65(夕里) りとる・ぷりんせす
腰まで届くチョコレート色の長髪に、左と右に飾られた真っ赤な『おりぼん』。
ふりふりとふわふわがコンセプトの、少女趣味全開の『おようふく』。
お母さんとお父さんの、可愛い可愛い『りとる・ぷりんせす』
それが、『わたし』こと、栄夕里ちゃん。当時、四歳。
いや、まあ……別にふりふりふわふわは嫌いではなかった。そんなに似合ってないわけではなかったし。ただ、やっぱちょっと浮いてたことは否めない。際立っていたというか、悪目立ちしていたというか、たぶん半々くらいだったと思うのだけれど、羨ましがられるのと揶揄われるのだと、主観的には圧倒的に後者のほうが多かった気がする。
要は、外見と中身のバランスが悪かった。『りとる・ぷりんせす』こと栄夕里ちゃん当時四歳の中身は、わたしが世界の中心よ愚民共ひれ伏しなさいおほほほ! 的なお姫様では全然なくて、主な仕事は庭の薔薇のお手入れ最近の趣味はパッチワーク夢は静かな土地で平穏に老後を暮らしていくことです的な召使いその三くらいのものだった。
そしてなお悪いことに、当時の(今もそうだけれど)わたしはどうしようもない弱虫で、泣き虫だった。見た目のことで揶揄われて、泣いて、泣いたことをまた揶揄われて、逃げ出して、一人になってまたぐずぐず泣いた。
揶揄ってきた子だって、別に悪気があったわけではない。ただ無邪気な好奇心でもって近付いてきただけだ。ねえねえなんでお姫様はお姫様なの? という純粋な興味。しかし、わたしはそうして注目されるだけでも怯えてしまって、泣くのを我慢できなかった。そして、大人は泣いてる子と泣かせてる子を見たら、大概は泣かせてる子のほうを叱る。叱られた子としては不平不満が募る。するとかえって意地になって、今度は半分くらい本気でこちらを泣かせにくる。そんな悪循環。
で、それをばっさり断ち切ったのが、沢木彰。当時、四歳。
『嫌がってるだろ。やめろ』
同い年の園児たちの中で最も背の高かった彰の放つ命令形には、計り知れない威力があった。それだけでほとんどの子が大人しく引き下がった。数人のやんちゃな子は突っかかった気がするが、それさえ彰は腕力でねじ伏せた。
『大丈夫か?』
そう言って、彰はうずくまってぐずっているわたしに手を差し伸べた。わたしは潤んだ視界で彰を見上げ、少し迷ってから、ぎゅっとその手を取った。
かくして、『りとる・ぷりんせす』こと栄夕里ちゃんは、『りとる・ないと』こと沢木彰と、出会ったのだった。
――――――
出会いの経緯と、わたしがその後もしばらく懲りずに『りとる・ぷりんせす』を続けたこともあって、小学校でのわたしたちは完全にお姫様と騎士みたいな関係になってしまった。というか、わたしが小学生になってもまだ『りとる・ぷりんせす』のままでいたのは、彰がいつも傍にいるようになったせいもあると思う。なんだかんだ言って、誰かに『守られている』のは安心だし、小学校という新たな世界に踏み込むのに、弱虫で泣き虫の栄夕里ちゃんは傍にいてくれる誰かを切に欲していたのだ。
わたしが『りとる・ぷりんせす』である限り、彰はわたしの『りとる・ないと』でいてくれる。当時のわたしがお姫様をやめられるわけがなかった。
そんなわたしに転機が訪れたのが、小学三年生になる直前の春休み。体格と運動神経の良さを買われた彰が、元宮VBCにスカウトされたのだった。
『その見学に、今度の週末、母さんと行くことになった』
