128(樒) 顧問
ご覧いただきありがとうございます。
ここから、お話の舞台が再び城上女子高校に戻ります。
「はいっ、はい! い、いえ! こちらこそよろしくお願いします! はい、はい! はいっ、失礼します!」
電話機に向かってぺこぺこ頭を下げ、通話が完全に切れたことを確認してから、そっと受話器を戻す。そして、
「ふぅぅぅぅぅ緊張したぁぁぁぁぁ……!」
盛大に溜息をついて、へなへなと回転椅子に腰を下ろし、ぐったりと机に突っ伏す。正面の机に座って一連の様子を見守っていた花丸陽子先生は、丸眼鏡の奥の目を優しく細め、くすくすと笑みをこぼした。
「お疲れさま。向こう――沙貴子さんはお元気だった?」
「はい……相変わらず気っ風がよくてカッコよくて……うぅ、何十年経ってもあんな風になれる気しないです」
「落ち込むことないって。比べる相手が違うというか、樒ちゃんには樒ちゃんの良さがあるわよ、きっと」
「そう、だといいんですがねえ……」
ぼやいたところで、ごほんっ、と学年主任の先生の低い咳払いが聞こえ、慌てて机から起き上がり背筋を伸ばす。これには花丸先生も声を出さずに苦笑いだ。かーっと頬が熱くなり、私は散らばった書類を掻き集める。
先生の目を気にしてあたふたするなんて! 私が真っ先に心配しなくちゃいけないのは、何十年先の未来のことより、十年前の過去と何も変わってない今現在のことだ。こんな調子ではまた『いつまでも学生気分では困ります』とお小言を喰らってしまう。
学生気分。今の私にとってこれほど皮肉な言葉もない。立場的にも、年齢的にも。なんたって今の私の職業は、学校の先生なのだから。
先生。そう、先生である。私、山野辺樒は、城上女子高校に勤務しているれっきとした国語教師なのだ。年は二十六歳で、大学卒業後に教師になって五年目。この城上女には去年赴任してきて、私にとっては二つ目の職場である。
まだまだ若輩者ではあるけど、新人のくくりからは外された私は、現在、一年二組の主担任を任されている。さらに――これは去年からだが――顧問として部活を一つ受け持ってもいるのだ。
それが、なんとバレーボール部。まさかの運動部だ。私は小さい頃からスポーツは壊滅で、もちろんバレーボールなんて昔体育でやっただけの素人。無理無理無理! と思ったけれど、誰がどう見てもちんちくりんでどんくさい私にお鉢が回ってきた時点で他に適任者がいないのは明らかであり、若いんだから何事も経験、と持ち上げられてしまえば断れるはずもなかった。
「あんまり気にすることないわよ、樒ちゃん」
学年主任の先生がこちらから目を離した隙に、こそっ、と花丸先生が小声で励ましてくれる。
「ずっと気を張ってられる人なんていないんだから。今だって、樒ちゃん、沙貴子さんと合宿の打ち合わせしてたんでしょう? くたくたなのは頑張ってる証拠よ」
「……ありがとうございます」
優しいなあ花丸先生は、と頬が緩みそうになる。けれど、私は表情を引き締めて首を振った。
「でも……実際、頑張ってるのは私じゃなくて、生徒たちなんですよ」
これは謙遜ではなく本当のことだ。私は顧問らしいことなんて何もしていない。
上記のようないきさつでバレーボール部の顧問になった私だが、なんの巡り合わせかその年の新入部員はたった一人だった。そして夏の地区予選で当時の三年生たちが敗退し、引退してしまうと、残ったのは一年生選手と二年生マネージャーの二人だけ――部の存続すら困難な状況になった。
思っていたのとは違う危機に、しかし、私は顧問として何もしてあげることができなかった。部を存続させるか否かについても、存続した場合にどのような活動をするかについても、決めたのは生徒たちで、私はただ彼女たちのいいように取り計らっただけだ。
そして季節は巡り、再びやってきた春。待望の新入部員の加入で、バレーボール部はにわかに活気づいた。だが、ここでも私は特に何もしていない。生徒たちはびっくりするくらいしっかりしていて、自分たちで練習計画を立ててそれを実行するのはもちろん、他校とOGを巻き込んで私が赴任してくる前に辞めた部員を引き戻したかと思えば、さらには私の前任の顧問と連絡を取り合って合同合宿のお膳立てまでしてきた。そうして請われるままに正式に先方――私と入れ違いに転任して現在は明正学園というところでバレーボール部を受け持っている神保沙貴子先生にご挨拶したのが、今である。
「バレー部の事情はよくわからないけど、私は、樒ちゃん、頑張ってると思うけどねぇ」
「頑張って……はいるつもり、ですけど」
んー、と背筋を伸ばして、ふぅ、と小さく溜息。花丸先生は丸眼鏡に手を添えて、穏やかに微笑んだ。
「顔が硬いわよ、樒ちゃん。可愛いんだからスマイルスマイル」
「はーい……」
そう言って笑おうとするも、思うように口の形が決まらず、私は自分の頬をつねる。最近またぷよぷよしてきた気がする。でも何度「少な目にして」って言ってもお母さん「身体は資本!」って聞いてくれないからな……その理屈はわかるけど余分な脂肪とか不良在庫でしかないことに気付いてほしいよ……いやまあ自分でご飯作ればいいんだけど……っていうかいい加減独り暮らししなきゃなあ……でも一人とか寂しいし……恋人とかできたら変わるかなあ……。
なんて益体もないことを考えていたら、また溜息。最近このパターンばっかりだ。
自分なりに頑張ってはいるつもりだ。私から勤勉さと真面目さを取ったら脂肪しか残らない。そう思って勉強してきて、夢だった学校の先生になって、さらに勉強しなきゃいけないこと、できるようにならなきゃいけないこと、取り組まなきゃいけない課題が増えて、それらに精一杯立ち向かって……私なり一生懸命やってるつもり、ではいるんだ。
でも、なんというか。
教師になる前に思い描いていた感じとは、違うというか。
たくさんのやるべきこと、いろいろなやらなきゃならないこと、次々に降ってくるそれらをやっつけている間に年月ばかりが過ぎて、もう五年目。中学校や高校の三年間より、大学の四年間より長い時間が経ってしまった。なのに私は相変わらずお母さんの作る美味しいご飯と増減する脂肪に振り回されているだけ……。
教師の仕事はもちろんやりがいがある。それはとても幸せなこと。でも、教師になった私は、学生の頃の私と、何も変わってない。あの頃思っていた『先生』の姿に、今の私は追い付いていない。一回り年上の花丸先生や神保先生はちゃんと『先生』してるけれど、じゃあ私が十年後にお二人みたいになっているかと言えば、そんなことはない気がする。
ぼやぼやしているうちに、どんどん過ぎていく時間。どうにかしなきゃ、と思うけど、それ自体がダイエットみたいにやらなきゃいけないこと――しかも具体性に欠ける目標――にカテゴライズされてしまって、ついには余分な脂肪のように重くのしかかってくるだけの何かになってしまうという、この本末転倒っぷり。
「なんだかなぁー……」
ぷにぷに、とまた頬をつねる。
……とりあえず、今日の夕食はご飯を半分にしよう。あとはランニングとか――あっ、そう言えば、運動着! いい加減に新しいやつ買わないとな……いつまでも学生の頃使ってたのじゃ見すぼらしいしこの機会に……ってこれ去年大会に出た時とか宿泊学習のたびに言ってるような?
あー……ホント進歩がないな、私。
登場人物の平均身長:164.8cm




