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じょばれ! 〜城上女子高校バレーボール部〜  作者: 綿貫エコナ
第七章(明正学園) VS聖レオンハルト女学院
240/374

94(颯) わたしにできること

 今日一日試合をしていて、一つだけ、どうしても気に入らないことがある。


 それは、スターティングローテーション。具体的には、わたしと露木つゆき凛々花(りりか)がレフト対角でオーダーされると、毎回わたしのほうが後衛バックスタートになることだ。


 まあ、理由は大体想像がつく。午後の獨楢どくなら戦で、露木とわたしが横並びでオーダーされたとき、わたしの役割はミドルブロッカーだった。さらに、さかえ印の身体能力診断では、露木が縦に強く、わたしが横に強い。あいつが典型的なウイングスパイカー型であるのに対して、わたしはどちらかというとミドルブロッカー型に近いのだ。


 だから、露木とわたしがどちらもレフト・ウイングスパイカーとして試合に出場する場合、今後レフト一本でやっていくだろう露木が優先されるのは、理屈として納得できる。それに、早鈴はやすず先輩のつけてくれた記録を見る限り、わたしたちのアタック本数にほとんど差はないので、ことさら不公平に扱われているとは思っていない。気に入らないポイントはそこではないのだ。


 わたしは明正めいじょう学園のエースだ。露木もそう言い張っているがそれはさておき。いずれにせよわたしと露木の役割は同じで『点を取る』こと。そして、その役割は、基本的にスパイクの打てる前衛フロントでしか果たせない。


 なのに、わたしはほぼ毎回、後衛バックスタートなのである。試合に善戦するにしても苦戦するにしても、口火を切るはいつも露木なのだ。そして、ローテーションというのは点を取らないと回らない。だからわたしは、ほとんどの試合で、始めのうち、露木がちゃんと決めてローテを回せるか否かやきもきしながらのプレーを強いられてきたわけである。


 まったく気に入らない。


 特にこの試合は、本当に気に入らない。何が悲しくて県内最高にぼこぼこ止められる露木を後衛バックからぼけっと見ていなければならない。腸が煮えくり返って、無数の言葉が湧き上がってくる。


 今すぐそこをどいてわたしに代われ。県内最高のミドルブロッカーだろうが、県内最強のリベロだろうが、まとめてわたしがぶち抜いてやる。わたしに打たせろ。お前にできなくてもわたしなら決められる。わたしなら。わたしなら。わたしなら――。


 それらをすべて喉元で抑え込んで我慢すること、二ローテ。栄と小田原おだわら先輩が何かすごそうなコンビ技を決め、ついに待望の前衛フロント進出の時がやってきた。身体は温まっているどころか熱い。これなら一瞬でトップスピードに乗れるだろう。初手から全力全開だ。


 ずんずん、とわたしは肩で風を切って慣れ親しんだFL(フロントレフト)のポジションに上がった。散々大口を叩いておきながら結局一本も決められずすごすご引き下がった露木を尻目に懸けながら、だ。


 ふん、露木のヤツ、なにがエースだ。笑わせるな。わたしがエースのなんたるかを見せてやる。お前なんか後衛そこでわたしの活躍を指を咥えて眺めていればいいんだ。


 わたしはぐるりと腕を回し、後衛バックで溜め込んでいた鬱憤を気迫に変え、声と一緒にわあっと吐き出す。


 その時のスコアは、2―6。


 そして現在のスコアは、2―11。


 わたしは、未だ一点たりとも決められずにいた。


 ――――――


 ふう、と大きく吸い込んだ息を吐きながら下を向くと、ぽたぽたっ、と大粒の汗がお風呂上がりみたいにいくつも足元に落ちた。袖で顔を拭う。昼休みの終わりには乾いていたはずのTシャツは、今は肌に貼り付くくらいに濡れていた。


「ごめん、またトス高かった」


「ウチのほうこそ、高さが足りなくて申し訳ないです」


「それで、どうする?」


「今のはもうやめときましょ。ノーブロック戦法されるんなら、元々の意図から外れてしまいますし」


「うん。そうだね」


「っちゅーわけで、今度は正攻法で。ライトから打たせてもろてええですか?」


「わかった」


 コンビ技を破られた栄と小田原先輩だが、動揺はあまりないようだった。すぐに切り替えて次へ向けた作戦会議をしている。わたしは守備位置のFL(フロントレフト)に立ち尽くしたまま、それを聞いていた。


 ここまで、大差ながら辛うじて試合の体裁を保っているのは、主に栄と小田原先輩、それに星賀ほしか先輩のおかげだった。星賀先輩はサーブカットで広範囲を請け負ってレセプションを安定させ、栄と小田原先輩は色々と試しながら攻撃の糸口を探している。さっきのコンビ技もその一環だ。


 また、栄と小田原先輩は、県内最高に対抗するめに一時的に互いのプレイヤーポジションを交換していた。栄が一度上を抜かれてから、小田原先輩をミドルブロッカーに置くことにしたのだ。ラリーが続くようになったのはそれからだった。


 しかし、それも結局、得点には繋がっていない。最大の理由は、わたしが止められているからだろう。


 栄や、小田原先輩や、星賀先輩は、自分で自分のできることを見つけ出し、実行している。瀬戸せと西垣にしがきだって、星賀先輩の指示に従ってチームに貢献している。何もできていないのはわたしだけだ(露木凛々花? はてなんのことやら)。


