141(ひかり) 体育館裏
「なんやごめんな、急にこんなとこに呼び出して」
戸締まりをして空っぽの箱となった体育館の裏手。栄夕里さんはそう言いながら後方を見回し、やがて誰もいないことを確認すると、その視線をぴたりと合わせました。
「キミにちょっと訊きたいことがあってん」
キミに――とはすなわち、宇奈月さんに、です。
で、私はというと、自主練を終えて帰ろうかというときに、二人が音もなくみんなから離れていくのを見つけてこっそり後を追ったのでした。栄さんに見つからないよう、二人とは逆回りで体育館の裏側へ向かい、今は、手前に宇奈月さんの背中、奥に栄さんの正面が見える物陰に潜み、ひっそりと息を殺しています。こんなときだけは、身体が小さくてよかったな、などと思ったりします。頷くだけで大気を震わせる藤島さんではこうはいきますまい。
「訊きたいこと? なあに?」
にこにこ顔が目に浮かぶ宇奈月さんの能天気な声。それに和んだように、栄さんも緊張を解いて軽く言いました。
「えっとな。ひとまずなんやけど、実花はなんで左で打たへんの?」
「えっ!? すごい! よくわかったね!!」
隠す気ゼロですかあなた……と、呆れる私。恐らくはカマを掛ける意味合いで切り出したのでしょう、栄さんのほうも多少面食らったようで、ふっ、と苦笑します。
「不思議な人やな、キミ。隠してたんとちゃうの?」
「私自身はことさら隠そうとは思ってないよ。城上女のみんなは知ってることだしね。ただ、ほら、うちはくるみー先輩が秘密主義者だからっ!」
「温存策、ってわけやな。まあ、確かに敵の前でいたずらに手札を見せることもあらへんよな」
「そゆこと! いやー、でもまさか、実際に打ってもいないのに見抜かれるとは思ってなかったよ」
「ウチはそういうの見るの得意やねん。筋肉のつき方とか動きの癖でな。キミの身体はとにかく片寄りがなさ過ぎる。利き腕が一つの人間なら必ずあってしかるべき重心や筋力量の片寄りがまったくない。両利きの人間にしたって、普通は左右でメイン・サブくらいの差は出る。それもキミにはない。とにかくキミはすごい身体しとる」
「すごい身体、なんて! いやーん、ゆーりんのエッチ!」
この時、私は生まれて初めて忍者の家系に生まれなかったことを後悔しました。くっ、手元に手裏剣でもあれば……今すぐ宇奈月さんの戯けた脳天にすこーんと直撃させてやったものを、です。
「さらに言うと、キミにはポジション特有の癖もないな」
「んー、それはゆーりんも大体そんな感じじゃない?」
「ウチのは、あくまで小学時代に後衛を経験したり、ツーセッターで兼業したりした過程でそうなったもんや。一般的な多面的選手。誰が言うたか『阿修羅像』。セッターやったりアタッカーやったり、複数の顔を見せるけれど、基本的にウチっちゅー存在は一人や。
そこでいくと、キミの場合は多重的選手やな。専業セッターとしての顔、チームの最強としての顔、はたまた守備専門としての顔を矛盾なく重ね合わせたような感じや。これは言うなら『のっぺらぼう』――キミっちゅー存在は、周りの人間に合わせていくらでも変化しうる。そんな風に見える」
いやはや……よく見てますね。
「いやはや! よく見てるねっ!」
感想が宇奈月さんと丸被りしました。のたうち回りたいです。
「ありがと。まあ、ほんで、この多重っぷりは、両利きで説明できることやない。キミは実際に、ある時はセッター、ある時はエースアタッカー、ある時はリベロ――みたいな経験をしてきたんちゃうかな。
となると、考えられる状況は、多数のチームを渡り歩いた……とかそのへんやろ。家の事情までは詮索せーへんけど、さしずめさすらいの転校少女ってとこやろか。恐らくは、地区予選敗退レベルから全国出場レベルまで。それも小学生の頃からやろ。そうして色んなチームで揉まれてきたことで、今のキミは成り立っとる」
本当にすごいですね。たった一日でよくそんなことまでわかりますね。
「本当にすごいねー! たった一日でよくそんなことまでわかるねっ!」
またしてもシンクロ。もんどり打って倒れたいです。
「一応、ウチは小・中とそれなりに場数を踏んどるし、強い人らもぎょーさん見てきたからな」
「なるほど。で、そこまでわかってて、ゆーりんはまだ私に何か『訊きたいこと』があるの?」
そうでした。おおよそ私が知っている宇奈月さんの全容をほとんど完璧に看破した上で、一体栄さんは何を尋ねるつもりなのでしょう。
「ウチが訊きたいのは、ずばり、キミの『最高成績』や」
ほう!