話を聞いてわたしがまず感じたのは、不安だった。全国大会にも出るような強豪チームに彰が誘われている。彰は身体動かすのが好きだから、きっとすぐ上手くなって、のめり込むに決まってる。そしたら、わたしなんかに構ってる暇もなくなる。彰との縁が切れて一人になってしまったら、また彰に出会う前のわたしに逆戻りしてしまう。
その言葉は、ほぼ反射的に出てきた。
『わたしも、一緒についていく』
彰は驚いた顔をしたが、反対はしなかった。
『そうか。じゃあ、一緒に行こう』
――――――
そして、見学当日。もしわたしが生きている間にタイムマシンが実用化したら、この日に戻って、『りとる・ぷりんせす』仕様で出掛けた栄夕里ちゃん当時八歳の脳天にチョップを喰らわしたい。
その日、普段から使っているという市営体育館で行われていたのは、元宮VBCと近隣のバレークラブとの練習試合だった。わたしたちが現地に集合したのが午前十時。体育館の中に入ると、彰より背の高い上級生が何人もいて、ウォームアップのスパイクをばちんばちんと打っていた。当時は平均以下の身長で、背の高い人に憧れを抱いていたわたしは、その迫力に一瞬で魅せられた。
それからわたしたちはギャラリーに移動して、試合を観戦した。このとき、彰と同じ理由でスカウトされた与志田天那とその母親、クラブの現役コーチで彰や天那の母親に入団の話を持ちかけた横田さんと、その娘でクラブのメンバーでもある久美子さんが一緒だった。
横田母娘の解説でお送りする生試合の観戦は、午前中いっぱいで終わった。元々そういう予定だったのだ。練習試合は昼休憩に入り、監督さんが挨拶にやってきて、主に彰と天那に今日の感想を聞いた。すると、天那が『はいはーい!』と元気よく手を挙げた。
『見てたらやってみたくなったんですけど、いいですかー!』
監督さんも横田コーチも大喜びで承諾した。そして、わたしたちは昼休憩で人の引いたコートにお邪魔して、お試しバレー体験をすることになった。天那の相手は横田久美子さん。彰の相手は美川明朝さんことミンチョーさんが買って出た。
そして、運動に不向きな『おようふく』を着てきてしまったわたしは、コートの横で彰のお母さんと天那のお母さんと見学。彰と天那がぎこちないものの将来性を感じさせる動きで楽しそうにボールと戯れるのを、指を咥えて見ていた。わたしもボールに触れたかったのだ。
このとき、わたしはバレーボールという競技に、かなり本気で運命を感じていた。
最初は彰がいなくなることへの不安からくっついてきただけだった。それが試合を見ているうちにどんどん前のめりになって、自分もあんな風に高く跳んで、力強く走って、ボールを自在に操ってみたい――そう、強く、心惹かれていた。
わたしは徐々にボールに慣れつつある彰と天那に嫉妬さえ覚えた。ふりふりふわふわのスカートの裾を握り締めて、このふりふりふわふわをびりびりに引き裂けば今すぐ混ざれるだろうか、とまで思った。
ともかく、この日の見学で、わたしの未来は、決まった。
そして、その日の夜、わたしはお母さんとお父さんに脱ふりふりふわふわ宣言をした。バレーがやりたい、ついては普段から動きやすい格好をしていたい、だから今までのふりふりふわふわスタイルはやめにする、と。
二人はわたしの突然の申し出に戸惑ったけれど――たぶんわたしが今までにないくらい積極的に『何かをやりたい』と言い出したからだと思う――思っていたほど強くは反対しなかった。わたしの話を聞いて、最終的には、そっか、わかった、と受け容れてくれた。
――――――
それから、『ウチ』は変わった。