 わたしはエース。エースの仕事は点を取ること。どうにかして現状を打破しなければならない。どこかの誰かの二の舞だけはごめんだからな。何か、わたしにできることは――、


 ぴぃ、


 と笛が鳴って、思考が中断される。ひとまずプレーに集中。サーバーに正対し、機動力を下げない程度に軽めに腰を落とす。ややあって、ばしっ、とサーブが放たれた。ボールはわたしのところへ。レセプションを疎かにすると県内最高の餌食になるだけというのは身に沁みているので、手抜きはしない。しっかり確実に小田原先輩に返す。


「オーライ!」


 ぼむっ、


 と両腕で作った面の中央でボールを受けることを意識し、レシーブ。ボールは狙い通りに小田原先輩のところへ飛んでいく。よしっ、とそれを確認して、わたしはレフト平行の助走に入る。栄もライトまで下がって、トスを呼ぶ。落下点に入った小田原先輩は、果たして、さっきの作戦会議で八割方そうと心に決めていたのだろう、軽やかにライトへバックトスを送った。


「ナイストスですっ!!」


 言って、栄は大きく腕を振り、跳び上がった。ブロックは県内最高と、羽田野はたの天理てんりにそっくりな姉の二枚。隙間はないように見える。栄は、しかし、その壁に思いっきりぶつけていった。


 だがっ、


 と打たれたボールは直後に軌道を変え、主審のいるステージ側へと吹っ飛んでいった。ぱしゅ、とボールがステージとコートの間の仕切り網に引っかかる。ワンタッチアウト――レフトブロッカーの羽田野姉を狙ったのか……。


「聞いてはいましたけれど、本当に阿修羅像みたいな方ですのね」


「いや誰ですかそんな斬新な比喩でウチを紹介したの」


「色々な顔をお持ちであの手この手を使ってきます」


「なぞかけの心のほうは訊いてません!」


 背格好の似た二人の呑気なやり取りを見ながら、わたしは左手を擦る。セントレ新人チームの右利きのセッター対角にやられたブロックアウトを思い出していた。どう見てもクロス狙いのフォームからストレートに打たれ、ブロックアウトを取られた。なんとなく、今の栄のスパイクはあれを意図的にやったものだろうと思えた。


 いっそ阿修羅像より千手観音のほうが似合うんじゃなかろうか。セッターの印象が強いから忘れそうになるが、栄はアタッカーとしても全国レベル。得点するのに選べる手段は六つより多いに決まっている。


 わたしはスコアボードを振り返った。3―11。この3点は、小田原先輩と栄が取ったもので、しかもそのうち最初の1点が決まったとき、わたしは星賀先輩にコートから追い出されていた。


 ぺちっ、と頬を叩いて気持ちを切り替える。思考の続きだ。わたしにできること――前衛フロントでいる間に、なんとしても見つけなければならない。


 すると、後ろから肩甲骨をぽんぽんとノックされた。少し驚いて振り返ると、頭の後ろを掻いている瀬戸と目が合った。


「『その調子で頑張りたまえ』」


「は?」


「あっ、いや、私じゃなくて!」


 唐突だったから純粋に聞き返しただけなのだが、瀬戸は威圧されたと感じたのか、慌ててわたしの視線から逃れるように後衛バックに目をやった。見ると、笑顔の星賀先輩がひらひらと手を振っている。


「たぶん、励ましてるんじゃない?」


「そうか、ありがとう」


「で、どうにかなりそう? 県四強は」


「……どうにかする」


 わたしは神保先生に訊かれたときと同じようにそう答える。瀬戸は安心したように苦笑した。


 やがてボールがわたしたちのコートに送られてきて、笛が鳴る。サーブは小田原先輩だ。栄がライトブロッカーから元のミドルブロッカーに戻ることを確認し、相手の前衛フロントをチェック。レフトの羽田野姉は栄と同じくらい、セッターの編み込みシニヨンは瀬戸と同じくらいの高さ。県内最高を除けば、平均身長は沢木たちのほうが上だろう。だから……決して、どうにもならないなんてことはないはずなんだ。


 なんて思ったそばから、ぱんっ、と県内最高に鋭い速攻を決められる。わたしもブロックに跳んだが話の他だった。小田原先輩が下がった途端にこれだもんな……。いや、けど、これでセントレもローテが半周して、県内最高が後衛バックへと下がる。代わりに上がってきたのは、あの斜め回転のジャンプサーブを打つ金髪一つ結びだ。


 スコア、3―12。


 サーバーは、県内最高。高い打点から、ぱしゅん、と速いサーブが繰り出される。ボールはFR(フロントライト)の栄のところへ。栄はそれをオーバーハンドで危なげなくカット。後衛バックから上がってきた小田原先輩が、セットアップの直前にわたしにアイコンタクトを送る。わたしはFL(フロントレフト)の瀬戸とポジションをスイッチしながらトスを呼んだ。


「レフト!」


 わたしの声と同時に、小田原先輩は頷くようにジャンプ。大きな手で捉えたボールを、軽々とレフトに送ってよこす。わたしはそれを見て、だっ、とネットに対して直角に踏み込む。普段のレフト平行ならコート外から斜めへ踏み込むところだが、FC(フロントセンター)からFL(フロントレフト)に回り込んでいる今は真っ直ぐ向かったほうが都合がいい。タイミングが取りやすいし、助走に費やすロスが少ないし、何より、試したいことを実行に移しやすい。


 わたしはライトブロッカーの編み込みシニヨンの立ち位置を確認する。試したいこととは、さっき栄がやっていた正面ストレートブロッカーへのブロックアウトだ。あの技を物にできれば、再び県内最高が前衛フロントに来たときにきっと役に立つ。


 狙うは、ライトブロッカーの右手、その小指側。わたしはあの時の栄のフォームを思い描きながら、たんっ、と踏み切った。すっ、と飛んできたトスをいつもより長く見送り、頭の上を左寄りに通過したところを、


 ばちんっ!


