93(明朝) 移動城壁《Runner's High》
夕里と小田原さんが、鶴女の高架高速じみた攻撃をして見せると、二年生たちが「おおっ」と湧いた。どうやら、あれは中学時代に小田原さんとその相方である天久保さんが得意としていた攻撃なのだそうだ。
話題はそこから、二年前の中学総体ブロック大会のことへと移った。
「そう言えば、舞たちは準々決勝で聖レに負けたんだったか」
私が確認すると、当時のキャプテンだった下沢舞は「たはは」と頬を掻いた。
「途中まではいい感じだったんですけどね。さんざん粘られた挙げ句土壇場でひっくり返されたんですよ」
「ったくだらしねーなー」
聞こえよがしに厳しい言葉を吐くのは多部遥火。それにすぐさま不服を申し立てたのは、遥火の一つ下の妹、多部悠水だ。
「えー? 遥火姉だってさっき聖レに負けたくせに」
おっと、それを言われると痛い。自身同様に手厳しい妹の発言に、さすがの遥火も一瞬言葉に詰まる。
「う、うっせーぞ、悠水! 大体あの奥沢蘭が反則なんだよ!」
「その意見には悔しいけどあたしも同意ね」
小さく溜息をついたのは横田久美子。次いでレフトの門地茉莉も深く頷く。
「縦の高さもさることながら、あの横の対応力が厄介なんだよねえ」
「わかる。あの人、サイドに振ってもきっちり付いてくる、恐い」
「〝移動城壁〟とはよく言ったものです」
奥沢さん被害者の会に、茉莉に続いてスーパーエースの新井縷々と氏島右季も加入する。って、レギュラーのアタッカー陣全員じゃないか。まあ、そう言いたくなる気持ちもわかるけれども。
試合のほうでも、奥沢さんは変わらず鉄壁を誇っていた。レフトの黒髪の子が果敢にスパイクを打ち込むも、シャットアウト。聖レがサーブ権を取り返し、スコアは2―7だ。
茉莉の評した通り、奥沢さんの厄介さはなんといってもあの横移動の速さだ。比較的速めの平行を好む明正学園の黒髪の子でさえ、奥沢さんからは逃れられなかったのもその左証の一つ。
実際、奥沢さんのリードブロックの対応範囲は、レフトからライトまでのほぼ全域だ。これは言い換えれば、彼女はトスがどこに上がるのかを見てから、それがどこであろうと追いついて跳べてしまうということであり、コンビの組み立てとは無関係に張り付いてくるブロックは、まさに後出しジャンケンそのもので、セッターとしては頭が痛い。
それを可能にしている最大の理由は、やはり、彼女のあの身長にある。
一般的に、身長が高ければ高いほど、一定の高さまで到達する時間は短くなる。例えば、地上224センチの高さに走るネットの白帯に達するのに、157センチの私だとどうしたってジャンプするのにコンマ数秒ほど掛かるが、190級の奥沢さんや小田原さんの場合は手を伸ばせばそれだけで白帯に触れられる。初めから手を上げていていいのであれば、彼女たちの白帯までの到達時間はきっかりゼロ秒である。
身長のアドバンテージというのは、単純に、他人より高いところまで届くという空間的な面ばかりに利くものではない。同じ高さに他人より短い時間で届く、という時間的な面においても発揮されるのだ。そして、ミドルブロッカーとしての奥沢さんはその『速さ』に特化したプレースタイルを確立している。ゆえに彼女は〝移動城壁〟――『高い人』ではなく『速い人』なのだ。
「あのー」
ひょろ、と長い手が挙がる。二年生センターの中塚肇だ。
「どうしたのかな、肇?」
私が声を掛けると、肇はギャラリーの柵から身を乗り出すようにして顔を出した。彼女は獨楢では珍しい高校からバレーを始めた子で、気になったことは大体その場で質問してくる。今回もやはり疑問点があったようで、
「えっと……あの、奥沢さん、って人が速い理由は見ていてなんとなくわかるんですけど、その奥沢さんが跳べなかったさっきのアレって、一体どういうことだったんですか? ほら、あの、皆さんの後輩さんのCクイック。なんか鶴女の珍奇な人たちと同じ……? みたいですけど」
と首を傾げて訊いてくる。私は「ああ、アレか」と相槌を打って、
「確かに、アレは目の前で体験してみないとわかりにくいかもしれないね」
