76(希和) 不死蝶《Crawling Butterfly》
ぱしっ!
相手レフトの放ったフェイントをパスカットするバスケット選手の如く片腕を伸ばして手の平で捉え、そのまま相手コートへ叩き返すという常識外れのプレーを『やっべ前がら空きだった!』と慌ててフライングした私はコートに腹這いになった状態から見上げていた。直後、
だんっ、
と無慈悲な音がして、ボールが相手コートの床に落ちる。
スコアは、3―0。
最初のサーブカット以降……ボールがまったく飛んでこない。私のところに、ではなく、こちらのコートに。
「……ん、あ、ごめん。ナイスファイト」
のっそりと振り返って、足元に転がっていた私に気付いたその人は、それだけ言うとすたすたと自分のコートポジションに戻っていった。
その名も、小田原七絵さん――〝偉大なる七《"Big" Seven》〟。
私はちょっと頬を引き攣らせながら立ち上がり、その一枚岩みたいな背中を見つめた。なんていうか、マジ頼もし過ぎる。さっきの試合の栄夕里もすごかったけど、小田原さんはもっと直截的に、物理的に、即物的に、頼りになり過ぎる。一文字で表すと『盾』。よくある矛とセット販売されている誇大広告のヤツじゃなくて、正真正銘の堅きこと能く陥すもの莫きアレ。
ここまで、得点は全て小田原さんのブロックポイントだ。星賀さんの『高さで押し切る』作戦を忠実に体現している。聖レ新人チームのキャプテンにしてエースである羽田野天理さんと、170近い長身ミドルブロッカーの二人が、まるで子供扱いだ。また、スコアには残らないけど、ツーアタックなどの奇襲に対して栄が警戒を張り巡らせているのも大きいだろう。私が聖レのセッターだったらもう白旗を上げている。身長が同じくらいなので、より同情を寄せてしまう。
本当に、それくらい巨大。何はともあれ巨大。
曰く、185センチ――私より20センチ以上高くて、あの沢木彰よりさらに10センチ近く高いんだから、そりゃ大きいはずよね……。
まあ、無難に今日を乗りきるのが私の当初の目標だったはずだから、小田原さんの活躍は素直に有難いことなんだけれど――あんまり頼りきっていると手痛いしっぺ返しを食らいそうで怖い。微笑み顔の星賀さんがベンチからこっちを見ているのも怖い。
ぱしっ、
と指示通りの入れること重視のサーブが西垣芹亜から放たれる。器用というか力加減がうまいというか飲み込みが早いというか……。ってか今日の西垣はまったく目立ってないけれども、これは言うなればレベル1のまま最終ダンジョンにやってきて、栄や星賀さんに守ってもらいつつ戦闘に参加し続けたことで気付いたらものすごいレベル上がってるパターンじゃない? 最後にあいつのステータス開示したらいつの間にか私より上になってましたとかないわよね? さすがに泣くわよ?
なんて考えているうちに、相手の攻撃。カットはさっきまで同様ぴったり上がっている。基本のAクイック―レフト平行のコンビ。いずれにせよ小田原さんが強打を抜かれることはないだろうから、BRの私が今やるべき主な仕事はフェイントカバーよね。となると、もう少し前に詰めていたほうがいいか。
たたっ、と軽くステップしながら守備位置を微調整。やがて、しゅ、とトスはレフトへ上がる。また羽田野天理さんだ。待ち受けるは当然、エース殺しの小田原さん。二人の身長差は20センチもあって、羽田野さんは既に二本止められている。なのに連続でレフト平行とはまた強気な……一体なんのつもり?
ばしんっ!
と力強い音がして、ボールが小田原さんのブロックの上を越えて私のいるストレートへ飛んできた。ボールを上に向かって打った――ブロックアウト狙いってやつだろうか。でも、小田原さんのブロックを掠めたようには見えなかった。たぶん上を狙い過ぎたんだろう。私は私の頭上を山なりに飛んでいくボールを、全力で見逃す。
「アウト!!」
直後、ばいんっ、とボールが床を跳ねる。エンドラインの三十センチくらい内側を。
突然だが、バレーボールあるある。『アウト!』と自信満々に見送ったボールがライン上ぎりぎりならまだしもわりと余裕を持ってコートの内側へ突き刺さったときの白けきった空気は今すぐ家に帰りたいレベル。
スコア、3―1。
今すぐ家に帰りたかった。
「知沙、瀬戸さんの獲得点数のところに、マイナス1と書いておいてくれ」
「えっ、わ、わかった」
「あんまりですよっ!!」
味方ベンチから聞こえてきた非道のやり取りに、思わず泣き言を入れてしまう。確かにやっちゃった感はあるけど私なりにぎりぎりまでボールを見てイン・アウト判定したのだ。これでもBRは中学時代に慣らしたポジション。その感覚に従えば今のはアウトだったはずなのだ。それがなぜ……。
「一つ前のフェイントにつられて前に出過ぎたんやな。次は気をつけてやー」
ぽんっ、と栄に肩を叩かれる。私は自分の立ち位置を再確認して、あっ、と声を漏らし、それから相手コートを見る。
「せええええー――――!」
聖歌のコーラスのような美しい声を上げながら、その人はしっとりと艶めく黒髪ショートを風に揺らし、味方メンバーとともにコートに大きな円を描いていた。
「「れっ!! は!!」」
今日何度も聞かされて耳タコ確実の「せーれっは!」。それを終えてコートポジションについた彼女は、私の視線に気付くと天女のような優しい微笑を浮かべた。私はその微笑に見とれ、溜息混じりに呟く。
「〝不死蝶《Crawling Butterfly》〟……」
エース殺しの小田原さんを向こうに回して、死なないどころかひらりとかわして甘い密にありつく強かな蝶。
これが最終成績県三位の聖レ中を率いたキャプテンにしてエース――〝羽衣天女〟。三度目の正直ってのは、今の彼女みたいな人のために使われるべき言葉なんだろう。困難を切り抜けるための確かな経験と技術を持ち、きちんと結果を出せる選手に。
羽田野天理さん――彼女はきっと、私が一回戦負けにいじけていた間も、あの天女の微笑を崩さず、綺麗な声を響かせ、多くの強敵に立ち向かい続けていたのだろう。してやられた立場ではあるけれど、悔しさはなく、純粋にすごいと思う。私たちの同期県選抜が羽田野さんみたいな人で良かったと素直に思える。
……できれば、あとで連絡先を聞こう。
と、そんな雑念を抱いていたら、後衛に下がった長身ミドルブロッカーの人にサーブで狙われてあっけなく凡ミスしてしまった。ライト側へ大きくすっ飛ばしてしまったボールは、ぽすんっ、とベンチに座っている星賀さんの手の中へ。
「知沙、瀬戸さんにマイナスを追加だ」
「う、うん……」
「うううっ、今のは普通にすいません!」
「「ドンマイ!」」
スコア、3―2。
まったく何をやっているんだ私は! 小田原さんが加入したからといって、別に私自身が強くなったわけではない。気を入れ直さねば……!
「そうそう瀬戸さん、言ってなかったけれど、最下位には罰ゲームが待っているからね?」
「そんなとこだと思ってたわん! 頑張りますわん!」
「よろしい」
マジかぁ……え、ってか罰ゲームって何やらされんの? 怖ッ!!




