきたスパイクを拾う。また、この練習中も、一組が横でサーブカットというのは同じだった。


 ばんっ、ぼんっ、ばんっ、とボールの音がいくつも重なる。きゅ、きゅ、きゅ、とシューズの音もいくつも重なる。練習に、ボール拾いに、ボール出し――ぼうっとしている人なんていない。小学生の紗亜弥さあやちゃんだって、すっかり神保先生にボールを渡す仕事が板についている。誰もが目の前のボールに集中していて、声を掛け合い、動き回って、汗を流している。


 そんな中で、私だけが、ぽつんと取り残されていた。記録係の仕事は、基本的に外から見ているだけだ。昨日はそうでもなかったけれど、今日はなまじ仕事に慣れた分だけ、意識が散漫になっているのが自分でもわかる。


 すう、と音が遠ざかり、目の前の練習風景がテレビの映像みたいに現実から切り離されて見える。そして、ぼんやりとした頭で、事あるごとに、なんだかな――と思ってしまう。


 ……私に何ができるんだろう。


 昨日の夜。家に帰ってお風呂に入ったあと、毎週楽しみにしていたドラマさえまるで見る気になれず、私はそのまま布団にもぐりこんだ。くたくただったから、すぐに眠れると思った。でも、目を閉じても、頭から布団を被っても、胸に支えた疑問は消えてくれなくて、いっこうに寝付けない。結局、朝になっても疲れは取れず、食欲も湧かなかった。朝食はお母さんに言われてむりやり詰めこんだけれど、そのせいで胃がもたれて、先程あった昼休憩では、コンビニで買ったゼリー飲料をちょびっと口にしただけで、あとはもう何もお腹に入れなかった。


 たぶん、それがよくなかったのだろう。


「しきみー先生、大丈夫?」


 声を掛けられて、はっ、と我に返った。ちょっと意識が飛んでいたらしい。見ると、水分補給をしにきた宇奈月うなづきさんが私の顔の前で手を振っていた。私は慌ててほっぺたを叩き、目をしばたく。


「あっ、ご、ごめんね! えっと、私なら、大丈夫だから……」


「そうですか? あっ、でも、今日は暑いですから、油断は禁物ですよ! ささっ、先生も一杯っ!」


「ああ、うん、ありがとう……」


 にこにこ笑う宇奈月さんからドリンクのボトルを受け取って、私は生ぬるいスポーツドリンクを喉に流しこむ。どうしてか味があまりしない。


「じゃっ、無理はしないでくださいね、しきみー先生!」


 たったった、とポニーテールを靡かせて軽やかに去っていく宇奈月さん。その背中を追おうとして、焦点がうまく定まらないことに気づく。それに、視界がまるで冬の日の窓ガラスみたいに白っぽい。どうしてだろう……原因を探る。でも、頭がぼーっとして考えがまとまらない。ばかりか、考えようとすればするほど意識が遠くなっていく。


 あっ、これ、私、まずいかも――と思った、その瞬間。


「あ、あの、先輩……っ! おれ、ちょっとなんか気分が……」


「はっ、お、マジか!?」


 ざわざわっ、とコートのほうでさざめきが起こる。その刺激で少しだけ意識が戻ってきた。


沙貴子さきこさーん、すいませーん、なんかこいつが暑さで人の形を保てなくなるってー」


「先輩、そんな、人をゼリー人間みたいに……」


「とりあえず、外で風に当たってくるといい。横になりたいなら合宿所を使ってくれて構わない。山野辺先生、ちょっとよろしいですか」


「――えっ? あ、はっ、はい!」


 名前を呼ばれて、私は反射的に頷く。


「先生、合宿所の鍵、持ってますよね。彼の付き添いをお願いできますか?」


「え? あ、ああ……はい、わかりました!」


 本当を言うとよくわかっていなかった。私がうつらうつらしていた間に何が起こったのだろう。きょろきょろと目を泳がせていると、神保先生の旦那さんの後輩だという男の人が、こちらに近づいてきた。