と感覚的に答えた。そこに右季が「わかります。外から見てる分には『ちょっと速いかな』くらいだったのに、実際に食らうと『へ……?』ってなるんですよね」と個人的な感想を被せてくる。すると見かねたのか、
「あれは『マイナステンポ』って言うのよ」
と、理屈屋のリベロ・明野后が写実的に言い直した。肇は后のほうに目を向ける。
「なんですかそれ?」
「速攻のさらに速いヤツよ。肇、あなたは速攻に跳ぶとき、ミンチョーがトスを上げるのを見てからジャンプするでしょう?」
「えっと……」
すぐには答えが出ない肇。目を瞑り、その場で軽く手を振ったり身体を揺すったりして、自身の踏み込みのタイミングを確認する。
「あっ、確かに、そうですね。トスを見てからジャンプしてるわけじゃなかったんですけど、言われてみれば、トスは私がジャンプする前に上がってた気がします」
「いやトスはちゃんと見なさいって。ボールを見失ったらどうするの」
呆れたようにツッコんだのは久美子だ。しかし、肇は不思議そうに首を傾げる。
「ボールを見失う……? えっ、でも、ボールって、いつも打とうとすれば手元にありますよね?」
「肇ちゃん、その感覚はすんごいわかるんだけど、実はあんまり普通じゃないんだよ」
肇と同じ二年生センターの清水果心が「すんごい」の「ん」にアクセントを置いて懇切に訂正するも、肇は「え?」と戸惑うばかりだった。久美子がじとりと私を睨む。
「どうしてくれるの、ミンチョー。あなたのせいで肇がすっかり温室育ちのお嬢様になってるわよ。引退までにちゃんと指導しとかないと苦労するのは世奈なんだからね」
「善処するよ」
「こほん」
后が咳払いをする。なんだか私が原因で脱線したみたいで申し訳ない。
「あっ、すいません、后さん。続きをお願いします」
「よろしい。では説明に戻るけれど、あなたがいつも打っている速攻は『ファーストテンポ』と呼ばれるものよ。アタッカーの踏み切りが、セッターのセットアップより少しだけ後に来る攻撃のことね」
「ふむふむ。なるほど」
「で、マイナステンポっていうのは、それよりさらにタイミングの速い攻撃のこと。アタッカーの踏み切りが、セッターのセットアップとほぼ同時、あるいは前にくる攻撃のこと。わかりやすく言うと、セッターがトスを上げる前から、アタッカーがもう跳んでる攻撃のこと」
「セッターがトスを上げる前から跳んでいる……?」
肇はまた目を瞑ってシミュレーションを始める。やがて困ったような顔で結論を述べた。
「これ難しくないですか?」
「「「難しい(わよ)(よ)(ぞ)」」」
全会一致の見解だった。肇は面食らったように目を丸くする。
「えっ、と……難しい、のはわかりました。けど、それが奥沢さんに対してどう有効なんですか?」
「その前に、まず奥沢蘭のブロックの何が厄介なのかは正しく理解してる?」
「それは、身長が高いから、トスを見てから跳んでも余裕で間に合うところですよね?」
「よろしい。あなたの言う通り、奥沢蘭はただ背伸びをするだけで私の本気ジャンプと同じ高さが出せるわ。つまり、私が助走して床を蹴って最高到達点まで跳び上がるまでの時間を、あいつはトスの行き先に移動するための時間に使えるってこと。だから奥沢蘭のリードブロックは厄介なの」
「はい、それは私も、見ていてなんとなくわかります」
そう言っているそばから、ぱんっ、とまたしてもレフトの黒髪の子が止められた。前衛に上がってきてから、これで二度目。もちろん、黒髪の子もただやられたわけではない。今のレフト平行は、一回目のレフト平行よりタイミングが速く、それに合わせて小田原さんのトスの速さも増していた。しかし、それでも振り切ることができないのが、〝移動城壁〟こと奥沢さんなのだ。
これでスコアは、2―8。明正学園にとっては苦しい状況が続く。予想の範囲内ではあるが、夕里を知っている私たち獨楢中出身者としては悩ましい限りだ。一方で、そうではない后と肇は、試合展開にあまり気を払うことなく講義を続けた。
「よろしい。で、そんな奥沢蘭をかわすための方法の一つが、マイナステンポなわけよ」
「ふむ。そのココロは?」
「マイナステンポでは、セッターがボールに触れる瞬間には、既にアタッカーが空中でトスを待ってる。言い方を変えれば、アタッカーは、セッターがトスを上げたらすぐさまそれを打てる状態にあるの。これをやられると、ブロッカーはトスを見てからブロックに跳ぶことが、ほぼできなくなる」