小学三年生に進級するのと同時に、彰と天那とともに元宮VBCに入団した。喋り方も当時見ていたアニメのキャラクターの中で一番活発な子を真似て今みたいに変えた。両親と最後まで揉めた髪の毛についても、夏が来る前にばっさり短くした。その代わりではないけれども『おりぼん』は一つだけ残した。それだけが唯一の『りとる・ぷりんせす』の形見やった。やがて成長期に入り、身長が同年代の平均を超えるようになって、それに合わせて『おようふく』もふりふりふわふわからイキイキハツラツへと買い換えていった。
変わらなければ――小学生になってからずっと溜め込んでいた気持ちが、ウチを突き動かしていた。
守られてばかりの『りとる・ぷりんせす』。弱虫で泣き虫の栄夕里。そんな自分を変えたくて、変えようとして、ほとんどの部分で、それは成功した。小学五年生の夏には後衛のレシーバーとしてレギュラーになり、六年生とともに全国大会を戦うまでになった。ふりふりふわふわは、もはや、アルバムの中だけの過去となった――はずだった。
でも、一つだけ。
最も変えたいと思っていた、一つだけが、変えられなかった。
彰に守られているってことだけが、いつまでも、変わらなかった。
ウチが『りとる・ぷりんせす』でなくなったあとも、彰はウチの『りとる・ないと』であり続けた。
まあ、結局のところ、三つ子の魂百までってことやろか。根っこでは、ウチは弱虫の泣き虫で、ずっと近くでそれを見てきた幼馴染みの彰だけは、ウチがふりふりふわふわやろうとイキイキハツラツやろうと、県の最優秀選手に選ばれようと全国で怪物と呼ばれようと、中身が四歳の頃のままやってことをわかっていたんや。
やから、彰は何かにつけて、自分の手の届く範囲にウチを置こうとした。それは、傍から見れば、彰のほうがウチに憧れてるって見えたかもしれへん。なんたってウチは同世代で一番バレーが上手かったからな。彰自身も、自分の行動をそういう風に解釈しとった節がある。エースとしてウチに相応しい選手になる的な感じでな。
せやけど、実態は違う。彰にとってウチはいつまで経っても守るべきお姫様やった。ほんで、ともすると、ウチはそれに甘えてしまう。辛いことも苦しいことも何もかも投げ出して『守られている』安心感に浸ってしまいそうになる。弱虫で泣き虫の自分を庇ってくれた騎士の強さに惹かれて、いつか自分もあんな風になれたらと夢見つつ、憧れるだけで何も変わろうとしなかった四歳の頃に、戻ってしまう。
でも……それは、そんなんは、もう嫌やねん。
お姫様と騎士――お似合いやん、と周りは言うかもしれへん。
でも、少なくとも、ウチはそんなんゴメンや。守られる側と守る側なんて一方通行な関係でいたくない。いくらそれが心地いい言うたかて、ウチは、ウチが心から大切やと思える相手に「おまえのことはわたしが必ず守る」なんて庇護欲めいた目で見られることには耐えられない。
対等で、いたい。
お姫様と騎士やなくて、ウチは彰と、対等な関係でありたい。
そら、確かにウチの中身は、四歳の出会った頃とそう変わってへんのかもしれないけど……。
せやけど、ウチはもうふりふりふわふわやない。『りとる・ぷりんせす』やない。髪も短くした。いたいけな『わたし』なんて一人称は使うてへん。県内の同期で最も優れたバレーボール選手であり、全国でも名うての怪物の一人に数えられ、今やってこうしてスタンドプレーまがいのやり方で暴れ回っとる。
ウチはもう、守ってもらわなくても、一人でも、ちゃんとやっていける。ネットを挟んで向き合える。敵として堂々と切り結べる。リボン以外のどこにも『りとる・ぷりんせす』の『わたし』の面影なんてない。現実にこうして戦ってる今の『ウチ』は、確かに、あの時彰が見せてくれた『強さ』を、僅かながらもこの手に持っている――。
――たんっ!
