73(知沙) 全員
衆目がナナちゃんに集中していた。上は紺のTシャツ、下は私と志帆ちゃんと同じ桜花色のジャージに着替えたナナちゃんは、軽いアップを済ませると、栄夕里さんを相手にパスを始めた。
それを、もう、みんな見てる。お隣のAコートでも、次の対戦カードである獨楢と聖レの準備は終わっているはずなのに、なかなか試合が始まらない。監督の先生たちまでもがナナちゃんに興味津々なのだ。
「なんや、落ち着きませんね、小田原さん」
微笑を浮かべ、ひゅ、と柔らかなタッチでトスを送る栄さん。
「いや、うん、まあ、ごめん、ありがと」
表情を変えずにぽつぽつとそう言って、ばしんっ、と大きな手でスパイクを打つナナちゃん。栄さんはそれをしっかり引き付けてお手本のようなレシーブをする。ふわりと高く宙を舞うボール。それを見上げて、ナナちゃんがぐわんとジャンプトスした。
おおおおっ!
と歓声が上がる。私も一緒になって感嘆した。いや、だって、ナナちゃんのジャンプトスって、大海を泳ぐ超大型哺乳類が息継ぎのために水面に顔を出したみたいな、本能を揺さぶる感動があるんだもん。
ばしんっ、だんっ、しゅ、ばしんっ、とボールが面白いように二人の間を行き来する。その中で、ナナちゃんは時々指先を擦ったり、打ったあとに肩を回したりした。コンディションを確かめているのだろう。やがて、栄さんのスパイクをレシーブしたところで、アンダーハンドの形を保った両腕とボールの行く先を見て、何かを納得したように小さく頷いた。
「栄さん、ありがとう。もう十分」
「了解です。ほな、ラスト一球――どぞっ!」
ひゅ、と、栄さんのナナちゃんとは別のベクトルで感動する流麗なジャンプトス。ナナちゃんはゆったりと右腕を引いて、左腕を前に突き出し、鋭い目をして放物線を描いて飛んでくるボールを待ち受ける。そして、
ばぢんっ!
と大砲のようなスパイクを放つ。雄大と繊細の競演に見とれて油断していた私は、思わず「ひゃっ!?」と悲鳴を上げて目を瞑った。位置関係的に、二人は私の座るベンチの前で、手前に栄さん、奥にナナちゃんという並びで対人していたので、ナナちゃんの打ち出したボールは3D映画ばりの大迫力(なんだかおかしな比喩だ)でもって私に飛んできたのだ。ここ最近で一番の生命の危機を感じた。
しかし、恐れていた衝撃はいつまで経っても訪れなかった。ゆっくりと目を開ける。腰を落として床に手をついている栄さんの背中と、その向こうの、頭の上でボールを掴んでいるナナちゃんの驚いている顔が見えた。
「……本当に万能選手よね、あなた」
「それほどでもって言いたいとこですけど、さすがに今のは半分まぐれです」
感心したように溜息をつくナナちゃんと、苦笑しながら立ち上がる栄さん。どうやらナナちゃんの大砲スパイクを栄さんは拾ったらしい。しかも、ナナちゃんの立ち位置がスパイクを打ったときとボールをキャッチした今とで変わってないから、Aパスだったということだ。
いや、それを言うなら、あの二人、パスが始まってから互いにほとんどその場を動いてないような……っていうか、アンダーハンド→オーバーハンド→対人の流れで十分以上パスしていたけど、思えば一回も落球してないよね?
なんて私が口を開けっ放しにしていると、隣のコートから、ぱちぱち、と拍手が鳴った。振り返ると、獨楢の(比較的)小柄なキャプテンさんが笑顔で両手を合わせていた。それをきっかけに、館内のあちこちから拍手が上がった。
「能ある鷹は爪を隠すと言うけれども――」
私の隣に立っていた志帆ちゃんが、私にだけ聞こえる声で言う。
「しかし、その気高き翼までは隠せないらしいね」
ふむむ、と私は志帆ちゃんの言いたいことを理解して唸る。
ナナちゃんと栄さんがやっていたのはあくまでウォーミングアップのパスだ。狩りで見せる爪は出していない。しかし、強大な力を持つ猛禽は、ただ飛翔するだけで周りを魅了してしまう。
なぜなら、遥かな天空を飛ぶ鳥を、その美しい翼を、見上げない者なんていないのだから。
「ところで、知沙、作戦ボードの準備は?」
「ばっちり!」
「オーケー」
やがて拍手が止み、それを潮にして館内に本来の緊張した空気が満ち始め、Aコートでは獨楢VS聖レが、こちらのBコートでは明正学園VS聖レ新人チームが、試合へ向けて動き出す。
「集合っ!」
志帆ちゃんの号令で、クールダウンしていた栄さん以外の一年生四人と、パスを終えて立ち話をしていたナナちゃんと栄さんの計六人が、神保先生と私と志帆ちゃんの周りに集まってくる。神保先生はベンチから立ってみんなを迎え、楽な姿勢で聞くよう片手を軽く挙げて、話し出す。