「ほう!」
「さっきもちらっと言うたけど、実花は、最低でも全国出場はしとるんやろ? やって、それくらいの経験がないなら、いくらミニゲームかて七絵さんのおるチームに勝つなんてできひんはずやもん。
つまり、実花はどっかのタイミングで、七絵さんに匹敵する選手と一緒にプレーしたか、あるいは対戦したことがある。ほんで、あんな怪物がおるとなると、それは全国の舞台以外にありえへん」
なるほどなるほど、です。言われてみれば、あの鞠川千嘉先輩にもまったく怯むことのなかった宇奈月さんは、栄さんの言うところの『それなりの場数』を踏んでいてしかるべきですよね。ご慧眼恐れ入ります。
「もし口外しないほうがええなら、ウチは志帆さんにも誰にも言わへんよ。ただ、なんとなく、ウチとキミは似とる気がして、個人的にキミのことはむっちゃ気になるねん。やから、よかったら、こっそり教えてくれへんかな。もちろん無理やったら諦めるけど……」
「あー、んー、そうだねー、むむむー」
珍しく歯切れの悪い宇奈月さん。まあ、あの人は他人に対しては押せ押せですけど、案外、他人から押されると弱いですからね。仕方ありません。盗み聞きはこれくらいにしておきますか。
「――その回答は、合宿最終日まで保留にしませんか?」
「「ひかりん!?」」
「はい、ひかりんです。ちなみに、私の他は誰も隠れてないのでご安心を」
「全然気づかへんかった……」
「私はなんとなくひかりんとの共鳴を感じてたよ!」
「やかましいです。というのは、閑話休題」
私は宇奈月さんの前に立ち、びっくりしている栄さんに向き合います。
「宇奈月さんが気になるという栄さんのお気持ちは、なんとなくですが、わかります。しかし、宇奈月さんがどんな回答をするにせよ、それが原因で栄さんの集中が乱れないとも限りません。
ですがゆえに、この場での回答は保留とし、それを最終日にある練習試合の褒賞としてモチベーションに変換されてはいかがでしょう。そちらにとっても、こちらにとっても、それが一番な気がするんです」
「……確かに、そやな。今はちょっとウチも冷静やないとこがある。まだ合宿も初日やのに、立ち入り過ぎたって反省しとるわ。ひかりんの提案は、素直にありがたい。
せやけど、『褒賞』ってつまり、ウチが試合に勝ったら回答してくれる、って意味やんな? でもそれやと、逆にそっちが勝ったときは、こっちからあげられるもんなんてなんもないで? それやとフェアやないやん」
「わかりました。では、こういうのはいかがでしょう。こちらが勝った場合には、栄さんがした質問への回答を、宇奈月さんが『私に』教える――これでフェアになると思いますが」
「なるほどな、それなら確かにフェアや」
「二人ともちょっと『フェア』って言葉を辞書で引いてこようか!?」
「つまり、ひかりんの言いたいんは、キミとウチで賭けをしよう、っちゅーことやろ?」
「そういうことです」
「どうしよう!? 私をそっちのけにして話がまとまろうとしている!?」
「ええやろ……その勝負、乗ったで! ほな、ウチはもちろん明正学園の勝利にベット。ひかりんは城上女子の勝利にベットやな。ほんで、賭けに勝ったほうが、実花の秘密を手に入れることができる」
「はい、まったくそういうことです」
「私の秘密が明かされることは確定事項なの!?」
「いいじゃないですか。もう出会って一ヶ月ですよ。そろそろ昔の話の一つや二つ聞かせてください」
「それは別にいいんだけど、なんか思ってたのと違うっていうか!」
「ほな、成立ってことで! ふふふ、最終日が楽しみや。覚悟しといてな、ひかりん、それに実花も」
「無論です。栄さんのほうこそ、宇奈月さんを気にして本来の実力が出せない、などといったことにはならないよう、くれぐれもお願いいたしますね」
「言うやんか、ひかりん! ホンマのことを言うと、ウチはキミのことも気になるんやけど……まっ、二兎追うもの一兎も得ず。欲しいものを手に入れるには一番を一途に思うんが吉やしな。キミについてはあれこれ聞かへんことにするわ」
「はい。そうしていただけると、こちらも合宿に集中できて助かります」
「ほな、引き止めてごめんな。あんまり遅くなってお風呂逃したら地獄やし、ウチはこのへんで失礼するわ」
「はい。またすぐあとで」
手を振って小走りに去っていく栄さん。私は彼女を見送って、宇奈月さんに振り返ります。案の定、にこにこしてやがりました。
「さっきも言ったけど、私はよかったんだよ? 別に隠しているわけではないし」
「隠しているわけではなくとも、そこはかとなく詮索されたくない事情がありそうな雰囲気を醸し出しているじゃないですか」
「さっすがひかりん、わかってるぅ!」
ふん、と私は鼻を鳴らして、宇奈月さんのにこにこダブルVから逃れます。
「……これで、今朝の自己紹介の借りは返しましたよ」
「うふふんっ! ひかりんってばやっさしー!」
「おいコラやめろ頭を撫でるな、です」
「ねえねえ、ひかりん! お風呂でひかりんの髪を洗ってもいい?」
「断じて否ですよこのすっとこどっこい」
「最近はひかりんの罵倒に愛を感じ始めている私だよ!」
「……率直に気色悪いですね」
「真顔やめて!?」
わしゃわしゃと絡んでくる宇奈月さんを振り切って、私は歩き始めます。
「さあ、戻りましょう」
「そうだねっ!」
薄暗い体育館裏から抜け出し、静まり返った夜の校庭を合宿所へと戻る私たち。こんな遅い時間に学校をうろつくことも稀なのに、しかもここは他校です。生ぬるい風にも、目に見える風景にも、どこか現実感がありません。
それにつけても、先程の栄さんには感服です。卓越した観察眼に加えて、あれこれなんでも聞き出そうとせずに『最高成績』のみを尋ねるセンス。期待以上の曲者でしたね、彼女も。
ここまで来たらあとは勝つだけ。今から最終日が楽しみでなりません。
しめしめ、です。