「なんでですか?」
「トスが上がってから、アタッカーがそれを打つまでの時間が、とても短いからよ」
「えっと……」
肇が再三目を閉じる。今度のシミュレーションには、今までもよりも長い時間が掛かった。
「……ああ、本当ですね。ブロックに跳ぼうとした瞬間に打たれてますね。なるほど」
「どういう想像をしたのかはわからないけれど――まあ、大体合ってると思うわ」
「これは、そっか、だから、きっちり止めようと思ったら、コミットブロックに切り替えないとですよね?」
「そうよ。でも、そんなことをしたら、奥沢蘭の強みである横移動の速さは失われる」
「おお……すごい。じゃあ、これはもう次の聖レ戦で使うしかないですね。ファイト、右季」
「いや、肇、さっき『難しい』って自分で言ってたよね?」
右季が困ったように苦笑する。しかし肇は諦めなかった。「そこをなんとか」「いやいや」「ちょっとだけでも」「いやいやいや」「大丈夫できる信じてる」「いやいやいやいや」という押し問答が続いて、最終的に后が「それくらいにしときなさい」と釘を刺して止めた。
「マイナステンポの攻撃にも欠点はあるのよ。第一に、タイミングがシビアだから、レシーブがきっちり返らないと使えない。まあ、これは私の担当だから無理だとは言わないけれど、第二に――」
言い差して、后は私を見る。私は「続きをどうぞ」と手の平を見せた。
「これはセッターに求められる条件だけれど、できるだけ大型でないといけないの。それこそ小田原七絵や宇陀川幸絵くらいにね」
「えっ? なんでですか?」
肇が后と私を交互に見た。私は后に代わって答える。
「マイナステンポの利点は、トスを上げてからアタッカーが打つまでの時間が短いことだったね。でも、セッターの背が低いと、その利点が失われてしまうんだ。この理由は単純で、セッターの放点とアタッカーの打点の間に距離ができるからだよ」
「あっ」
「肇も、一度世奈にトスを上げてもらうといい。世奈は私より10センチ以上高いから、すぐに違いが実感できると思う。私のトスは下からだけれど、世奈のトスは横から来るように感じられるはず。ましてや、小田原さんや宇陀川さんクラスともなれば、トスが目の前に置かれているように感じられるだろうね」
「なるほど……」
「第三に」
「えっ、ま、まだあるんですか?」
肇はほぼ納得していたが、后は構わず追い打ちをかけた。彼女は説明を始めたら最後まできっちりさせないと気が済まないタイプなのだ。
「これが最後よ。第三は、アタッカーに求められる条件。これも第二の条件と似たようなものだけれど、やはり大型で、且つジャンプ力があったほうがいい」
「それはまたなにゆえ?」
「スパイクの威力が落ちるからよ。空中でボールを待って、送られてきたトスを上から叩き落とせるくらいの高さとパワーがないと、マイナステンポはただ速いだけの攻撃に終わってしまう」
「ただ速いだけではダメなんですか? 奥沢さんを置き去りにできるなら十分だと思いますけど。だってフリーなんですよ?」
「それはそうなのだけれどね。肇、さっき、舞たちが中学のときに聖レ中に負けたって話をしてたでしょう?」
「はい、そう言ってましたね」
「奥沢蘭は三年。舞たちが戦った二年前の聖レ中に、彼女はいなかったわ。それでも負けたの。理由は――もう舞が言ったはずよ」
「…………粘り負け?」
「そういうこと」
后がコートに目を向ける。現在、スコアは2―10で、点差は広がる一方だった。サーブは引き続きレフトの萩原葉子さん。ばしっ、と放たれたサーブは、故意か不如意か、ここまで避けていたリベロの星賀さんの守備範囲へ。
たんっ、
と景気よくレシーブが上がる。それを見た夕里と小田原さんがアイコンタクト。この好機を逃す手はない。マイナステンポのCクイックを仕掛ける。夕里が小田原さんの背後へと踏み込み、ほぼ同時に小田原さんもジャンプトス。そして、
っと、
と空中にボールを置くようなトス。奥沢さんは反応しているがブロックには跳ばない。完全フリーの状態から、夕里は左腕を素早く振り下ろし、
ぱすんっ!