久保由紀の上げたセミオープンは僅かにズレて、ちょうどウチと彰の間に落ちて来た。彰は高さとパワーを活かして強引にこっちへ押し込もうとする。ウチはその力に極力逆らわず、横方向へと受け流して、ボールを相手コートへ捻り返す。『柔能く剛を制す』といったところやろ。とにもかくにも、ブロック成功。
とんっ、
と自軍コートに落ちたボールを、彰は信じられないという顔で見つめる。
「……わかったやろ、彰」
ウチがそう言うと、彰は低い声で「何がだ」と返し、こっちを睨む。ウチはその目を真っ向から見据える。
「ウチは強い。もう守ってもらわんでも、一人でやっていける」
彰は険しい表情で奥歯を噛み締め、拳を握った。そして吐き捨てるように言う。
「そんなことは……っ」
彰の顔がみるみる上気する。逆鱗に触れる、という表現がぴったりやった。
「そんなことは――! おまえが強くなったことくらいは!! わたしはとっくにわかっているつもりだ!! それでもなおわたしがおまえに過保護だったというのは……おまえが言うなら、まあその通りなんだろう……だがっ! そうだと言われた今なら、構われるのが嫌だと言うおまえの気持ちもわかる! 悪いことをしたと思ってる! これから変えられるところは変えていく……! でも、そうではなくて……!! わたしが言いたいのはっ!!」
ネット越しに掴み掛かるくらいの勢いで、彰はウチに迫った。もう周りはまったく見えていないみたいやった。
「一体おまえは何をそんなに苦しんでいる……!! なぜそうまでして辛いのをひた隠しにする!? どうしてわたしに何も言ってくれないんだ!!」
「やから、ウチのことは構うなて」
「論点をずらすなっ!! わたしは本当のことを言えと言っている!!」
「や、やから、言うも何も――」
「まだはぐらかすのかッ!!?」
見たこともないくらい逆上して声を荒らげる彰。さすがに言葉に詰まった。
「隠し通せるとでも思っているのか!? 嘘を見抜けないとでも思ってるのか!? わたしがおまえとどれだけ一緒にいたと思ってる……!! 答えろ、夕里!!」
「…………っ!!」
瞬間――脳裏に過る光景。あれは中二の秋やった。縫乃から連絡をもろて、県選抜の練習後に、自主練しとるらしい彰と世奈の様子を見に行ったときのこと。
体育館の扉を少しだけ開けて中を覗くと、手前のコートでは卓球部と剣道部が練習をしていた。そしてその向こうで、彰と世奈はひたすらレフト平行を打ちまくっていた。二人しかいない広々としたコートの中で、言葉ではなくボールを介して会話するように、静かに、淡々と同じことを繰り返す。
やがて二人はボールを拾って休憩に入り、壁際に並んで立ち、ドリンクを片手に何かを話していた。声を掛けるなら今やろか――そう思うて扉を全開にしようとしたとき、世奈がドリンクを床に置いていきなり彰に抱きついた。扉に掛けた手がぴたりと硬直した。
今までウチが目を逸らし続けてきたことを、見せつけられた気がした。つまり、世奈と彰は、最初から対等な二人なんやってこと。ウチがずっとそこに立ちたいと思ってきた彰の隣には、とっくの昔に世奈がいるってこと。そして、客観的に言うて、その場所にはウチより世奈のほうが相応しいということ。
あの二人の関係を壊したくない……しかし、それは一人のエースに二人のセッターという形では叶わない。歪な三角形がいずれ破綻するのは目に見えている。それを防ぐのに一番ええのは、ウチが二人の前からいなくなること。
せやけど……一体どうやって? 獨楢は中高一貫やから外には出られへん。怪我でも病気でもないのに部活を辞めるってのも不自然や。間違いなく怪しまれる。
そして結論が出せないまま時間だけが過ぎていって、ぎりぎりのところで降って湧いた、『家庭の事情』。
ああ……これで何もかも丸く収まる。一番綺麗な形に落ち着く。誰にも不審がられることなく、あの二人の関係をそのままに、ウチも彰への甘えをきっぱり捨てることができる。これはきっと天か何かの思し召しや。そうに違いない。
「……やからっ!!」
みんなと離ればなれになるんは寂しいけど、
「ウチは何度も言うとるっ!!」
大切な幼馴染みと別れるんは辛いけど、
「なんもないったらないねん!!」
一人ぼっちは心細いけど、
「ほんまになんでもないんやッ!!」
本当はずっとみんなと一緒にバレーしたかってんけど――なんて、
「これっぽっちもな……っ!!」
言えるわけがない。知られるわけにもいかない。顔見られて考えてることがバレるんも嫌やから下を向いて、ウチは狂ったように首を振り、ひたすら叫ぶ。
「――――ふざけるな!!!」
ぴしゃり、と雷のような怒声が頭の上に落ちてくる。そして、ついに理性の箍が外れたのだろう、彰はネットの下端に手を掛けた。踏み越えてはいけない一線を踏み越えてくるつもりや。ウチは身構えてぐっと目を瞑る――そのときやった。
「いい加減にしなさいよッ!!!!」
ぼごんっ! と、彰に負けず劣らずの大噴火がウチらの横手で起きた。