 と叩く。瞬間、


「おっと」


 さっ、


 と、そこにあったはずの標的が視界から消えた。何が起きたのかわからないまま打球を見送る。ボールは真っ直ぐ左へ逸れていき、ラインから大きく外れたところで跳ねた。ざばっ、と背後でラインジャッジの沢木がフラッグを上げる風切り音が、やけに耳に残る。


 ボール・アウト。スコア、3―13。


「ふー……あぶないあぶない」


 主審の笛の音に紛れて、そんな独り言が聞こえてくる。そこでわたしはようやく、標的が消えたのはライトブロッカーの編み込みシニヨンが直前で避けたからなのだと理解した。さらに付け加えるなら、わたしの狙いが最初からバレていたことも。それくらい編み込みシニヨンの「あぶない」に危機感はなかった。


「……っ」


 ブロックアウト狙いは却下ダメだ。やるにしてももっと相手の裏を掻かなければ意味がない。ただ栄の真似をするだけじゃなく、わたし自身の頭を使って作戦を――。


「惜しかったわね、今川! 次はライン上にかましちゃいなさい!」


 守備位置コートポジションに戻るすれ違い様、瀬戸に肩を叩かれた。おう、とわたしはぎこちない笑みを返す。たぶん瀬戸は、わたしがストレート打ちをして、編み込みシニヨンの上を抜いたところまではよかったが、運悪く左にズレてアウトになってしまった――くらいに思っているのだろう。だから「次」は決められるはずだと信じている。その信頼は素直に有難い。しかし有難いだけに、今の自分の力不足が歯がゆくてたまらない。


 とにかく……1点だ。なにがなんでも、1点を取る。


「レフト!! もう一本お願いしますっ!!」


 弱気を見せないように精一杯声を張る。先輩たちや栄には虚勢だと見抜かれているんだろうが、別に構わない。わたしを信じて疑わない瀬戸や、敵であるセントレ、あとなんか後衛バックでじれったそうな顔をしてるヤツに悟られなければ十分だ。


 FC(フロントセンター)に構え、ふう、と深呼吸。サーブは再びの県内最高。立ち位置はさっきと変わらず、中央センターの、エンドラインから二歩分離れたところ。スパイクとほぼ同じフォームで、ぱしゅん、と打ってくる。さほど力を入れているようには見えないが、小田原先輩同様、体格相応の筋力があるのだろう、実際の打球はかなり速い。ボールはBR(バックライト)の露木のところへ。伸びがあるのか露木は一、二歩下がる。すると、


「アウト!」


 BL(バックレフト)の星賀先輩から確信に満ちた判断ジャッジが下った。露木にも一応耳はあったようで、仰け反るようにサーブを避ける。ボールはそのまま伸びが過ぎて、大きくエンドラインを割った。


 スコア、4―13。


「ナイス回避」


「ありがとうございます。先輩もナイスジャッジでした」


 避けたあと尻餅を付いた露木が、星賀先輩の手を借りて起き上がる。格好はつかないが、まあ露木にしてはよくやったほうだろう。これでまたローテが回る。栄が下がり、西垣が上がる。西垣と代わっていたリベロの星賀先輩は、コートの外へ。


 前衛フロントは、わたしと、瀬戸と、西垣。わたしがしっかりしなくては、と改めて気を入れる。差し当たってはブロックだ。散々やられた分をここで取り返す。


「西垣、ちょっといいか」


「はぁい? どうしたの?」


 がくっと力が抜けそうになる緊張感のない返事だ。まあこれはこれで西垣らしいというか、むしろ変に気負わなくていいからかえって今は助かる。わたしは手短に用件を伝える。


「次の相手の攻撃だけど、わたしが合図したらレフトのブロックに回ってくれ。できるか?」


「……んっ、わかった。やってみるね」


 ほわり、と西垣は笑みを浮かべる。頼むぞ、と念を押して、わたしは自分の定位置コートポジションに戻る。レフトから西垣、瀬戸、わたしの順で並び、わたしが中心になって(セント)レの前衛フロントをチェック。アタッカーは羽田野姉レフト金髪センターの二枚。なら、コミットブロックの西垣は羽田野姉レフトにつけたほうが効果的だろう。金髪はわたしが押さえる。あとはセッターの編み込みシニヨンのツーだが、ここまでプレーや体格を見る限り、世奈レベルの強打はない。緩いフェイントなら後衛レシーバーの腕次第ではノーマークでも十分拾える。特に今は奇襲への察知力が高い栄がBC(バックセンター)にいるんだ。あいつなら、耳(一応)と無駄体力を持っている露木を使ってうまいこと対処してくれるだろう。もちろんわたし自身も警戒を怠るつもりはない。