と強打。おおっ、と舞たちが歓声を上げる。だが、
「なんの――」
ひらり、と薄黄色の翅が舞う。
「これしきですわっ」
そう言って彼女が顔を上げたとき、ボールは高々と宙に上がっていた。それは、見えない力で運ばれていくように、するするとネット際にいるセッターの手の中へ降りていく。
「序ノ弐陌伍拾壱――〝旋廻〟」
真冬の夜の外気のように澄んだ声が、すうっ、と耳に届く。ラリー中に何を呟いているのかあの子は、と思うけれど、結果的にそれは決め台詞となった。彼女の呟きの僅か数秒後に、レフトの羽田野由衣さんが危なげなく平行を決めて、ラリーが終わったのだ。
スコア、2―11。周りの何人かが「くっ」とか「ぬう」とか悔しそうなうめき声を上げる。肇はというと、予想外の結果にただびっくりしていた。
「そんな……ノーブロックだったのに」
だから言ったでしょう、と后は小声で言う。
「聖レの鶯谷は変なヤツだけれど、腕は確かだわ。合わせるだけで精一杯の即席マイナステンポなら、かえって遮蔽物がないほうが拾いやすいはずよ」
なかなか辛口のコメントだ。しかし、内容は的を射ている。むむむ、と私は口元に手をやった。それを見て遥火が茶化すように苦笑する。
「どーにもやられっぱなしだな、夕里たち」
「そうだねぇ……」
夕里は色々と工夫している。リベロの星賀さんも要所要所でいい仕事をしている。小田原さんも虎視眈々とチャンスを狙っている風だ。しかし、それだけでは、どうしても決め手に欠ける。
「やっぱり、レフトが悉く止められているのは痛いね」
「相手は聖レよ? 一年生にそこまで求めるのは酷だわ」
まあ久美子の言うことはもっともなのだけれど――と、私は明正メンバーの中で一際大きな声を出している二人の姿を見つめる。思えば今日一日、羽田野さん姉妹の「せーれっは」、鶯谷さんの迷台詞、ミッチー&サッチーの嬌声に並んで、彼女たちの競うような雄叫びをよく聞いたような気がする。
夕里と彰と世奈のことで力になってくれたし、それでなくとも見所のある一年生だ。飛び入り参加なんて聞いたときはどうなることかと思ったけれど、せっかく遠いところを獨楢までやってきてくれたのだから、なるべく多くのものを得て帰ってほしい。
また何より、アクシデントなど起こらず、無事に終わらんことを願うばかりである。
「………………」
「あん? どしたんミンチョー、冷や汗なんかかいて」
「いや、なんでも、ない」
「あなたが歯切れ悪いと不気味ね、ミンチョー。本当にどうしたの?」
「なんでもないなんでもない」
どうしよう。ひょっとして、私いま、何か変なフラグを立ててしまった……?
登場人物の平均身長(第五章〜):165.4cm




