101(志帆) 前任校
黒い山へ沈みゆく西日を背に受けて、神保先生の運転する車は桜田市へ向けて国道をひた走っていた。道に慣れているのか、時折パイパスを利用して、休日の混雑を回避しながら進む。
私は膝の上にボール袋を抱えて、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。前では運転席の神保先生と助手席の七絵がぽつぽつと話をしていた。今日の合同練習試合参加校の雑感に始まり、次いで話題は昨今の女子バレーボール界のことに移った。ブロック大会や全国大会を経験している七絵は、県外の有名選手や強豪校に詳しいので、神保先生は七絵から現在の勢力模様を聞き出し、自身の現役当時のそれと比較しては興味深そうに唸っていた。
その話が一区切りしたくらいで、車が赤信号に引っかかる。なんとはなしに前を向くと、バックミラー越しに神保先生と目が合った。
「窮屈なとこに押し込んで悪いな。大丈夫か?」
「ありがとうございます。ですが、ご心配には及びませんよ」
私の座る後部座席には、私の抱えるボール袋を始め、明正学園から持参した用具がごろごろと積まれていた。私の主観ではうまく隙間に入り込んでいるつもりだったが、傍目から見ると埋もれているように見えるのだろう。私はつとめて笑顔で応じる。
「身体が小さいと、こういうときに便利でいいですよね」
「なんかすいません」
私に気を遣った七絵が謝ってくる。私は思わず苦笑した。七絵をこの後部座席に押し込んだ様を想像したら妙に可笑しかったのだ。実直な七絵の場合、先輩である私がそうしろと頼めばそうしかねないところがまた可笑しい。
「変に我慢することはないからな。休みたくなったら適当に声を掛けてくれ」
「ありがとうございます。……それはそうと、先生」
「ん、どうかしたのか?」
信号が青に変わり、車が滑らかに走り出す。私は用意していた言葉を紡いだ。
「今後のことで、ご相談が」
「おいおい、今度はどんな無茶を言い出すつもりだ?」
神保先生は豪快に笑ってギアをトップに入れ、アクセルを踏み込む。
「おかげ様で今日の練習試合はとてもいい経験になりました。ついては、この記憶があるうちに、もう一つ大きなイベントを企画したいなと思いまして」
「こいつめ……味を占めやがって」
神保先生の呆れたような苦笑に、ええまったく仰る通りです、と私はあくまで微笑を返す。
「まあいい――。それで、改まって切り出したからには、今思いついたってわけでもないんだろ?」
「はい。今日の予備日として空けておいた来月の大型連休――ここで何かできないかと考えています。いかがでしょう、先生のご都合がよろしければ、ですが」
「来月の連休ね……そうだな、それならいい話があるぞ」
「なんと。それは一体どのような?」
私が続きを待つ体勢になると、神保先生は少し声色を変えて、思い出話をするように語り出した。
「私が明正学園に来る前――前任校でもバレーボール部の顧問をしていた、というのは話したことがあったか?」
「いえ、初耳ですが」
「そうか。まあ、それでだ。実はつい昨日、その時の教え子から連絡が来てな。その中でお前と似たような相談をされたんだ。ああ、その生徒というのはもちろん、バレーボール部の関係者なんだが」
「どういったご相談をされたのですか?」
「練習試合の申し込みだ」
「……なるほど」
練習試合――しかし、それだけではやや惜しい。有難い話だが、練習試合だけとなると、どうしたって今回より物足りなくなってしまう。せっかくの連休なのだ。もう一押しが欲しい。
「というのが、第一案。そしてより押しの強い第二案として」
なんと。まるで私の考えを読んだみたいじゃないか。
「連休を目一杯使った、合同合宿」
「受けましょう」
「先輩、決断早過ぎです」
七絵に突っ込まれる。が、こんな魅力的な提案を逃す手はない。
「一応盛りだくさんの第三案もあるが、聞くか?」
「それは、大方、参加校を増やす方向なのでは?」
「よくわかったな。ま、しかし、言っといてなんだがそれは断ったよ。なんといっても連休明けには県大会だ。めぼしいところはどこもその準備で手一杯――さすがに根回しが追いつかん」
「では、第二案を採用ということで」
「気の早いヤツだな。少しは相手のことが気にならんのか?」