「セッター前衛まえ! ツー注意あるぞ!」


 と、相手セッターと露木の両方へプレッシャーを掛ける。そうしているうちに、栄がサーブを放つ。変化の激しいジャンプフローター。それをFC(フロントセンター)付近にいた羽田野姉がアンダーハンドで受ける。少しも無駄のない流麗なボール捌きで、高い軌道のAカットが上がる。そこから、レセプション不参加の金髪は一度下がってAクイック、羽田野姉はレフトへ平行に入る。予想通りのコンビ。わたしは西垣の右肩を軽く叩き、レフトへと促す。西垣は手はず通りにサイドステップで瀬戸の隣へ。わたしは速攻に踏み込んでくる金髪を見据える。金髪はそんなわたしを見て、にっ、と鋭い笑みを浮かべた。


 止められるものなら止めてみろ――そう言われた気がした。もちろん端から止めるつもりだ。わたしは金髪の動きに目を凝らす。身体を柔らかくしならせる独特のフォーム。見ているだけでこみ上がってくる……ジャンプサーブで崩されまくって挙げ句コート外に追いやられた、あの屈辱。迫る金髪を睨みつけながら、文字通り悔しさをバネに、わたしはブロックに跳ぶ。


 たんっ、


 と全力の跳躍。そして最高到達点での一瞬の制止。刹那の空白。


 わたしはその時、わたしを『見上げる』金髪と、目が合った。そしてわたしたちの視線は、直後、隣り合う二つの透明シースルーエレベーターのように、上下にすれ違う。


「っだらぁ!!」


 ばんっ!


 と雄々しい咆哮と激しい打音が頭上で響く。手首のスナップを利かせて叩き込まれたスパイクは、露木と栄の間に鮮やかに決まった。さすがに声も出てこない。悔しさよりも驚きのほうが大きかった。そういう技術があるのは知っていたけれど、まさか実戦でお目にかかれるとは――。


「わあぁ、なに今のっ?」


「ひ、一人時間差……!?」


 そんな西垣と瀬戸の声を右手に聞きつつ、わたしは呆然とネット越しにセントレコートを見つめる。恐らくはあの挑発的な笑みも含めてフェイクだったのだろう。点を決めたあと、金髪はあっさりとわたしに背を向けて、お決まりの「せーれっは」をやり出した。まるで興味を失ったみたいに――否、初めから金髪はわたしに興味など持っていなかったのかもしれない。


 少し考えてみればわかることだ。そもそも一人時間差はアタッカーの独断アドリブで実現できる攻撃ではない。セッターとの連携が不可欠である以上、『わたしが西垣を押しやって金髪のマークについた』、だから、『金髪がわたしを出し抜くために一人時間差をしてきた』――なんて因果関係は成り立たないのだ。


 わたしは自身の勘違いを正して、金髪から別の選手プレイヤーに目を向ける。視線に気付いたセッターの編み込みシニヨンは、ただ柔らかく微笑んだ。それだけで答え合わせには十分だった。編み込みシニヨンは全部お見通しだったんだ。わたしがブロックの配置をズラすことも、ズラすからには金髪を止めるつもりで跳ぶことも、その時が来れば気が逸って視野が狭くなることも……。


 ぽたっ、


 と滲み出た汗が顎から落ちていく。悔しさか歯痒さか苛立ちか疲れか――さっきから異様に身体が熱い。


「切り替えていこ、今川さん」


「っ、栄か……」


 突っ立っていたわたしを心配したのだろう、栄が拾ったボールを抱えて走り寄ってきた。ころころとボールをセントレコートに流して、わたしの手を取り、守備位置コートポジションのライト側へと引いていく。わたしは何も言わずに栄の後に付いていった。と、その沈黙あるいは服従に何か思うところがあったのか、栄はちらりとわたしに振り返ると、小声で言った。


セントレのセッター――仲村なかむら由有希ゆうきさんな。あの人、確か、一つ上の県選抜やったはずやで」


 県選抜、という単語にぴたっと足が止まった。それは、しかし、あの編み込みシニヨンが県選抜だったという事実に動揺したからではない。セントレは県四強シード。栄や沢木や世奈がそうであるように、強豪に県選抜経験者がいるのは自然なことだ。わたしが気になったのは、そういうことではなくて――。


「でも……一つ上の県選抜って、セッターは小田原先輩だったんだろ?」


 小田原先輩は自己紹介で専業セッターだと言っていた。県選抜でだけツーセッターだったとは考えにくい。ということは、小田原先輩の控え(バックアップ)? だが、編み込みシニヨンは小田原先輩より20センチ以上も低い。バックアップというにはあまりにタイプが違う。いや、待て、タイプが違う……?


「そういうことやで」


 わたしの思考をトレースしたらしい栄が、穏やかに微笑む。


「バレーは基本背が高いほうが有利なスポーツやけど、特にセッターっちゅーポジションはそれだけで済まへん要素が多い。同じくらいの〝強さ〟を持つセッターが二人いて、しかもその性質タイプがまるで違うと来れば、ウチが監督なら相手や状況如何で使い分けたいとこやな」


 同じくらいの〝強さ〟――それはつまり、小田原先輩の巨大さに釣り合うだけの何かが、編み込みシニヨンの小柄な身体の中に詰まっているということだ。その何かがなんなのかまではわたしにはわからないけれど、他ならぬセッターがそう言うのだから間違いないのだろう。


「とまあ、これ脅かしとるんとちゃうで? やからこそ思い切ってぶつかってこーって話な。頼むで、今川さん。ウチもできるだけフォローするから!」


 ぽむっ、と掴んでいたわたしの手を両手で包み、それを放すと、栄は守備位置コートポジションに急いだ。わたしもポジションについて、膝に手をつき、ネットの向こうを見やる。