「それでは、この試合のスターティングローテを発表する。早鈴、ボードをみんなに」
「はい!」
私は作戦ボードを掲げた。内容は、以下の通り。
―――ネット―――
小田原 露木 西垣
栄 今川 瀬戸
―――――――――
「露木と今川は午前中までと同じ、レフトを頼む」
「「はいっ!」」
「西垣は今まで通り、ミドルブロッカー」
「はぁい」
「瀬戸は先程の試合と同様にライト」
「はい」
「栄は、ミドルブロッカーだ。できるか?」
「頑張ってみます。……けど、そうすると、今回のセッターは――」
「小田原のワンセッターだ。問題はあるか?」
「私は特に」
「ウチも、はい。大丈夫です」
「よろしい。では次に、後衛のプレイヤーポジションだが、今回は全員、前衛と同じところを守ってもらう。ついては、瀬戸、露木、お前たちは西垣のBCのフォローを頼む。西垣も、できる範囲でやってみてくれ」
「「「わかりました」」」
「それから、見ての通り、星賀は今回ベンチだ。ゲームキャプテンは小田原。一年生を頼むぞ」
「はい」
「大まかには、以上だ。何か質問は?」
一息に説明を終え、神保先生はみんなを見回す。手を挙げたのは瀬戸さんだった。
「えっと、あの、星賀さんは本当に試合に出ないんですか?」
「状況次第では誰かと交替させるかもしれない。が、できるところまではお前たちだけでやってみてくれ」
「わ、わかりました……」
瀬戸さんは訝しげに志帆ちゃんを見る。と、今度は栄さんが手を挙げた。
「星賀さんが出ないのは、つまり、それが今回の作戦やっちゅーことですね?」
「察しがいいね、栄さん。その通りだよ」
嬉しそうにそう応じたのは志帆ちゃんだ。志帆ちゃんは先生にアイコンタクトを送り、そのままローテの説明を引き継いだ。
「次の試合、こちらの狙いは乱打戦――打ち合いだ。メンバーはみな、前衛にいる間は点を取ることだけを考えてほしい。攻撃特化という意味ではさっきとも近いが、今回は出ている全員が点取り役になる。ある意味では点取り競争とも言えるな」
スコアアタック、という単語に露木さんと今川さんが大きく反応した。きっと二人にとっては願ってもない機会だろう。なんたって二人はセットが終わるたびにアタック決定本数を私のところに聞きにきていたのだ。しかも、ここまでの獲得点数はイーブン。決定率もほぼ同じ。となれば燃えないはずがない。
ノルマ制の次は、フルコミッション制ってわけだ。二人の競争意識をうまくコントロールしているなあ、志帆ちゃん。
「というわけだから、七絵、トスはなるべく均等に上げるように」
「わかりました。可能な範囲で」
ありがとう、と微笑して、志帆ちゃんは一年生に向き直り、説明を続ける。
「午前中で身に沁みたと思うけれど、向こうのチームの練度は非常に高い。粘り合いではこちらが不利。そのための打ち合い狙いだ。私が抜けて七絵が入った今、高さではこちらが圧倒的に優位だからね。サーブはほどほどの威力で入れていき、ブロックとアタックの前衛勝負に持ち込む。シンプルに高さで押し切るんだ。手本は――そう、きっと七絵が示してくれるだろう」
「あの、星賀先輩、私、セッターですけど」
少し困ったように首を傾げるナナちゃん。志帆ちゃんは自信たっぷりに微笑んで返す。
「だが、七絵――君は〝偉大なる七《"Big" Seven》〟だろう?」
「そうですけど…………まあ、わかりました」
ナナちゃんは小さく溜息をついて、受け容れる。志帆ちゃんは満足げに頷いて、一年生に言う。
「君たち、190級の選手がどれほどのものか、七絵からよく学ぶんだよ」
そう言うと、志帆ちゃんは斜め後ろを一瞥した。みんなもそちら――仕切り網の向こうの聖レベンチを見る。
「私は既に聖レの一軍と戦うつもりでいるからね。君たちもいい加減負けっぱなしでは悔しいだろう? 私も同じだ」
志帆ちゃんは拳を握ると、それを胸の前に掲げて、鋭い眼差しで一年生たちを見据えた。
「勝ってきたまえ。期待の一年生諸君」
強い語気でそう言い切る志帆ちゃん。一年生たち――特に露木さんと今川さんは「はいっ!」と大きな声で応えた。
「よろしい。では、他に質問のある人はいるかな?」
志帆ちゃんがみんなを見回す。誰も手を挙げない。「じゃあ、やるか」と先生からゴーサインが出て、志帆ちゃんは「はい」と輪の中心に手を差し出す。そこへ次々にみんなの手が重なる。正真正銘、明正学園女子バレーボール部、全員分の手だ。
志帆ちゃんが大きく息を吸い込み、そして、吼える。
「明正おおおおー、ふぁいっ!!」
「「おおおおおおおおおおっ!!」」
この気入れも、今日一日で随分とみんなの息が揃うようになった。そのことが嬉しくて、私は自然と笑みを浮かべていた。