「なんとなく見当はつきます。うちと事情が似ているんですよね? 部員不足か何かが理由でブロック大会予選には出ていない。だから連休の予定が空いている。しかしこの四月に事情が変わって、照準を夏のインターハイに合わせた。そしてそれまでに、チームの底上げをしつつ、できるだけ多くの実戦経験を積んでおきたい」
「正解だ。どうも聞くところによると、あっちも有望な一年が大勢入ってきたらしい」
「理想的ですね。一年生同士が刺激し合えば、自ずと実りある合宿になるでしょう。メインは基礎練習……そこに競争心を煽るような仕掛けを何か……また七絵に一肌脱いでもらうか……」
「先輩、先走るのは構いませんが、私にも心の準備くらいはさせてください」
おっと。私としたことが楽しくなって周りを置き去りにしてしまった。七絵は頼めばやってくれるから、ついイエスを前提に考えてしまう。
「まあ、細かいことは追々詰めていけばいいさ。あっちもまだ始動したばかりで、やっと役者が揃ったところなんだ」
「向こうの方もまた随分と性急な……大丈夫なんですか?」
と、七絵。一年生たちの本入部が決まる前に練習試合を構想した私としてはむしろその性急さが好ましいが、しかし、七絵の疑問ももっともだ。
「むろん、チームとしてはこれからだろう。だが、個々人の潜在能力は相当あるようだぞ。練習試合もうちが初めてじゃない。一昨日には南五和と戦って一セット取ったという話だ」
「……それは本当ですか?」
七絵の声がにわかに硬くなった。私も軽く居住まいを正す。南五和と言えば、中央地区の強豪だ。新人戦の成績は地区一位からの県八強。黄色い髪の非常に目立つリベロと、『県内最高の左』と称される七絵に匹敵する長身選手のいるチームである。
「あっちにも色々と事情があってな。いわゆる普通の練習試合とは言い難い部分もある。だが、真剣勝負だったことは間違いない」
「そうですか……」
「あとはそう――南五の前に、成女とも一戦交えたそうだ」
ぴしっ、と車内の空気が張り詰める。いよいよ聞き流せない名前が出てきた。
「先生……その成女というのは、あの成女ですか?」
「ああ。成女と略される高校は他にもあると思うが、今話題にしているのは、あの音成女子高校――〝毒蜜蜂《Killer Honey Bee》〟こと成女で合ってるよ」
音成女子高校――『一撃決殺』を是とする〝毒蜜蜂《Killer Honey Bee》〟。
東の覇者にして、攻撃の成女と名高い強豪校。
西の王者にして、守備の聖レオンハルト女学院とは対をなす、県四強の一角だ。
「……それで、その一戦の結果は?」
私は訊く。神保先生はさらりと答えた。
「勝ったそうだ」
「ありえません」
間髪入れず断じたのは、七絵。
「ハンデ戦だったらしい。人数が足りなくて成女からキャプテンを借りたそうだ」
「だとしても、ありえません」
「七絵は、あのエースのことを言っているんだね?」
私は二人の会話に割って入る。七絵は、彼女にしては珍しく、かなり興奮していた。
「……はい。ハンデとか、そういう要素に左右されるような人じゃありませんから、あの人は」
「でも、事実なんですよね?」
「私も自分の目で見たわけじゃないがな。詳細までは聞いていないが、とにかく『成女に勝った』と、向こうは確かにそう言っていた」
「………………」
七絵は納得しかねる旨を沈黙にて表明していた。私もどう受け止めるべきか決めかねていた。とりあえず、もう少し情報が欲しい。
「そのチームは、うちと同じで一年生主体というお話でしたね。一体どれほどの選手が集まっているんですか?」
「地区の一年生で最も強いウイングスパイカーと、最も上手いセッターと、最も優れたリベロがいるとのことだ」
「どこの地区です?」
「北地区」
それを聞いて、七絵がはっと息を飲んだ。
「そのウイングスパイカー……県選抜ですね?」
「おお、知り合いか? そうだ。しかも県選抜でエースだったという話だから、正しくは県内の一年生で最も強いウイングスパイカーと言うべきだろうな」
「最強の新人ですか。またなかなかの大物が出てきましたね」
「……いや、でも、あの子だけでは、足りないはずです。というかそもそも一年生でどうにかなるレベルじゃない……」
「上級生に目立った選手は?」
「上級生は、その時は主将の二年生が一人いただけだ。あとは助っ人の成女のキャプテン。残りは全員一年生」
「聞けば聞くほどありえません」