 サーバーは、編み込みシニヨン。前衛フロントには羽田野姉、金髪、左打ちのセッター対角。一番高いのはミドルブロッカーの金髪で、わたしと同じくらい。ライトからだけれど、高さ的には勝負になるはずだ。だから……そう、栄の言う通り、切り替えて、思いっきりぶつかっていく。


「っさああ来おおい!!」


 思考を止めるな。試行を止めるな。わたしにできることは、きっと、まだ残っている。


 ちらっ、とFC(フロントセンター)の瀬戸の後ろでライトセミのサインを出している小田原先輩とアイコンタクト。準備完了スタンバイ。ぴぃ、と笛が鳴り、サーブが放たれる。ボールは瀬戸とわたしの間へ。こういうときに迷いは禁物だ。間のボールは基本わたし――そんな自分ルールに従って、わたしはセンターへ一歩踏み出す。と、


「大丈夫! 守備レシーブは私に任せて!」


 そう言って瀬戸が右手を挙げた。わたしは少し意外に思う。瀬戸が積極的なのは珍しい……。


「だから攻撃スパイクはあんたに任せた!」


 やはりいつもの瀬戸だった。まあ、なんにせよサーブカットを受けてくれるのは助かる。わたしは踏み出した足を引っ込めて、助走のためにコート外へ開く。


「瀬戸さん! ボールよく見てボール!」


「えっ? くっ、なんの、この――!」


 頼むぞ瀬戸……! と、祈るような気持ちでボールの行方を追う。瀬戸は体勢を崩しながらもなんとかレシーブに成功した。ナイスカット、と呟きながら小田原先輩が落下点に入る。そしてダンスを踊るように開いていた身体をレフトに正対させ、その場で軽く跳ぶと、ボールを背後に――わたしに放った。


 絶好球ナイストス。わたしは斜めに切り込む。ブロッカーを確認。金髪と羽田野姉。狙いはクロス。金髪の横を抜く。わたしは跳び上がり、右腕を振り抜いた。


 ぱんっ!


 会心の一撃(ジャストミート)。だが同時に耳の後ろあたりにひやりとした悪寒が走る。この種の嫌な予感はえてして当たる。そしてほとんどの場合、気付いた時にはもう手遅れなのだ。


 だんっ、


 とボールが床を叩く音。それがネットの自軍こちら側から聞こえる。止められたことは明白だった。しかし、理由がわからない。泳ぐ視線でそれらしきものを探る。と、金髪が右腕を身体の横に伸ばしているのが見えた。ちょうどボールの曲面に合うように広げられた手の平――その全体が仄かに赤い。ってことは……そうか。金髪はわたしの打つコースを先読みして、空中で咄嗟に塞ぐコースを変えたのか。そしてわたしのスパイクはあの右手に止められた――。


 くらっ、


 と軽い目眩に襲われ、ぐっ、と拳で眉間を押さえる。この強烈な疲労は果たして肉体的なものなのか精神的なものなのか……いずれにせよ、かなり弱っているな、と自覚する。


 現在、スコアは4―15。午前中もこれくらいの点差の試合はあったが、あの時はまだ戦えているという手応えがあった。今はそれさえ失われている。手も足も出ないとはこのことだ。


 ふわっ、


 と、急に、身体が宙に浮く感じがする。胸の辺りは熱いのに、頭だけが妙に冷えて、天井からコートを俯瞰しているような……。


 そうして客観的に見てみれば、手も足も出ないことは、至極当然のように思えた。相手は県四強――高校女子バレーボールの世界で、現在進行形で、わたしたちの県の代表として活躍する選手プレイヤー。向こうの立場からすれば、ついこの間まで中学生だったわたしに遅れを取るなど、あってはならならいし、ありえるわけもないのだろう。


 その点が、同じ新人という立場で勝負していた沢木や世奈たちと、向こうの人たちとの、恐らくは、決定的な差なのだ。体格差とか実力差とか、そういう話ではなく、立場ステージが違うという話。そんなことも弁えないで『勝てれば』『勝ちます』だなんて……まったく笑えない。


 舞い上がっていた。思い上がっていたのだ。


 神保先生が最初に釘を刺した通り。本来ならば、地区予選を勝ち上がり、県大会を勝ち上がり、ベスト8まで残って、そこで初めて挑戦者としての立場を得る――県四強シードとは、そういう相手。


「っ……!」


 はっ、と我に返る。どうやら一瞬意識が飛んでいたらしい。わりと本気でヤバかった――と冷や汗を拭い、わたしは抜け出た魂を掻き集めるように大きく息を吸い込んで、それから、ふうう、とゆっくり吐き出す。


 ……で、認識を改めたところで、再度思考だ。この状況でわたしに一体何ができる? ここまで色々と試して、悉く潰された。他に何か、どんなことでもいい、わたしにできることは残っているだろうか?


