60(明朝) 不調
だあんっ!
重厚な打音がここまで届く。決めたのは我らが期待の超新星――沢木彰。
「彰のヤツ、いつの間にかすっかり怪物になっちゃってまァ。小学生ん時はまーだ可愛いげがあったんだがなー」
他人事のように一歩引いた態度でそう言うのは、多部遥火。ただ、その目だけは鋭く彰を見据えている。同じレフトのウイングスパイカーとして、感じることも多いのだろう。
「えっ、沢木さんって小学生の頃は可愛げがあったんですか? 今の彼女からはとても想像できないですけど……」
遥火の彰評に異を唱えるのは、二年生のミドルブロッカー・氏島右季。彼女は中学からバレーを始めた上に、獨楢中出身ではないので、小学生だった頃の彰を知らないのだ。まあ、知っていたとしても、右季が当時の彰に可愛いげを見出だすか否かはまた別の問題である。
私に言わせれば、彰は当時も今も同じように可愛いげがあると思う。まあ、結局は主観的評価だ。可愛いげの有無については。
しかし、遥火の彰評の前半部――彼女が怪物であるという点については、今日一日で誰の目にも明らかな客観的事実となった。恐らく、ブロック大会が終わったら彼女は一軍の練習に加わるだろう。単純な高さとパワーで彰を超えるアタッカーは今のうちにはいないからだ。彰が初めてクラブに顔を見せた七年前のことを思うと、実に感慨深い。
チーム全体にとっていい刺激になりそうでなにより、と私は可愛い後輩を見守る。元々は聖レVS鶴舞女子の観戦をしていたので、私たちがいるのは獨楢新人チームの陣地から一番遠い対角のギャラリーなのだけれど、私は視力がかなりいいので彼女の表情までよく見える。当然、別の気になる後輩の張り詰めた表情も――。
がざっ、
とサーブがネットにかかった。らしくないイージーミス。打ったのは、彰と並ぶ期待の新人――セッターの森脇世奈。
「どうにもさっきから世奈の様子がおかしいね。集中できていないというか……」
私がぼやくと、遥火もずっと世奈の不調が気になっていたのだろう、ここぞとばかりに早口で捲し立てた。
「そりゃ無心でやれっつーほうが無理だろ。あの飛び入りチームの無茶苦茶なローテが機能してんのはどう見ても夕里の力で、それが今の点差に直結してるわけだかんな。まー世奈としちゃ面白くねーわな」
ちなみに、今のスコアは、7―2。午前中には快勝していた明正学園に、大きく先行を許している。
「それなんですけど、私は中学時代の森脇さんをよく知らないんですが」
考え込むように顎に手を当てて、右季がぽつりと言う。
「でも、夕里さんと同期で、獨楢でずっと一緒にやってきたんですよね?」
「そうだよ」
「なら、夕里さんがあれくらいやってのけるっていうのは、同じセッターの森脇さんなら、むしろ誰よりもわかっていると思うんですよね。今になって夕里さんの存在に動揺するっていうのは、少し妙に感じます」
「ふむ。確かに、そうだね」
右季の意見も一理あった。遥火は、遥火自身が今ちょうど彰の存在に動揺している身なので、賛同の声は上げない。これも、まあ、主観的な問題だろう。高い実力を持つ同ポジションの選手に対して、どういう心理が働くか。
私個人の意見として、世奈は、ことバレーに限ってはそこまで脆い子ではないと思っている。いかに夕里が規格外の怪物であろうとも、それで心乱れて自滅とはならないだろう。だからこそ、中学時代の彼女は最終的にツーセッターとして夕里と並び立つことができたのだ。そればかりか、午前中には夕里を挑発する余裕まであったと聞いている。
しかし、現に今、世奈はひどく動揺していた。試合は相手の黒髪ロングの子がサーブを打ったところ。リベロの平嶋連歌が率先して拾いに走る。申し分ない位置に上がるAカット。それを世奈はライトの彰へバックトス。しかし、ボールはかなりネットに近い位置へ。彰と赤茶髪の子が空中で競り合う形になる。そこから、彰はボールを強引に相手側に押し込んで、辛うじて得点に繋げた。
スコア、7―3。
ローテが回り、彰が後衛に下がる。きびきびと全体へ指示を出しながら、サービスゾーンへ向かう彰。その際、世奈との間に、今の不和について言葉を交わすような素振りは見られない。他のメンバーに不安を与えるようなやり取りを避ける意図があった……というわけではないだろう。
んー、と私は目を細める。世奈の不調の原因は、ひょっとすると、夕里ではなく、彰のほうにあるのかもしれない。だとすると、これは今日が終われば自然解消するような案件ではなくなる。尾を引く可能性がある。それは非常にまずい。が、私がしゃしゃり出てどうにかなるとも思えない。まあ最終的には村木天馬先生が責任を持って動くはずだけど……いやでもやはり万が一の時は私が……むむむ。
私の懸案を余所に、試合はテンポよく進んでいく。彰のサーブ。重く打ち出されたボールを、FCのボサっとした髪の子がオーバーハンドで捉える。力負けしたようなCカット。しかし、ボールが上にさえ飛んでいれば、夕里が如何様にも処理する。
夕里はカットを見るや否や素早く切り返して落下点に入り、身体の正面を堂々とFRにいる赤茶髪の子へ向け、ふわりとオープントスを上げた。ボールは右利き向けのライトオープンにしてはややセンター寄りの位置へ。もちろんトスミスではない。意図は大体分かる。赤茶髪の子に大きく助走をさせたいのだ。
スタート地点が同じなら、トスがセンターに寄れば寄るほど、ライトにいた赤茶髪の子はコート中央に向かってより長い距離を踏み込むことになる。そして、あの赤茶髪の子は言わば大型旅客機みたいな選手で、適切な飛翔のために相応の助走距離を必要とする。で、その『相応』に当たるのが、ちょうど夕里がトスを上げた位置というわけだ。
赤茶髪の子はトスを見て大股に踏み込む。身体全体を使った大振りのスパイク。だばんっ、とボールは真歩の手を吹き飛ばしてクロス方向へ抜けていく。
スコア、8―3。
明正学園が午後から披露した戦力集中型のラインナップは、素直にお見事としか言いようがない成果を上げていた。少なくとも、今のところまでは。
赤茶髪の子が後衛へ下がる。これで、明正学園の前衛は、キャプテンの人、背の高い子、髪がボサっとした子の三人になる。午前中の彼女たちがどういうプレーをしていたのか、私は詳細を聞いていないが、ラインナップの意図やここまでのプレーを鑑みるに、あの裏ローテは彼女たちの明確な弱点なのだろう。諸刃の剣の我が身側というわけだ。
それとも、何かとっておきの秘策でもあるのだろうか? あるなら見てみたいものだが――さて果たして。




