61-2(希和) 使い魔
柔能く剛を制す、という言葉がある。剛能く柔を断つ、という続きもある。要するに、柔と剛、どっちにもそれぞれの得意分野というものがあって、いざ戦いとなれば、柔だろうが剛だろうが普通に実力のあるほうが勝つということだ。
ばんっ!!
私の柔弱なライトセミは、剛強な相手ブロックにあっさりと断ち切られる。さっきまでの押せ押せムードはどこへやら。ぴぃ、というこちらの失点を意味する笛の音の後の、しん、という静寂が耳に痛い。いや心臓に痛い。やばいやばい。
スコア、8―6。
これをあと二回ミスしてもいいぜヒャッハーと解釈できるほど私はアゲアゲウェイウェイな性格ではない。さっきまで8―4のダブルスコアだったのに、このままじゃ私のせいで逆転されて全部パー……と血の気が引いていく。いくらこのローテが難所だと言っても、こんな簡単にリードを失っていってはきっとみんなも――。
「残機二だよ、瀬戸さん。さあ、今こそ秘められた力を解放するときだ」とご機嫌な星賀志帆さん。
「瀬戸さんの秘められた力……? ほわあっ、見たい見たい」と無邪気な西垣芹亜。
「瀬戸、気合が足りないわよ! もっと思いっきりがつーんって打ち抜きなさい! あたしのようにね!」と自分で打ちたそうにうずうずしてる露木凛々花。
「瀬戸、根性を見せろ。もっと全力ですぱーんと打ち切るんだ。わたしのようにな」と自分で打ちたそうにうずうずしてる今川颯。
えっ? なんでこの人たちこんな平気でいられるの? もしかして今ってそんなピンチでもないの? 私、ヒャッハーしたほうがいいの?
「瀬戸さん、全力なんはええけど、下に打ったらあかんで。今はブロッカーがばっちり待ち構えとる状況やから、アウト上等で上に打たな」
肩を叩きながら、こそっ、と耳打ちする栄夕里。その気遣わしげな声色で、私は私が今崖っぷちにいることを再認識する。ああ、やっぱりそうよね。ピンチなのよね。よかったよかっ……よくないわ!
そうして一周回ってまた焦燥感が私を苛む。時間になったのでサーブカットの位置につくが、目がぐるぐるして顔を上げられない。と、そんな私を見かねたのか、後衛の露木と今川が揃って大声を上げた。
「「大丈夫よ(だぞ)、瀬戸! 今川颯(露木凛々花)が午前中に一体何発無駄打ちしたと思ってるの(んだ)! 気にしないでやりなさい(やれ)!」」
お、おう……。でもなんかそれ、私を励ましたかったんじゃなくて、相方に喧嘩を売りたくて言ったんじゃないの……?
振り返る。案の定、私のことなど忘れたように「なによ!」「なんだよ!」とじゃれ合いを始めている二人。その喜劇じみた様子を見ているうちに、私の小市民的不安はどこかへ吹っ飛んでしまう。少し気持ちが上向きになる。さっきから悄気たり持ち直したり……我ながら単純だな。
くすくす、という控えめな笑い声が耳に届く。星賀さんだ。果たして、その微笑の源は露木と今川の漫才なのか、私の百面相なのか。……いや、あまり考えないでおこう。というか、もうそんなことを考えている場合じゃないし。
ばしっ、
と相手がサーブを放つ。ボールは今川へ。軌道を読んで先回りし、きっちりセッターへ返す。栄は「ナイスカットやで!」と笑顔を見せ、落下点に入り、軽やかにジャンプ。
「三度目の正直や、行ったれ瀬戸さん!」
しゅ、と正確無比なバックトスが来る。私は大きく息を吸い込んで、どんっ、と一歩目を踏み出す。
三度目の正直――いい言葉よね。何か明確な根拠があるわけではないのに、あれこれやってればまあ三回目くらいでうまくいくでしょ、と楽観的な気持ちになれる。私は栄のアドバイスを思い出しながら、ブロッカーの位置を確認。下に打ってはダメ。床と平行、サーブを打つくらいの感じで……叩く!
ばごっ!
「っ、やった……!?」
ボールが跳ね返ってきてない! ようやく壁を越えた! これはやったでしょ! やったわよね!?
「チャンスボール!」
ですよねー。
「相手の攻撃は三枚! マークしっかり!」
FLから星賀さんが指示を出す。今日の私たちのブロック体制は、基本的にマンツーマンコミット。最低でも目の前の相手には必ず跳ぶ。もっとも、その原則は西垣と星賀さんに合わせたもので、経験者の私はその限りではない。レフトアタッカーをマークしつつ、センターの速攻に対応することも求められている。
が、今回の攻撃はライトからだった。森脇世奈のバックトス――栄のに比べると少し粗いような――から、右利きの選手が打ち込む。対するは151センチの星賀さん一枚。
だごんっ!
「ワンタッチ!」
ぼよーん、と上から打たれたはずがなぜか上空へ跳ね上がるボール。どよどよっ、とコート全体に驚愕の波紋が広がる。あの身長でワンタッチ? どんなチート使ってるのあの人……?
「びっくりしとる場合ちゃうで、瀬戸さん! 三(+1)度目の正直や!」
「ちょ……えっ、わ、わかったわよ!」
BRで構えていた栄と交差してポジションをスイッチ。星賀さんのチートで得たチャンスボールを露木が拾い、それを栄がバックトスで私へ。
「いい加減に……っ! 決まりなさいよ!」
ばぢっ!