 否――何も残ってはいまい。


 頭の中は見事に真っ白だった。気を抜くと視界まで真っ白に染まって今度こそ本当にぶっ倒れそうだ。ここからどうする……? かなり本気でどうしたらいいのかわからないが……。


「ちょっとあんた!」


 ばちっ、と木炭が爆ぜたような尖った声が、聞こえた。


「そんなふらふらでどうすんのよ、今川いまがわはやて


 反射的に振り返ってそちらを睨む。目に映るのは、ただ熱いだけの不愉快な赤色。それが真っ白だったわたしの頭を侵蝕してくるのが許せなくて、すぐに別の色――わたし自身のこえで塗り潰した。


「……お前こそ、そんなへとへとでどうするんだ、露木つゆき凛々花(りりか)


 はあ? なんのこと? と露木は惚けるが、わたしは見抜いている。県内最高のサーブを避けたとき、あいつは無様に尻餅をついた。そして立ち上がるときに星賀先輩の手を借りた。相当足腰にきている証拠だ。


「そんなことより、さっさとローテを回して前衛そこをどきなさい。あとはあたしがなんとかしてやるから」


「ほざいてないでレシーブに集中しろ。わたしの打つ機会チャンスを減らしたら許さないからな」


 互いに言いたいことだけを言って、ふんっ、とわたしたちは顔を背ける。そうして見据えるのは、ネットの向こう、ほんの数メートル先に立ち塞がる敵。ただし、本当の彼女たちは、もっとずっと遥か遠い場所ステージにいる。


 わたしにできることなんて残っていない。どころか最初からそんなものありはしなかった。それくらい、ネットのあちらとこちらは途方もなく離れている。姿は見えない。声も届かない。がむしゃらに突っ走ってみたところで、今すぐ縮まる距離はほんの僅か、無に等しい。今戦っているのは、そういう相手。


 でも――、


「ここで決めなさいよ、今川颯!!」


 それが、だから、どうした。


「お前に言われるまでもない!!」


 できることが何一つなくたって、意地くらいは、ある。


「「っさあああ来おおおおおい!!」」


 威勢だか虚勢だか自分でもよくわからない声を上げる。すると、さっきからわたしと露木のやり取りを物珍しそうに眺めていたネット際の羽田野姉が、ふっ、とその微笑を深めた。わたしは一層気を引き締める。(セント)レの微笑は本気の表れ――羽田野天理を紹介したとき、栄がそう言っていた。


 すうっ、と短く、大きく、息を吸い込む。ぴぃ、と笛の音。サーバーは編み込みシニヨン。ボールに添えていた右腕をさっと頭の後ろに引き、ぱしんっ、とコンパクトなフォームで打ち出す。無回転のボールは、瀬戸と栄の間くらいへ。


「オーr「任せてーな!」どうぞどうぞっ!」


 挙げていた手をあっさり下ろして、瀬戸が横に飛びのく。わたしだったら考えられない見切りの早さだが、今回はそれが正解だった。狙われたポイントは、瀬戸と栄が重なる場所で、なおかつセッターの小田原先輩の飛び出し口。味方が密集しているゆえに、一瞬の判断の遅れがミスに繋がる。瀬戸はそれを回避したのだ。


「っと――上がったで!」


 ばむっ、


 と栄の正確なカット。そこから、


「レフトー」「そ、速攻!」「ライトッ!!」


 西垣、瀬戸、わたしの声が重なる。形の上では三枚攻撃。ただ、西垣や瀬戸には悪いが、今ここで余人だれかにトスを譲るつもりはなかった。


「ライト――!!」


 二度ふたたび、トスを呼ぶ。レフト側を向いている小田原先輩の表情はわたしの位置からだとよく見えない。それでも、先輩にわたしの気持ちが伝わっているのはなんとなくわかった。


 とーん、


 と高めのライトセミが上がる。ぐっ、と腰を落とし、上体を屈め、力を溜めて、ここだ! というタイミングで勢いよく床を蹴る。


「フォローオーケーやで!」


 背中にそっと寄り添うような栄の声。有難い。続いて、


「こっちもフォロー入ったわよ!」


 と左手から瀬戸の声。有難い。が、お前、速攻の囮はどうした。まあ、既に金髪と羽田野姉がぴったり目の前についてるから言っても仕方ないんだけどな――!


 たたん、


 と良いリズムで跳び上がる。確認済みの二枚ブロック。今度の狙いは金髪と羽田野姉の間。特に作戦はなし。真っ向勝負でこじ開ける。


 だんっ!


 と打ち切る。瞬間、ふっ、とボールの気配が消えた。シャットアウトではない。だが、ブロックを抜いた感触もない。ならボールはどこへ?


「くっ……!?」


 背後から栄の苦しげな声。着地して振り返ると、栄が左手を上に伸ばして跳んでいた。ボールはその手の僅かに先。わたしの打ったボールは下ではなく真後ろに大きく跳ね返っていたのだ。そのままエンドラインを越えればこちらの得点だが、見る限りそうはならなそうだ。そして栄が抜かれた今、落球は時間の問題である。


 ぎりっ、


 とわたしは歯を食い縛る。ボールは運命じゅうりょくに導かれ、加速度的に死に向かう。いっそ目を逸らしたくなる。瞼を閉じたくなる。そうしないのは、ただの、それしかない、意地だ。そして次の瞬間、


「なに止められてんのよ、今川颯えええええ!!」


 さっ、と細長く垂らしたガソリンに火を放ったように、赤茶色の火線が走る。わたしの対角――BL(バックレフト)にいた露木が飛び込んできたのだ。身を投げ出し、右手を伸ばし、ボールに喰らいつく露木。その姿を見た瞬間に、わたしは、駆けた。


「――レフト!!」


 ボールも露木も、もう視界の外だった。わたしが見据えていたのは自分が一番打ち慣れた場所――より決められる確率の高いところだ。


 ごっ、


 と明らかにミートしてない、しかし明らかに床以外の何かにボールが弾かれた音が聞こえる。同時にわたしも目的地レフトに着いた。振り返る。床に転がってる露木は無視。それよりボール……! ボールは、果たして、栄の頭上にあった。


有理子ありす、レフトへ大至急ですわ!」


「っあーってるって!」


「持ってこい、栄ええー!」


「がってん、行くで!」


 僅か一秒もない間に方々から声が上がり、それぞれが動き出す。わたしはその場でたたたと小刻みにステップして立ち位置を微調整。そのうちに栄がジャンプトスでボールを捉える。


「かましたれやー!」


 ひゅん、と鋭いトスが跳んでくる。それに合わせて踏み込むと、ぎぎっ、と全身の筋肉が軋みを上げた。入部試験や午後の獨楢戦で何度かやったヤツ――栄のリードトス。ちょっとだけ速いように思えるけれど、これに届くように打てばいい感じになる。だからとにかく、四の五の言わず、走って、走って、べ……!