「あの……なんか、すいません。よろしくお願いします……」


「は、はい、えっと――」


坂木さかき、です。坂木、ゆう


 言って、私から二歩くらい離れたところで立ち止まった坂木さんは、ちょこ、と顔を前に出すように会釈した。長い前髪の奥にある目が探るように私を見る。そして視線がぶつかると、すぐに、さっ、と目を逸らした。


 ああ……この子は他人と目を合わせるのが得意じゃないんだな、と、なぜか生徒を相手にするような気分になった。


 ――――――


 気分が悪くなったという坂木さんを連れて、私は熱気のこもる体育館から出た。屋外の眩しさに思わず手を翳す。と、坂木さんは私の横に回って、斜めに屈むようにして私を見てきた。


「あの……大丈夫、ですか?」


「えっ、わ、私ですか?」


 驚いて見つめ返すと、坂木さんは顔を背け、視線をあらぬほうに向けた。


「は、はい。たぶん、軽い熱中症だからって……あっ、とりあえず、これ、飲んでください」


 たぶん私物なのだろう、坂木さんは未開封の500ミリペットボトルを差し出す。


「あ、ありがとう……ございます」


 言いながら、私は受け取ったペットボトルの蓋を開けようとしたが、指先にうまく力が入らなくてもたついた。坂木さんが「あっ、すいません……」と代わりに開けてくれる。そして改めて渡されたペットボトルに口をつけると、ごくっ、ごくっ、と一気に半分も飲み干した。甘じょっぱいスポーツドリンクが瞬く間に全身に沁み渡る。同時に、ひどい怠さと熱っぽさを知覚した。石でも背負っているみたいにずっしりと身体が重い。立っていられるのが不思議なくらいだ。どうやら相当危うい状態だったらしい。


「合宿所まで……一人で歩けそうですか?」


 頼りなさげに手を出す坂木さん。私はその意味するところを考え、結局、ペットボトルを返すことにした。


「なんとか、大丈夫だと思います、たぶん……あっ、その、ありがとうございます」


「いえ、おれは、何も……」


 坂木さんは困ったように下を向いて、子供が言い訳をするようにごにょごにょとか細い声で何か言った。よく聞き取れない。でも、何はともあれ、坂木さんのおかげで最悪の事態は免れたのだ。私はもう一度「本当に、助かりました」と謝意を伝える。坂木さんは、ごにょごにょ言うのをやめて、前を向いた。


「……とにかく、行きましょうか。もし、無理そうだったら、言ってください」


 体育館を出たときとは逆に、坂木さんが前を行き、私は後に続いた。歩き出すと、悪酔いしたような浮游感と気持ち悪さに襲われる。よっぽど「無理です」と言おうと思ったが、寸前で緊張に強張った坂木さんの背中が目に入って、私はぐっと空気を呑み込んだ。その我慢は、合宿所に着くまで続いた。


「ぷっふぁああああー……」


 倒れ込むようにして食堂の椅子に腰を下ろすと、私はテーブルに突っ伏し、たっぷりと熱い息を吐き出した。それから少しして、「あの、全部、あげます」と先のペットボトルをテーブルに置いて調理場へ行った坂木さんが、タオルに包んだ保冷剤を持って戻ってきた。


「これ、首の後ろを冷やす、効果的です」


 なんでこの人カタコトみたいな喋り方をしているのだろう……と朦朧とした頭で思いつつ、私は指示に従う。白い冷気を漂わす保冷剤を首筋に押し当てると、まるで炭酸水を掻き混ぜたみたいに、しゅわしゅわと私の体内に溜まっていた熱が散っていくのがわかる。


「……気分は、いかがですか?」


 多少よくなりました、と言おうとしたが、身体が弛緩していて声が出なかったので、私は頷きで応える。坂木さんは、よかった、と保冷剤を包んでいるのと同じ無地のタオルを私に見せて、言った。