私も七絵に同感である。我が事に置き換えてみれば尚更だ。県四強の実力はつい数時間前に思い知ったばかり。七絵と栄さんを擁してなお彼我には途方もない距離があった。しかし――。
「――仮に、ありえたとしよう」
「あの人が不在だった」
「いや、成女は、キャプテンが抜けた以外フルメンバーだったと聞いている」
「降参です」
七絵が匙を投げる。だが、私はむしろ、確信を得た。理屈の上ではこれしかない解答。恐らくは、七絵ほどあの怪物のことを知らないから辿り着けた結論だ。
「だとしたら、こう考えるしかないですね」
私は一拍置いて、自説を提示する。
「あの彼女に――鞠川千嘉女史に匹敵する怪物がいた。……どうかな、七絵?」
「想像が追いつきません」
ふう、と気疲れしたように七絵が息を吐き出す。私も苦笑して、張っていた気持ちと力を抜いた。
「いずれにせよ、強い相手は大歓迎だ。もし本当に成女を喰うほどのチームだとして、そんな難敵に露木さんと今川さんがどう出るか……今から楽しみだよ」
「こら、星賀。焚き付けるにしてもほどほどにしておけよ。今日のあれは本当に運が良かっただけだからな。二度はないぞ」
「わかっています。私だって、さすがにあの瞬間は肝が冷えました」
「でも、先輩、あの時、笑ってませんでした?」
おやおや、これは参った。やはり見ている人は見ているものだな。
「…………肝が冷えたというのは、本当だよ」
七絵と神保先生の無言の非難を受け流し、私は微笑する。
「でも、だからこそ、私はあの時、興奮を禁じ得なかった。あの瞬間の彼女たちは、私が超えないと想定していた一線をひと跨ぎに超えたんだ。本音くらい出てしまうさ……顔にも口にもな」
私はふっと目を閉じて、問題のシーンを思い返す。
あの時、栄さんのカバーによってボールが生きたとき、私は、あの二人がお見合いをすると思った。
あの瞬間、二人が周囲をどのように認識していたかはわからない。けれど、どういう状態であれ、今川さんが露木さんを、露木さんが今川さんを、意識していなかった、なんてことはないと思っている。
視界に入っていなくても、声掛け一つしていなくとも、そこに自分と同等の存在がいて、自分と同様の行動に出ると、あの二人なら理解していたはずだ。
にもかかわらず、彼女たちは、まるでボール以外見ていないみたいに、衝突した。
つまり、故意に、ボール以外を意識の外に追いやったのだ。
全ては、1点を決めるために。
むろん、私は自らの身を危険に晒す行為を推奨しているわけではない。けれど、点を決めるということ、ひいては勝利を掴むことに、どこまでも――それこそ自らの身を顧みないほどに――貪欲であってほしいとは思っている。
特に、エースと呼ばれる存在に、それは必要不可欠だ。
彼女たちはそれを既に持っている。しかも私が思っていたよりもずっと強固に。少なくともあの場面、私が彼女たちなら確実に直前で足を止めていた。しかし彼女たちはそうしなかった。私の想定を高々と飛び越えたのだ。
だから、つい、ボロが出てしまった。
彼女たちなら、きっと――。
そう、期待せずにはいられなかった。
「……もちろん、今日みたいなことが起きないように、手は打つつもりです。なんといっても可愛い後輩ですから」
私は目を開けて、なるべく白々しくならないように気をつけながら、そう言った。七絵も神保先生も、私のひねくれた性格をよくわかっているので、必要以上に深くは追及してこない。私は空気を変えるために、話を少し前に戻した。
「ところで、神保先生」
「おう、どうした?」
「その、合同合宿を申し出てきたという先生の前任校……まだ学校名を聞いていませんでしたね」
「ん? ああ……そう言えばそうだったな」
神保先生は、懐かしむように声を落として、その名を告げた。
「城上女子高校だ」
略称は、城上女――と、さらに先生は付け加えた。私はそれを逆の順番で復唱する。
「城上女……城上女子高校、ですね」
曰く、北地区の東端に位置する進学校。神保先生はそこに三年間務め、三年目には県八強まで導いたという。私が一年生の夏だ。ベスト8なら試合を見ている可能性が高いが、残念ながら城上女なる高校は記憶に残っていなかった。
「何はともあれ、連休が待ち遠しいです」
そしてまた、この企画を知沙に伝えたときの彼女の驚きっぷりを思うと、私は気分が高揚せずにいられなかった。