 っぐん、


 と胸を反らして斜め前に跳躍。振り上げた右腕を、杭を地面に突き立てるように、真っ直ぐ下へ。


「ちっ――!」


 金髪の舌打ちが、右から遅れて聞こえる。わたしの踏み込みほうが一瞬速かったのだ。ならば、必然、そこに隙間がある。


「決っ……まれええええッ!!!」




 ――だんっ!!




 と全力で打ち抜いた。ぢりっ、という小さな摩擦音の後に、ふっ、と金髪が口笛を吹くように息を吐き出す。空中を漂いながら、わたしはひりひりと熱の残る右手を握り締めた。もちろん悔しさを押し殺すためにじゃない。点が決まった瞬間に拳を突き上げるためにだ。




ハジメノ肆陌弐拾玖――」




 しんっ、


 と静寂よりも静謐な美声が、耳を射貫く。直後、


 ばんっ、


 と快音が響いた。着地して顔を上げる。ボールはセントレコートの上空に高々と待っていた。


「〝宵待ヨイマチ〟」


 どこかまじないじみたその言葉は――喩えるなら、蝶の口吻。するりと耳の中へと這入はいってきてわたしから確実に何かを吸い出していく。次の行動に移らなくてはと思うのに、頭がうまく働かない……。


「なにぼさっとしてんの、今川颯ッ!!」


 暴風のように叩き付けられた怒声で、はたと正気を取り戻す。そうだ、ブロックに跳ばなくては。すぐさま状況把握。恐るべきことに、ブロックの間を綺麗に抜いたはずのわたしの全力スパイクは、あの奇天烈なリベロによってぴたりとAカットにされていた。当然の三枚攻撃。セッターの編み込みシニヨンは、わたしの動揺を見逃さず、ライトへトスを上げた。


「っ……!!」


 どうする――? サイドステップしながら考える。西垣に指示を出す余裕もなく、跳べるブロッカーはわたし一人。高さでは勝っているが、止めようと欲を出せば逆手に取られるかもしれない。となれば、ここは基本に忠実に、堅実にブロックするのが正解だろう。きっちりコースを塞いで、相手の選択肢を一つ、確実に潰すのだ。


 トスとアタッカーの両方を目で追いつつ、左打ち(サウスポー)であることに注意して、打点を見極める。あとは相手の打ち手側(クロス)か、逆手側(ストレート)か、どちらを塞ぐか。熟考している時間はない。向こうが跳ぶ。わたしも跳ぶ。直感に従って選んだのは、果たして、打ち手側(クロス)


 たあんっ!


 とボールがわたしのひだりを抜けていく。がら空きのストレートに打たれたのだ。だがそれでいい。わたしはBL(そこ)にいるはずの、スパイクレシーブが得意なヤツに叫ぶ。


「上げろっ、露木凛々花!!」


「言われるまでもないわ!!」


 ごんっ、


 と鈍い音がする。振り返らないでも何が起きたのかわかる。露木のヤツめ失敗しやがったのだ――――受け身に。


「いっ……上がったぁー!」


 その申告が嘘ではないことを確かめるため、わたしは着地して真っ先に露木のほうを見た。床に転がり背を丸めて左肘を押さえている。あれは青痣確定だな帰って美々奈(みみな)さんにどやされるぞ……。


「ナイスカット――」


 声のするほうに反射で振り向く。当たり前だが露木に気を取られている場合ではなかった。ボールはまだ生きている。わたしの頭の上近く、レフト寄りのネット際。ちょうど今打ったサウスポーがダイレクトスパイクするのに良さそうな軌道。が、こちらのセッターは小田原先輩。向こうがダイレクトで打てる高さのボールに、あの人が届かないはずがない。


「今川さん……」


 セットアップに入りながら、行ける? と気遣うような視線を送ってくる小田原先輩。わたしは助走距離を稼ぎながら、トスを呼ぶことでそれにもちろんと応える。


「レフト!! くださいっ!!」


 小田原先輩は小さく頷いて、ネットに背を向けて跳び上がった。上空でボールを捉え、それを自身の身体のレフト側へと放る。わたしの移動を考慮しての高いレフトオープン。ネット際から下がっていたわたしは程よいところで切り返し、だっ、と助走に入る。


 対する障壁ブロックは、三枚。レフトブロッカーの羽田野姉までこっちに来ている。回り道無し。隙間無し。壁の向こうへ行くためには、上を越える以外にない。


 わたしは高く上げられたトスを見上げながら、イメージする。この試合の序盤に散々止められているところを見せられたせいで、新鮮な素材ヴィジョンには事欠かない。わたしと同じ体格で、わたしより少しだけ高く跳び、こういう高めのオープントスを打つのを得意とする――露木凛々花のスパイクフォーム。


 ぐんっ、


 といつもより腕と足を大きく、ゆったりと使う。こんな慣れない打ち方したら格闘ゲームの必殺技みたいに三秒くらい身動きできなくなりそうだが、その時はその時。


 とにかく今は、この一本を、この一点を、決めたい。


 露木が取れなかった一点を、レフト対角ローテでいつもいつも先を越されてきたエースとしての最初の一点を、ここで、わたしが取ってやる……っ!!


