86(希和) 県内最高
たった一回のラリー。サーブが打たれて、西垣がカットして、栄が二段トスをして、露木が打って、止められた。
そのたった一回で、私は、今更のように確信した。
――勝てない。
小学生の頃から曲がりなりにも試合に出て、よその地区のチームに負けまくり、敗北については一家言ある私だが、こんなにはっきり勝てないと感じたことは今までにない。
地力が違うとか、能力が足りないとか、練度の差とか、そんな言葉では言い表せない隔絶が、ネットのこちらとあちらの間にある。
これが県四強――代表の座を争う舞台に立つチーム。
私は声を出すのも忘れてぼけっと相手チームを眺めていた。しかし、今は試合中。誰も私の気持ちの整理がつくのを待ってなどくれない。
ぴぃ、と笛が鳴り、再びジャンプサーブが来る。長い金髪を一つ結びにした長身の人が、猫みたいに身体を柔らかくしならせ、外から内へ巻き込むようにボールを叩く。ボールはぎゅるぎゅるとカーブしながら、西垣の頭上を通り、後衛の今川のところへ。
「っ――!?」
今川はどうにか踏ん張ってアンダーハンドでボールを捉えるが、斜め回転の掛かった癖のあるサーブに対応できず、カットは乱れる。BLの栄のほうへと膨らみ、栄はそれを再び露木に二段トス。それを露木が打つが、またしても『県内最高』の壁に阻まれ、ネットを越えない。
0―2。
「っ…………!!」
止められた露木が声にならない声を上げる。いや、露木だけじゃない。私も、今川も、西垣も、栄や小田原さんまでもが、コート中に響く「せーれっは!」の掛け声の中で、溜息なり吐息なりを吐き出す。
っていうか……本当に190センチは洒落にならないって。どれくらい洒落にならいかっていうと、中学の時にスパイク練習で使っていた『鋼鉄の悪魔』(正式名称は知らない。畳の三分の一くらいの大きさの、金属枠と黄色い縄でできた四角いテニスラケットみたいな器具だ。それをネットの上から突き出し、相手ブロックに見立てて練習する。打つ側も大変だけど下から支える側もかなりキツい)がおふざけに思えるレベルで洒落にならない。鉄壁過ぎる。
こうして直に190級のブロッカーを敵に回して、私はようやく気付く。小田原さん相手にたった三打目で対抗策を打ち出した羽田野天理さんや、初手からリバウンドを選択してそれを実現した栄夕里が、いかに恐るべき選手かということに。
そして、それは見方を変えれば、そんな彼女たちでさえ正面突破できないのが、190級の壁ということになる。
バレーが身長よりも高いネットの上でやり取りをする競技である以上、『高さ』とはそれ自体が『強さ』だ。まして相手は県内最高。回り道や抜け道を見つけてようやく勝負の形になる相手。しかし、現状はあまりにも厳しい。
二枚攻撃で相方が西垣だから、露木は実質単騎で挑まねばならない。そして、露木の選択肢は、私の見る限りでは「思いっきり打つ」と「フェイント」の二つだけ。コース打ちやブロックアウト狙いといった中~上級スキルは未習得に違いない。
ここまであいつは、持ち前の身体能力の高さを活かして、時には栄の援護を受けて、沢木彰や森脇世奈、羽田野さんたちと渡り合ってきた。私から見ればチートじみた初期ステータスでもって、物理でぼこぼこ殴ってきたのだ。
だが、その物理で殴る作戦が、今回は通じない。通じるわけがない。なんたって相手は県内最高なのだ。真正面からではぶち抜けない。もちろん逃げることもできない。まさに進退維谷まれり。
しかも、あの癖のあるジャンプサーブのせいでこっちのレセプションは崩されっ放し。土台がガタガタの状態では、露木じゃなくたって点を決めるのは難しいはず。
いやどうすんだマジ……と私が冷や汗を掻いていると、「あ"あ"あ"あ"」と濁音まみれの低い唸り声が聞こえた。今日、試合に負けるたびに聞いた露木の声だ。
「県内最高か……」
小さな声でそう呟きながら、露木は腕を伸ばして肩口で額の汗を拭う。その口元には、うっすらとだが、笑みが浮かんでいる。
「なら……それを抜ければ、あたしが県内最強ってことでいいわよね!」
ふっ、と仕切り直すように息を吐き、露木は目を見開いた。その瞳にはめらめらと赤い炎が灯っている。そしてその火はさらに別の火種――今川の瞳に燃え移り、新たに青い炎が上がった。
「勝算はあるのか?」
今川は険しい表情で問う。露木は、そんなもんないわよ、と笑い飛ばした。
「けど、だから何だって言うの。どうにかして決めてやるわ」
っていうか――と露木はにらめっこで「いー!」とするように怒った表情を作り、ずびしっ、と今川を指差した。
「偉そうなこと言う前に! あんたはちゃんとカット上げなさいよ! 得意のサーブカットでしょ!?」
痛いところを突かれた今川は、ぐっ、と一瞬言葉に詰まるが、すぐに言い返した。
「お前こそ! 高いブロック相手にバカ正直に打ち過ぎなんだ! そんなんじゃまともにトスが上がっても抜けっこないからな!」
「なによ、今川颯のくせに!!」
「なんだよ、文句あるのか!?」
「まあまあご両人」
「「止めないで(くれ)、栄!!」」
目を三角にして互いの頬をつねり合う露木と今川。そこに割って入る栄。もはやお約束となった光景に、私はふっと肩の力が抜ける。本当にこの二人は……。
ああだこうだと言ってはいるが、要するに、露木は今川ならあのジャンプサーブを拾えると思っていて、今川は露木なら県内最高相手でも決められると思っていて、だからこそ苦戦している相方を見るのはもどかしいってだけなのだ。
ぷ、と笑い声が漏れてしまう。やいやいやっていた露木と今川は動きを止めて私に振り向いた。私はぐっと拳を突き出す。
「頼むわよ、エース!」
私がそう言うと、露木と今川は揃って笑った。
「「任せなさい(ろ)!!」」
まったくブレないヤツらね、と私は苦笑する。なんだかなんとかなる気がしてきたわ。栄もいるし、今は小田原さんだっているのだ。まだまだ、全然、大丈夫――。
……なんて、私はあまりにも無責任に楽観していた。現実はそれほど甘くない――そう私が気付くのは、しかし、もう少し後のことである。