「それじゃあ、服を脱いでください」


 椅子ごと後ろにひっくり返るかと思った。がばっ、と私が目を丸くして振り向くと、失言に気づいた坂木さんは「あっ、いや、ちがっ」と顔を真っ赤にして私から飛び退いた。


「す、すいません……! その、つまり、汗を、そのままにしておくのは、よくないという話で! 服の通気性がその、排熱のあれで、ホメオスタシスが、あっ、ホメオスタシスっていうのは――」


「わかりましたっ! わかりましたから!」


「そ、そうですか。なら、よかったです……」


 では、どうぞ、とタオルを差し出す坂木さん。私はタオルを受け取り、おずおずと坂木さんを見る。目が合う。果たして坂木さんはすぐにそっぽを向いて、居心地が悪そうに首を縮こめた。しかし待てど暮らせど、突っ立ったまま動こうとしない。


「あ、あの、坂木さん」


「は、はい、なんですか?」


「いや、なんですかというか、その――」


 私はタオルで顔の下半分を隠し、半ば睨むように坂木さんを見た。


「………………出ていってください」


「………………あっ……」


「あっ」て! なにそれ天然!? 天然ですか!?


 ――――――


 水分を取り、身体の熱を逃がし、汗を拭いて休むうちに、気分はだいぶよくなった。


 しかし、それはそれとして、私は非常に気まずい思いをしていた。文字通り、熱に浮かされていたのが冷静になって、ようやく事態に頭が追いついてきた。


 つまり、私は今、ほとんどよく知らない男の人と、密室で二人っきりなのである。いや、正確には風通しをよくするために窓も扉も開け放たれているから密室ではないのだけれど、なんにせよ『二人っきり』であることは変わりない。


 私たちは、間に三つ椅子を挟んで、横並びに座っていた。この上なくいたたまれない。まるで私たちは就活生で、これから集団面接でも始まるのかってくらい、いたたまれない。むしろ面接官という第三者がやってくる分だけ集団面接のほうがマシかもしれない。それほどにいたたまれない。


 そうしてそわそわと無言で互いの出方を伺うこと、数分。ついに沈黙が破られた。口を開いたのは、坂木さんだ。


「……その、ジャージの、膝のワッペン。ネコ、ですか。か、かわいい、ですね……」


 こ、この人雑談が下手過ぎる……!? 言うに事欠いてジャージのワッペンて!! ボロくなって穴空いたとこにお母さんがつけてくれたやつですよ!! もう死にたいっ!!


「あ、あの、私そろそろ……」


「あっ、いけない、ですよ。もうしばらくは動かないほうが……。今日は、このあと、小休憩が入るって聞いてますし、それまではここで……」


 …………えっ!? 「ここで……」の続きはないんですか!? そこで言葉を切ったらなんか意味深長な感じになっちゃいますよ! って今頃気づいて顔赤くしてるし!? どうしてくれようこの人!!


「さ、坂木さんって、おいくつなんですか?」


「二十……八です。神保先輩の、二つ下で」


「あっ、バレー部で一緒だった、って話でしたね。へえ……それで、今は何をされてるんですか?」


「え、えっと……なんというか、まだ電灯がなかった時代の夜、みたいな……」


「と、言いますと?」


()を探しています……な、なーんちゃって、あはは……」


 笑えなああああいし地雷ッ!! しかも自分で言っといてがっつり凹んでらっしゃる!? そんな特大の地雷なら事前に撤去しといてくださいよ!? でなければせめて予防線を張るとか! おかげで思いっきり踏み抜いちゃったじゃないですか!?


「す、すいません、なんか、こんなで……」


「そ、そんなこと、ないですよっ!」


「いいんです……気を遣っていただかなくて。おれみたいな、冗談一つも言えないやつなんかに、そんな、もったいない」


 すこぶる面倒くさいっ! じゃなかった! えっと、あれあれ、そう! とても繊細な人なんだなあ!!