「喰っらええええええ!!」


 がんっ、


 と叩き込む。瞬間、


 ぢっ、


 と僅かに擦れる音。恐らく金髪のワンタッチ。しかし掠る程度なら球威は削がれていないはず。いっそそのままコートの外まで吹っ飛んでいけ!


「っ――あやめええええ!!」


 吼える金髪。その咆哮に、別の声が重なる。


ハジメノ参陌壱拾壱――」


 その声は、金髪の大声に比べれば遥かに小さな声なのに、まるで掻き消されることなく、甘くコートに沁み渡る。


「〝鷹狩タカカル〟」


 ぱんっ、


 とボールが弾き返される音。それにあの謎台詞――拾われたのか? っとにぬあああっ……!! じゃあ一体どうすれば決められるっていうんだよッ!?


「――もう終わりですの?」


 衝撃吸収のためにいつもより深めに着地して、そのまま技後硬直でじりじり動けないでいたわたしの上から、場違いに涼やかな声が降ってくる。羽田野姉だ。言葉だけ抜き出すと辛辣な皮肉にも聞こえるが、そうではない。喩えるならお茶会(ティータイム)で「おかわりいかが?」と問い掛けるような、それは、名残を惜しむ一言だった。


 っ……まだだ!!


 そう言おうとしたが、声にはならなかった。しかし、向こうがうまいこと汲み取ってくれたのか、気持ち自体は通じたらしい。その証拠に、羽田野姉はレフトへ戻りながら、


由有希ゆうき、わたくしに寄越しなさい!」


 と歌うようにトスを呼んだ。わたしは乱れた呼吸で喘ぐように指示を出す。


「西っ、垣! レフトだ……!」


「はぁい!」


 羽田野姉並みのご機嫌さで西垣が応える。ちらっと見えたレシーブボールはBカット。セッターの立ち位置と金髪の動きからして速攻ない。それでもセンターセミの可能性はあるが、その時はわたしが跳べばいいだけの話だ。


「行きますよ、由衣ゆいさんっ!」


 とんっ、


 と編み込みシニヨンは請われるままにレフトへセミを送った。対するは西垣と瀬戸。主導は経験者の瀬戸で、「せー――」とタイミングを計っている声が聞こえ、ほどなく「のっ!」と二人が揃って跳ぶ。羽田野姉も跳んでいる。わたしはFL(フロントレフト)で構え、インナー打ちやフェイントに備える。直後、羽田野姉は、ストレートへ打った。


 ばがんっ、


「すいませーん!?」


 ワンタッチを取られた瀬戸が涙声で悲鳴を上げる。まるでもう失点が決まったみたいな悲痛な叫び。だが――、


「――まだっ」


 ぐわあっ、


 とジャンプした小田原先輩が、ワンタッチボールに右手を伸ばした。ボールは小田原先輩の指先に引っかかり、その軌道が上向きに変化した。が、ライト側へと向かっていたベクトルはそのままで、ステージのあるほうへと流れていく。しかし小田原先輩は焦りを見せることなく、


「栄さん――」


 と視線を後方に送る。そこには既に、栄が走り込んでいた。


「がってんですっ!」


 たったったっ、と走り幅跳びの助走みたいに軽やかにコート外まで駆け抜け、栄はステージに向かってジャンプした。その両手がボールを捉える。そこから栄はバックトスの要領で、こちらへ向かって思いっきりボールを飛ばしてきた。


「っとりゃあああわあわわわ!?」


 ぽーん、


 とボールが宙を舞う。完璧なカバー。だがその分、栄本人のほうは無事では済まなかった。ステージ前の仕切り網にダイブしたせいで、投網漁で獲られた魚みたいになっている。しかし、それでも栄はきっちり次の指示を出した。


「ラストボール!!」


 そう言って振り返った栄と、ボールを追うわたしの目が合う。するとどういうわけか、栄は目を剥いて、ぴたりと硬直した。




 そこからしばらく、周囲の全ての音が途切れた。




 どくどくどく――と早鐘のような自分の心音だけが聞こえる静まり返ったコートを、わたしはボール目掛けて走った。ボールはバックゾーンの中央上空を漂っている。小田原先輩がワンタッチボールを引っ掛けた時点から、わたしもそちらへ向かって走っていたので、栄のカバーしたボールにはわけなく追いつける。どころか、むしろ、打って返してもいいくらいだった。


 走りながら、ちらっ、と横目でネットまでの距離と相手の陣形を確認。行ける、と足に力を込める。目標は――わたしのテクじゃ正確には狙えないだろうが――セッターの編み込みシニヨン。後衛バックにいるセッターは万国共通の急所だ。たとえ県四強だろうとその理屈は同じ。やってみる価値はある。


 すうっ、


 と落下してくるボールに向かって、


 たんっ、


 と踏み切り、右腕を振りかぶる。


 世界コートに音が戻ったのは、その直後。


 誰もが、口を揃えて、同じことを叫んでいた。









「「「危ない!!!」」」









 瞬間、どんっ、と強い衝撃がわたしの身体を襲い、視界が暗転した。

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