57(世奈) 余計なこと
「……まあ、落ち着け」
村木天馬先生は、30秒しかないタイムアウトの三分の一、たっぷり10秒も間を置いてから、それだけ言った。事実、それ以外に言うことがないのだろう。
「余計なことは考えなくていい。余裕を持って、周りをよく見て、最善を尽くせ」
余計なこと――そう口にしたとき、村木先生は意図しているのかいないのか、あたしから視線を外していた。
「交替はない。今のメンバーで立て直せ。以上だ」
はい、と返事をして散開し、その後は自然と、ポジション別の小会議をする流れになった。小田鹿子と山岡真歩と与志田天那のミドルブロッカー組、狭川輝美と江本瞑と町川縫乃と彰のサイドアタッカー組、平嶋連歌と薬師寺香華のリベロ組といった具合。みんな獨楢中出身者同士だから、いい意味で遠慮なくポジショニングやプレーについて指摘し合っている。
あたしは今の獨楢の一年生でただ一人のセッターだから、そういうのはない。
「大丈夫、世奈?」
一人で汗を拭いていたあたしに声を掛けてきたのは、二年生マネージャーの軍場ゆふるさん。差し出されたドリンクを受け取って口にしてから、軽く聞き返す。
「大丈夫じゃなさそうに見えます?」
ゆふるさんは中学までは選手で、控えのリベロだった。二つ上の美川明朝さんたちの引退後、同じく控えのセッターだったあたしとは、紅白戦で何度も同じコートに立った。あたしにとっては特に身近な先輩の一人だ。
「私の目には、少し」
一重の細っこい目で、あたしを見上げるゆふるさん。心配したくなる気持ちはわかる。今の状況と、あたしが日の目を見ずにいた当時の状況は似ている。
つまり、夕里が、ネットの向こう側にいる。
同じセッターとして、そうなりたい理想として、負けたくないライバルとして。
「夕里のこと、あまり意識しないように」
ゆふるさんは変に隠そうとせず、ずばりとそう言った。あたしは苦笑した。
「意識しているように見えますか?」
誤魔化すような返答をしたあたしに、しかし、ゆふるさんは真面目な顔で頷いた。
「私の目には、かなり」
あたしは少し困ったように肩を竦めてみせた。ゆふるさんの指摘はまさしくその通りで、しかし、だからこそ先の忠告には従えそうにないからだ。諸々の事情を抜きにしても、あんな破格の怪物が目の前にいたら意識せざるをえない。ポジションが同じならば尚更だ。
「ありがとうございます。ゆふるさんから見て、他に何か気になったことはありますか?」
「プレーに迷いがあるように見える」
ドリンクを返そうとした手が一瞬止まりそうになるのをどうにか堪えて、あたしは何事もないみたいに微笑んだ。
「ま、相手が誰であれ、あたしは負けませんよ」
ちょうどそのとき、明正学園のベンチから気入れの声が聞こえた。タイムアウトの終わりが近い。あたしたちのほうは再集合せずに、そのまま銘々にサイドラインに並んだ。あたしの立ち位置は最も明正学園に近い側。右隣には彰がいる。
ふと、彰から、何か話し掛けようとする気配がした。けれど、それは笛の音に掻き消される。
あたしたちは言葉を交わすことなく、広いコートに散った。
登場人物の平均身長(第五章〜):165.5cm