「本当……山野辺先生のような、しっかりした人とは、おれ、全然違いますから……」


「わ、私もそこまでしっかりしているわけでは……現に体調管理もできずにご迷惑を……」


「いえいえご迷惑だなんて……おれ、ほんと気が利かなくて……ペットボトルの蓋は開けておかないわ、手を貸すこともしないわ……あげくに、ふ、服を脱げ、とか……」


 もうやめて! ただでさえこっちは地雷の後処理で手一杯なのに! なぜこの上わざわざ不発弾を掘り起こすんですかっ!?


「と、とにかく……助かりました。ありがとうございます。おかげさまで、調子も戻ってきましたし、私、やっぱりもう行きますね」


「だ、だめですっ。その、自覚症状がなくても、身体は確実に弱っているわけで……!」


 私を引き留めようとして、がたがたと慌てて椅子から立ち上がる坂木さん。とは言え立ち上がるだけで、私との椅子三つ分の距離を縮めようとはしない。


「……それに、いま戻っても、たぶん、できることはないと思いますし……」


 それは、押してはいけないスイッチだった。あるいは、点けてはいけない導火線か。


「そう……ですね」


 静かに、それでいて急速にじりじりと短くなっていく導火線。目の前で小さな火花が飛び散った気がした。


「と、とにかく、安静に、ですね、自分の身体を第一に――――って、うええ!? 大丈夫ですか!?」


 ……大丈夫じゃないですよ。それくらい見ればわかるじゃないですか。本当に、なんだかなあ、もう……。


「ご、ごめんなさい、おれ……出ていったほうが、いい、ですよね……」


 がん、がん、と坂木さんは椅子に足をぶつけつつ、私の横をすり抜けて出口へ急ぐ。そのすれ違い様、私は、自分でも驚く俊敏さで彼のジャージの裾を掴んだ。


「や、山野辺先生……?」


 逃がしませんよ。あれだけ地雷やら不発弾やらに人を巻き込んでおいて……こうなったら私だって自爆テロしてやるんですから――。


「……私、ダメなんですよ」


 ぐず、と鼻が鳴った。下を向いているから、色々な液体が垂れ流しになる。でも、まだまだこのくらいの水量では鎮めるのに全然足りない。私はもう完全に火が点いてしまっていた。


「全然……ダメなんです。本当に、何も見えてなかったんです……。だから、いざ生徒たちの力になろうと思っても……できることなんか、何もなくて。何をしたらいいかも、全然……わからないまま……。この合宿だって、見ていることしかできなくて……なんで、私は……大人で、みんなの顧問なのに……こんな――」


「山野辺、先生……」


 坂木さんはごにょごにょと何事か呟く。よく聞き取れない。ただ、ひどく困惑しているのは伝わってくる。ああ……私は初対面の人相手に何をやっているのだろう、と自己陶酔的な甘くほろ苦い後悔が私の胸を締めつける。私は自嘲するように薄く笑って、すっ、と坂木さんから手を離した。


「……すいません、今のは、忘れてください。とりあえず……このあと夕食の買い出しに行くことになっているので、たぶん立沢さんたち――マネージャーの子たちがこっちに来ると思います。それまでは……ここで大人しくしてますから。それで……坂木さんには、付き添っていただいて申し訳ないんですけど……」


「は、はい、大丈夫です。ちょっと、その、外で風に、当たってきます……」


 坂木さんが食堂を出ていくと、いよいよ火勢は増した。心のあちこちに転がっていた小さな爆弾は、次々に誘爆を起こし、どこん、どこん、と私の胸を内側から揺さぶる。爆風は嗚咽となって喉を焼き、炎熱は目頭のあたりで渦を巻いた。


 私は眼鏡を外して、タオルに包まれた保冷剤を瞼の上から押し当てた。保冷剤はいやになるくらい冷たくて柔らかくて心地よくて、余計に涙を溢れさせた。

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