通算四度目のフルスイング・スパイクは、辛うじてブロックを抜けた。要するに、また相手のチャンスボールになった。
「一本、確実に!」
堅実なレシーブを見せるとともに、パーティ全体の攻撃力を上げる効果がありそうな声で味方を鼓舞する沢木彰。なにあいつ最強の前衛でありながら防御も隙無しで支援魔法まで使えるの? 勇者ですか?
腹部に幻の鈍痛を感じながら、私はブロックの構えを取る。相手はまた三枚攻撃。今度は――Aクイック! 跳ばなきゃ、と思ったけど、連続フルスイングが祟ったのか足に力が入らない。西垣が跳ぶのを見ているだけの私。果たして相手のミドルブロッカーは、
ぽふ、
と指先で掠めるようなフェイント。西垣の背後へ落ちる。取らなきゃ、と思う。けど、思うだけでやっぱり動けない私。
いや……でも、いっそ、ここでラリーが終われば――。
「そう易々とは終わらせない、よっと!」
真っ先にフェイントに反応した星賀さんが、小さな身体をボールの下に滑り込ませる。ワンハンドの回転レシーブ。届けば御の字くらいのタイミングに見えたけれど、結果は、一体どういう腕の使い方をすればそんなふわっとした仕上がりになんの? ってくらい綺麗なチャンスボールになった。栄がネット際に走る。
「瀬戸さん、三(+2)度目の正直!」
嘘でしょ……? と吐きそうになる。しかし嘘ではない。悪霊に憑かれたように重い身体に鞭打って、私はライトに開く。栄のバックトス。これでトスが乱れでもしていたら、たぶん私は足をもつれさせてずっこけていただろう。けれど、栄の放ったボールは、どの角度から見ても非の打ち所のない美しい弧を描いている。私はどうにか足を動かして、跳び上がり、
ぺたっ、
と泣き出したくなるくらい情けないフェイントをした。意図したわけではない。強打しようと思っていたのに、跳んだ直後にぷすんと燃料が切れて、へなへなと腕を振ったらフェイントになってしまったのだ。
当然、そんなへなちょこ攻撃でがたつくような相手ではなく。
「オーライ!」
と沢木彰がチャンスボールにして、三枚攻撃から森脇世奈はレフト平行を選び、
「そいっ!」
たあんっ、
と矢のようなスパイクが私の形だけのブロックの横を抜けていき、クロスへと刺さった。
スコア、8―7。
ボールの行く末を見つめたまま、私は動けなくなった。息が上がっている。膝が笑っている。視界の縁の辺りが白い。凄まじい疲労感――そう、あくまで「感」。実際はたぶんまだ動けるはずなのに。
でも、誰だってあるでしょ? 例えば体育の長距離走で「うへえマジかぁ今日は走る気分じゃないのよねぇ」なんて嫌々走り出して、ものの百メートルくらいで信じられないくらいの疲れが全身を襲って次の一歩が出せなくなるっていうアレ。
要するに、私は絶望していた。打っても打っても決められないことに。より正確に言えば、みんなが私のために一生懸命ボールを繋いでくれるのに、私に力がないせいで、打っても打っても決められないことに。
あげく私は、みんなが私にラストボールを託そうと奮闘する中、もういっそラリーが終わればいいのに……なんてことを思ってしまった。そんな頑張って拾わないで、そんな綺麗なトスを上げないで、もうやめて、と思ってしまった。アタッカーっていうか、チームの一員として、断じて許されない考えが頭を過った。
最低だ、と俯く。こんな私にできることなんてもう何一つ残っていない。まさに負け犬……これ以上に私に相応しい言葉はない。
「ひたっているところ悪いけれど」
かくんっ、
と突如私は全身の力が抜けて、糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちた。膝をつき、腰が折れ、床に手をついて、四つん這いになる――まるで犬のように。
背後からいわゆる「膝かっくん」をされたのだと気付いたのは後になってから。私はただ反射的に、四つん這いのまま首だけを捻って、声のするほうへ振り返った。
「瀬戸さん、安心してくれていい。まだ一点残っている」
魔女が、人差し指を口元に添えて、陶然と微笑んでいた。
「自分にできることなんてもう何一つ残っていない――みたいな悲しいことを考えているんじゃないかな? ああ……瀬戸さん、そんなに悲観することはないよ。大丈夫。たとえ負け犬でも吠えることくらいはできる。そうだろう?」
怖気がするほど優しくそう言うと、星賀さんは私の傍にしゃがんで私の首根にそっと手を置いた。その手はやけにひんやりと冷たくて、ぞくっ、と背筋が凍る。鉄の首輪を嵌められた、と比喩ではなく思った。
「……逃がさないよ?」
マジでどなたか助けていただけませんか!? なんと申しましょうか単純にこのお方ものっそいドSです!! 身も心も保ちません!!
「さあ、ここが正念場だ! 今のラリーは惜しかったよ! 次もみんなで瀬戸さんをフォローしていこう!!」
「「おおおっ!」」
本丸を落としておきながら外堀を埋めるという鬼畜の所業に出た星賀さん。もはや私にできることなんて魔女の使い魔になる以外何一つ残っていなかった。




